第3章「ギリシャ編」

(1)キオス島のアレックスじいちゃん

 トルコ西端の港町チェシュメを出港した船は30分ほど航海し、午後4時前にギリシャのキオス島に到着した。


 船を降りると、すぐ目の前にギリシャに入国するための検査所がある。いくつか質問されることを想定していたのだが、パスポートを見た検査官の男性はちらりと私の顔を見ただけでポンと入国のスタンプを押した。海路での国境越えは初めてだったが、なんともあっけなく終わった。


 港を出ると、海沿いに道が続いている。私は道沿いのカフェや売店を冷やかしながら歩いていった。


 ギリシャ語の表記を見たり、周りで交わされるギリシャ語の会話に耳をそばだてていると、本当に違う国に来たんだな、という実感が湧いてくる。たった30分海を渡っただけで環境がガラリと変わるのが不思議に感じられた。


 文字や言葉に並んで旅人にとって大きな変化は通貨である。今まではトルコリラで支払いをしてきたが、ここからはついにユーロが支配する世界に入っていく。


 この時、1ユーロは大体140円台後半を推移していた。8年前にヨーロッパを旅した時は120円台だったと記憶しているから、随分円の価値は下がってしまったものである。つまり、ここから先はより節約を心がけなくてはならないということだった。


 街中に入ると、私はまず安宿探しを始めた。しかし歩けども歩けども「HOTEL」の文字は見つからない。裏道に何本か入ってようやく見つけたのは、見るからに清潔で高級そうなホテルだった。明らかに私のような格安旅行者が気軽に入れるようなホテルではない。しかし、他にあてもないのでとりあえす入ってみることにした。


 受付の青年を見つけて「部屋はありますか?」と尋ねると、予想外の答えが返ってきた。


「今日はもう空き部屋はないんだ」


 全ての部屋が「フル」なのだという。その答えを聞いて、私は唖然とした。バカンスシーズンを外したつもりだったが、まだまだ観光客はギリシャに残っているのか。


「では、近くに別のホテルはありませんか?」


 私が尋ねると、青年は受付に置いてあった地図を取り出しペンで印を付けていった。


「ここが今いる場所。この道をずっと行くと、Dianaというホテルがある。途中で左に曲がったところにはPelineomというホテルもある。ここに行ってみるといいよ」


 とても親切な対応だった。私は何度も感謝をすると、もらった地図を手に再び歩き出した。


 2軒もあてがあるなら、どちらかは空いているだろう。そう楽観的に考えていたのだが、私の予想は外れる。次に入ったPelineomも「フル」、さらにその次に入ったDianaにも空き部屋はなかったのだ。


 私が途方に暮れていると、Dianaの主人が地図を指差し「ここにアレックスという宿がある。そこならば部屋はあるはずだ」と教えてくれた。

 指定された地点を目指して歩きながら、内心なんだか楽しくなってきた。すぐに目的の場所に到着してもつまらない。やはり人に尋ね歩いてこそ旅なんだ、と。


 見つけた『ROOMS ALEX』はホテルというより民宿のような宿だった。入り口はしまっており、呼び鈴を鳴らすと高齢の女性が扉を開けてくれた。


 女性は宿の主人の奥さん、つまり女将さんだった。宿代を尋ねると、1泊40ユーロだという。日本円では6000円、トルコリラでは75リラだ。

 トルコではシングルルームの相場が大体30リラだったことを考えると、大出費だ。しかし、これ以上宿探しをする気にもならなかったので、ここに泊まることに決める。


 部屋はダブルベッドとシングルベッドが一つずつあり広々としている。もしも3人でこの部屋に泊まったなら、1人あたりたったの13ユーロだったろう。一人旅はこういう場面で余計に出費が増えていく。


 女将さんから鍵を受け取ると、街に出て夕食を取ることにした。海沿いのレストランに入ると、タコのグリルとマグロの塩漬けをそれぞれハーフサイズで注文し、ビールも飲んだ。ギリシャ上陸の記念に少し贅沢をしたのだ。


 久々に味わうシーフード料理に私は夢中になった。タコのグリルは柔らかくて口の中で溶けていくようだった。マグロの塩漬けは思っていたよりしょっぱかったが、パンに挟んで食べるとちょうどいい塩加減になった。


