#4:少女たちの考え

「さて、それで事態を整理するんだが」

 引き続き、懲罰房の中において。俺は少女と相対していた。俺の後ろでは門倉がどことなく落ち着きなさそうにしているのが、衣擦れの音で分かった。

「芦原はぱっと見では自殺らしく見える死に方をしていた。おおよそ自殺だろうという予測を立てて問題ないと思う。ただやはり他殺の線でも捜査されるだろうし、そうなれば身元引受にも手間がかかる。さらに問題なのは……」

 問題。おそらく自殺だろうし、そう処理されるはずのこの事件をひとつ面倒にしていること。それが彼女だ。彼女が面会室に赴いた際、発見したはずの死体に対し何らリアクションをしなかったこと。これが「ひょっとして彼女が殺したのでは?」という疑念を抱かせる要因になっている。

 仮に彼女が殺したにしたって死体に対し無反応なのはやはり不自然なのだが。そして周辺を調べれば、結局自殺でしたということで結審する可能性はかなり高い。とはいえ、そこまで捜査に付き合う義理もないのは確かだ。可能な限り本件が自殺であるという結論に道筋を立てておくのがいいだろう。

「ところで門倉さん、警察はもう来ましたか?」

「いや……来てないみたいです」

 門倉が答える。警察がまだとは、ずいぶん遅いな。

「樺太の警察はルーズなんですか?」

「いえ……。樺太の警察関係は北海道警察の樺太分署と国防陸軍樺太方面隊のMPの二重行政状態でして……。ひょっとしたらどっちが捜査するのかで揉めているのかもしれませんね。事件自体は警察の領分ですが、収容所は民間委託しているとはいえ軍の管轄ですし」

 くだらない縄張り争いだが、それでもこちらに捜査の時間ができるのは幸運なことだ。

「ともかくそういうわけで、俺は君にかかった嫌疑を僅かですら残しておくつもりはない。捜査に協力してくれるか?」

「はい、ご命令とあらば」

 少女は慇懃に答える。命令ではないんだが……今はとやかく言っている時間はない。

「じゃあ聞くが、君は芦原――あの死んでいた男をいつ目撃した?」

「わたしが面会室に入ったときには既に机に突っ伏して倒れていました」

「死んでいると気づいていた?」

「はい。こめかみから血を流し、銃を手にしていたので死んでいたと把握しております」

「なぜそれを誰かに伝えなかったんだ?」

「命令は『面会室で待て』とのことでしたので」

 門倉がため息を吐く。

「なんでそうなるんだ…………」

 俺はそれを無視した。

「面会室に連れて行ったのは?」

「この収容所の看守です」

「ひとりだった?」

「ひとりでわたしを面会室まで連れて行きました」

「その看守は面会室には入った?」

「いえ。面会室の前で止まりました」

「なるほど。よく分かった」

 想像はしていたが、その通りだったな。もし彼女を連れてきた看守が面会室を覗いていたら、すぐに死体に気づいて騒ぎになっていただろう。面会室に入ったのは彼女だけで、彼女を連れてきた看守は肝心の面会室前で止まって中を確認せず、ただ「そこに入って待て」と指示を出した。ゆえに彼女は愚直に指示に従ったと。そういう流れのようだ。

 そして時系列もこれではっきりした。まず芦原が面会室に入り拳銃で死亡。その後に彼女が入り死体を目撃するが誰にも報告しない。そして最後に俺と門倉が入って事態に気づいたという流れに間違いないようだ。

 まあ、この一連の流れは監視カメラの映像を確認すれば分かるんだがな。警察でもないのに見せてとはなかなか言い辛いし、当人の証言ではっきりしたのは助かる。

「これは自殺かな」

「信じるんですか?」

 門倉が問いただす。

「死体を目撃したのに報告しないなんて不自然でしょう。彼女が殺して嘘をついているんじゃ……」

「仮に彼女が殺したとして死体の存在を報告せず、その場でじっとしているのもそれはそれで不自然ですよ。今回の件に関しては、彼女の行動はどうしたって不自然なんです。少なくとも、俺たちの常識の範疇では……」

