殿下の頼み事

 貧しいが、平穏な暮らし。ところがそんな日常を一変させる出来事は突然起きた。


 今日も、行き交う人々に声を掛けながら、花を差し出すシャーロット。道を行く一人の青年に声をかけようとした彼女はその顔を見て、「まずい!」と小さくつぶやき、すっとその青年から離れようとする。ところがその前に彼の方が、シャーロットの腕をつかみ声をかけてきた。


「そこのお嬢さん、ちょっと待ちなさい」

「いやよ、私はただの花売りよ。物乞いをしている訳じゃないわ」


 そう言って腕を振りほどくシャーロット。もともと強くつかんでいたわけではないようで腕は簡単に解ける。しかし、貴族的な見た目に反して、その青年は運動神経もまずまずなようで、大通りを駆け出した彼女にあっという間に追いついた。人をかき分けて走ったシャーロットに器用に追いついた青年に逃げるのを諦めた彼女は、もう一度腕をつかまれ、通りの端に引き寄せられると同時に、小さな声で青年に声をかける


「本来のあなたとしてお相手するべきかしら? それとももう少し無礼でも」


 その言葉にニヤリ、口角を上げた青年は


「私は無礼など気にしない」


 と小さくつぶやいてから、今度は通りの人々に聞こえるように


「逃げないでも良いだろうお嬢さん。何も捕まえようというわけではない」


 そう慇懃に話す青年の腕を再度振りほどいたシャーロットはさっと、エプロンの裾をつまみ、スカートの裾地面に広げて、膝を折る。近くの子供が「姫様のお辞儀だ」とつぶやいたが、角度としては、上位の貴族に対するお辞儀だ。


 そして、ゆっくりと元の体勢に戻ると、目の前の青年に目を合わせる。


「先程の無礼はどうぞお許しください。突然のことでおどろいたもので」

「構わない。こちらも少々強引だったことは認めよう。さて、それはそうと、我が主が君を屋敷に招待したい、と言っている。ついてくるな」


 口調は少々強引だが、そう言いながら腕を差し出す様は貴族の娘をエスコートするようだ。その様子にシャーロットは軽く微笑むと


「拒否は出来ませんのね。結構ですわ、ご案内くださる?」


 そう言うと、まるでそうされるのが当然、とでも言うように青年の腕をとり、彼についていく。と、そこへ大声がかけられた。


「まちなせぇ、兄貴。どこの貴族が知らないが、シャルは良い子だ。連れて行かれるような悪いことはしてねぇはずだ、何か勘違いだろ」


 そうだそうだ、という声があちこちからかかる。


 どうやら、突然身なりの良い男に捕まったことで、心配されているらしい。そんな彼らの声を嬉しく思いつつも、目の前の青年の身分を考えると、あまり突っかかってしまうとまずい。そう思ったシャーロットは振り返り、声を上げる。


「みんな、心配してくれてありがと。でも心配ないわ。少し私に用事があるらしいだけだわ」


 そう言って、今にも青年に飛びかかりそうな様子の男達を目で制すと、隣の青年と共に用意されていた馬車へ吸い込まれていった。


 彼らが馬車に乗り込むと、打ち合わせどおりなのだろう、すぐに滑るように馬車が動き出す。内装もそうだが、舗装の良くない市場の道を走っても全く揺れない。さすがは上流の馬車ね、と思いつつ、シャーロットは目の前の男を控えめに見上げる。すると彼の方から声をかけてきた。




「さて、聞きたいこともあるだろう。発言を許可する」

「よろしいので?」

「もちろんだ」


 そう言って青年はシャーロットを促し、それでは、と彼女も居住まいを正す。


「まずは数々の非礼をお詫び申し上げます、王太子殿下」


 すると、目の前の男、シャーロットが王太子、と呼びかけた彼は、一瞬言葉につまり、そして苦笑いをした。


「なんとなくそうだろう、と思っていたが……やはりバレていたか」

「殿下のご尊顔を覚えているいるのはエルドランドの国民として当然ですわ」

「だが、今日の私はお忍びだぞ」


 そうすました声で言うシャーロットだが、中流以上ならともかく市場で暮らす庶民ではせいぜいタブロイド紙に乗る絵姿が精一杯で、本物の王太子を見ても彼と気づかない者の方が多い。それも今日の彼は身元がバレないよう、魔法で姿を少し変化させている。それでよくわかったな、という彼に、シャーロットは答える。


「殿下が魔法が得意、という話は存じておりましたし、上流の皆様の噂話をつなぎ合わせれば、なんとなくのお姿は想像できます。完全に姿を替えられては難しかったでしょうが、今日のように、ある程度面影を残していらっしゃれば、殿下だと認識するのは造作もございません」

