第34話 愛ちゃんとの夏休み前のとある日

 パンの焼けるいい匂いに誘われて僕と愛ちゃんは初めて見つけたパン屋さんに入っていった。

 今までパンはコンビニであったりスーパーでしか買ったことが無かったので、たくさんの種類のパンが並んでいる光景は圧巻であった。どれもこれも美味しそうに見えていたし、店内に充満する美味しそうなパンの匂いだけでも僕の心は幸福感に満ち溢れていた。

「ねえ、まー君はどれが一番食べたい?」

「どれもこれも美味しそうだよね。僕はこの塩パンってのが気になるんだけど、愛ちゃんはどれを食べたいの?」

「私はやっぱり焼き立てのメロンパンかな。焼き立てって食べた事ないんで気になっちゃうかも」

「それも美味しそうだね。じゃあ、その二つと、後は何か別のも買ってお昼に食べようか」「そうしようか。自分が食べたいのと食べてもらいたいのを買おうよ。どれを買っても間違いなさそうだしね」

 お互いに食べたいものはすぐに決まったのだが、相手に食べてもらいたいものとなると話は別だ。そんなにすぐに決めることなんて出来ない。店内に掲示されている人気ランキングを見てもどれも美味しそうであるし、ハズレなんて一つもないのだろうな。ハズレが無いという事は、この店にあるパンはどれも選択肢から外すことが出来ないということの裏返しでもある。僕の選んだパンを食べて愛ちゃんに喜んでもらいたいのだが、どれを選んでも失敗が無いという事は、一番正解を選ばないとダメなんじゃないかと思ってしまっていた。

「どれもこれも美味しそうだよね。これだけ美味しそうなパンばっかりだとさ、逆に選べなくなっちゃうね」

「そうだね。僕も同じこと考えてたよ。どれを選んでも間違いじゃないと思うけどさ、正解の中から大当たりを選びたいって気持ちになっちゃうもん」

「それは分かる。私もまー君に食べてもらうんだったら一番美味しそうなのが良いなって思ってるからね。でも、どれもこれも一番美味しそうに見えちゃうんだよな。こんなに美味しそうなパンばっかりなのってズルいよね」

 見ているだけでも美味しさが伝わってくるというのはズルいと思う。見た目もそうなのだが、美味しそうな匂いが充満しているこの空間も反則だ。こんなのは、どれを選んでも大当たりなんじゃないかと思ってしまっても当然だろう。

 だが、いつまでも悩んでいるわけにもいかないのだ。時間をかければかけるほど、愛ちゃんが選んだメロンパンが焼き立てではなくなっていくからだ。僕は愛ちゃんが甘いパンを選んだから総菜系のパンを選んだほうが良いのかとも思ったが、甘いパンが好きでメロンパンを選んだんだとしたら、その選択肢は間違いなんじゃないかと思いとどまってしまっていた。

 そんな事で悩んでいては何も決めることが出来ないとは思っているのだが、僕は愛ちゃんに一番好きなモノを食べてもらいたいという思いのもと、ここにあるパンの中から一番を見付けたいという気持ちで一杯だった。

 愛ちゃんが一番好きなパンで選ぶとメロンパンになるんだろうが、同じのを二つ選ぶのなんてダメだろう。僕は結局正解にたどり着けないんだと思うと、どれもこれもが当たりであり外れでもあるこの問題を一生解くことが出来ないと思い込んでしまっていたのだ。

「やっぱりまー君も悩んでるよね。私も全然決められないよ。自分で食べる分だったらすぐに決められるのにさ、相手に食べてもらいたいってなると迷っちゃうよね」

「そうだよね。僕もどれもこれも美味しそうに見えるから愛ちゃんに食べて欲しいなって思うけど、その中でも一番食べてもらいたいのってなるとさ、迷っちゃうな」

「本当にそれよね。このお店のパンってどれも美味しそうなんだもん。迷っちゃうよ」

 僕たちが迷っているのは同じ理由だろう。どれもこれも美味しそうに見えてしまうのだ。その中でも一番美味しそうなパンを相手に食べてもらいたい。その一心でしかないのだが、その一心があまりにも強すぎてしまうのだ。

 美味しそうなパンたちに囲まれて、僕たちは正しい選択肢の中から最良を見付ける必要に迫られている。そんなの答えなんて出せるはずもないのだと知ってはいるのだが、その答えをどうしても見付けてみたいのだ。

 いや、その考えを改める必要があるのではないだろうか。お互いに食べてもらいたいという気持ちは変えずに、相手の為ではなく自分を知ってもらうために選ぶというのはどうだろか。

 それであればそこまで迷わずに答えにたどり着けるのではないだろうか。

「あのさ、このままだと一生決まらないような気がするんだよね。だから、お互いに食べてもらいたいパンを選ぶってのはそのままで、自分が二番目に食べたいパンを選んで食べてもらうってのはどうかな?」