「…………?」

 門倉は俺の言っていることが分からなかったらしいが、いくら非正規雇用でも収容所のスタッフなのだから、そこは推察がついてほしいところだった。

 彼女は何者か。

 なぜ収容所にいるのか。

 それを考えれば、不自然な行動もある程度許容できる。

 少なくとも疑義を挟む理由にはならないくらいには。

「問題はこの自殺説を説得力ある形で他人に説明することだ。真実は追及するよりも説明する方が難しい。……君、銃については詳しいか?」

「大尉から指導を受けています」

 レオンから……なら不足はないな。

「確認を取りたいことがある。現場検証に付き合ってくれ」

「了解しました」

 と、そこで。

 門倉の無線に連絡が入る。

「もしもし……はい? 芦原さんの娘さんが来た? え、誰か彼の死を伝えたんですか? 伝えてない……忘れ物を届けに!? なんて間の悪い……」

 おやおや、奇妙なこともあるものだな。

「とりあえずエントランスで待たせて……。はい、はい」

 無線が切れる。さて……。

「芦原さんの娘さんが来たんですか?」

「はい。どうしたものか……」

「まさか父親の死を隠すわけにはいかないでしょう。まあお任せください。俺は探偵の資格を得るにあたり、この手の状況に対する演習を受けているので」

「本当ですか?」

「ええ」

 嘘なんだが。警察でもないのに被害者の親族とそう簡単にコンタクトは取れまい。方便方便。

「俺から事情を伝えましょう。娘さんと会うことはできますか」

「はい。ではこちらに」

「……そういうことだ。少し待っていてくれ」

 俺は少女に伝える。彼女は敬礼で俺を送り出した。少しため息の出る対応だが、今はいい。

 門倉は無線で連絡を取りながら俺をエントランスに案内した。エントランスと表現しているが、一般企業のオフィスのように立派なものじゃない。要するに面会に来た人たちなどを一時留め置くための場所なので、施設を入ってすぐそこにベンチがある、くらいのものだった。

 で、肝心の娘さんは俺が到着したころにはもう泣きじゃくっていた。誰かが先んじて父親の死を伝えてしまったらしい。さて……面倒が増えたな。

「ここからは俺が。門倉さんは懲罰房のあの子を面会室に連れて行っておいてください」

「分かりました……」

 そそくさと門倉は去っていく。エントランスには他に人がいない。扉の向こう側には歩哨が立っているだろうが、こちらからは見えないしおそらく会話も聞こえないだろう。これなら問題はないな。

「失礼。芦原さんの娘さんでいいかな?」

 とりあえず声をかける。なまじ赤の他人で一般人な分、あの子に対するよりはやりやすい。

「……はい?」

 娘さんが顔を上げる。年のころは十代半ばから後半。あの子と同い年くらいか。かたや捕虜、かたや父が死亡。不幸の性質は違えど、平坦な人生ではないな。

「俺は探偵だ。君のお父さんの件について調査を依頼されていてね。今は辛いかもしれないが、大事なことだから少し話を聞かせてもらえないかな」

「……探偵、ですか?」

 探偵が珍しかったらしい。東京じゃそれなりに数がいるが、地方だとまだまだ少ないのだろうか。樺太だとさらにか。それにあの子が言っていたように、探偵とは言い条、その実態は小規模のPMCだ。こういう事件に出張ること自体が珍しい。

「そうなんだ。この収容所を運営している樺太警備局って大きなPMCがあるだろう。そこから依頼されてね。君のお父さんの件について、第三者の立場から調査をすることになったんだ」

 俺は彼女の隣に座りながらまくしたてる。まったくの嘘だ。これも方便。ピノキオなら鼻がどこまでも伸びているが、俺はあんな生意気な木偶の坊じゃないので関係ない。

「分かりました。何を聞きたいんですか?」

「うん。君のお父さんは自殺らしい状態で発見されたんだが、そのことについて何か心当たりはないかな」

 本当はもっと周辺から少しずつ聞きたいのだが、どのみちもう父親の死を聞かされてショックを受けているのではな……。さっさと聞くこと聞いて終わらせる方が彼女も楽だろう。

