第2章「トルコ編」

(1)青のイスタンブール

 カイロ国際空港を午前3時に出発した飛行機は、朝の6時半にイスタンブール空港に到着した。


 トルコの首都イスタンブールには2つの主要空港があり、私が降り立ったのは2019年に開設された新しい方の空港だった。

 オープンして数年しか経過していないためか、小綺麗な内装をしている。しかし、私はとにかくベンチを見つけてもう一眠りしたかった。何しろ、この日は飛行機の中で2時間程度しか寝ていないのだ。


 昨日はとにかく移動をし続けた日だった。

 アブ・シンベルから4時間バスに揺られてアスワンに着くと、アスワン市内から空港へ移動。飛行機に乗ってカイロ国際空港まで行き、便を乗り換えてイスタンブールまで飛んできた。


 空港内をうろついた私は2人がけのベンチを見つけると、荷物を枕代わりにして仮眠を取った。よほど疲れていたらしく、一瞬で意識は闇の中に沈んでいく。

 目を覚ますと、時計は午前8時を回っていた。


 たった1時間の仮眠だったが、眠気はいくらか消えていた。私はバックパックを背負うと、入国ゲートへ向かう。


 ——さて、行きますか。


 新たな始まりを前にして、私は心の中で気合いを入れた。


 エジプトと同様、トルコも新型コロナウイルスに関する提出書類は一切必要がなかった。日本では何度目かの大流行が起きて感染者数の記録が塗り変わったというニュースを目にしていたので、この差はなんだろうと不思議に思った。

 空港内では50ユーロをトルコの貨幣であるトルコリラに両替した。円安の進行が騒がれている頃だったが、円と一緒に暴落を続けているのがトルコリラだ。この時のレートでは1トルコリラは7.5円。ざっくりと1リラ=8円ぐらいで考えるとよさそうだ。


 空港からイスタンブールの市内へは、バスで向かう。

 ターミナルを出るとエジプトのようにタクシー運転手が群がってくると予想していたのだが、特にそんなことは起きなかった。1人の運転手が控えめに話しかけてきたが、バスを利用する旨を伝えると「バス乗り場はエスカレーターに乗って二つ下に降りた場所だ」とあっさり乗り場を教えてくれた。

 これがエジプトでは「バスなんてものはない。タクシーで行け」と存在を消しにかかってくるので、その違いに面食らう。


 バス乗り場ではいくつかのバス会社の窓口があり、そこで向かいたい先を伝えて切符を買う。私が「ブルーモスク」と行き先を伝えると、券売所の青年は「12番乗り場で待っていてくれ」とバーコード付きの切符を発行した。


 料金は52トルコリラ。

 日本円では大体400円くらいだろうか。


 さすがにエジプトの「5.5ポンド」には及ばないが、十分安いことには変わりない。

 12番乗り場にやってきたバスに乗り込み、私はイスタンブールへと足を踏み入れたのだった。



     *  *  *



 20分ほど走行し、バスは停車する。バスを降りて真っ先に感じたのは「太陽の光が柔らかい」だった。


 気温を調べると29度。10時を過ぎれば40度を超えることが当たり前なエジプトからは実に10度の差があった。肌を焼くようだった強烈な太陽光も、優しく体を包む恵の光に変わっている。

 目的地であるブルーモスクまではバスを降りた場所から東に2キロほど歩かなくてはならないが、この気候なら問題はないだろう。


 街歩きを始めると、すぐに「イスタンブールでは移動に困ることはなさそうだな」と感じた。それだけ多彩な交通手段が用意されているのだ。


 バスが頻繁に行き来しているのはもちろん、街の中心部にはトラム(路面電車)が走り、地下にはメトロが敷かれている。さらに驚いたのは、電動スクーターが当たり前に普及していることだった。

 日本では一部の都市で実験的に公道を走ることが許されているが、イスタンブールはすでに全面的に許可されているらしい。電動スクーターに乗った若者がトラムと並走して道路を走る姿をよく見かけ、レンタルスポットもあちこちに設置されていた。


