第12話 厄災の魔女

「母なる大地に満ちたる命の躍動よ、汝の傷を癒せ――ヒール!」


 何かに揺り起こされるように意識が覚醒すると、綺麗な生脚が視界を覆った。


「うぐわぁっ!?」


 反射的に手を伸ばせば、顎先に強烈なトゥキックが炸裂する。


「真昼間から寝惚けないの」

「……っ」


 俺は慌てて起き上がった。

 誰だこの美少女は!

 あかん。

 寝起きで記憶がこんがらがっている。

 寝ぼけ眼で窓の外を見ればすっかり外は明るかった。


 たしか昨日奴隷館でリフルちゃん――ゆかなを2億で購入してから、色々あってこの宿に来た。それから俺の性奴隷となったゆかなと楽しもうと思ったところで、こいつに風魔法を叩き込まれて……!


「お前俺のことを殺す気かッ!」

「安心しなさい、あんたが死んだらアタシも死ぬんだから。加減はしてるわよ」

「加減て……」


 ご主人様に魔法ぶっ放しといて何が加減だよ。俺は今の今まで気を失ってたんだぞ。


「あきらかに折れてただろ! 昔の二つ折りケータイを逆向きにボキッてやったくらい折れてたからなっ!」

「そんなんになってたらあんたも今頃どっかでおぎゃーって転生してるわよ」

「おぎゃー!」


 ――パンッ!


「いってぇー!?」


 ドサクサに紛れて抱きつこうとしたら思いっきり頬を引っ叩かれた。


「なにすんだよ!」

「それはこっちの科白よ! あんた31にもなって恥ずかしくないわけ? いくらなんでも拗らせすぎなのよ! これじゃただの厄介おじさんじゃない」

「なっ!? それならこっちだって言わせてもらうけど、さっきのは回復魔法だろ!」

「それがなによ?」

「お前は俺の背骨をへし折った事実を隠蔽したろ」

「あのねー、ただのヒールじゃさすがに折れた背骨までは治せないのよ」

「本当だろうな!」

「そもそもあれはあんたの自業自得でしょ?」

「俺は2億も借金したんだぞ!」

「だからそれはあんたが勝手に――」

「2億も払ったんだからちゅーくらいしてくれてもいいだろッ!!」

「………………」


 俺の魂の叫びを、彼女は粘りつくような視線だけでねじ伏せた。なんという無言の威圧。あまりの恐ろしさに思わずたじろいでしまう。


「ほっぺたでもいいから……ダメか?」

「馬鹿なこと言ってないで早く行くわよ」

「あっ、ちょっ、行くって何処に?」

「コロネ村のあんたの家に決まってるでしょ!」


 西洋人のように顔を横に振りながら、肩をすくめた彼女がそそくさと部屋を出ていく。俺はそのあとを急いで追いかけた。


「――ちょっと待ってくれよ!」

「あんまり大きな声出さない。昨日言ったわよね? アタシはこの世界では――」

「嫌われてるから目立ちたくないんだろ?」

「分かってるんなら協力して!」

「俺昨日の朝から何も食べてないんだよ。このままだとコロネ村にたどり着く前に餓死する自信あるけど?」


 途中で死んでもいいかと報告した直後、キュルルと可愛らしい音が小さく鳴った。


「あ……」


 耳まで真っ赤になってお腹を擦るゆかながとても愛らしく、俺はニンマリ微笑んでいた。


「適当に買ったらすぐに出発するからね。食事は歩きながらするのよ。わかってる?」

「分かってるって!」


 露店通りにやって来た俺はわくわくしていた。だって隣にはもう二度と会えないと思っていた初恋の相手がいるのだ。

 それにこのシチュエーションはまるでデートみたいじゃないか。

 31歳にしてようやく、俺は失った青春を取り戻そうとしている。


「なによ、そんなにニコニコして」

「人がたくさんいるな」

「だから?」

「逸れないように手をつなごう!」


 俺はスッとゆかなに左手を差し出した。

 彼女は俺の手に視線を落とし、それから顔を上げて露店通りを見渡した。


「見てみなさい」

「え………ハッ!?」


 そんな……。

 道行く人々が立ち止まり、ゆかなを見ては道を開けていく。まるでモーセの海割である。


「逸れっこないわよ」

「……っ」


 くそっ!

