第2話 未玖さんと桐山はもういない(平野鏡side)


「ここ、どこだろう」


 私は闇の中にいた。

 どこまでも続く真っ暗な世界。

 見渡すと、そこに二人の人間が立っていた。

 それは、見慣れた背中だった。


「良かった!! 二人とも死んでなかったんだね!!」


 未玖さんと桐山だ。

 私達パーティの一員で、ダンジョンで死んだと思っていたのに、生きていた。

 きっと何らかの奇跡が起きて二人とも生き残ったのだろう。


 私は喜びながら駆け寄ると、ボタリ、と何かが落ちる。


「え?」


 それは、桐山の頬の肉の塊だった。


「死んだよ。まともに治癒もできないお前のせいでなあ!!」

「いやああああっ!!」


 振り返った桐山は傷口が爛れて、いつの間にか全身から血を流していた。


「痛い、痛いの」


 隣にいた未玖さんは腕に手を置きながら、近づいて来る。

 ポタポタ、と血が流れている。


「い、いや、やめて……」


 私はあまりの恐怖に後退るが、未玖さんはフラフラとした足つきのまま私に近寄って、


「あなたのせいで全身が痛いのおおおおおおお!!」


 苦痛に塗れた顔をしながら、全身が溶けてなくなってしまう。


「いやああああああああああああっ!!」


 私は心の底から叫んだ。

 そして、


「――はっ!!」


 目が覚めた。


「はあ、はあ、はあ……」


 呼吸が乱れている。

 どうやら随分と混乱したようだ。


「夢、そう、夢なんだ……」


 さっきの悪夢が現実でないと知って安堵したが、あの二人が死んだこと自体は夢ではないのだ。

 私は二人も仲間を失ったのだ。


「ここ、は……」


 和室で四畳半の部屋。

 薄汚れているアルミサッシには、桜の花びらが一枚落ちている。

 殺風景な部屋で、テレビや本棚があった。

 本棚には本や漫画がたくさんあったけど、それ以外には特になさそうだ。


 押入れがあるけど、流石に中を確認する訳にもいかない。


 布団に寝かされていたみたいだけど、こんな場所今まで一度も来た覚えはない。

 古いアパートなのは確かだが、ここがどこなのか見当がつかない。


「……いい匂い」


 フライパンの金属が擦れる音や、箸を皿に置いたような音が響く。

 キッチンで料理をしているみたいで、食欲をそそる匂いが鼻腔を擽る。


「あれ? 起きました?」

「あ、あなたは?」


 暖簾をくぐって出てきたのは、長身痩躯の男性だった。

 年齢は女性高校生の私よりも、6個くらい上だろうか。


 髪の毛はしっかり切りそろえられていて真面目な性格をしていそうだ。

 入れ墨、ピアスや指輪などといった装飾品といった遊びは一切ない。

 奇抜でもないが、平凡といえるような無難なファッションをしている。


 そして、顔に締まりがないせいで、どこか気弱そうな性格をしているように見える。


 そんな彼が左手にフライパンを、右手に何故か週刊少年誌を持ちながら歩み寄ってきた。


「怪しい者じゃないですよ。どこにでもいるただのフリーターです」

「は、はあ……」


 怪しい人ほど自分は怪しい者じゃないと言いそうだ。

 笑顔を作っているが、余計に胡散臭く見えてきた。


「ああ、そういえば、血だらけだったんでシャツ変えましたよ。俺のシャツデカいでしょ?」

「えっ!?」


 自分の着用している服を見てみる。

 確かに男物のシャツを着ている。

 上だけじゃなくて、下もだ。


 ダンジョンに潜る為に着込んでいた装備品が丸々なくなっている。


「き、着替えさせたんですか? 私の服は?」

「ああ。洗濯して外に干してます。ちゃんと洗濯ネットに入れて洗濯したので安心してください」

「そ、そういう心配をしているんじゃないんですけど……」


 服を脱がされて、返り血をタオルか何かで拭かれたんだろうか。

 下着を着てないってことは、脱がされたってことだ。


 なのに、眼前の男の人は平然としている。

 私の裸なんて何とも思わなかったのだろうか。


「すいません。血だらけだったので着替えさせたんですけど、まずかったですか?」

「ま、まあ、それはありがとうございます」


 血塗れのままだったら、私は寝付けなかっただろう。

 ダンジョンを探索していたから、全身汗まみれだったし。


 汗臭くないってことは、タオルで拭いてくれたんだろう。

 優しいんだけど、もっと女性に対する気遣いというものがないんだろうか、この男の人には。


「でも、わざわざ着替えさせなくても起こして来れば良かったのに」

「起きなかったんですよ。一日ぐっすり寝てましたから」

「い、一日!? そんなに眠っていたんですか!? 私!?」


 そんなにぐっすり寝ていたなんて。

 やっぱり心身共に疲弊していたんだろう。


「本当は警察に届けるべきだと思ったんですけど、迷惑でしたか?」

「い、いいえ!! むしろありがたかったです」

「? どういうことですか?」

「な、なんでもありません!!」


 警察は嫌いだ。

 特に疚しいことはないけど、警察にあれやこれやと聴かれるだけで、まるで自分が犯罪者のような気分になるからだ。


 前も夜に一人で歩いているだけで、職質されて根掘り葉掘り聞かれたことがある。

 その時にテンパってしまって、警察から余計に怪しまれた経験があるから苦手だ。


 警察に保護されていなくて良かった。


「私、寝る前はどうしてたんですか?」

「え? えーと」


 彼は思い出しながらも、週刊少年誌を敷いた上にフライパンを置く。

 どうやら雑誌は鍋敷き替わりだったらしい。


「さあ。俺にも分からないです。俺はたまたまダンジョンに通りかかったら、あなたがいたので拾って、俺の家まで連れてきて介抱しました。俺があなたを見た時は寝てましたよ」


 そんなはずはない。

 あの時、私も桐山やスライムのように殺される寸前だった。


「あの、その時仮面の男はいませんでしたか?」

「仮面の男? いいえ」


 私だけ見逃されていた?

