第七集:凡聖一如

――誰ぞ、わしの聖域にズカズカと入りよるのは……。許さん……。許さん……・

――あの女のように永久とこしえに穢れし場所へ封印してやろうぞ……。かかかかか……。

 階段井戸の奥底で低く鳴り響いた声は、光の終息と共に消えていった。

 真っ暗になった魔窟ダンジョンには、再び静けさが戻り、そこかしこから腹をすかせた鬼霊獣グゥェイリンショウたちの足音が聞こえだした。

 そのころ、わたしは魔窟ダンジョンに異変が起こっているとも知らず、すっかり陽の沈んだ幻想空域亜空間にある家の中でくつろいでいた。

「結構ゆっくりしちゃった。乾燥も終わりそうだし、そろそろ行きますか」

 ポシェットを身に着け、大仙針だいせんしんを手に持つと、扉を開けて外へと出た。

「……真っ暗なんだけど」

 昼間入って来たときはおどろくほど明るかった魔窟ダンジョンから光がすべて消え去り、あの気持ち悪い堕天使たちもいなくなっていた。

 その代わりに聞こえてくるのは、唸り声と足音。聞きなれた、鬼霊獣グゥェイリンショウたちの息遣い。

「雰囲気も漂う殺気の種類も全然違う。昼と夜で変わるたぐい魔窟ダンジョンなのか」

 わたしは煌糸こうしで光る毛糸玉を五つ作ると、それを周囲に浮遊させた。

 真っ暗だった場所に光が灯される。すると、見えなかった、いや、見たくなかったものが見えてきた。

「む……、虫型の鬼霊獣グゥェイリンショウ! う、うわぁあああああ!」

 すでに精神状態は瀕死だ。

 虫は駄目だ。本当に、駄目だ。

「虫! 無理! 絶対! 無理!」

 わたしは「煌糸こうし千万! 煌糸こうし千万! 煌糸こうし千万んんんんん!」と、使える仙術の中でも比較的殺傷能力が高く、一撃で倒せるものを手当たり次第に放った。

「こっちこないで! 本当、無理だから!」

 ほぼ泣き叫んでいるに近い状況だったが、そんな中でも仙術を使い、頑張った。

 一通り倒すと、虫型の鬼霊獣グゥェイリンショウはぱったりと出てこなくなった。

「……お、終わりですか? 本当ですか? もう来ませんか? 本当ですか?」

 おびえながら梅の木の扉を回収していると、今度は下の階層から唸り声がしてきた。

 どうやら虫ではないようだ。

 わたしは意を決して下の階へと螺旋階段を使って降りていった。

「攻撃力が高くても、魔法が使えても、防御力が異様に高くてもいいから……、虫じゃない鬼霊獣グゥェイリンショウと戦いたい。虫じゃなければどれだけ凶暴でもいい」

 切実な願いが通ったのか、下の階層では齧歯げっし類や爬虫類の鬼霊獣グゥェイリンショウばかりが出現するようになった。

 まるで魔窟ダンジョンを統べる何者かが、わたしの強さに合わせて鬼霊獣グゥェイリンショウの種類を変えているように感じた。

(戦闘技術を観察されているのか?)

 虫よりは精神的に楽だが、肉体的にはかなり疲労がたまってきた。

 こちらが仙術を行使するよりもはやく間合いを詰めてくる鬼霊獣グゥェイリンショウ

 相手はわたしを叩いたらすぐ離れるヒットアンドアウェイ、というように、少しひっかいたらすぐに飛びのき、こちらの出方を窺ってくる。

 知能が高い。誰かに訓練されているとしか思えない。

鬼霊獣グゥェイリンショウが持つ疫病の悪状態バッドステータスはかなり痛い。少し触れただけで、傷がふさがりにくくなるし、流血も止まらなくなる)

 まだ細かい傷ばかりだが、大仙針だいせんしんを持つ手が湿るくらいには血が流れ続けている。

(仕方ない。疫病はあとで治療できるし、近接戦闘に変えたほうがいいかも)

 わたしは大仙針だいせんしん煌糸こうしを纏わせ、太刀に変化させた。

「かかってこい!」

 飛びかかってきた鬼霊獣グゥェイリンショウに向かって体重を移動し、斜め上から切り裂いた。

 返り血が噴射するようにかかり、咳が出る。

 気管に少し入ってしまったようだ。

 背後からくる敵に廻し蹴りをいれ、間合いを確保したらすかさず距離を詰め、下から切り上げる。

 その勢いのまま次に飛びかかってきた鬼霊獣グゥェイリンショウを袈裟切りにした。

(うっ……)