「はい……。聞いてます。お父さん、自殺したかもって……。でも、おかしいです。ありえないんです」

「おかしい? 自殺する動機に心当たりがないってことかな?」

「それもあるんですけど……」

 娘さんは涙を拭い、真っ赤になった眼でこっちを見た。

「お父さん、明日一緒に買い物行くって。そう約束してたのに、自殺なんて……」

「………………そうか。明日予定がある。自殺する人間が明日の予定なんて入れない。そういうことだね」

「はい」

 言うべきことはあるが、言うべきときじゃない。

「お父さん。いつも忙しくしてて。久しぶりに休みが取れるからって……」

「いつも忙しい……。普段は何時くらいまで仕事してるの?」

「朝は六時には家を出て、帰ってくるのは十時くらいです」

 明らかに超過勤務だな。非正規雇用の立場ならそんなものか。俺もPJ社時代は忙しかったな……。あれで月給二十万届かないくらいだからやっていられない。

「君のお父さんはいつ樺太警備局に入ったの? PMCに入社したんだから、元は軍人さんだったのかな?」

「はい……一年前まで樺太方面隊にいました」

「へえ。じゃあ樺太紛争を戦ったのか。それはすごい」

「でも、戦争で足を怪我しちゃって……。軍を辞めてから今の仕事に……」

 ふむ……元軍人だが負傷退役。負傷しているからPMCも正規雇用で雇わず安く買い叩いたというところか。軍の年金も安いから娘を食わせるだけの額はないだろうし、樺太方面隊と樺太警備局はおそらくずぶずぶの関係だから、軍が仕事を斡旋した可能性もあるな。

 戦争を生き延びても戦後に自殺してるんじゃどうしようもない。

「……そういえば忘れ物を届けに来たと言っていたね。何を届けに来たの?」

「書類入れです。これ……」

 娘さんが鞄から出したのはクリアファイルだった。

「見せてもらっても?」

「はい……大丈夫だと思います」

 機密書類は……ないか。非正規雇用にそんな大事なものは見せないだろうし、クリアファイルに放り込むのは扱いとして雑だ。

「じゃあ……その前に」

 手袋を取り出してはめる。この書類も警察が後で調べるかもしれないから、指紋は残さないようにしておこう。

「その手首……」

 俺が手袋をはめるとき、彼女は俺の手首にある鎖の刺青に気づいたらしい。

「ああこれ」

 特に必要もないのに、見咎められたかのように俺は釈明をしていた。

「昔の傷を隠すために、ちょっとね。せっかくなんで好きなゲームのキャラクターと同じ刺青をしてみた。これだけ小さいと目立たないから銭湯に入るのも苦労しない」

「そう、なんですか」

「じゃあちょっとファイルを失礼」

 彼女からファイルを受け取り、中身を見る。中は雑多にいくつかの書類が入っているだけだ。特に芦原の自殺について関係する資料は……。

「これは……」

「給与明細だと思います」

「なるほど」

 開いて確認する。確かに給与明細だ。二月……先月の給料についての明細だな。手取りで十八万いくらか……手取り? 明らかに残業しているはずだが残業代は?

 見ていくと、残業時間は……二十時間。ああ、みなし残業制か。残業代が最初から給料に入ってるやつだな。だが娘さんの証言だと残業時間は月二十時間どころの騒ぎじゃないはずだが……。

