第43話  次から次に 5

「こんな高価なもの、頂いてもいいのかしら」


 桐箱を膝の上に置いて、繊細な作りのかんざしを丁寧に取り出し両手の中に包むようにして時貞に見せている。


 鼈甲べっこうは熱帯に住むウミガメの一種タイマイの甲羅の加工品で赤みを帯びた黄色に濃褐色の斑点がありとても希少価値の高いものだ。


「うちの若頭が襲撃された時、実行犯の身柄の確保をいち早くしてくださったのがこちらの組員の方と訊いております。以前、お礼を申し出たら断られたとのことで、今回は是非に受け取っていただきたいと、奥様にお似合いのものを見立てたと申しておりました」


「まぁ、若頭さんたら」


 照れくさそうに微笑んだ祥子は時貞にかんざしを渡し時貞は手慣れたもんで祥子の結った髪のおだんごの中にかんざしの先を差し込んだ。


「似合ってる?」


「ああ、よく似合ってる」


 時貞と祥子は皆の目もはばからずイチャイチャしているが誰も気に留めず、蓮池学も話続ける。


「狙撃した者が分かったことで組の方も即座に対策できたとのことです。確保してくださった方にも感謝してると」


「それ、俺やオレ」


 手を挙げたのはつるりと卵形の面構えをした薄気味悪さが特徴の所沢平祐だ。歳を重ねる事にその不気味さは増している。


「おめえはオレオレ詐欺か、取り押さえたんわ、わしやろ」


※※※


  十六年前


 平祐と金太郎は新宿駅東口にある丼屋で昼食を済ませ店を出ると二人並んで楊枝を咥えたままかったるそうに歩いていた。


「なぁ金さんよ。なにプレゼントするよ」


「なにがええかのう、おめえ、なにがええと思うんや」


「俺が訊いとるんやけどな」


「わしも訊いとるんやけど」


「なにがええと思う」


「なにがええかのう。なににするんや」


「だから!俺が訊いとんのや」


「アホ!わし訊いとんのや」


 一向に話が進まない二人は互いに睨み合い肩と肩をぶつけ合って舌打ちした。


 背中に真っ赤な牡丹の刺繍が施された作務衣を着た金太郎と赤シャツに迷彩柄のニッカポッカを好んで着る平祐、二人はそれぞれ履いている雪駄と黒皮の安全靴を引き摺りながら肩で風を切ってぶらぶらと歩く、そんな恰好をした二人の行く手を阻む者はいない。


 この日、二人は42歳の誕生日を迎える時貞のための、プレゼントを求めて遥々はるばる静岡から上京してきた。


 しかし、時貞に送って喜ばれそうな物が全く頭に思い浮かんでこない。浮かぶのはリボンをあしらっている中味の入っていない箱だけで、揃ってうわそらちゅうを見上げながら歩いていると、


 パンパン!


