第10話 忌むべき存在

「この辺でいいか?」

「ええ、そうね」


 ゆかなが人の多い場所は嫌だと言ったので、俺は人通りが少なそうな街の西側を選んだ。

 陰湿な雰囲気が漂う貧困街は、少しだけ危険な薫りがする。


「そこの教会に入るわよ」

「……大丈夫なのか、これ」


 半壊した教会に入っていくと、ゆかなはかろうじて座れそうな椅子に腰掛けた。

 俺も隣に腰掛ける。


「先ずはあの日の事を教えて。2年4組のみんなはあんた以外……全員罰乃樹に殺されたわけ?」

「正確にはあの場に居なかった担任と俺以外だな」

「なんであんたは殺されなかったわけ?」

「分からない」

「分からないって……。まあいいわ。それで罰乃樹はちゃんと死刑になったんでしょうね?」

「……いや」

「は!? クラスメイトをほぼ皆殺しにしといて死刑になってないわけ? 少年法ってマジで糞なんだけど!」


 興奮して声を荒げるゆかなに、俺は「そうじゃなくて」と言った。


「そうじゃないって……?」

「あのあと、ゆかなを殺したあと……カオル君は自分の首を包丁で切り落としたんだ」

「……つまり」

「その場で自殺したんだ」


 彼女にはあえて言わなかったけれど、あのときカオル君は俺に「助けて」と言い残し、自害した。


「何よそれ、ふざけんじゃないわよっ!」


 ゆかなが怒るのももっともだ。

 カオル君のしたことは決して赦される事ではないし、そのあとの自害にしたって卑怯すぎる。


「で、あんたはこの15年間どうしてたわけ? もう31なんでしょ? 結婚は?」

「してると思うか?」


 尋ねると、彼女は気まずそうに視線を明後日の方角に向けた。


「仕事は? 何してるの? 夢だったゲーム会社にでも就職した?」

「……ううん」

「そっか。無理だったか。じゃあ今はどんな仕事してるわけ?」

「……してない」

「してないって……辞めたの?」

「……一度も就職したことない」

「あんた……31なのよね?」

「正確にいうと、15年間ほとんど家から出ていない」

「…………」


 とても気まずい沈黙が続く。

 チラリとゆかなの方に目をやると、どうしようって感じで目がめちゃくちゃ泳いでいた。


「よく話す気になったわね」

「はじめは対人恐怖症とかパニック障害で外に出られなくなったんだ。でも5年くらい通院したら良くなった。けどさ……けど、ふと思うんだ。誰も助けられなかったのに、俺だけが幸せになっていいのかって。そう思うとさ、やっぱり家から出られなくなって、気がつくと25,そんで30になって、もはや社会復帰は絶望的になってたよ。かっこ悪いだろ?」

