(5)プディング・ショップ

 かつて、世界を旅するヒッピーや貧乏旅行者の間で語り継がれた、伝説とも言うべき店がイスタンブールにはあった。


 いわく、あそこに行けば何でも手に入る。

 いわく、あそこに寄ればどんな情報も手に入る。

 いわく、そこで待っていれば誰にでも会える……。


 その店の名前は『プディング・ショップ』。


 ヨーロッパからアジアを目指す者と、アジアからヨーロッパへ目指す者が交わるイスタンブールで、貧乏旅行者たちはプディング・ショップにたむろしてそれぞれが通った土地の情報を交換したり、同じ目的地に向かう同行者を募ったりしていたという。


 さて、文頭では「イスタンブールにはあった」と書いたが、正確には「イスタンブールにはある」と表現した方が正しい。

 驚くことに、その店は今も同じ場所で営業を続けているのだ——


 私がプディング・ショップを訪れたのは、イスタンブールに到着した初日だった。ブルーモスクのある広場からほど近い場所と聞いていたが、西側の大通りに出てすぐ目の前に赤文字で書かれた看板はあった。


 ——これが“あの”プディング・ショップなのか?


 私は生きる伝説を目の前にして、少々拍子抜けをした。

 と言うのも、そこは一見して普通のレストランと何も変わらなかったからだ。店頭ではドネル・ケバブの肉が回転していて、店の親父が長包丁で削っている。店内では、身なりの綺麗な観光客たちが談笑しながら食事をしていた。


 今もヒッピーたちがたむろしているとはさすがに思っていなかったが、多少なりかつての文化が残っているのではないかと期待していたのだ。しかし、店の外から見る限りではその空気は感じられない。


 店の前にメニューが置いていたので読んでみると、どの料理も値段は100リラ(800円)を超えている。飲み物も付ければ1000円になり、東京で食事をするのと変わらない料金になる。

 少なくとも、私のような“貧乏旅行者”がふらっと入るような店ではなかった。


 ——時代は変わってしまった……


 いっちょまえに時代の流れを嘆きながら、私は食事をすることなくプディング・ショップを後にした。


 私が店を再訪したのは、それから数日後のことだった。


 イスタンブールでの過ごし方にリズムが生まれて、さてこれから何をしようと考えた時に引っかかっていたのがプディング・ショップだった。

 私がそこで食事をしなかったのは、一食に100リラ以上の金を払うことに躊躇したケチ心によるところが大きい。それを抜きにすれば、現代のプディング・ショップがどのような姿になっているのか興味はあった。


 思い切って店内に入ると、初老のウェイターが対応してくれた。私のみすぼらしい姿を見て何かを察したのか、壁にかかったボードを指差す。

 そこには多様な言葉で書き記された張り紙が所狭しと貼り付けられていた。


 ——ああ、これがそうなのか。


 プディング・ショップにはこのような逸話がある。

 店の壁は掲示板として使われ、旅人はそこに「カメラ売りたし」「バスの同乗者求む」といった張り紙を貼って情報を交換していたという。


 掲示板の機能はなくなったが、当時の張り紙を今も保存しているらしい。そこには「インドへ行こう!」「プディングショップからカトマンドゥへハシシの旅」といった仲間の募集から、店への感謝を綴った手紙もある。


 その掲示板に記された言葉の数々は、哀愁というか、過ぎ去った日々への憧憬というか、うまく表現できないが私をノスタルジックな気持ちにさせた。

 ここにあるのは、紛れもなくかつての旅人たちが残したメッセージなのだ。私が知らない時代を旅した、私の先達者たちの。

 内容はほとんど理解できなかったが、張り紙を見ているだけでヒッピーたちが集っていた時代の騒がしさが遠くから聞こえてくるようだった。


「私はずっとプディング・ショップに来てみたかったんですよ」


 自分でも思ってもいなかった言葉が口をついて出た。初老のウェイターは短く「ようこそ」とだけ答えた。


 席に着いた私は、ローストビーフを注文した。

 トルコ料理もメニューにある中で、なぜローストビーフを注文したのか。というのも、ヒッピーや貧乏旅行者たちは、この店ではもっぱら西欧風の料理を食べていたらしい。似たようなメニューを頼めば当時の味を自分も味わうことができるのではと考えたからだ。


 ただし値段は120リラ(約950円)とそこそこ高く、間違っても貧乏旅行者が頼むようなメニューではなくなっていたが。


 料理を待っている間に、店内をゆっくりと見回す余裕ができた。


 客層は私のようなバックパッカーもどきよりも、小ぎれいな身なりの観光客の姿が目立つ。プディング・ショップの名前に引かれて来たというよりも、単純に観光地のすぐ近くにあるレストランだから入ったように見える。


 テーブルには透明な板の下に各国の貨幣やコインが敷き詰められている。この店を訪れた旅人たちが記念に置いていったものだろう。あるいは、トルコの通貨を持ち合わせていないから自分の国の金で支払わせてくれ、というやり取りもあったかもしれない。


 店の壁にはヒッピーたちが店に集って過ごしている様子や、かつてのプディング・ショップ前の通りを写した白黒の写真が飾られていた。店の周辺は、常に混雑している今の状況からは考えられないほど閑散としている。観光地化が進む前のことだったのだろう。

 それにしても、写真に写るヒッピーたちは楽しそうに過ごしているように見える。


 プディング・ショップが店としてのあり方を変えたように、旅の形も時代とともに変わっていった。

 一番大きな変化は「情報」だろう。インターネットが普及したことにより、どこに宿があるのかどこに飲食店があるのか、その場所にはどうやって行くことができるのか、旅に必要な全ての情報がいつでもどこでも検索できるようになった。


 人についての情報もそうだ。かつては掲示板の張り紙でしていた旅仲間の募集も、SNSを駆使すれば簡単に付近を訪れている旅人を見つけて声をかけることができる。


 旅はより効率的に、よりスマートに“進化”した。


 しかし、それは一方である種の味気なさに繋がっていると言えなくもない。情報を得るために不可欠だった人と人との交流が、すっかり不要になったのだから。

 私もなるべく宿の予約はしない、観光地の下調べはしないなどの制限を自分にかけて不便さを楽しんでいる部分はあるのだが、道に迷った時やATMを探すなど時はついGoogleマップに頼ってしまう。横着せずに人に尋ねて回っていれば、そのやり取りから新しい交流が生まれたかもしれないのに。


 時代の流れを否定する気は全くない。私もその恩恵を享受している1人なのだから。

 しかし、プディング・ショップに残るかつての時代の残り香を感じると、もしもこの頃に生まれていたなら自分はどんな旅ができただろうと考えずにはいられない。


 正直に言うと、ほんのちょっぴり羨ましくあるのだ。


 初老のウエイターがローストビーフを運んできた。

 150gくらいの肉にハッシュドポテトが添えられた、いたって普通のローストビーフである。

 味も特に特徴はなく、おいしいかまずいかと問われれば「普通」と答えるしかない。むしろそこそこ高い値段を考えると、少々残念に思わなくもない。

 しかし淡白な味だからこそ、当時から大きくレシピは変化していないだろうと感じる。


 私は食事を済ませると、ウエイターに挨拶して店を出た。少し歩いてから振り返り、プディング・ショップの看板を見る。 


 店に入る前は「時代は変わってしまった」などと勝手に落胆していたのに、不思議と今は満足感を感じている。なんだかんだ言いつつも、“プディング・ショップを訪れた旅人”の1人になれたことが嬉しいのかもしれない。

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