追加エピソード1・聖女の贖罪
第1話 閉じ行く世界
聖十字にも、翼が生えた人にも⋯⋯剣にも見える、不思議な形だ。
レナは今まで見たことがなかった。
成人の儀式は、神から与えられるとされる『天授スキル』を確認する日だ。
儀式は、長く神に仕える者に与えられる、取得型スキル「託宣」の持ち主によって執り行われる。
レナはそれまでにも何度か「託宣」スキルの持ち主で、育ての親とも言える神父に立ち会い、儀式を受けた者のスキルが顕現するところを見てきた。
だが、今日の儀式により顕現した己のスキルは、過去見てきた何とも違う。
神父に視線を移すと、冷静な彼にしては酷く落ち着かない様子で、額に汗が浮いている。
「託宣」の使用者の脳裏には、そのスキル名が浮かぶという。
レナが神父の言葉を待っていると、彼はやがて重々しく口を開いた。
「レナ、落ち着いてよく聞きなさい⋯⋯君のスキルは⋯⋯『聖女』だ」
ようやく告げられた一言だったが、まだレナには実感が伴わない。
『聖女』
耳に入った言葉が、理解へと変わる前に神父は更に続けた。
「確認したのが私で良かった。貴女が聖女だと世間に知られたら⋯⋯まず間違いなく、魔王軍と戦うことを望まれるでしょう」
続けて述べられた言葉に、少しずつ現状への理解が追い付いて行く。
同時に⋯⋯レナの身体は震えてくる。
「そ、そんな⋯⋯私、どうしたら⋯⋯」
成人の儀式を執り行い、「託宣」により天授スキルを確認し、自分の進路を大まかに定める。
それは本来、大人への一歩とされる喜ばしい日だ。
レナはその生い立ちから、あまり多くを望まない、そんな諦めにも似た思いを常に心に抱えていた。
そんな彼女にとっても、この日は特別だった。
「お世話になりっぱなしの神父様の、少しでも支えになるようなスキルであれば良い」
そんな、レナのささやかな希望は打ち砕かれた。
「まさか自分が」
そんな思いが拭えない。
聖女。
かつては現在とは別の魔王がいたという。
その魔王を討伐したメンバーの一人とも、人々に疑心暗鬼を植え付け、互いに争わせた悪神を封じたともされる、伝説のスキル。
人類に仇なす存在へと対抗する希望の象徴。
それが聖女。
言い換えるならば、強大な敵との戦いを義務付けられる宿命を持つスキルとも言える。
安寧を祈るだけではなく、人々の、日々の生活を守るため、自らの身を戦いの場に置き、彼らを護るべき存在なのだ。
その程度のことは──あるいは、自身には到底耐え難い事実は、レナも理解していた。
つまり、神は言っている。
『お前が魔王を倒しなさい』と。
手が、足が。
別の意志を持つかのように、震えを大きくする。
へたり込む直前で、神父がそっと手に触れてきた。
手の温もりと、常と変わらぬ包容力を醸し出す表情に、少しだけ震えが治まる。
完全に、とはとても言えないが⋯⋯。
「落ち着きなさい、レナ。貴女が魔王軍との戦いが出来る状態でないことなど、私が一番良く知っています。この事はしばらく、私と貴女の秘密です」
「はい、神父様⋯⋯申し訳ございません」
「良いんですよ。そして、決して口外してはいけませんよ? 聖女は類い希なる治癒の魔法が使えたとされています。だからしばらくはスキルを『治癒術士』という事にしましょう。良いですね?」
神父に念を押されるまでもない。
自分は聖女だ、そんな事を殊更周囲に吹聴する気にはなれない。
魔王軍の襲撃により、両親を失ったあの日から。
自分の世界は閉じている。
内へ、内へ。
だがそれでも、神父の献身や同じ境遇の孤児たちと日々過ごすことにより、少しずつ開き始めた、ようやくそんな実感を得始めていたというのに。
成人の日。
本来なら、大人として認められるはずの日。
一人前と認められ、親の庇護から巣立ち、自分で飛び立つ事を意識すべきその日に。
──レナの世界は、再び内へと閉じ始めていた。
「うーむ、おかしいな。呪文も合っているし⋯⋯」
「すみません、私が上手くできないばかりに⋯⋯」
