脇役王女は少女漫画の世界で、せーいっぱい!生きてます!

新みのり

第1話 転生王女は今日も精一杯生きている。


 目が覚めたら知らない空だった。


 どこまでも広がる青い空、流れる白い雲、気持ち良さそうに飛ぶ鳥。そして、鳥に乗っている人達。

 暖かい母の腕の中、生まれたばかりのぼんやりした頭で思ったのだ。


 ――ああ、ここは知らない世界なんだ、と――。

 


「……あ……さま、アナスタシア様っ」

「っ!」


 呼ばれてハッとする。まるで夢から覚めたような私を見て、メイドが心配そうに声をかけた。


「ご気分でも優れませんか? お食事はもうお下げした方がよろしいでしょうか……?」


 メイドの目は宙に停止したままの私の両手に注がれている。私の右手にはナイフが、左手のフォークには一口大に切られたステーキが刺さったままで、ソースが皿にぽたりと滴った。


「あ……ごめんなさい、お行儀が悪かったわ」


 いけない、いけない。食事中に思考が飛んでしまっていた。ここにウィスが居なくて良かった……でなければ何を言われていたか分からない。

 ここには居ない執事の不在を喜びつつ、私は取り繕うようにメイドに微笑んだ。


「少しぼうっとしてしまっただけなの。気にしないで」

「いえ……! 私の方こそ出来過ぎたことを……失礼致しました」


 深々と頭を下げるメイドにありがとうと言い添えて、私はようやくステーキを口にした。


「……」


 ステーキはジューシーで、ソースも甘酸っぱくて美味しい。そのはずなのに、何だかとても食べるのが億劫だ。

 ゆっくりと咀嚼して、最後はワインで流し込むようにして飲み込んだ。


「ふぅ……」

「ふふっ」


 一口を食べるのにも疲れて、つい漏れてしまったため息を軽やかに笑われる。

 正面を窺いみれば、ウォルフス伯爵が微笑んでこちらを見ていた。

 いけない、うっかりこの人の存在を忘れていた。

 私は慌てて伯爵に頭を下げる。


「申し訳ありません、ウォルフス伯爵。はしたない真似を……」

「いえいえ、何をおっしゃいますか。悩ましくお食事をされる姿もまるで絵画のようで、見惚れているところでしたよ」

「ふふ、ウォルフス伯爵は相変わらず、お上手ですね」


 私に鳥肌を立てさせるのが。

 ふふふ、と軽やかに笑って見せるが、私の服の下は今サブイボだらけである。


 私の目の前で優雅に食事をしている男、名をベイン・ウォルフスという。

 自身の領地をしっかりと統治、発展させている有能な人だ。でもそれだけでなく、黒髪のきつ過ぎないオールバックに、整えられた顎髭がセクシーだと、女性達の間で噂のダンディーでモテモテなオジサマでもある。


「世辞などではなく、本心ですよ。アナスタシア王女」

「お褒めに預かり光栄ですわ、ウォルフス伯爵」


 そしてかくいう私はこの国、アズール王国の王女である。


 アナスタシア・ウィンザー。それが私の名前だ。十八の時死んでしまった私は、気付けば王女として新たな生を受けていた。

 何故記憶を持ったまま生まれ変わったのかは分からない。昔はそのことで酷く悩んでしまったことはあるものの、今はこの世界に生まれた一人の人間として、精一杯生きているところだ。