 小石を蹴り飛ばし、俺はスタスタ歩いて行ってしまう彼女のあとを追いかけた。

 しばらく露店通りをゆかなと二人で歩いていると、香ばしくて美味しそうな匂いが鼻先をくすぐった。串焼き屋だ。


「ゆかな! あれ買おう」

「なんでもいいから早くして」


 落ち着かなさそうにソワソワする彼女を横目に見ながら、俺はルンルンデート気分で串焼きを二つ注文した。


「それ二つ貰えるか?」

「へい、まい……」


 屋台の店主は俺を見て、続けて隣のゆかなに視線を向けた。途端に表情が曇っていく。


「………」

「あの、ふた――」

「他所に行ってくれ」

「は?」

「厄災の魔女なんぞに売るもんなんてねぇって言ってんだ。商売の邪魔だからさっさと退いてくれ」

「……ほら、行こ」


 その声は弱々しくて、微かに震えていた。

 それと同時に俺の胸にはナイフで切り裂かれたような鋭い痛みが走る。


 一体彼女がなにをしたというのだろう。

 ただ通りを歩いていただけ、ただ俺と串焼きを買おうとしただけじゃないか。

 それなのに厄災の魔女ってなんだよ。


 あれほど楽しかった気分が台無しだ。

 

 俺は胸がムカムカしている。ひどく感情を害していた。不満や苛立ちが荒々しく疾風のように心を満たしていく。


「二つ売ってくれ」


 それでも込み上げてくる怒りをかろうじてこらえながら、俺は注文を繰り返した。


「ちょっと!」


 ゆかなは俺のノースリーブTシャツを引っ張り、すぐにでもこの場から離れようとしていたのだけど、俺は真っ直ぐ店主を見据えたまま地蔵のように動かなかった。このまま動いてしまえば彼女に対する差別を、俺は受け入れてしまうような気がして嫌だったんだ。

 それだけは絶対にダメだ。


 彼女は呪われてもいなければ、厄災などでもない。彼女を一人の人としてちゃんと扱ってほしい。そう思って俺は何度でも注文を繰り返す。


「二つ、俺と彼女の分を売ってくれないか」

「だから厄災の魔女に売るもんなんざこの店にはねぇって言ってんだろ!」

「…………っ」


 我慢だ、我慢。

 我慢しろ。

 憤りに似た感情が突き上げてくる。

 俺は必死に自分を抑え込んでいた。


「あーあぁ、世界のゴミと同じ空気に晒しちまった。あんたのせいでせっかくの売りもんが台無しだ」


 男はそう言って網の上で焼かれていた串焼きをすべて、俺達に見せつけるように地面に投げ捨てた。グチャグチャに踏みにじられるそれらを見て、


「――――ッ!」


 俺はキレた。


「………ぐぅッ」

「ちょっと何してるのよ!?」


 俺は近くにあった角材を火事場の馬鹿力で持ち上げた。


「おいおいおい嘘だろッ!?」


 角材を振り上げた俺に驚いた店主が眼を白黒させている。


「こいつがあんたになにしたっていうんだよ」

「だって……そいつは厄災の――」



「――――ガッテム!!!――――」



 俺は雄叫びと共に角材を屋台に叩きつけた。

 店主の屋台は真っ二つに壊れてしまい、辺りには砂埃が舞い上がっていた。


「ヒィッ!?」


 腰を抜かした店主と目が合えば、男は殺人鬼と対面したかのように怯えていた。

 きっと今の俺の顔を見れば、殺人鬼すらも青ざめて逃げ出すだろう。


「……悪かったな」

「……」


 俺は店主の足下に金貨を投げた。

 壊してしまった屋台の修理費だ。


「行こう」

「………」


 それから呆然と立ち尽くすゆかなの手を取り、集まったギャラリーをかき分け歩いた。途中で別の屋台でちゃんと食糧を購入した。

 アル中だったのかやたらと震えた店主だったけど、さっきの店主と違ってちゃんと商品を売ってくれた。


 俺は無言でゆかなの手を握ったまま街を出た。


「ねぇ……ねぇってば!」

「なんだよ」

「あんた顔怖いわよ」

「え……」

「それと、手……痛いんだけど」

「あっ! ………」

「ってなんで恋人つなぎにしようとしてんのよ!」


 あっ……!