「いや、良いんだ。しかし治癒術士のスキルなら、すぐにできてもおかしくないんだが」
治癒術士の指摘に、レナは心臓が強く拍動するのを感じた。
神父の紹介で、街の治癒術士の元を訪ね、治癒魔法の手解きを受けていた。
聖女ではなく、治癒術士として活動する正当性、その裏付けをするためだったのだが⋯⋯。
治癒術士は、レナの表情から何かを察したのか、申しわけなさそうに言った。
「まあ、スキルに目覚めたばかりだしなぁ。治癒術士自体それほど多くないし、自分が若い頃そうだったからと、他人もそうだと思うのは自惚れかもしれんな、すまん」
「いえ、とんでもないです⋯⋯お気遣いありがとうございます」
どうやら、レナが自分の不甲斐なさから表情を曇らせたのだと判断したようだ。
治癒魔法を習い始めて1カ月。
この為の外出も貴重な気分転換だったが、そろそろ潮時かもしれない。
「あまりお時間をいただくのも申しわけありませんので、もう少し自分で練習します」
「そうかい? あまり役に立てず、すまないね」
「いえ、大変参考になりました。ありがとうございました」
初級の治癒魔法は覚えたが、まだ拙い。
本当に自分は聖女なのだろうか?
聖女なら⋯⋯すぐにでも上級の治癒魔法でも使えそうなものだが。
それとも⋯⋯。
聖女としても、半人前。
それが自分の運命なのかもしれない。
それからは、ほとんど教会の外に出る事も無くなった。
幸いな事に、教会への来客は少ない。
人々は生活に追われ、日々の糧を得るためにも、祈るどころでは無いからだ。
教会は、国から支給される僅かな補助金と寄付、あとはここに併設されている孤児院出身の、元孤児たちから送られる資金に頼って運営をしている。
だが、この国の人々は貧しい。
寄付はほとんど集まらない。
結果、運営費のほとんどはここの出身者からの送金だ。
あれはレナがここに来て、数日目の事だった。
ひとりの若者が戦いに赴くことになった。
彼はここのリーダー格だったらしく、出発の前日に孤児たちを集めた。
「お前たち! 俺は絶対に手柄を立てて、みんなにもっといい生活させてみせるからな! だから神父様を頼んだぞ!」
この時はまだ知らなかったが、教会の孤児院で成長した孤児たちの多くは、王国軍の兵士として魔王軍との戦いに赴く。
それは産業が乏しいこの国で、彼が給金を得るための、ほとんど、いや唯一と言って差し支えのない進路だ。
彼はひとりひとりの頭を撫でながら、一言一言声をかけていた。
そしてレナの前に立った。
まだ殆ど交流がなかったので、レナが身を固くしていると、彼は「ニッ」と笑顔を浮かべ、レナの頭に手を乗せた。
「神父様は素晴らしい方だ、キミもここで過ごせば、きっと笑えるようになる、オレみたいにな!」
そして、彼はその手本を示すかのように、大声ではっはっは、と笑った。
彼のように大声で、とは行かなかったが。
レナは久しぶりに、自分の口元が緩んだ気がした。
後に知ったが、彼から金が送られる事はなかった。
彼は駐屯地に辿り着く前に魔物に襲われ、その命を散らしたのだ。
彼らが失う命が、金に変わり、その金が新たな孤児を育て、育った孤児がまた戦場へと送りだされ、また命を失う。
それはまるで兵士を育てる為の施設。
終わらない負の連鎖。
人の命に頼った運営に、神父が悩んでいる事は気がついていた。
訃報が届くたび、神父は沈痛な面持ちで死者に祈りを捧げる。
自分だけ特別扱いされて良いのか。
聖女だと国に名乗り出て、魔王軍と戦う代わりに教会への便宜を強く図って貰う。
それが、レナにこれまで寄り添ってくれた神父への恩返しなのでは?
しかし、神父がそれを喜ぶ性格では無いことも重々承知している。
悩む日々が続いていたある日、一人の若者が教会を訪ねてきた。
若者は、閉じていたレナの世界を開いてくれた。
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