「それにしても今日は天気が良い。こんな日に貴方と空の上で食事が出来るなんて、神は私を祝福してくれているようですね」

「ええ、本当に良いお天気で。開館式にはちょうど良い日ですね」


 伯爵が後半言っていたごちゃごちゃをスルーしたが、彼は気に止めた様子もなく微笑んでいる。


 そう、今日は気障な伯爵と食事をするのがメインではない。

 彼が領地に新しく立派な美術館を建設したということで、私はセレモニーに出席することになったのだ。

 そのため今日は朝から飛行船で迎えに来た伯爵とともに、優雅に食事をしながら伯爵領まで空の旅路の途中、というところだ。


 窓から外を見れば、どこまでも広がる青い空に白い雲。そして大きな鳥――飛竜ひりゅうが護衛を乗せて気持ちよさそうに飛んでいる。


 この飛竜、竜とは言うものの見た目は三メートル近い大きな鳥で、羽もあればくちばしもある。

 この国、というか世界には幅広く分布していて、住んでいる地域ごとに様々な種類や性格の飛竜が存在している。


 そしてどの地域の飛竜にも共通していることは、人間との密接な繋がりだ。

 古くから飛竜は人と共存して暮らし、人は飛竜に乗り遠くの地域まで移動、物資の運搬を行い、飛竜は人と暮らすことで安定的な食糧と繁栄を得ているのだ。


 ――この景色にも、もう慣れたものだなぁ。

 羽ばたく飛竜を見ていると思わず感慨深くなることが多々ある。

 初めて飛竜を見たのはこの世界に生まれたばかりの頃で、薄ぼんやりとした意識の中、前世との決定的な違いに驚いたものだ。


 昔を思い出しながらぼうっと外を見ていると、そんな私を見て伯爵はまた面白そうに笑った。


「今日の貴方は心ここにあらず、といった感じですね。外に何かありますか?」

「えっ、あ……今日は随分と護衛が多いな、と思いまして……」


 まさか前世を思い出してました、なんてとても言えない。慌てて誤魔化そうとふと思ったことを口に出したが、そういえばやけに多いなと不思議に思う。


「王都からウォルフス伯爵の領地まではそこまで遠くないですし、ここは空賊の出ない安全ルートですから、ここまで厳重じゃなくても良かったのでは、と……」


 この世界には飛竜のほかに、空賊という人達がいる。悪い事を考える人はどこにでもいるもので、飛竜に乗って強奪行為を行う人達の事を指すのだ。

 一般的に空を交通経路として使うのは貴族や商人、遠方に行く人なので、お金や物を余分に持っている。そんな人達の飛行船や飛竜乗りを襲って金品や物を強奪、酷い場合だと人を攫ったりするのだ。


 だから安全に空を使うには空賊と同じく飛竜に乗っている護衛が必要……なのだけど、王都や街に近いところだと空にも飛竜に乗った軍や警察が常駐しているし、パトロールも行っている。だから空賊も滅多に近寄らない。


 特に王都からウォルフス伯爵の領地までは比較的近く、商人や市民の往来も多い。その分警戒も厳重で、このルートは護衛が無くても往来が安心とまで言われている。


 そんなルートを通るにしては、護衛が多すぎるような……?

 だが伯爵はそうは思っていないようで、何をおっしゃいます、と首を振った。


「私だけならまだしも、今日は貴方も乗っているのですから、護衛が多いに越したことはありませんよ」

「……ええ、そうですね」


 王女に何かあれば国の一大事だものね。厳重にもなるか。

 そんなものかと納得してまた外を見れば、先ほどの護衛と飛竜はいなくなっていた。

 周りの警戒に行ったのかな。そろそろ森や草原だけでなく、街が見えてくる頃だろうし。


「もうそろそろでっ……、」


 不意に、くらりと目眩がした。頭を支えるように手をやれば、伯爵が心配そうに声をかけてくる。


「王女? ご気分が?」

「申し訳ありません……目眩が、」


 心配をかけないようにと微笑むが、目眩だけじゃない。先ほどからやけに頭がぼうっとして、体がだるく、眠いのだ。


「成人したばかりの貴方には、このワインは少し度がきつ過ぎましたかね……」


 酔ったと思ったのだろう。大臣がくるりと手元のワイングラスを回す。

 この国の成人は十八からで、お酒が飲めるようになるのもその年齢だ。私はつい先月に成人したばかりである。そのため確かにお酒は飲みなれていないが、まだワイングラスを一杯も空けていない。私はそんなにお酒に弱いのだろうか……?


「さぁ王女、お水を」


 メイドに入れさせたのだろう、いつの間にか伯爵は水の入ったコップを私に差し出していた。


「ありがとうございます……」


 伯爵から受け取って、水を飲む。と、その時、外から護衛の叫び声が聞こえた。


「空賊だぁ!」


 外からの声に何が起きたのか分からず一瞬にして静かになる。続いて銃声が聞こえ、途端に船内が恐怖と混乱で慌ただしく動き出した。


「何だ!」

「きゃあ!」


 混乱する船内と、外から聞こえる銃声。うるさい程にそこかしこで音がなっているはずなのに、私にはまるで膜でも張ったかのように音が遠い。頭がぼんやりとして、体が動かない。


「王女、アナスタシア王女! 隠れて下さい! 早く!」


 伯爵が私の腕を掴み、立たせようとする。

 立たなきゃ、逃げなきゃ。そうは思っても体は思うように動かず、伯爵に支えられながらようやく立ち上がる。

 ――でも、遅かったようだった。


「よぉ、邪魔するぜぇ」


 突然扉が蹴破られ、船内に銃を持った男が入って来る。メイド達の悲鳴、護衛の怒号。それらを煩わしそうに見回した後、私に目を留めてにやりと笑った。


「御機嫌よう、王女サマ」


 そこで、私の意識は途切れた。

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