 どうして?


「他に人は?」

「……遺体はありました。なので、警察には通報はしておきました。ダンジョン内の事件ですから軍も出動したでしょうね。遺体に原型がなかったので、遺族が見つかるかどうかは分かりませんが」

「そう、ですか……」


 やっぱり、私の仲間は死んだのだ。

 生き残りは私だけ――いや、先に転移結晶を使って逃げたパーティリーダーだけなのだ。


「そういえば怪我がないですね」

「ああ、知り合いの人に治癒魔法を頼んだので」

「え、お、お金はいくらかかりましたか?」

「ああ、気にしなくていいんですよ。知り合いだったので、お金は必要なかったですから」

「そう、ですか……」


 怪我が完全に消えているので、薬や病院にいったら数千円以上はするだろうけど、随分と親切な知り合いの方がいたらしい。


「まあ、何か食べませんか? お腹が膨れないと何もできませんよ」


 そう言って立ち上がると、またキッチンへと引っ込んでいった。

 何かフライパンの上に乗っている料理以外のものを持ってきてくれるみたいだ。


「いえ、そんな悪いですよ……」


 ドン、と置かれたのは、ラーメンだった。

 食べ事はあまりないけど間違いない。

 世間知らずの私でもこの料理を知らない訳がない。

 日本のソウルフードの一つだ。


「朝から、ラーメン?」

「豚骨ラーメンです。墓多市だったら朝ラーは普通ですよ、普通」

「す、すいません。私この辺の人間じゃないので知らないんですよ」


 朝ラー?

 朝からラーメンを食べるってことか。


 しかもよりにもよって豚骨。

 塩とか味噌とか醤油の方がまだ分かる。

 でも、匂いに慣れていないのか、豚骨が臭いんですが。


 こんなコッテリしていそうな物を朝から食べるなんて、墓多市の人は特殊な文化を持っているようだ。


「墓多じゃ、三食豚骨ラーメンなんて普通です。俺達墓多市の人間の血液には豚骨スープが流れてますから。アハハ」

「あ、アハハハ」


 ちなみにフライパンに乗っているのは、餃子だった。


 これもまた朝から食べたくない食べ物だ。

 口内がニンニク臭くなる。


「で、でもやっぱり朝からは――」


 ご厚意はありがたいけど断ろうとした時に、腹の音が響いた。

 かなりの大きさだったので、私だけじゃなく、目の前にいる男の人にも伝わっただろう。

 最悪だ。


「ね、食べましょう。俺に遠慮せずに!! せっかくあなたの分も作ったんですから」

「そ、そうですね」


 いつもはお腹なんてならないのに。

 ただ、ずっと寝ていたみたいだし、ダンジョンでは食事が満足に食べられなかったからしょうがない。


「あ、美味しい」

「美味しいですか? 麺以外は手作りなんですよ」

「え? 手作り!?」


 部屋の狭さとか、物の少なさから、恐らく彼は一人暮らしだ。

 結婚指輪もしていないみたいだから、未婚だろう。


 それでこんな料理を作れるのか。

 一人暮らしだと手抜き料理ばかりになりそうなのに。


「麺も手作りする時はあるんですけど、製麺所の麺を買った方が安いですし、手間がかからないし、美味しいので、製麺所の麺を使っているんです」

「す、凄い本格的ですね」

「そうでもないですよ。料理が趣味なだけです」


 趣味という範疇を越えている気がする。


 そもそもラーメンの麺をわざわざスーパーではなく、製麺所にまで行って買う所が私にとっては異常だ。


 それとも墓多市ではラーメンの麺を買う時は、製麺所で買うのが普通なんだろうか。

 そういう知識もないから、この人が異常なのか、墓多市が変なのかも分からない。


「そうだ。テレビでも観ますか?」


 こちらの返事も聴かずにテレビをつける。


 すると、ニュースが流れた。

 かなり大騒ぎになっているみたいで、中継先がザワザワしていたうるさい。


 私はなるべく声を張り上げる。


「あ、あの!」

「? どうしました?」

「あの、お名前は?」


 ずっと名前を聴いていなかった。


ことわり エイジです。よろしくお願いします」

「私は平野 鏡ひらの かがみです。こちらこそよろしくお願いします」


 お互いにお辞儀をすると、自然と静かになる。

 だからテレビのニュースの音が耳に入る。


『今回の探索者殺人事件には亀終組かめついぐみが絡んでいるという噂もありますが、警察はこれを否認しております』


 随分と物騒な話をしているらしい。

 なんとか組っていうのは、きっとそういう職業の人のことだろう。

 あまり関わり合いになりたくないな。


『警察の調べによりますと、亡くなった探索者の中には生き残りの男女が二人いて、それが監視カメラに残っていたそうです。男性の方はまだ調べがついていないようですが、女性の方は調べがついているようです』


 なんだかニュースの内容が気になってきた。

 どこかで聴いたことのあるような話だ。


『今回の事件で生き残ったとして、軍は彼女の行方を追っています』



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