⑤-4

 狭い通路にひしめく露店が色とりどりの提灯を掲げ建物内を妖しく彩っていた。周囲には耳障りな音楽が響いている。スピーカーから発せられる重低音が身体の奥底を震わせまるで若者向けのクラブに迷い込んだような感覚を覚える。商人たちが巧妙に演出したその空間は、客にとっては刺激的であり、同時に謎めいて怪しいものに見えた。

「いや~案外賑やかですね。もっとこそこそやってるのかと思ってたのにまったくもって堂々としてる」

 露店の前で立ち止まり用途の分からない商品を手に取りながら大橋がそう呟いた。薬瓶を満たす謎の液体に漬けられた鴉のような生物を指差した後彦一の方を向いて泣き真似をしたが、彦一は何の反応も返さなかった。

 京都祇園地下歓楽街、通称〝聚華楼〟

 一般人立ち入り禁止の地下施設でありその存在は公にされていない。大橋曰くここは魔窟であり、誰が何のために作ったのか、どのような構造をしているのか、誰も全貌を把握できていないらしい。気の遠くなるような長い時間を掛けて色々な勢力が生まれたり消えたり引き継がれたりしており、現在どの組織が主立って運営をしているのかすら分かっていない。

 入場するには相当厳しい審査を通らねばならず、関係者の紹介であっても今は新規の立ち入りが許可されていない程だ。そんな禁域とも呼べる場所に何故堂々と自分たちは潜入できているのか。これも全部大橋の手引きのお陰なのだが、大橋が一体何者なのかは彼と出会って二年近く経った今でもよく知らなかった。

「では、二手に分かれて調査を始めますかね。まずはこの階です。あんまり時間かけると怪しまれちゃいますから、三十分後にまたここで落ち合いましょう。あ、分かっているとは思いますが、揉め事は起こさないでくださいね」

 大橋の服装は黒いニット帽にいつもの黒縁眼鏡にマスクで、ゆったりとしたフライトジャケット風の上着を身に着けており全体的に彩度の低い色合いでまとめている。彦一も似たような格好だ。彦一は黒いキャップのつばを掴み、顔が隠れるように引き下げた。


 大橋と離れてから一人で通路を歩く。屋台を眺めると、棚には古びた書物、奇怪な置物、薬瓶に封じられた液体がズラリと並んでおり、どうにも胡散臭い雰囲気が漂っていた。店主は裏通りからやってきた者たちに声を掛け、彼らが秘密めいた品を手に取るように言葉巧みに誘導していた。客たちは興味津々といった様子で品定めをし、中には怪しげな文句に引き寄せられて手を伸ばす者もいた。

 彦一たちは陰陽術の古道具店を探していた。五月の襲撃以降七か月掛けて調査を進めた結果、正式な登録店に疑わしい取引は見つからなかった。あとはもう「無許可のアングラなやばい店」しか残っていないと大橋が言っていた。ここは表の為政者や権力者たちがお忍びで遊びに来る場所らしい。金も情報も集まるならこの場所だと、大橋は睨んでいた。

「あらっ、ずいぶん若いオトコノコね。坊や、ここへ何しに来たの?」

 露店の店員から声が掛かり、彦一は足を止めた。見ると、大小様々な大きさの壺が机や棚に並べられており、そのほとんどから煙が上がっていた。紫や緑や黄色の煙だ。吸い込んではいけない類の薬品なんじゃないかと、彦一は反射的に距離を取った。

「あらヤダ、よく見ると可愛い目をしてるじゃない! ねえどう? お姉さんのお店寄って行かない? 坊やなら特別にサービスしてあげるわよ……」

 袖のないシャツから刺青を覗かせた四十代くらいの男が、甘ったるい声を出した。化粧の強烈な匂いに彦一は表情を歪める。

「探し物をしている」

「なあに? なにがお目当てなの?」

「陰陽術の霊符や呪具が売られている店を知らないか。もしくは物の怪を狂暴化させる合成麻薬の類を」

「……チッ……の話かよ……」

 店員の男が露骨に不機嫌そうな低い声を出した。先程の媚びた猫撫で声とは大違いだ。店員は机に肘をつき足を組み替えて、手に取った煙草に火を点けた。

「坊や、どこで嗅ぎ付けたかは知らないけどね、底に関わるのは止しな。火遊びじゃ済まないよ」

「底とはなんだ」

「さあね。いいからさっさと退きな」

 そう言って店員は奥へと引っ込みカーテンを乱暴に閉めた。取り付く島もない。これ以上の詮索は不可能だと判断して彦一はその場を後にした。もう少し詳しい話を聞きたかったが、それでも収穫はあった。店員のあの態度。〝底〟とは一体……


