②-2
麓まで戻ると孝二郎が車で迎えに来ていた。流石に朝は早すぎるので彦一が松元の関係者に頼んで送ってもらったが、帰りは孝二郎が引き受けてくれた。
「何度もすみません、八柳君のお兄さん」
「気にしないでー。俺松元好きだし。あと呼び方、孝二郎でいいよ。こいつのことも彦一でいいんじゃない? 同じ名字で紛らわしいし」
「えっ」
お兄さんは孝二郎さんでいいとして八柳君は彦一君と呼べばいいのだろうか……なんだか馴れ馴れしい気がする。
そんなことを悩んでいる間に話は流れ、孝二郎はエンジンを掛けて車を発進させた。
「本当に大丈夫? 早起きして山登りして疲れたんじゃない?」
「全然疲れてないです。ほとんど八柳君が運んでくれたので」
孝二郎は「タフだなあ……さすが十代」と言ってうんうんと頷いた。この後は松元市内で昼食を取り(孝二郎が奢ってくれるというので内心楽しみにしている)、その後円窟神社へ行き天里に今日の報告をすることになっている。
昨日は一日休めたから調子が良い。一昨日倒れた影響も無いようだ。丈夫な体に生まれて良かった……と両親に胸中で感謝した。体力があるということは物の怪に対抗する上でとても重要で、そういう人間は病気と同じで物の怪に取り憑かれ辛いらしい。確かに元気で明るい人には例え目が合っても物の怪が寄ってこなそうだなと思う。
一昨日とは違って中社の社務所付近に車を停めて三人は降車した。一度ぐるりと見て回ったためだいぶ慣れて緊張で身が竦むような感じは薄れている。この先の一年間できっと何度も訪れることになるんだろうなと感慨深い気持ちでいると、少し離れた場所で談笑していた三人組の内一人がこちらに気付いて走ってきた。
「здравствуйте!」
上げた手を左右に大きく振りながら近付いてくるその姿にどきりとしてしまった。プラチナブロンドの髪が眩いまでに輝く、恐ろしいほどの美女だ。緩やかにウェーブのかかった長い髪が風で揺れてそのまま写真の題材になりそうだと思った。身長はかなり高く百八十半ばはあるかもしれない。肉感的なプロポーションの持ち主で、走ると色んなものが大きく揺れて同じ女なのに目のやり場に困ってしまう。
外国の、ずっと北の方出身と思われる美女は潔乃の前に立ち止まるとニコニコしながら彼女を見下ろした。近くで見ると圧が凄い。潔乃はたじろぎながらも「あの、えっと、初めまして……?」と美女に挨拶をした。すると彼女は形の良い大きな口を開いて、
「ワタシ、コトバ、ワカリマセン!」と、カタコトの台詞を発して応えた。
「ええっ⁉ えっと……!」
困った。外国語なんて喋れない。
助けを求めるように孝二郎の方を振り向くと何故か彼はにやにや笑ったままで何も言ってくれない。焦って今度は彦一に顔を向けると、ちょうど彼が口を開いた。
「ジーナ、あんまり伊澄さんを困らせるな」
そう言って溜息を吐く彦一に美女は体を向け「ヒコイチ~!」と叫びながら勢いよく抱き着いた。彼女の大きな胸に押し潰されて彦一はされるがままになっている。しかし相変わらず表情はぴくりとも変わらない。美女に抱き着かれてそんな無味乾燥な反応をする男子高校生が果たして他にいるだろうか……見ているこっちが赤面するほどなのに……
「久しぶりだねえ! ちょっと痩せたんじゃないか⁉ ちゃんと食べてるかい⁉」
「痩せてないし食べてる。離れろ」
「たまにはうちへ遊びに来ておくれよ! 旦那もアンタのこと待ってるからさ!」
……喋っている。流暢な言葉遣いで。
二人のやり取りを呆然と眺めた後我に返って直感で理解した。私はからかわれている。
(…………)
どうして孝二郎さんもこの人も初対面で何か仕掛けてくるんだ。大人はいつも子供の反応を楽しんでいてずるい……
自分が子供扱いされていることに不満を感じ潔乃は口を尖らせた。少しくらい不機嫌になったってばちは当たらないはずだ。
そんな潔乃の様子に気付いた美女は彦一から離れ潔乃に向き直ると、