 ふうん……。だいたい、芦原の状態は分かったな。

「何か分かりましたか?」

「ああ。よく分かった。参考になったよ」

 明細をファイルに戻し、彼女に返す。

「お父さん、誰に殺されたか分かりますか?」

「もちろん。おおよそ見当はついている。少し確認することがあるから、ここで待っていてくれないかな。きっとすぐに結果を伝えられると思うから」

「はい」

 俺は立ち上がり、そこで聞くべきことをひとつ思い出す

「そういえば君のお父さんが持っている銃だけど、何か知ってる?」

「銃ですか? ええ。あの銃はわたしがプレゼントしたんです」

「どこで買ったか覚えてる?」

「豊原にあるショッピングモールの銃砲店です。あの、樺太ウェ――なんでしたっけ、KWSってところがやっている店の」

「樺太ウェポンサービスかな」

「それです」

「分かった、ありがとう」

 俺はエントランスを後にした。さて……彼女を待たせるのを悪いし、樺太に長居するつもりはない。さっさと事を終わらせよう。

 面会室に戻ると、そこには門倉と少女が既にいた。

「所長代理」

 俺が入ってくるのを見ると、彼女はこちらを向いて敬礼する。いちいちどこか落ち着かないが、気にしてもいられない。

「門倉看守からおおむねの事情は通達されました。わたしは何を調べれば?」

「銃を見てほしい。俺は銃に詳しくない」

「了解しました」

 俺は自分の使っていた手袋を彼女に渡す。指紋を残すべきでないというのは彼女も理解しているのか、受け取った手袋をはめてから彼女は芦原の持っていた銃を検分する。

「これは、H&KUSPですね」

「そこまでは分かったんだが、それ以外がな。君はこの種類の銃を見たことがあるか?」

「実物は初めて見ました。と協力関係にあったPMCのオペレーターも、多くはグロックでしたので」

「どういう銃か分かりそうか?」

「問題ありません。資料で見たことはあるので」

 彼女はざっと全体に目を通す。

「この銃はヴァリアント6ですね」

「ヴァリアント?」

「はい。USPは機能の違いによって多くのバリエーションに分かれます。ダブルアクションオンリーかシングルアクション可能か。コントロールレバーはデコッキング機能があるかセイフティだけか、位置は銃の左右どちらか……などによって」

「するとヴァリアント6とは?」

「ダブルアクションオンリーのモデルになります。コントロールレバーは銃の右側面。セイフティのみの機能を有します。……死亡した人間は左利きなのでしょうか?」

「利き手が分かるのか?」

「銃の右側に配されたセイフティは、左手で持ったとき親指で操作するものです」

 実際に銃を左手に持って、彼女が実演してくれる。確かに、銃のレバーは彼女がグリップを握った左手の親指で操作できる位置にある。

 俺はちらりと、芦原の左手を見る。左手首には安物の腕時計が巻かれ、カチカチと未だに音を立てている。持ち主が死んだとしても、腕時計が寿命を迎えるわけではないからな。

「銃の口径はどうなっている?」

 俺は芦原の右手を確認しながら尋ねる。

「40口径です。銃のスライドに口径の刻印が記されています」

「USPってのは40口径もあるんだな」

「はい。9mm口径と40口径はスライドと一体になっている銃身とマガジンの交換で対応できるはずです。フレームは共用できます。45口径になるとそうもいきませんが」

「スライド……ああ、じゃあそのスライドが少し変なのは……」

「スライドは交換されています。ただ、純正品ではなくどこかの会社の改造パーツを利用しているようです。スライドにはKWSと書かれていますが、聞いたことのない会社です」

「それは分かる。樺太ウェポンサービスだ。俺も詳しくはないんだが、そういう会社があるのは知っている」

 芦原の右手を見る。右手の薬指から小指、そして手の側面が黒く汚れていた。これは……。

「KWS社は……」

 俺たちの知らないことは門倉が補足してくれる。

「元は北海道の零細ガンショップだったそうです。それが樺太で民間銃器市場が活発になったのに合わせて大きくなったとか。ほら……兵士が銃を鹵獲して持ち帰るとその銃の改造や点検が必要になるでしょう。そういう需要で大きくなった会社です」

「なるほど。芦原の娘さんもKWSの店で銃を買ったと言っていたな」

 続いて芦原の腰回りを触れて確認していく。その作業中に聞くべきことを聞いた。

「室内に40口径の空薬莢が落ちていたが、その銃から発射されたものか?」

「おそらくは」

 少女は銃からマガジンを取り出す。

「装弾数は十三発。一発分、マガジンに余裕があるのでこの銃から放たれたものかと」

「線条痕を確認できればいいんだがな」

 線条痕とは、銃から発射された弾丸に生じる線状の傷跡である。そもそも、弾丸をまっすぐ安定的に飛ばすには弾丸に回転を加えるのがいい。回転すると安定するというのは、コマ回しを見ればすぐ理解できるメカニズムだ。そのために銃身にはライフリングと呼ばれる螺旋状の溝が彫られており、ここを弾丸が通過すると回転が加わるようになっている。そしてその通過時、弾丸には線状の傷がつく。この傷跡は銃身ごとに決まったパターンを描き、傷跡とライフリングを照合すれば弾丸がどの銃から放たれたのか分かる。つまり線条痕とは銃の指紋のようなものなのだ。

「問題の弾丸はどこだろう」

「銃創は貫通していないので、頭部に残っているものと思われます。……銃創に火傷が見られます」

「そうか」

 左腰に違和感があった。服の裾をめくると、そこに空のホルスターがある。芦原は左腰に銃を帯びていたようだ。

 立ち上がる。少女は銃を元の位置に戻した。

「いかがでしょう。ミスター所長代理」

「ああ、だいたい分かったし、十分説得力のある話ができるだろう」

 すなわち。

 謎は解けた。

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