 カーテンから顔だけ覗かせて、立ち去る彦一の背中を店員の男が睨んでいた。彦一が人混みの中へ消えたのを見送った後、店員はズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。

「……悪く思わないでね」

 男は画面を操作しスマートフォンを耳に当てた。呼び出し音が鳴っていた。


「うーん。やっぱり一筋縄ではいかないですよねえ」

 大橋と合流後、お互いが集めた情報を交換していた。大橋も陰陽術の話題を出すと途端に警戒されたらしく、有益な情報を得ることはできなかったと嘆いていた。

「金をちらつかせても食いついてこなかったです。よっぽどタブーなんでしょうね。浅い階層だと碌な情報なさそうだな。さっき階段下りて下の様子少しだけ見てきたんですけど、ここから先はだいぶ危険そうです。怖そうなお兄さんたちがうろうろしてましたよ。聚華楼は中立という名の武装地帯だからなあ。神狗会うちも迂闊に手出しできないんですよね」

 大橋は壁にもたれながらちらりと階段下に目をやった。薄暗く、先がどうなっているのか見通せない。下はどこまで続いているのだろう。フロアの中央にエレベーターがあったが、特別なキーがないと作動しないようだった。地道に下りていくしかない。それでも進まなければならない。敵の手がかりが掴めそうな場所に、ようやく辿り着いたのだから。

 複数の気配を察知して、大橋とほぼ同時に顔を合わせた。彼は彦一の背後に視線だけ送った。背中に敵意を感じる。彦一は深く息を吐いて後ろへ振り返った。

「案外早かったですね」大橋が壁から背を離して辺りを見回した。

 いつの間にか二人の周囲に黒服の男たちが集まってきており、階段の入り口にも立ち塞がっていた。人相が悪く体格の良い連中だ。鍛えている自分に相当自信があるのか、へらへらと薄気味悪い笑みを浮かべる者もいた。

「お前らか。底のことを嗅ぎまわってる男二人組ってのは」

 一人の男が集団から前に出て、彦一たちを睨め付ける。眉の辺りに切り傷のある厳つい男だった。着崩したシャツの胸元から色鮮やかな鱗がびっしりと彫られているのが見えて、男の上半身を覆う刺青の荘厳さが想像できた。

「嗅ぎまわってるなんて嫌な言い方ですね。俺たちは客ですよ。お兄さんたち下のこと知ってるなら紹介してくれません?」

 二十人程の柄の悪い男たちに囲まれながらも大橋は平然としている。彦一はこの場のやり取りを大橋に任せて静観していた。上手くやれば情報を引き出せるかもしれない。

「おうおう! あんさんえらい度胸あるなあ。ただモンやないと見たでえ。ここを通りたけりゃあ……分かるなあ? 逆らったら生身で帰さへんぞ……上宝一家じょうほういっかの番犬っちゅうんは、このワシのことや!」

 刺青の男の隣にアロハシャツを着た金髪の男が並んで威勢よく叫んだ。喉が潰れたような甲高い声に不快感を感じる。任侠映画に憧れでもあるのだろうか。コテコテの関西弁を使うその金髪男は大橋ににじり寄り、片手の指を擦り始めた。