 口から咳とともに血があふれ出る。

 肺が苦しい。鼻も血の塊が詰まっていてうまく呼吸ができない。

(はやく、はやく解毒しなきゃ……)

 わたしは煌糸こうしを腕の血管に入れ、毒を糸に吸わせ始めた。

「うっ……、ふぅ。あぁ、間に合ってよかった」

 毒を吸ったことで、純白だった煌糸こうしは赤黒く変色した。

 すべて吸いだし終わると、煌糸こうしは血管から外れ、つるばみ色の奇妙な毛糸玉へと変化した。

「この〈やまい〉と〈のろい〉をとっておける能力、何の役に立つのかいまだにわからない」

 どういうわけか、わたしは〈やまい〉と〈のろい〉を元の状態を保持したまま毛糸玉にして保管することが出来るのだ。

「うわぁ、もうドロドロだしボロボロ……。せっかくの素敵な制服が……」

 旗袍チーパオの袖とズボンが何度も攻撃を受けたせいで穴が開いてしまったが、ブーツはほとんど無傷。

 ただ、返り血の量が多く、異臭がする。

(返り血に含まれる病原菌は危険だ。一度着替えたほうが良いな)

 わたしは再び梅の木の扉を壁に取付け、中に入って身支度を整えた。

 ちょうど乾燥が終わっていたので、最初に着ていた制服に着替えて外に出た。

 扉をしまい、血液でびちゃびちゃになった場所を踏まないように階段へと向かった。

「最下層まで戦いながら行ってたらきりがない……。飛ぼう」

 わたしは大仙針だいせんしんに乗り、滑空した。

――わしの聖域で飛行するなど、なんたる侮辱!

「え、どちら様ですか」

 飛行を始めてすぐ、低く地鳴りのような声が聞こえてきた。

――やめろ! 階段を降りろ! 正々堂々戦ってここまで来い!

「……嫌です。もうそういう時代じゃないので」

――時代じゃない、じゃと⁉ この戯けた小娘が!

 吹き抜けの底から突風が吹き上がり、わたしを押し上げようといくつもの風が渦を巻いた。

「こんなの、ききませんよ。わたしがどんな修業をしてきたか知らないでしょう。これくらいで飛行を辞めるような軟弱ものではありません。それと、わたしは男です!」

 わたしは吹き荒れる風の中で弱い気流を探しながら下へ下へと降下していった。

――ふん! 卑怯な手を使う割には骨のある小娘……、いや、小僧ではないか!

「どうも!」

 わたしは風で巻き上がる弾丸のような小石を避けながら、三十分かけて最深部へと降り立った。

「来ましたよ」

――ふん。何をしに来た。

「治癒の女神ララナの聖杯を取り戻しに来ました、というのは建前で、ここを浄化しに来ました。禍々しくするのやめてください」

――……誰からの頼みだ。

「長老さんです」

――名は、なんという長老だ。

舞 永謝ぶ えいじゃさんですけど……」

――……。わしの……、婚約者の一族か……。

 声は先ほどまでの勢いをなくし、何か悲しい記憶を思い出したように語り始めた。

――わしの婚約者……、というより、恋人は美しかった。優しく、頭もよく、よく二人で笑いあったものだ。そんな魅力あふれる女だったからこそ、敗戦後、異教の信徒に連れていかれてしまったのだ。改宗と友好の印に婚姻を結ぶためにな……。