「あっはっはっ、ごめんごめん! アンタがあんまり可愛いからついイジワルしたくなっちゃってさ!」楽しそうに弾んだ声で豪快に笑った。
「アタシはジナイーダ。気軽にジーナって呼んでくれ。物の怪って言葉は好きじゃないんだけど一応、狼の物の怪ってやつだね。近くの高原でカフェをやってるからいつでも遊びにおいで!」
腰に手を当てて堂々と胸を張っている佇まいが同性から見ても惚れ惚れするほど魅力的だ。先程まで拗ねていた事も忘れ潔乃はジーナに見惚れてしまった。白無地のシャツにデニム生地のパンツスタイルというシンプルな服装なのにジーナが着ると様になっていて感嘆してしまう。
「私は伊澄潔乃です。えっと、お世話になります」
「可愛い! この子抱きしめてもいいかい⁉」
「やめとけって。押しが強すぎると伊澄ちゃんに嫌われるぞ」
ようやく孝二郎が口を開いて間に割って入った。この人は私や八柳君がジーナさんに色々されているのを傍から見て絶対に面白がっていたと思う。
「おや孝二郎、猫かぶりはやめたのかい?」
「猫かぶりってなんだよ!……じゃなくて聞いてくれよジ~ナ~。彦一のせいで俺の計画台無しになってさー。だって初対面の伊澄ちゃんにいきなり『こいつとはまともに取り合うな』だぜ? ヒッデーよなあ」
実際に傷付いているというよりは被害者を演じて楽しんでいるような素振りだ。潔乃は彦一をちらりと見やったが彼は面倒臭そうに眉を寄せていた(ジーナにくしゃくしゃにされた髪の毛はそのままだがいいのだろうか)。
「早い方がいいだろ。お前の女癖の悪さが発揮される前に手を打った。伊澄さんの安全を守るのが俺の役目だから」
「おまっ……! 女子高生に手ェ出すかアホ! 俺そんなに信用ないっ?」
「ない」
「ないね」
「ぐっ……ジーナまで……」
味方がいないことを悟った孝二郎は勢いよくこちらへ振り返って「言っておくけど俺ちゃんとした倫理観あるから! 浮気とか二股とかもしたことないし!」と謎の言い訳をしたが一体その発言はどれほどの弁明になるのだろうか……大人の世界はよく分からないが孝二郎のそういう態度が彦一にとっては十分不誠実に感じられるらしいことだけは分かった。
「賑やかですね~」
「ちょっと! わたしたちを置いていかないでくださいよ!」
いつの間にかジーナと一緒にいた二人もこちらへ近付いてきていた。黒い縁のある眼鏡を掛けた物腰の柔らかい青年と小学校三、四年生くらいの女の子だった。普段の生活と違って自分より背の高い人間(と呼べない存在もいる)ばかりに囲まれている中で、身長差が三十センチはありそうな小さな少女を見てつい可愛いと思ってしまったが、先程ジーナに可愛いを連呼された事を思い出して複雑な気分になった。なるほどこういう気持ちか……
「自己紹介していいんですかね? 伊澄さん初めまして。俺は
そう言って眼鏡の男は軽くお辞儀をした。にこにことしていて穏やかそうな青年だ。年齢が見た目では分かり辛く、孝二郎より年上にも見えるし反対に大学生くらいにも見える。背丈は平均的で黒髪でさらりとした落ち着いた髪型、服装は白い着物に紫の袴でいかにも神職といった感じの様相だ。
「次はわたしの番ですねっ。わたしの名前はみこま! 全国的にも有名な
待ちきれないと言わんばかりに女の子が元気よく自己紹介を始めた。つらつらと得意気に一族の歴史を語る様子が健気で好ましい。しかし話の内容よりつい彼女の愛らしさに目が行ってしまった。肩につくくらいの長さのこげ茶色のくせっ毛にくりくりとした大きな瞳。健康そうな赤みを帯びた頬がもちもちとしていそうで思わず触りたくなる。
「特技は変化で、動物以外にも化けられます。彦一さまよりもきっと上手にできますよ!」
「……俺は化け狐じゃない」
狐をライバル視しているところも可愛い……と思っていたところでふと彦一の発言が気になった。化け狐じゃないってわざわざ言うってことは自由に姿を変えられるわけではないんだろうか。今の人間の姿はどうやって決めているんだろう。