「なるほど、王太子というのも厄介な身分でな。気配まで完全に別人にすることもできる、というのにそれでは護衛まで撒いてしまう、と許可されない。それでこの程度の変化に抑えた、という訳だ」


 エルドランドには魔法を使える人々が存在する。その源泉となるのは生まれ持った魔力であり、その力は多少が何に起因するのかは未だ謎だ。ただ一つ確かなのは王族は皆その力を持ち、貴族にはある程度魔力を持つものがおり、そして庶民には魔法を使えるものはほとんどいない。それ故魔力は何らかの血筋によるものではないか、というのがもっぱらの見立てだ。


「それにしても、だ。先程市場で見せた礼といい、ここでの会話といい、噂に違わぬな。さすがはエルドランドのマイ・フェア・レディだ」

「お戯れを」

「戯れではない。事実そなたが令嬢のように着飾れば、誰もが生粋の上流階級だと信じるだろう。そしてそんなそなたの力を買って頼み事がある」


「頼み事」の一言にシャーロットは内心嫌な予感を覚える。もちろん表向きは顔に出さず、努めて冷静に王太子を見返す。


「拒否する権利はございますか」

「ないとは言わんが、話を聞いてからでも良いだろう。別にそなたにとって悪い話ではない」

「わかりました。では、どのような話にございますでしょうか」

「理解が良くて助かる。さて、お嬢さん、いやシャーロット嬢と呼ぶべきか、はシェリル王国について聞いたことはあるか?」

「えぇ、もちろん。内陸の小国ですが、その技術力には他を圧倒するものがあるとか。こんど我が国に第二王子がいらっしゃいますね」


 詰まることもなく、スラスラと言うシャーロットに王太子が嘆息する。


「よく知っているな。第二王子のことなど、市井の者は知らないと思っていたが。」

「上流の方を相手にするのなら、新聞に載っている情報くらいは知っているべきでしょう。主要な一流紙には目を通すようにしていますわ。まあ、拾い物ですから、必ず全て読めるわけでもないのですが」

「さすがは、マイ・フェア・レディといったところか。なら話は早い。シャーロット嬢なら今回の訪問が、我が王家の末の姫との顔合わせであることも察しているだろう」

「えぇ、一目おかれど、周囲は大国ばかりのシェリル王国にとって、その中でも特に大きなロンド帝国を挟んだ大国エルドランドとのつながりを欲しがることは容易に想像が付きます。末の姫君の成人に合わせたかのような訪問となればそういった事情があるだろう、とも思えます」

「その通りだ。我が国としてはシェリルは取るに足らない国だが、かといって、第二王子の人となりも見ずに話を蹴るほどどうでも良い国でもない。幸い末姫は婚約もしていないから、彼女が気に入れば、あるいはと思っていたのだが」


 と、ここで王太子が意味ありげに声を潜める。


「彼女が逃げた」

「はい?」

「こら、声が大きい。これは一流紙どころか貴族達も一部のものしか知らん。どこかに漏れればもちろん」

「そんな恐ろしい秘密を一介の娘に知らせないでください! 荷が重すぎます」


 シャーロットは思わず淑女の仮面も投げ捨てて王太子に詰め寄る。


「そう怒るな。そなたがそう言うと思って、こうして二人だけの場を作ったのだろう。この話をそなたが知っていることは私しか知らんし、公的にもそうなっている。この話をしなければこのあとの話が出来ないのだ」

「そ、そうですか。お見苦しい姿を」

「別に構わん。むしろそなたも人の子なんだと安心した。それで本題だが、どうやら末姫には秘めた恋人がいたらしくてな、それも結構な財産持ちらしく遠い外国に逃げてしまった。なんとか居場所は見つけたものの、帰る気はないと宣言されるわ、無理やり連れ戻すなら王家の秘密を明かす、と脅すわで、陛下や重臣達は心労を重ねている」

「お言葉ですが、王家は彼女にどんな教育を?」

「言ってくれるな。まあ少々甘やかし過ぎたのは認めるが、王族としての義務については厳しくしつけたはずだったのだ。まさかこんなことになるとは思ってもみなかった」


 そう言って王太子は天井を見上げ嘆息する。


「ともかくだ、無理やり連れ戻したら何をするか分からぬし、それを実現する力が彼女の恋人にはある。そもそも連れ戻したところで素直に第二王子の相手をするとも思えんしな。そこでいっそ代役を立てた方が早い、という話になったのだ」


 そこで王太子はにやりと笑い、シャーロットは嫌な予感がする、とでも言いたげに微笑みを歪める。


「そなたの仮面を外すのは中々興が乗るな」

「何を気味の悪いことを仰っているのですか」

「いや、済まない。それで早速代役を探したが、もちろんそんな役を引き受けてくれる令嬢などそうそういない。それに変に力を持った貴族に貸しを作るのは面倒だ。というところでそなたの噂を耳にしたのだ」

