第2話 人を救える力

 



 私の数メートル向こうには、ゾンビに襲われる女の子がいる。


 自分の身体能力で間に合う距離じゃない。


 けど今は違う。


 まるで自分のものではないかのように体が軽く、素早い動きで私は距離を詰めた。


 地面を蹴る感覚が確かにある。


 風を切る感触もある。


 夢なのか現実なのか、境界はますます曖昧になっていく。


 その間に、私が握るナイフの柄の感触も変わっていた。


 ちらりと視線を向けると、血に汚れた銀色の刃が、まるで液体のようにぐねぐねと動いている。


 はは、さすがにこれは夢だ。


 そうわかってしまったから、どうせ覚めるのなら――と、私は存分に調子に乗ることにした。


 まるでヒーローみたいな振る舞いでもしてみようか、と。


 少女に覆いかぶさり、噛みつこうとするゾンビ。


 私はそいつに飛びかかり、握ったナイフで首を斬りつけた。




「てやあぁぁあッ!」




 すとん、と――想像よりも何倍も軽く、形を変えた刃はゾンビの首を“通り過ぎた”。


 ……斬れたの?


 自分でもそう疑うほど、軽い感覚。


 だが時間差で断面がずるりとずれ、首が地面に落ちた。


 そして再びスマホから声が聞こえてくる。




『モンスター『ゾンビ』を殺害しました。おめでとうございます、レベルが2に上がりました!』




 またレベルアップ。


 順調で何より。




「ぁ……」




 少女の目線が、転がる生首を追う。


 ゾンビの体は崩れ落ち、傷口からどろりとした血液が濁濁と流れだす。


 腐敗した肉と、淀んだ血が混ざった匂いがして、少し気分が悪くなる。


 少女はしばらく放心状態で、倒れたゾンビを前に固まっていたが、ふいに瞳から涙がこぼれる。


 それをきっかけに、堰を切ったように声をあげた。




「あ……あぁ、ああぁ……っ、うあぁぁああああっ!」




 そして泣き叫びながら、なんと私に抱きついてくる。


 受け止める準備が出来ていなかった私は、「うわ、わっ」と情けない声を上げながらふらふらと後退し、背中から壁にぶつかった。




「う、ううぅぅ……こわかった、こわかったあぁ……っ」




 そのまま女の子は私のお腹に顔を埋めて泣き始めてしまった。


 そこも集堂くんの血で汚れてるのに。


 こういうときどうしていいのかさっぱりわからない。


 私はゾンビを仕留めたナイフを握ったまま硬直していた。


 あ、そういやナイフ……さっき形が変わってたのなんなんだろう。


 抱きつかれたまま視線を向けると、そこには禍々しく歪曲したナイフの刃があった。


 柄の部分も、元々の地味な黒色ではなく、濃い青や紫のような、邪悪さを思わせる色に変わっている。


 というか、そもそもナイフのサイズ自体が数倍に大きくなっており、護身用と言う名目でごまかせる代物では無くなっていた。


 胸に感じる重みと、手に握ったナイフの感触――おかしいな、夢にしては生々しいし、何よりなかなか終わらない。




「あの……」




 私が頭に疑問符を浮かべていると、女の子が顔を上げた。


 愛嬌のある、いかにも人に好かれそうな可愛らしい顔だった。


 こんな泣き顔を男に見せたら、いちころで落ちちゃうんだろうな。


 長い髪は金色に染まってるし、どうも私と縁がないタイプの、光の当たる場所で生きてる人間みたいだ。




「ありがとう。あなたがいなかったら、あたし、あたし……っ」


「べ、別に……たまたま、近くにいただけだから」


「ううん、あの化物を簡単に倒しちゃうなんて、ほんとすごいよ! その、つい助けてって言っちゃったけど、本当に助けてくれるなんて……びっくりしちゃった」


「それは私もびっくりしてる」


「へ?」


「あ……いや、そんな運動神経いい方じゃないから……」


「そんなことないよ! 漫画みたいでかっこよかった!」




 彼女は私の両手を握って褒め称える。


 すると、握られたナイフを見て彼女はぎょっとした。




「わっ、何このナイフ」


「さあ……気づいたら持ってたから。その、体が軽くなったのもついさっきで」


「急に強くなったってこと?」


「なの、かな……わかんない。私も、ぜんぜん」




 嘘はついていない。


 原因がおそらく集堂くんを殺したことだとしても、その確証はないのだから。




「そっか……不思議なことは他にも起きてるし、そういうこともあるのかも。それに、すごいってことに変わりはないし!」




 彼女は再び手をぎゅっと握り直す。


 その前向きな考え方がまぶしすぎて、私は思わず目を細めた。




「ぁ……うん……」


「でもまだ安心できないかも。化物は他にもいるみたいなんだよね」


「化物……さっきの何だったの?」


「え、知らないの?」




 血まみれなのに? と言わんばかりの顔。


 血だらけということは、あの化物と戦っているはず――彼女はそう思ったのかもしれない。


 夢だから返り血に誰も突っ込まないという、ご都合主義というわけではないらしい。




「あたしも全部を知ってるわけじゃないよ。でも一階で授業を受けてたら、いきなり教室に化物が入ってきて、人を襲いはじめたの。みんな大騒ぎして逃げ出したんだけど、廊下にも化物はいっぱいいて、気づいたらみんなとははぐれてて……」