(天里さんも『年格好を考えると適任』って言ってたなあ)
そもそも目の前の三人は物の怪だという話だがどうして普通に人間の姿で、仕事をして、日常生活を送れているのだろう。一般の人間には見えないのではなかったか。
「というか、三人揃って何してるんだ、珍しい」
「おや連れないねえ。アンタたちが今日ここに来るっていうから挨拶しようと思って慌てて時間作ったんじゃないか」
「へえ……それはご苦労様」
ぶーぶーと不満気なジーナとみこま(大橋はにこにこと笑っている)を余所に彦一は、
「この三人も講社に所属していて、保護対象の見守りとか巡回とか偵察とか……色々やってもらってる」三人のことを簡単に紹介してくれた。
「よろしくね! いーっぱい頼ってくれていいからね!」
「あはは、やる気十分ですねえ。俺の出番あるかなあ。しかしこうやって人に正体を明かすなんて、なんだか新鮮でいいですねえ」
大橋が緊張感のない口調でゆるりと笑った。潔乃はこれからきっと色々と世話になるだろう三人に対して改めて挨拶をした。頼りになりそうな人たちだ。仲良くなれたらいいな。
「騒がしい。帰ってきたんならさっさと報告しにこんか」
声のした方へ振り返ると中社社殿から天里が階段を使って下りてくる姿が見えた。すると好き勝手喋っていた面々が口を閉じ、和やかな雰囲気ではあるが一段階空気が締まったような気がした。
「黄金背と狒々に会えたぞ。あと加護も受けられた」
天里を輪に加えた後、彦一が霧葉郷での出来事を報告した。今回の騒動に対して謝罪を受けたこと、深山地区の猿たちのこと、今後の協力を約束してくれたこと、それから――
「加護は、授けてくれたと思います。体に変化があるわけじゃないので実感はないですけど……あと黄金背さんは私の治癒能力を強化するって言ってくれて、これってどういうことなんでしょう。怪我が治りやすくなったりするのかな」
「ほう。能力まで与えてくれたのか。お前さん黄金背に気に入られたね」
治癒能力の強化というのは潔乃の想像とだいたい同じ効果で、怪我が早く治る――というより再生に近い形で元に戻ると天里が教えてくれた。それが本当なら凄い話だ。どの程度の怪我まで大丈夫なんだろう……流石にわざと怪我してみようとは思わないけれど。
一通り報告し終えた後、天里は難しい顔で「やはり何も分からなかったか……」と考え込み、少しして再び口を開いた。
「懸念が残るだけに、できることはやっておきたい。加護を受けるってのは良い話だね。我々に協力的な神々に打診してみようか。候補は……
「諏波は大祭があるから九月以降だな。俺連絡取っておくよ」
孝二郎がそう提案すると天里と彦一を含めて三人で今後の打ち合わせを始めた。今日みたいに各地の神様に挨拶をしに行くことになるのだろうか。加護は特例という話だけど自分だけそんなに手厚く保護してもらっていいのか……自分が特別であるという実感がまだ湧かず、しっかりしなくてはと思うのに話の大きさに今一つ付いていけない。
その時、視界の隅に何か動くものがあった。そちらへ視線をやると猫くらいの大きさの影と目が合って、影はサッと木陰に隠れてしまった。こちらを見ていた? 動物だろうか。二足歩行していたように見えたけれど……
「あれ?
みこまが同じ方を向いてそう呟いた。潔乃が影に目を向けたことに気付いたようだ。みこまが「お~い!」と言って木陰に近寄ると、遠慮がちに何かがぴょこりと顔を出した。それは彼女の姿を確認すると嬉しそうに跳ねて姿を現し、一匹が木陰から出ると続けて二匹目、三匹目と姿を見せた。
猫よりは大きい……というよりずんぐりとしている。オコジョのような見た目で毛は白く尾は短い。背や尾の部分に黒い斑文があったりするものもいるがそれよりももっと目立つのが、三匹ともそれぞれ違う装飾品を身に着けていることだ。斑文が背にあるものが赤いハンチング帽、尾にあるものが黄色いスカーフ、全身の毛が綺麗な白色のものがピンクのリボン。……もしかしておしゃれをしている?