「それって、まー君に一番食べてもらいたいパンを選ぶって事と違うの?」

「ニュアンス的には同じかもしれないけどさ、自分が二番目に食べたいパンを食べてもらって好みを共有するというか、お互いをより知り合うって感じかな」

「それだったらさ、一番食べたいパンを選んだほうが良いと思うけど」

「それはそうかもしれないけどさ、やっぱり一番食べたいパンは自分で食べた方が良いと思うよ。少しシェアするってのはありだと思うけどさ、一番好きなパンはたくさん食べたいって思うんだよね」

「その気持ちはなんとなくわかるかも。じゃあ、私が二つ食べるとしたら選ぶパンだと、このイチゴホイップのついたパンかも。甘いの二つになっちゃうんで自分で食べるように買う時は選ばないと思うけど、選ぶとしたらこれかな。メロンパンとは違う甘さだと思うしね」

「それも美味しそうだね。僕が選ぶのはこのグラタン風パンかな。あんまり食べる機会はないけどグラタンって好きなんだよね。僕もしょっぱいの二つになっちゃったけどさ、どっちも美味しそうだなって思うんだよ。でも、揚げたてのカレーパンも気になっちゃう」

「私もそれ気になってた。揚げたてとか焼き立てってズルいよね。絶対に美味しいのがわかっちゃうもん。だからさ、カレーパンも一つ買って半分こしようか」

「それは良い考えだね。そうしよう」

 僕たちは無事にパンを購入することが出来た。焼き立てのメロンパンの甘い香りを抱きしめながら僕たちが向かったのは近くにある小さな公園のベンチだった。

 お互いに少しだけ距離を空けて座っていたのだけれど、近くにいたくないという意味ではなく間にパンと飲み物を置くためなのだ。

 僕がパンの支払いを済ませている間に愛ちゃんはパン屋さんの隣にあるカフェでコーヒーを買ってくれていたのだ。僕は少し甘めのカフェラテで愛ちゃんは見た目も鮮やかな抹茶オレを頼んでいたようだ。


「どのパンも美味しいね。食べる順番を変えても美味しさが変わらないって言うか、甘いのとしょっぱいのと辛いので無限に食べられそうな気がするよ」

「そうだね。私もメロンパンだけでお腹いっぱいになっちゃうと思ってたんだけど、どれも美味しいからたくさん食べちゃった。普段はこんなに食べないんだけどさ、美味しいと食べちゃうよね」

 僕らは買っていたパンをあっという間に平らげてしまった。

 もっとゆっくり味わって食べたいという気持ちもあったのだけれど、これだけ美味しいと手も止まらないというものだ。たぶん、朱音も母さんも気に入ると思うのだが、そうなってしまうと我が家の食卓がパンだらけになってしまいそうだな。僕の家族は一つ気に言ったものが生まれると、それがしばらく続いてしまうのである。イヤではないのだが、あまりにも続きすぎると飽きてしまうという事もあるのだ。

「こんなに食べたの久しぶりかも。でもさ、美味しかったからいいよね」

「そうだね。美味しいものは正義だしね。さすがに食べ過ぎかとは思うけどね」

「いろんな種類のを食べられて良かったよ。一人だったらメロンパンだけでも残してたかもしれないからね。大きくて不安だったけど、美味しいから食べることも出来たよ」

「愛ちゃんは少食だもんね。僕もそんなに食べる方ではないと思うけどさ、美味しかったからたくさん食べられたよ。次に行った時も同じの買っちゃいそうだけどね」

「だよね。私も次に行った時はメロンパン買っちゃいそう。美味しいってわかってるからこそ選んじゃうよね」

 お腹も心も満たされた僕たちはお互いに少しだけ残っているドリンクを飲み干すと、ゴミをまとめてゴミ箱へと捨てたのだ。

 これから何をしようかなと考えていると、愛ちゃんが滑り台に向かって走って行った。僕はそれを追いかける形で走ってついていったのだが、さすがに高校生ともなると滑り台で遊ぼうとは思わないのか、愛ちゃんは滑り台の前で立ち止まって周りを見回していた。