 大橋が懐に手を入れた時だった。

「……ん? おい、このニヤケ面……鞍午の太郎坊たろうぼうやないかっ⁉  ほら、神狗じんぐの指南役の!」

 金髪男が目を見開いて後退りをした。大橋を指差して仲間たちに目配せをしている。大橋は微笑を崩さずに、

「神狗? 何のことですか? 人違いでしょう」

「人違いなわけあらへん! おんどれ、このワシを忘れたっちゅうんかっ? この鼻の恨み、ワシはいっときも忘れたことあらへんぞ……っ!」

「あれま運が悪い」

 わなわなと震える金髪男を一瞥し、彦一に顔を向けた。「ごめんなさい彦一くん。あっさりバレちゃいました」

「やっぱり太郎坊や! てめえら捕まえろ!」

「もう、その名で呼ぶのやめてくださいよ。気に入ってないんですから」拗ねたように眉を八の字に垂らして大橋は続けた。

「俺には天子様から賜った由緒正しい名があるんですからね。太郎坊なんて俗称誰が広めたんでしょう」

 言い訳をするように彦一に向かって説明をするが、殺気立った男たちを前にその態度は逆効果だろう。開き直って神経を逆なでに行ってないか。

 大橋は立場によって名を使い分けているらしいがその由緒ある真名とやらは尊神講社の誰にも教えていないはずだ。簡単には明かせない名なのだろう。いまいち掴みどころのないこの男が今後教えてくれる可能性はない気がする。全国五万の烏天狗の頂点――構成員一万五千を誇る洛明神狗会らくみょうじんぐかいの会長代行には、謎が多い。

 突然首元を掴まれた。金髪男が彦一の背後に回りナイフを首筋に当てる。

「堪忍せえ太郎坊! このガキがどうなっても知らんぞ! 大人しくワシらにおぶふっ!」

 恐らく舌を噛んだ。彦一の頭突きが直撃していた。

「あはは! これは驚いた。貴方そんなに喧嘩っ早い人でしたっけ?」

 彦一は楽しそうに笑う大橋の横に並んで黒服の男たちと対峙した。金髪男は元々曲がっていた鼻から血を垂らし、こちらを睨み付けていた。顔が真っ赤で目が充血している。相当興奮しているようだ。

「こんの……舐めとんのか…! ブチ殺したるっっ‼」

 階段入り口付近の狭いエリアに、男たちの怒号が響き渡った。


 衝突音が次第に収まり、黒服がべしゃりと倒れ込んだのを最後に、その場に静寂が戻った。二十名以上いた黒服たちは一人残らず地に伏し呻き声を上げていた。

「知ってること全部吐け」

 彦一が刺青の男の胸ぐらを掴み起き上がらせる。唇を切り頬を腫らした男は苦痛に顔を歪ませながらも彦一を睨み返した。

「なにがしてえんだお前ら……こんなことして、タダで済む」

「底とはなんだ?」

「……けっ、知るかよ」

 彦一は男の首をきつく締め上げた。

「うぐっ……へへっ、やるじゃねえか小僧……頭イカレてやがる」

「底にはなにがある」

「……百年以上前にここが作られた時からある、牢獄だとよ。絶世の美女が囲われてるって噂だ。俺たちゃあそれくらいしか知らされてねえ。……くくっ、こんな金にもならねえ与太話、そこのニヤケ鴉がとっくに仕入れてんだろ。無駄足だったなあ」

「ここ最近で、何か動きはないか」

「はあ?」

「何でもいい。変化があれば教えろ」

「変化ねえ……そういやそこで伸びてる俺の弟分が囚われの美女を見たっつってたか。美女なんて大袈裟で実際は中坊くらいのガキで」

「!」

「最近……つってもこの半年くらいらしいが外で見かけるようになっ」

「そいつは今どこにいる!」

 激しい剣幕で彦一が男に詰め寄った。男は怯みながらも不遜な態度を崩さなかった。

「知らねえよ。会いたきゃあ自力で底に辿り着いてみせるんだな」

 男はくっくっと笑った。彦一が乱暴に手を離すと床に頭を打ち付けた。彼はなお不気味に笑っている。

「彦一くん、そろそろ」

 騒ぎを聞きつけた警備員(と言っても風貌はやはり暴力団じみている)が駆けつける音がする。いちいち相手にしていたらキリがない。彦一と大橋は目配せをし、その場から足早に立ち去った。

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