「うん、すっごくダサい」


 俺は恥ずかしくて、履きなれないスニーカーを見つめていた。顔を上げられなかったんだ。


「でも、あんたもあんたで辛かったんでしょ?」

「………」


 その問いに、俺は何も答えられなかった。

 明日を奪われてしまった彼女の前で辛いなんて、言えるはずもない。

 そんな言葉は口が裂けても言っちゃダメだ。


「そういうところは31歳のおっさんになっても一緒か」

「キモいだろ」

「うん、16の頃はそれでも可愛かったけど、おっさんでそれはキモいかな」


 ぷっ、あっははははは。

 そうやって腹抱えて笑うところは、本当に逢坂ゆかなそのものだった。


「本題に入るけど、あんたの部屋の押し入れとこっちの世界が繋がったってのは?」

「実は――」


 俺は昨日の出来事を包み隠さず話した。


「奇妙な100のアンケートか――って、あんたアタシのことずっと好きだったわけ!?」

「あっ、いや、違くてっ!」


 真っ赤になって取り繕う俺を見て、ゆかなは再び腹を抱えて大笑い。

 死んで生まれ変わり、ゆかなは少し性格が悪くなってしまったみたいだ。


「31歳のおじさんがそんなに慌てないの。つーか知ってたし、あんたがアタシのこと小3の頃から好きなことくらい」 

「えっ、バレてたのかよ!?」

「そりゃね。あんたわかり易すぎるし」


 本当は小3からではなく、小1からなのだけど。


「でもあんたの話が本当だとすると、アンケートに書かれていた事が現実に起きているってことなのよね?」

「まあ本当に異世界に来ちゃったし、ゆかなにも会えたわけだし、そうかもな」

「だとしたら、アタシ以外にもこの世界に転生してるってことなんじゃないの?」

「ゆかな以外にもって、2年4組のみんながこの異世界で転生してるってことかよ!?」

「可能性はあるんじゃない?」


 たしかに俺が答えた最初のアンケートには、


 ――もしも異世界で亡くなった友人達に会えたなら、アナタは何を伝えますか?


 友人達と書かれていた。

 だとするとゆかなのいう通り可能性はゼロではないのかもしれない。

 けれど、それを確かめる方法がない。


「仮にそうだったとして、誰が何の目的でこんなことしてるんだと思う?」

「神様……とか?」

「え……」


 ゆかなが突拍子もないことを言うもんだから、情けないほど間の抜けた、締まりのない顔つきになってしまった。それが気に食わなかったのだろう、ゆかなの眉間にしわが刻まれる。