「それは……、かわいそうですね」

――侵略者の異教徒どもは我々男には食料を渡さず、餓死へおいこみ、この階段井戸に投げ捨てた。入植してきたときに邪魔だからだろうな。女だけがいればよかったのだ。

「そんな……」

――だからわしら男たちは何百年かけても復讐してやろうと、互いの怨念を蠱毒こどくのように競い合い、混ざり合っていった。わしはそのなれの果て。蠱毒そのものよ。

「じゃぁ、もとからいた女神様は……」

――ララナ様は無事だ。聖杯に封印してある。何人も触れられぬよう、この眼球内に隠してな。

 そう言って出てきたのは、黄土色の身体に紫色のまだら模様をもつ大蛇だった。

 右目が黄色く、左目は美しい桃色をしている。

「醜かろう」

「怖いです」

「正直な小僧だ」

 ふっと笑い、大蛇はわたしを囲むようにとぐろを巻いた。

「あとから持ち込まれた神様はどうしたんですか?」

「ああ、あの聖人とかいう女だな。あれはわしの腹の中に封印してある。たまに叫んでいるようだが、腹筋にぐっと力を入れるとすぐに大人しくなる。諸悪の根源じゃ」

「あの……」

 わたしは長老が話していたことや、村の雰囲気、そして今の世界の状況を大蛇に話した。

「だから、長老さんは言っていました。あなたにも安らかな眠りについてほしい、と」

「……誰も侵略者どもを恨んでいないどころか、その文化を楽しんでいるだと?」

「そうです。もちろん、当事者のあなたに侵略者を許してほしいなんて言うつもりはありません。わたしだってそんなことがあったら、悪い奴らをひどい目に合わせてやろうと考えると思います」

「みな、平和な世を生きているのか」

「みんなかどうかはわかりませんが、大蛇さんが住んでいた村はとても美しくて平和で、良い人たちで溢れていますよ。見渡す限り、泣いている人はいませんでした」

 大蛇の左目からぽたぽたと大粒の涙が流れ出した。

「ら、ララナ様……」

 大蛇は頭をもたげると、ポコンと左目をわたしの隣に落とした。

 すると、左目は桜のように優しい色で光だし、宙に浮いて弾けた瞬間、その中から美しい銀色の聖杯が現れた。

「ララナ様は信仰を失って久しく、力があまりない。だから、そっと休めるような場所に安置してほしい。頼めるか、仙術師よ」

「わかりました。そう、伝えます」

「ありがとう……、ううううあああああああ!」

 わたしが聖杯をポシェットの中にしまったのと同じタイミングで、大蛇が急に苦しみだした。

 地面にひびが入るほど激しくのたうち回り、その痛みの根源である腹部が紫色に光り出した。

「うあああああ! に、逃げろ! はやく!」

「あなたを置いていけません!」

「うああああああ!」

 大蛇の腹は風船のように膨らみ、真ん中が裂け始め、そこから紫色の光が眩しいほどに漏れだした。

「あああ、あいつだ! あの聖人が! な、何か……」

「大蛇さん!」

 地の底まで響くドン、という音とともに大蛇の腹は破裂し、中から血にまみれた女性が姿を現した。

「あは! やっと出られたぁ。糞蛇が……。ふざけんなよ」

 女性は思いつく限りの悪態をつくと、もう動かなくなった大蛇の身体を足で蹴り始めた。

「な、何をするんですか!」

「ああ? なんだ小娘。お前……、あはははは! そうか、お前がこのクソ野郎から女神の聖杯を取り除いてくれたんだな? ありがとうねぇ、お嬢ちゃん」

「それは、どういう……」

 女性は身体中に浴びた血を集め、その裸に真っ赤なパンツドレスを仕立てた。

 ぴったりとした体のラインが出るスーツは、その色も相まってとても禍々しい雰囲気を纏っている。

「あたしはねぇ、破壊と戦を司る聖人、ジャリア。生前はいくつもの戦争で武功を上げたのよ? だから聖人に選ばれて、祀られていたの。なのに、この糞蛇とその女神が『災いをもたらしに来たのなら許さない』って……。封印しやがったのよ! あたしがいれば常勝なのに、この数百年間、一度も戦争を引き起こせなかったじゃない! ふざけんなって話よ」

「戦争を……ひきおこす? そんなのさせないようにするに決まってるじゃないですか!」

「はあ? 戦争がどれだけの技術を産み出し、国を潤わすか知らないの? あんたちゃんと学校行った? 戦勝国がどれだけ稼いだか習ってないの?」

「そんな……」

「あんたも邪魔するつもりなのね?」

「ここからは、絶対に出しません」

「じゃぁ、殺そっと」

 ジャリアは大蛇から牙をへし折ると、それを大剣に変えてわたしに斬りかかってきた。

「ひゃはははは! 久しぶりの戦闘! 血沸き肉躍るダンス! 楽しみましょぉぉおおお」

 わたしは寸でのところで斬撃を避け、大仙針だいせんしんを太刀に変えて手に握った。

「そんなひょろっひょろな刀で勝てるとでも思ってんの? 馬鹿じゃない? 男がいないと生きていけない系女子? きっも」

 ジャリアはそれが大剣だとは思えないほどの俊敏さで間合いをつめると、わたしの肩めがけて振り下ろしてきた。

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