 よく見かけたと言えば、モスクもそうだ。旧市街地では立派なモスクがいくつも建っており、「おお、これがかのブルーモスクか」と感嘆したと思えば実は一般的なモスクだったという勘違いが2度起きるほどだった。


 しかし、“本物”を一度見てしまえば同じような勘違いをすることはなくなるだろう。

 広場から見上げたブルーモスクは、青空に溶け込むかのように堂々とそびえ立っていた。青のタイルで装飾されたドームが、白を基調とした建物との組み合わせで一層輝いて見える。周囲に立つ6本の尖塔(ミナレット)は、天に向けた巨大な槍のようにも思えた。


 ブルーモスクとはその特徴的なドームの色から付いた通称で、正式にはスルタン・アフメト・モスクという名前がある。現地でも「ブルーモスク」よりも「スルタン・アフメト」と言った方がすんなり通じることが多い。

 私がまずこの場所を目指したのは、旧市街地の中心部であり、周辺に宿が多くあると聞いていたからだ。


 ところが意外にも宿探しは難航した。

 前日の移動の疲れがあったので、ドミトリー(相部屋)ではなく個室を探していたのだが、なかなか空き部屋が見つからない。ちょうど季節は8月で、ヨーロッパのバカンスシーズンと被ってしまったのが原因らしい。

 ようやく探し当てても、料金は60ユーロとこちらの想定を上回ってくる。5軒尋ねて、ようやく35ユーロの部屋を見つけることができた。


 荷物を置いて部屋のベッドで仮眠を取った後、周辺の散策を始めた。宿探しの途中に坂の上から海が見えたので、まずはその方向へ向かう。


 石畳の道をしばらく歩いていくと、視界が開けて目の前に海が広がった。

 その海のなんと青いことか!


 エジプトでも水のある風景を毎日見てきたが、やはり川と海ではその内に抱える青さが違う。もちろん、どちらが良いというものではないが、私は久しぶりに見た海の青さにしばし心を奪われた。

 これがアジアとヨーロッパを隔てるというボスポラス海峡だろう。対岸に見えるのは、イスタンブールのアジア側の街並みだ。私は今、ヨーロッパからアジアの大地を望んでいるのだ。


 ——ここがユーラシア大陸の境目か……


 私が感慨に耽るのには、ある理由があった。

 今から約2年半前、私は飛行機を一切使わず陸路と海路だけでユーラシア大陸を一周して日本に帰ってくるという旅を計画していた。


 ルートはこうだ。

 山口県の下関市から船で韓国の釜山へ。そこからさらに船で中国の上海へ渡る。上海からは鉄道やバスで中国を横断し、中央アジアの国々を駆け抜け、イランを通ってトルコに入る。トルコから先は一つずつヨーロッパの国々を渡っていき、ポルトガルのロカ岬を“前半のゴール”とする。


 後半の旅では、ポルトガルから北東に移動していきバルト三国を抜けてロシアに入る。そして最後はモスクワからシベリア鉄道に乗ってウラジオストックまで行き、フェリーで北海道に帰ってくる。そんな壮大な計画を練っていた。


 だが、新型コロナウイルスの影響でアジアの国々は未だ入国制限を設けている国が多く、ロシアもウクライナへの侵攻を始めて非常にきな臭い場所となってしまった。私の計画は、ほぼ実現不可能な文字通りの“夢の旅”となったのだ。


 もし私がユーラシア大陸の前半を旅してこの場所へ来ていたのなら、ヨーロッパとの境界線であるボスポラス海峡もまた違った目で見えたことだろう。

 だが、実現できなかったことは仕方がない。もう少し世界が落ち着いたなら、またこの境界線の向こう側を旅すればいいのだ。


 旅と旅の間に優劣はない。

 例えば一泊二日の温泉旅行も世界一周の冒険も、どちらが優れてどちらが劣っているということはなく、あるのは「どこで何を感じたか」という違いだけだ。

 だから、この旅も「計画の4分の1」ではなく「今しかできない旅」なのだ。


 現に、私がイスタンブールの“青さ”をこれほど強烈に感じているのは、エジプトを旅した後にこの場所へ来たからだろう。

 この感動は、今の自分だけのものだ。

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