「ねえ、誰もいないうちに一回滑ってみてもいいかな?」

「良いと思うよ。鞄預かってるね」

 僕は愛ちゃんから鞄を受け取った。愛ちゃんはそのまま滑り台の上まで上がると、もう一度周りを見回してから楽しそうに滑り降りてきた。

「久しぶりに滑ったけど、意外と楽しかったよ。何年振りかわからないけど、楽しかった」

「僕もずっと滑ってないかも。近所の公園にはたまに行くんだけどさ、そこはもう遊具もほとんど無いからね。ベンチがあって鉄棒があるくらいかも」

「鉄棒があるのも珍しい気がするけど、それ以外に何も無いってのも寂しいね」

「僕が小さい時は色々あったような気もするんだけどね。ブランコで怪我した人がいて撤去されたって聞いたかも」

「そう言うのって多そうよね。子供だと気を付けてても怪我とかするのにね」

 僕の家の周りも小さい時と比べると色々と環境も変わっていた。家が増えたという事もあるのだけれど、小さい子供が気軽に遊べる場所が減ってきているような気がする。

 小さい子供もたくさんいることはいるのだが、外で遊んでいる子を見かけることはめっきり少なくなっているように思えた。

 今こうして愛ちゃんと二人でいる公園も僕ら以外には誰もいないのだが、それは変なことではなく当たり前の日常になっているように思える。外で遊ぶ子が少なくなってきているのは子供自体が減っているからなのか、子供が遊べる場所が減っているからなのかわからない。

「なんか、広くて綺麗な公園なのに誰もいないってのは寂しいね」

「僕もそんなこと思ってたよ。ココだけじゃないけど、今日は散歩する人も全然見かけないね」

「お昼時だからかな。もう少ししたら人が増えるのかもよ」

「その可能性もあるのか。全然時間の事気にしてなかったよ」

「じゃあさ、人が増える前にまー君に見せてあげるね」

 愛ちゃんは僕の手を掴んで公園の隅にあるトイレの横へ走ったのだ。愛ちゃんに手を掴まれるのも久しぶりな気がするのだけれど、それとは別に今から行われることに僕は緊張していた。


「まー君はさ、学校で真美ちゃんと会長さんと陽菜ちゃんのパンツを見てるんでしょ?」

「うん、見てるというか見せられているというか、見てしまったというか」

「私は怒ってるんじゃないよ。まー君が他の人のパンツを見ても怒ったりなんかしないよ。怒ったりなんかしないんだけど、もっと私の事も見て欲しいな」

「僕は愛ちゃんの事しか見てないよ。他の人のも見たりはしているけど、見たいって思ってるのは愛ちゃんのだけだし」

「その言葉に嘘はないのは知ってるよ。まー君を見てればわかるもん。まー君は優しいから他の人のも見ちゃうんだよね。でも、それは学校の中だけの話だよ。会長さんもあの時以来は学校の外で会ってないんでしょ?」

「うん、学校以外で誰かと会うことは無かったよ。夏休みはちょっとしたイベントがあるんでそこでは会うと思うけど、それ以外では予定もないかも。オカ研の活動も肝試しくらいしかないからね」

「肝試しか。私も誘われてるからさ、真美ちゃんと一緒に行こうかなって思ってるんだよ。会長さんが私の予定に合わせて七月から八月に変えてくれたんだし、まー君に会える機会にもなるからね。それに、肝試しだったら今からも出来るよ」

「今から?」

 僕は愛ちゃんが肝試しを今からすることが出来るという言葉の意味が理解出来ていなかった。こんなに昼間から何を試すというのだろう。トイレの横は草木も生い茂っていて薄暗くはあるのだが、別に気味が悪いという事でもない。

 公園には誰かがやってきているのか話し声なんかも聞こえてはいるのだが、僕のいる位置からはどれくらいの人がいるのか見ることは出来なかった。

「いつもはさ、誰もいないところを選んで見せてるんだけど。今日は、誰かが近くにいる場所で見せてあげるね」

 愛ちゃんはズボンを少しだけ下ろしてパンツを僕に見せてくれた。

 今日はパンツだけではなく上に来ているシャツも少しだけめくってくれているので綺麗な形をしたおへそも見えていたのだ。

 薄い水色でシンプルなパンツではあったが、愛ちゃんが履いていると思うとグッとくるものがあった。朱音も似たようなパンツを履いていたことがあったと思うのだが、履いている人が違うだけで印象がこうも変わってしまうのかと思うと人間とは不思議な生き物だと実感することが出来た。

 いつまでも見ていたいという思いもあったのだが、僕が愛ちゃんのおへそとパンツに見惚れていると子供たちの声がトイレに近付いてきた。僕はいけない事をしているという実感があるので固まってしまっていたのだが、愛ちゃんはその声に素早く反応をしてズボンをしっかりと履き直していた。

 お互いに物音をたてずに普通にしていたのだが、子供たちは僕らに気付くことも無くトイレから出て行ったのであった。

「ちょっと緊張しちゃったかも。近くに誰かいるって思うとドキドキしちゃうね」

「僕もドキドキしちゃったよ。いろんな意味で」

「もう、私以外でドキドキしちゃダメだからね」

 ウインクをしている愛ちゃんを見て、僕はいつ見ても愛ちゃんは可愛いなと思ってしまったのだった。

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