 彼女は地面に倒れる死体をちらりと見ると、苦しげに目をギュッと閉じて唇を噛んだ。


 顔がさっと青ざめ、再び私の胸に顔を埋める。


 はぐれた、ということは、ゾンビに殺された女子生徒は彼女の知り合いではないようだが――人が死ねば、こういう反応をするのは普通のこと。


 相変わらず私の手は手持ち無沙汰で、でもさすがに何もしないのは良くないかな、と思ったので左手で彼女の背中をぽんぽんと撫でる。


 すると体から力を抜け、同時に先ほどよりも私にかかる重みが増した。




「うぅ、ごめんね……会ったばっかりなのに、抱きついたりして」


「いや、あの、別にいいけど……えっと……」




 こういうとき、相手を傷つけない言葉を返すのって難しいなあ。


 思ったように言葉が浮かばずに口ごもってしまう。


 すると、ふいに近くの教室の扉が開いた。


 授業をしていた教師が顔を出す。




「おいうるさいぞ、授業中に何をして――」




 彼の言葉は、床に倒れる2つの死体を見た途端に止まった。


 みるみるうちに顔が青ざめ、口がパクパクと開閉する。


 面倒なことになりそうな予感がしたので、私は彼女を連れて階段のほうに移動する。


 ちょうど壁があり、教室から見えなくなる位置だ。


 移動した直後、教師の「し、死体っ、あうわあぁぁあっ!」という情けない叫び声が聞こえてきた。


 さらに少し遅れて、窓際の生徒たちが顔を出し、彼らのざわめきが廊下に反響する。




「一階にいる人しかまだ気づいてないから……先にみんなに知らせないとっ!」


「まずは一階の様子を見てからでいいんじゃないかな? 私だって全然状況が飲み込めないから」


「そっか、それがいい……かも。あ、そういや自己紹介まだだった。あたし、“れあ”って言うの」


「れあ? 名前?」


「そう、仰木おおぎ令愛れあ




 仰木、かぁ。


 それにしてもれあって、珍しい名前。




「そっか……仰木さん、かぁ。よろしく」


「令愛でいいよ。呼び捨てでね」




 う、距離の詰め方が慣れてる人のやつだ。




「令愛……」


「うんうん」


「さん」


「……」




 あ、気まずい空気。




「ご、ごめん、呼び捨てとか慣れて無くて……えっと……」


「いいよ、無理しないで」


「あ、待って。れ、れ……っ、令愛! 令愛……これでいい?」


「へへ……うん、大満足」




 私が勇気を振り絞ると、令愛はわずかに微笑んだ。


 泣き顔よりかわいいな……てか私、何を必死になってんだか。


 あー、顔が熱い。




「あなたの名前は?」


「私は、倉金依里花」


「よろしくね、依里花」


「う、うん」




 躊躇なく呼び捨て、圧倒的力の差を感じる。


 私の場合、数少ない過去の友達でもちゃん付けだったからな。


 まあ、どうせ短い付き合いだろうから深く考えないでいいか。




「じゃあ依里花、行こっか。と言っても、あたしは守ってもらう側だけど」


「ま、守るなんて……そんな大したことは」




 守る。


 守るかぁ。


 はは、私が誰かを守るなんて。


 基本的に存在そのものがゴミみたいなもので、いるだけで周囲に害を与える無能だったのに。


 死ぬまでの間にこんなことがあるなんて、生きてみるもんだね。


 いや、この場合は殺してみるもんだ、って言うべきかな。


 私はちょっとにやけながら、階段を降りる。


 令愛はすぐ後ろに、くっつくぐらいの距離でついてくる。




「化物が増えてないといいんだけど」


「見た目……映画とかに出てくる、ゾンビみたいだったね」


「うん、でもあいつだけじゃない。逃げてる間に、他のも見かけたの。小人みたいなやつとか、犬みたいなやつも」


「一種類じゃないんだ」


「数もわからないし、外に出て状況が良くなるかもわかんないんだよね。建物の中より外の方が危険だったらどうしよう」




 私は踊り場の窓から外を見た。


 校舎裏の景色は普段と変わらず、住宅が並ぶ平凡な光景が広がっている。




「見た限りは外のほうが安全そうだよ」


「そうだね……とりあえず行ってみないとわかんないか」




 私が先行する形で、私は一階への階段を降りる。


 やけに静まり返った二階とは対照的に、一階に近づくにつれて騒がしい声が聞こえてきた。


 学校で何が起きて、この先どうなるのかはわからない。


 ただ、わかったことがある。


 どうもこれは、夢じゃないっぽい。


 そしてこれが夢じゃないってことは――私に運が回ってきた・・・・・・・ということ。


 集堂くんを殺したのに、有耶無耶にできてしまいそうなほどのラッキーが起きている。


 私だけが化物と戦う力を持ってて、誰かに頼りにされるっていう、天変地異が起きそうなほどのラッキーが舞い降りている!


 こんなに“都合のいいこと”は、人生で初めてで――何かが変わる、そんな予感が確信に変わりつつあった。



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