「と、言うことは?」

「そなたの感じているとおりだ。シャーロット嬢には末姫の身代わりになっていただきたい」

「そんな! 私に遠い異国に嫁げとおっしゃるのですか?」

「何もそこまでは求めていない。もともと末姫と会って彼女が気に入れば、という条件だったのだ。いっそ絵姿の段階で好みでない、と姫のふりをして断ろうとしたのだが、向こうもとにかく一度会って欲しいと引かなくてな。まあ、エルドランドの王族と婚姻話が持ち上がった、というだけでも箔が付くのだろう。だから第二王子の相手をして、舞踏会で一曲踊って、当たり障りなく振ってくれればそれで良い」

「なんだか第二王子が可愛そうですね」

「それが外交で、国同士のパワーバランスというものだ」


 そんな王太子の言葉にシャーロットは少し考える様子を見せると


「わかりましたわ。でも私と姫様では姿が違うのでは。確かに背丈と髪の色は同じですが……」


 とそこまで言ったところでシャーロットはハッとする。


「気づいたようだな。そう魔法を使う。私の魔法を使えば初めて見る者を騙すことなど造作もない。むしろ問題は市井のものを使った場合、しがらみは少ないが、上流の作法を短時間で身につけさせるのが困難なことだ。この国は言葉から中上流とそれ以外で全く違うからな。その点そなたなら問題ない」

「それほどではありませんが」

「私が保証する。そなたの言葉はすでに矯正の必要がないし、あとは作法や礼儀をある程度覚えればよいだろう。むしろもともとはどこかの王族だったと言われても違和感はないぞ」


 その言葉に一瞬ビクッとするシャーロットだが表面上は平静を装い王太子に質問を続ける。


「殿下がそうおっしゃってくださるのでしたら心強いですわ。しかし、それでは王家ばかりが得をしますわね。強制でない、とおっしゃるのでしたら私にも何か利があるのでしょうか」


 そうでないと、簡単には承服できない、とでも言いたげな表情のシャーロットに王太子は苦笑する。


「その図々しさ、ますます外交向きだと思うがな。もちろん褒美は出す。ちょっとした上流の暮らしを一生できるくらいの報奨は王家から出るし、そなたが望めば一流の貴族の養子とすることもできる」

「残念ながら、私は今の暮らしに満足してますわ」

「では店はどうだ?自分の店には憧れるだろう。開業資金を出すぞ」

「私は道端の花売りで十分ですわ」

「強情だな」


 そう言って、苦笑いする王太子。そんな彼の様子を見ていたシャーロットは「ですが」と話を続ける。


「一つ願いがあります。それを叶えてくださるのでしたら考えても構いません」

「願いが言ってみろ」

「フラムトンの孤児院をご存知ですか?」

「あぁ、あの市場からも近い孤児院だろう?」

「その通りです。あの孤児院の院長には私も随分お世話になったのですが、最近建物の老朽化がともに激しく、いつ施設をたたまないといけないか、と頭を悩ましていらっしゃるのです」

「あそこはもともと古い教会だからな。そろそろそういう時期だろう。なるほどつまりその建て替え資金を出してくれ、と」

「えぇ、そうですわ。あの孤児院は援助する教会も下町ですから貧しくとてもそんなお金はありません。殿下が援助してくれれば皆どれだけ助かるか」


 その言葉に王太子は一瞬目をつぶり考える


「分かった。王家が全面には出れないが、確実に援助をしてくれる家を紹介しよう。裏に王家が着いている家だから逃げることはない」


 その言葉にシャーロットはゆっくりと頷き口を開く。


「わかりましたわ。こうも早く認めてくださるとも思いませんでした。ではこの話引受させていただきますわ」


 その言葉を聞いた王太子は少しホッとしたように頬を緩め、シャーロットに笑いかける。


「そう言ってくれて本当に感謝する。ちょうどそろそろ城に着く頃だな。すぐに案内させよう。これから身の回りに付く者たちは皆事情を知っているから気を使う必要はない。これからあなたは王家の姫君だ。活躍を期待している」


 そう言うが早いか軽く馬車が揺れ、止まるとほとんど音もなく扉が開き、その向こうから護衛らしき男が手を差し出した。


「ではシャーロット嬢。また詳しい話は後ほど」

「えぇ、殿下。お待ちしておりますわ」


 もう一度気を引き締めるかのように表情を作ったシャーロットはゆっくりと護衛の手を取り、悠然と馬車を降りる。その姿を王太子は感心するように見つめた。

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