「だってそんなこと神様くらいしかできないでしょ! どう考えても!」

「そりゃそうだけど。ならなんで神様が俺に……?」

「そんなの知らないわよ。あんたが引きこもりのニートだったから喝を入れたかったんじゃない?」


 そんなアホな。

 神様はどんだけ暇なんだよ。


「そういうゆかなは転生する時に神様に合わなかったのかよ? 転生ボーナスとか貰わなかったのか?」 

「会わないわよ。てか転生ボーナスって何よ」


 異世界転生系ブームが来るのは2007年以降なので、ゆかなが異世界転生系のテンプレを知っているはずもなかった。


「ならお前はどうやってこの世界に転生したんだよ?」

「どうやってって、気付いたらとしか言いようがないわよ。そもそも10歳まで前世の記憶なんてアタシにはなかったもの」

「なかった?」

「10歳の頃にひどい風邪に掛かったのよ。それで熱にうなされているうちに気付いたら前世の記憶がスーッと」


 そっち系だったか。

 だけどだとしたら、2年4組のみんながこっちの世界に転生していたとしても、そもそも前世の記憶を取り戻していないパターンも存在するってことだよな。

 むしろ前世の記憶を取り戻していたゆかながレアパターンだった可能性の方が高い気がするし。


「とりあえずコロネ村のあんたの家に行ってみたいんだけど」

「え!? まだベッドないけどいいのか?」

「馬鹿じゃないのっ! 誰がいつあんたとセックスするなんて言ったのよ! アタシはあんたの部屋の押し入れに続く階段が見たいの、分かる?」

「わ、分かってるよ! 冗談に決まってるだろ! ジャパニーズジョークも通じなくなったのかよ、まったく」

「目が本気だったんですけど」


 ジト目で俺を見るんじゃないよ。


「ひょっとしてあんたが31歳になっても童貞だから、あんたを魔法使いにするために神様があんたの部屋の押し入れとこっちの世界を繋いだんじゃないでしょうね」

「アホ吐かせ! だったら日本はJ・K・ローリングもびっくりの魔法国になってるよ」

「そういえばパリーボッターの最終章読めなかったな。あれってどうなったの?」

「ヒジイプ先生がずっとパリーを守ってたんだ。そんでホモデソーリに殺されるんだよ」

「えっ、ちょっとそれどういうこと!?」


 パリーボッターの話で盛り上がっていると、不意にすごく嫌な気配を感じる。


「ったく、だからスラムって嫌なのよ」


 潰れかけの教会の周辺には、スラムの飢えたハイエナ達が集まってきている。


「マジかよ!?」


 慌てて立ち上がった俺の隣で、ゆかなは小さく嘆息していた。


「31にもなって情けない声を出さない。こっちの世界ではよくあることよ」

「こんなことよくあって堪るかよ!」

「落ち着きなさい。あいつらの狙いはあんたじゃなくアタシ」

「え!? なんでお前が狙われるんだよ? お前何かしたのか?」

「何もしないわよ。ただね、人って自分の不幸を他人のせいにしたがるものなのよ」

「意味分かんねぇよ! 俺にも分かるように説明してくれよ!!」


 武器を手にした悪漢の男が数人、教会の中に踏み込んでくると、ゆかなはジャージのポケットに手を突っ込んだまま気怠そうに立ち上がった。


「この世界ではね、アタシみたいなハーフエルフを忌むべき存在っていうのよ」

「なんだよ、それ」

「知らないわよ。昔から何か嫌な事があるとすぐに、この世界の連中はアタシのせいにするのよ」


 ゆかながゆっくり通路側に移動する。

 壊れた扉からぞろぞろと入ってきた男達の方に顔を向けている。


「あんたは下がってなさい」


 その顔は影になって見えなかったけど、とても悲しい声だった。

 


 ――助けて……蒼炎!



 なぜ今、俺はあの日の彼女を思い出すのだろう。


「ちょっとあんた……」


 俺も通路側に移動する。

 彼女の前に一歩身を乗り出し、悪漢の男達を睨みつける。


「ずっと後悔してたんだ。あの日お前を助けられなかったこと、あの手を掴めなかったこと」

「………」

「ごめんな。随分遅くなっちまったけどさ、約束を守らせてくれないか?」

「………」



 思い出すのは幼稚園の頃、あの頃の俺は毎週観ていたヒーローに憧れていた。

 その日はたまたま幼馴染みの女の子のピンチだった。

 公園の砂場で女の子がいじめっ子達にいじめられていたのだ。

 泣きじゃくりその場から動けなくなった彼女を見たとき、少年の中のヒーローが目を覚ました、気がする。


「ヒーローが来たからにはもう安心だ!」


 真っ赤なマントを風に靡かせたカッコつけのガキンチョは、自分より体格の良いいじめっ子とその部下を相手に戦いを挑んだ。

 すべては悪の秘密結社から幼馴染みの女の子を助け出すため――結果は見事に惨敗。


「蒼炎、大丈夫?」

「うん、痛くないよ。全然痛くない」

「泣いてるけど……」

「泣いてない。これは目から鼻水が出ちゃったんだ」

「……ばっちいね」

「……うん」


 いじめっ子達はいなくなったというのに、女の子はとても悲しそうな顔のままだった。

 鼻水が止まった少年は、女の子にどうしてそんなに悲しそうなのかと尋ねた。

 すると女の子は答える。


「またいじめられるかもしれないから、ちょっとだけ怖いの」


 女の子は悪の秘密結社からの報復を恐れていたのだ。

 だからカッコつけの少年はニカッと笑い、真っ赤なマントを翻しながら言った。


「大丈夫! ピンチの時には何処にいたってヒーローが必ず駆けつけるから」

「ほんと?」

「本当だ! ピンチの時は何度だってヒーローが助けてやる!」

「絶対?」

「絶対だ!」

「約束だからね」

「うん、ヒーローとの約束だ!」


 けれど、大人になるにつれて少年はヒーローから一般人になってしまう。

 女の子と交わした大切な約束も破ってしまった。

 そのことを少年は――俺は死ぬほど後悔していた。

 ずっと謝りたかった。


「ごめんな。約束……守れなくて」

「………ばか」


 幼馴染みが吐き出したとても優しい「ばか」をギュッと胸に抱きしめながら、俺は後ろ腰のナイフに手を伸ばした。


 今度こそ守るんだ!

 俺はもう一度彼女のヒーローになるんだ!!