 振り払われてしまった。


「というかあんなの慣れっこなんだから、あんたが怒ることないのよ」

「んっなのに慣れんなよっ!」

「……!?」

「あっ、いや、その……」


 大きな声を出すつもりはなかった。


「すまん」

「ううん、アタシも、その……ありがと。正直ちょっと嬉しかったかも、だし」


 恋人や嫁さんが理不尽に誰かからボロくそ言われてたら、俺じゃなくても激怒する。

 それを甘んじて受け入れようとすれば、その考えは間違いだと正したくもなる。

 感謝なんてされるようなことではないのだ。


「だ・か・ら・アタシはあんたの恋人でも嫁でもないから!」

「またまた」

「いや、冗談とかじゃなくて割とガチ目に言ってるんだけど」

「ほんっとゆかなって面白いよな」

「いやいやいや、今の会話のどこに笑うポイントなんてあったのよ!? もうなんか怖くなって来たんですけどっ!」


 一人はしゃぐゆかなを見て、俺は思ったより元気そうで安心した。


「にしても暴力に訴えて屋台壊すのは良くないけどさ、いくらなんでも修理代に白金貨は渡しすぎじゃない? あんた2億も借金抱えていること忘れてんじゃないでしょうね」

「は……白金貨? そんなの渡すわけないじゃん。あんなボロそうな屋台金貨で十分だろ」

「渡してたじゃん……白金貨」

「………え」


 まさかと思って確認すれば、ないっ!

 無くさないようにってメイソンから貰った腰袋に入れていた俺の白金貨が、どこにもない。


「なんでぇッ、俺の100万はっ!?」


 金貨と白金貨を間違えて渡してしまった。

 俺は魂が抜け落ちてしまったように、その場にへたり込んだ。


「大丈夫……?」

「同情するならちゅーをくれ」

「それを言うなら金でしょ、金。あんた状況わかってんの?」

「あっ! そんなことよりこれ食うか?」

「そんなことって……」


 俺は立ち上がり、買っておいた串焼きを一つゆかなに渡した。


「ゆかな、めっちゃ美味いぞこれ!」

「切り替えはっっっや!?」

「メンタルトレーニングはクリニックで散々行ったからな」

「ならなんで15年間も引きこもっていたのよ、あんた……」

「慣れと習慣はなかなか治らないんだぜ」

「聞きたくなかったわ」


 俺達は二人並んで歩きながら串焼きやら肉饅頭を食べた。買い食いして帰っていた学生時代を思い出す。


「!」


 素晴らしいアイデアがピラメキーノ。

 食べかけの肉饅頭の欠片をほっぺたにくっつけ、女子ウケ間違いなしのわんぱく少年を演出。さり気なく彼女に取ってくれとアピールする。


「キモっ」

「またまた」

「マジでキモいから! あんた自分の年齢考えなさいよ!」

「外見は大人、中身は少年! その名も大空蒼炎!」

「あんたの場合は外も内も正真正銘おっさんじゃない」

「またまた」

「いやいやそれはさすがに分かるわよね!?」


 わからん、わからん。

 取って、取ってと可愛らしくお尻ふりふりしていると、


「痛っ!?」

「キモいっ!」


 見事なケツキックが叩き込まれた。


「コロネ村までは遠いんでしょ? 暗くなる前にさっさと行くわよ」


 それから俺達は歩いて、歩いて、歩いて、すっかり辺りが暗くなったところでようやくコロネ村にたどり着いた。


「なんであんた自分が住んでる村までの帰り道を知らないのよ! あんたのせいで無駄に何時間も歩く羽目になっちゃったじゃない!」


 そんなこと言われても、俺は一昨日異世界こっちに来たばかりなのだ。そもそも道がわからないから村長の馬車に乗せてもらっていたのだから。


「俺の家はこっちだ」


 ゆかなを案内しようと得意気に村を闊歩する俺の服を、彼女は可愛らしく掴んで引っ張る。

 どうやらゆかなは夜が怖いようだ。


「よし、手をつないで行こう!」

「違うわよ!」


 男らしく差し出された俺の手に照れている。

 素直じゃないところも可愛いと思う。


「村の人にバレたらめんどくさい事になるでしょ? 何度も言うけどアタシはハーフエルフなの。目立ちたくないの、わかる?」

「でもそれだと家に行けないぞ?」

「こんなに堂々と村の真ん中を闊歩しないとあんたの家には行けないわけ?」

「ゆかなは転生して少しわがままになったな」

「喧しいわね。放っといてよ」


 少し遠回りになるけれど、俺は民家が建ち並ぶ表通りは避け、家畜小屋などが並ぶ裏通りから村外れの自宅に移動した。


「ここが俺達のマイホーム、新居だ!」

「アタシ達のじゃなくてあんた一人の新居だから。にしても案外いい家じゃない。村外れにあるなんて言うからどんな物置小屋かと思っていたけど」

「気に入ったか?」

「なんでいちいちアタシに確認してくるのよ」

「なんでだと思う?」

「答えたくない」

「ちなみに家具はまだ買ってないよ。一緒に選ぼうと思ってさ」

「そういのキモいから本当にやめて」


 嫌よ嫌よも好きのうち。

 俺は二人の愛の巣に彼女を招き入れた。

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