 高層ビルの建ち並ぶ壁に反響した発砲音が二人の耳に突き刺さった。二人は肩をすくめ膝を折り曲げ勘をすませて身構える。

 なにが起きたのか理解できず右往左往する民衆たちを横目に、


「今のなんや、チャカちゃうんか」


 再び一発の発砲音が鳴り響くとともに悲鳴が聞こえてきた。平祐の特徴的な薄ら笑いの面持ちが一瞬で般若のような凄まじい顔つきに変わった。


 身の置き場に戸惑う目前の二人の女子に向かって、


「おお、姉ちゃんたちよ。突っ立てねえで地面に伏せねえと流れ弾に当たってまうぞ」


 金太郎の言葉に目前の女子は目を見開いてハッとしたような顔をし、すぐにアスファルトに身を沈めると周辺の民衆たちも同じように身を屈めた。


 二人の眼球は鋭く鼻先はくっ付くほど近く平祐は一瞬のうちにガタイのいい金太郎の背後にすっぽりと身を隠した。


「おめえ、わしを盾にすんなや」


 後方から金太郎の両腕を掴み、あっちこっち方々を確認する度に金太郎は左右に振り回される。


「なんや、どこや、俺を狙らっとんのわ」


「誰がお前を狙うんや!ボケ!」


「そんなん、わからんで、俺、これでも情報屋いうて有名やし」


「どこがや!どこが有名なんや、わししか知らんし」


「そうやった?金さんしか知らん?嘘やろ、みんな知ってんぞ!そういやぁ、ここら辺、百目鬼組どめきぐみの縄張りやん」


「はぁん、百目鬼組?その百目鬼組の事務所はここらにあるんか、つまり抗争ちゅうことか、嘘やろ」


「抗争?マジか事務所はすぐそこや!」


 と辺りをきょろきょろ見回す平祐の耳にサイレンの音が微かに聞こえてきた。


「あそこは平和主義ちゃうんか」


「平和主義ってなんや!アホなこと抜かしなや、あそこも色々あるみたいやで、早っ!もう来たで、サイレン音や!俺ちょっと見てくるわ」


 平祐は猿のように軽快な足取りで騒然としている人の波を掻き分け走っていった。


 金太郎は平祐の背中を見失わないように懸命に目で追うが野次馬に紛れた平祐の真っ赤なシャツを一瞬見失いそうになる。


「サイレンの音なんかしてないやん、なんも聞こえへんけど、あのボケにはなんで聞こえるんや、それに弱味噌よわみそのくせして、足だけは早ぇからな。チッ!待てや、平祐!」


 平祐が人だかりの多い場所に辿り着いた時、その人だかりの輪から走り去る男の姿が見えた。


「あいつや、くっせぇ匂いがしちょるわい」


 その匂いを嗅ぎ取った平祐は必死に走って行く男の後を追いかけながら、ニッカポッカのポケットから携帯を取り出しパカっと振り開くと履歴に残る金太郎の番号を押した。


「金さん……俺やオレ!俺のこと見失って無いやろな。見失ったらあかんで、しっかりついてきぃや!」


『お前の背中見えとるけどよ。弱味噌よわみそのくせして、ひとりでやれんのか』


「やれるわけないやん!だから、はよ来てや」


『アホぬかせ!おめえの背中見えんようになったわ』


「嘘やろ!あっ……」


『どないしたんや!』


「路地に入ったで、ちょっと待ってや」


 平祐は足先を忍ばせて男が入り込んだ路地を覗き見た。


「今、ぼけっと休憩しとるで」


『呑気な顔ってどないな顔やねん』


「なんや、まだガキやん……あのガキ、どっかで見たことある顔やな」


「はぁ……やっと追いついたで、走ったら疲れたもうた。で、どこや!」


 平祐の肩を掴んだ金太郎は携帯を閉じて作務衣のポケットに仕舞いこみ、ビルとビルのわずか700センチの幅に堂々と立ちはだかって男を見た。男は金太郎の姿を見るなり慌てて奥の方へと走っていったが、


「残念やな、ここ袋小路やん」


 ゆっくりと近づきながら、


「お前はもう!終わりやな」


 喉をぎゅっと絞って凄みを効かせた低い声で言った。


「なぁ、金さん、それをいうなら、【お前はもう死んでいる】やろ。せやけど、金さんが死ぬんじゃねえの、あいつ、チャカ持ってんねんで」


「はぁ、おめえ、それはよ言わんかい!」


「さっき、銃声音、聞いたやんか」


「はぁ?あいつが撃ったんか、なんで、それはよ言わんのや、今度はわしが撃たれるんか」


 と呑気な口調の金太郎に銃口が向けられた。


「おめえ、わしを撃つ気なんか」


「それ、リボルバーやん」


 眉をしかめて拳銃を見やる平祐は金太郎の肩に顎をのせニヤリと笑う。


「そんなん何処で手に入れたんや、おめえまだガキやろ。いくら貰ったんや。あっ!そんなことより、なぁ、金さん、前に言っとったこと覚えてるか?許されるもんなら、いっぺんぶっぱなしてみてぇって、前にそんなこと話してとったら、背後で訊いとった組長にいきなりぶん殴られたことあったやん。今なら、誰も見てへんで、撃てるで!チャンスやで」


「おお、そうやった。話だけなのによ。あん時、組長マジギレして殴られた。あれやな」


 金太郎はニヤリと笑って、


「撃ってみてぇな〜」


 と手首をくるくると回す。


「今なら誰も見てへんで〜」


 平祐はニヤニヤしながら金太郎を焚き付ける。


「なに、コソコソくっちゃべってんだよ。邪魔だ!どけ!撃つぞ」


 怒声におののく二人は両手を掲げて道を譲ろうとビルの壁に背中を押しつけた。日の当たらないコンクリートの壁は汗をかいた二人の背中に丁度良い冷ややかさだった。


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