(こんなに可愛い空間ある……?)
猧子……という生き物なのだろうか。彼らとみこまがじゃれあっている様子を眺めてあまりの愛くるしさに震えが出てきた。全員まとめてぎゅっと抱き締めたい衝動に駆られる。
「エノコロ可愛いよねえ。眺めてないで潔乃もいこ!」
そう言うとジーナが潔乃の腕を引っ張りみこま達の元へと連れて行った。この幸せな空間を壊したくない思いで近付くのを躊躇ったが、近くで見ると丸っとしたオコジョのような生き物がより可愛く思えてもうたまらなくなってしまう。しかし潔乃の気配を察知した猧子はビクッとして遠ざかり、三匹で身を寄せ合った。ああ怖がらないで……
「この子たち三兄弟なのかなあ? いつも一緒に行動してるんですよ。他の猧子と違ってちょっとだけおしゃれしてるのが可愛いんです!」
猧子というのは森の案内役で、山で仕事をする杣人たちにとって大切な存在らしい。猧子に会うとその日の仕事は上手くいくと言われありがたがられているという。
「せっかくだからこの子らに名前付けてやんなよ。人間に名付けられると喜ぶと思うよ」
「えっ私がですか? でももう名前あったりするんじゃ……」
「うーんどうでしょう? 杣人さんたちが名前呼んでるところ見たことないけどなあ」
「じゃあお近付きのしるしにさ。ほら潔乃!」
ジーナに促されて潔乃は困惑しつつも名前を付けるなら……と考えた。屈んで猧子たちに視線を合わせると彼らは不安そうにきょろきょろとしていたが逃げ出す様子はない。潔乃はしばらくの間考え込んで、
「……帽子の子がエノちゃん、リボンの子がノコちゃん、スカーフの子がコロちゃん……かな?」
と、指を指しながら一匹ずつ名前を呼んだ。勝手に決めてしまっていいものなのだろうかと悩ましい気持ちでいたところ、猧子は黒目がちな大きい瞳をさらに大きくして「チィ!」と鳴いた。そして帽子の猧子がぴょんぴょん跳ねながら潔乃の周りを走り出すと他の二匹もそれに続いて駆けだした。嬉しそう……な気がする。喜んでもらえた?
「良かったねえエノコロ! アンタたち人間のこと大好きだもんねえ」
「喜んでますよー! わたしもこれから名前で呼んであげよおっと!」
無邪気に走り回る猧子たちと楽しそうに笑うジーナとみこまに囲まれて潔乃も顔を綻ばせた。実に二日ぶりの、何の気兼ねもない笑みだった。
三人が猧子と触れ合っている様子を遠目で眺めていたところ、彼女たちの愉快そうな笑い声が聞こえてきて一つ息を吐いた。黄金背と狒々に会った時もそうだったが、控えめな印象とは裏腹になかなか度胸があるらしい。物の怪だと名乗る連中と臆さず会話をするし見たことのない生き物も抵抗なく受け入れている。不安要素は他にもあって、講社の存在を家族や周りの人間に話して事態がややこしくなる可能性は考えていたが(最悪の場合警察を呼ばれるなど)思慮深いようで迂闊に口外することもせず、どうやら問題はなさそうだ。
(抵抗がないなら守りやすくていい)
彦一は三人から目を離し再び天里たちと向き合った。
「今回の件、あんたたちはどう思うね」
「伊澄ちゃんの誕生日付近ってとこがきなくさい感じするよな」
「族長がやけにあっさり引き返したのも気になる。決死の覚悟で挑んできたという感じじゃなかった」
「俺、本山に連絡してみますよ。京なら術士がたくさんいるから何か分かるかも」
「ああ頼んだ。儂の方でも中央会に報告はしたが、毎度のことながらあちらさんが取り仕切るつもりはないらしい。まあその代わりこちらは自由に動かせてもらうがね。あんたたち、頼んだよ」
「ああ」
「了解~」
「はい」
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