 ビールをお代わりし、合計の支払いは20ユーロとなった。

 フェリーで20ユーロ

 宿代で40ユーロ

 夕食で20ユーロ


 この日の出費は合計で80ユーロ、つまり約12000円。トルコでの1日の平均予算の2倍以上かかってしまった。


 ——こんな生活を続けていたら、すぐ干上がってしまうな。


 私は食事に満足しつつも、この先の旅路に不安を感じるのだった。



      *  *  *



 翌朝。


 午前7時に近くの教会で鐘の音が鳴っているのを聞いて、自分がギリシャにいることを思い出した。


 トルコでは、早朝の祈りへの参加を呼びかける放送を聞いて目を覚ましていた。国をまたぐ旅は文化の違いを味わえるから面白い。


 宿のラウンジに行くと、席に老人が座っていた。老人は私の姿を見ると「日本人か」と尋ねてくる。私が「そうです」と答えると、老人は笑顔になって「オハヨウゴザイマス」と日本語で挨拶をしてくれた。


 老人はこのホテル『ROOMS ALEX』のオーナーであるアレックスさんだった。ゆるゆるの白シャツにジーンズという姿で、首には十字架のネックレスが下がっている。かなりの高齢らしいことはわかるのだが、逞しい肉体をしていた。


「私は昔、船乗りをしていてね。日本には何回も行ったことがある。コーベ、シモノセキ、ヨコハマ……ヨコハマではアケボノチョウに滞在していた」


 アレックスさんはかつての記憶を思い出すかのように日本の港町の地名をいくつか挙げていった。


 日本に行ったことのある元船乗りに話しかけられるのは“ギリシャあるある”だと聞いたことがあるが、早速出会ったことに私は嬉しくなった。


 正面の席に座ってアレックスさんと話していると、女将さんがコーヒーとパンを持ってきてくれた。コーヒーはドロッとしたギリシャコーヒーだった。粉が直接カップに入っていて、少し待ってから上澄みをすすっていく。トルココーヒーに近いが、何が違うのかいまいち分からなかった。


 私が「センキュー」と伝えると女将さんは首を振って「エフカリスト」と訂正してきた。ギリシャ語での「ありがとう」を教えてくれたらしい。私が慣れない発音で「エフカリスト」と言い直すと、にっこり笑って厨房に戻っていった。


 アレックスさんの話は聞き取ることができる部分とできない部分があったが、概ね理解することができた。


 キオス島生まれのキオス島育ちで、現在83歳。10代の頃に船に乗り始め、31年間船乗りをした。船を降りた後にホテルを開いて、もう33年になるという。


 私が「ギリシャでは日本に行ったことのある船乗りによく会うと聞いたことがあります」と話すと、アレックスさんは「そうだろう。特にキオス島は人口の65%が船乗りだからね。日本のことを知っている人は多いよ」と答えた。


 人口の65%というやけに具体的な数字が出たことに驚いたが、船乗りをしていた期間やホテルの操業期間を正確に話していたあたり、数字をきちっと答える性格なのかもしれない。


「日本にはハセガワという親友がいた。もう亡くなってしまったが、彼のことはずっと記憶に残っている。忘れたことはない」


 そう語るアレックスさんはなんだか悲しげだった。そこにはもしかしたら若い頃への憧憬が含まれていたのかもしれない。船乗りとして、世界を旅していた青春の時代への。


 私が「また日本に行ってみたいですか?」と尋ねると、アレックスさんは「もちろん」と頷く。その後で「ただ、もう行くことはできないだろうね。私もずいぶん歳を取ってしまったから」と付け加えた。


「80の国と150の港に行った。今はもうどこにも行けないけれどいいんだ。私には“グッドメモリー”があるからね」


 そう言って、元船乗りの老人は自分の頭を指差して笑った。


 私はアレックスさんと部屋に戻った後も、彼が語った“グッドメモリー”という言葉が頭に残っていた。

 いい言葉だな、と思った。それは旅を回顧するのにふさわしい表現だと感じられた。


 私にもいつか、旅を終える時が来る。その時に私は悔いなく日常に戻ることができるだろうか。それとも自分の不自由を嘆くのだろうか。先ほど話した老人は、旅を終えた者として理想の姿のように思えたのだった。

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