 素早く抜き取ったナイフを構える。

 大丈夫、あの時だって上手くいったんだ。

 この黒いナイフがあればきっとやれる。


「メンタルブレイクしたヒッキーがカッコつけないの」

「ゆかな……」


 力んで表情筋が凝り固まってしまった俺を気遣ってくれているのか、彼女はこの場に不釣り合いな明るい声を響かせた。


「どうせあんたの事だから自分が死んでもアタシを守るとか思ってるんでしょ?」


 そこで一旦言葉を区切ったゆかなは、盛大に嘆息した。


「あんたが死んだらアタシも死ぬこと忘れてない?」

「あっ……」


 完璧に忘れていた。


「んっなことだろうと思ったわよ。でも、ありがとう。あんたのそういうところ、アタシ好きだったよ」

「!?」


 女の子に好きだなんて言われたことがなかった俺は、火が付いたように赤面。真っ赤になった顔を見られないように、俺は明後日の方角に顔を向けた。


「で、あんた異世界こっちに来たばっかりなんでしょ? 戦えんの? 数が多い上にアタシは丸腰だから、できれば2、3人任せられるなら任せたいんだけど」

「ま、任せろ!」

「なら任せるわよ、ヒーロー!」


 ニヤリと口許に笑みを浮かべたゆかなは、腐りかけの床を勢いよく蹴りつけた。


「そっちは任せたから!」


 一瞬で男達の眼前まで移動したゆかなは、その勢いを殺すことなく跳んだ。強烈な膝蹴りが男の鼻頭を粉砕すると、彼女は流れるような動きで一人、二人と伸していく。


「大気よ震え、風を起こし給え――ウインド」

「マジかよ!?」


 呪文を唱えた彼女がサッと手を払えば、凄まじい風が教会内に吹き荒れる。悪漢の男の体躯をいとも簡単に引き裂いたのだ。


 グロッ!?


 黒いナイフを握っていなければ、きっと俺は吐瀉物を撒き散らしていたことだろう。


「お前も呪われた女の仲間かァッ!」

「――――!?」


 男の強襲を躱しながら、俺は椅子に飛び乗り状況を把握する。

 こちらに来ている敵は三人。

 七人を相手にしているゆかなに比べれば大した数ではない。


「殺せぇッ!!」

「よっと」

「――――ッ!?」


 やはりこの黒いナイフを手にすると、体に羽が生えたように軽くなる。アクション俳優のように、イメージした通りに動けるのだ。


「手加減する余裕なんてないから、悪く思うなよ!」


 俺は襲いくる男達の急所を素早く斬りつけ、突き刺した。

 辺りはまたたく間にこの場に似つかわしくない程の赤一色に染まっていく。

 つんと嗅ぎなれない鉄錆の臭いが鼻腔を満たし、俺は思わず眉根を寄せた。


「ゆかな!」


 彼女の足下には、切断されたバラバラ死体が無数に転がっている。


「大丈夫か」

「あ、うん、ごめん」


 フラついた彼女の体を支えながら、俺はゆかなを近くの椅子に座らせた。


「もう平気だから」

「どう見ても平気じゃないだろ」


 ゆかなの顔色は真っ青だった。


「どこか怪我したんじゃないのか?」

「ううん、してない」

「でも……」


 それにしてはやはり顔色が悪い。


「魔法を使いすぎるとね、貧血みたいになるのよ」


 貧血……?

 この世界では魔法を使用すると対価として血液でも失うのか?

 血がMPの役割を担っているのかもしれない。となると、同じ魔法でも使用する人物の力量によって消費する血の量が変わるのかな?

 そこら辺は使ったことがないから分からない。そもそもMP≒血と決まったわけでもない。これはあくまで俺の憶測に過ぎないのだから。


「とにかく面倒になる前に此処を離れるわよ」

「少し休んでからの方がいいんじゃないのか?」

「ダメ、憲兵が来たら面倒になるから」

「でもこれはどう考えても……正当防衛にはならんか」


 さすがにぶち殺してしまったら過剰防衛だよな。

 無惨なバラバラしたいにニヒルな笑みを浮かべてしまう。


「スラムの人間が死のうがこの世界の連中は大して気にしないわよ」

「え……マジか。異世界って結構えぐいんだな。つかそれなら問題ないんじゃ」

「普通はね。でもアタシはハーフエルフ、忌むべき存在なのよ」


 ハーフエルフ程この世界で嫌われた存在はいないと彼女は言う。


「白金貨200枚……」

「だから後悔するって言ったでしょ。あんたはあのおっさんにカモられたのよ」

「くそっ!」


 されど、そのお陰で生まれ変わったゆかなとこうして巡り会えたのだから、結果的には良かったのか? いや、だとしても2億は高すぎる。踏み倒してやりたい。


 すっかり暗くなった街で、俺達は闇に身を隠しながら移動した。

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