悪魔ノ正体

 怒りの形相を浮かべた仁の叫びを聞いた花音の表情が、一瞬だけ真顔になる。

 しかし、すぐにその表情を引っ込めた彼女は、普段通りの飄々とした態度を見せながら彼へとこう返した。


「何言ってるのさ、仁くん。もしかして、あの悪魔が人に化けたから勘違いしちゃった? 仁くんは人間が悪魔になってたんだって勘違いしてるんだろうけど、実際は――」


「……もうごまかされないぞ。見たんだ、僕は。聖剣を通じて、彼が悪魔に憑りつかれた時の光景ビジョンを!!」


 あくまで自分をごまかそうとする花音へと激高した仁が彼女へと十字架を見せつけながら吼える。

 怒りと、失望と、悲しみの感情を入り混じらせた複雑な表情を浮かべた彼は、至近距離で花音を睨みつけた後……やり切れない感情を吐露するように自身が見た光景を語り始めた。


「彼は、あの人は……通り魔に殺されたんだ。五件目の事件の真の犠牲者は、彼だったんだ! なにもわからないままに襲われ、メッタ刺しにされて、命の灯が消えそうになる中で、彼は願った! 死にたくない、生きたいって! ……その願望を、欲求を、悪魔に付け込まれたんだ。それで、それでっ!!」


「……まいったな。聖剣にそんな力があるだなんて、知らなかったよ」


「……じゃあ、やっぱりそうなんだね? 悪魔は、元々――」

 

 寂しそうに微笑んだ花音が、観念したかのように呟く。

 彼女の反応に、自分の考えが正しかったことを確信した仁が呻く中、彼を真っ直ぐに見つめた花音がはっきりとした声でこう告げた。


「うん、悪魔は元は人間だよ。正確には、地獄から這い出た魔物が人間としての肉体を得た段階で、基となった人間は死んでるけどね」


「……悪魔に体を乗っ取られてるってこと?」


「それはちょっと違うかな。さっきも言ったでしょ? 悪魔は人の欲望に付け込むのが上手いって。あいつらは心に深い闇を抱えていたり、心が弱っている人の前に現れて、その人に憑りつくの。その時点でもうその人は人間じゃなくなってる。水に泥を混ぜたら泥水になるように、悪魔によって自らの心の闇を引き出された、怪物に成り果ててるんだよ」


「でも、それでもその人の意識は残ってるんだろう?」


「あるけど、。悪魔たちが己の正体を隠すために、憑依した人間の体を存分に活用する。その人の意識や記憶を読み取って、その人に完全に成り代わって……だから一見、周りからすると何も変わってないように見えるけど、それは悪魔がその人を演じてるだけ。ほんの僅かに残ってるその人の人格が表に出ることなんて滅多にないよ」


 淡々と事実を語りながら花音は仁のことを見つめていた。

 まるで自分の反応を観察しているかのようなその眼差しに唇を噛み締めた仁は、最も聞きたかったことを彼女に問う。


「悪魔に憑りつかれた人間を……元に戻す方法は?」


「……ない。泥水を元の泥と水に戻すことができないように、悪魔に憑りつかれた人間を殺さずに救う方法なんて存在しないんだ」


「………」


 花音の答えを聞いた仁は、無言のまま近くにあった電柱へと背を預け、そのまま崩れ落ちた。

 力なく地べたに座る彼は、暫しの間俯き続けていたが……その状態のまま、ぼそりと小さな声で呟く。


「……僕が斬ったあのドラフィルって悪魔も、元は人間だったんだよね? じゃあ、僕は……人殺しってことか」


「そうじゃない、そうじゃないよ! 何度も言っているように、悪魔に憑依された時点でその人は人間としての生を終えてる! あなたが斬ったのは、人間の魂と命を弄ぶ悪魔であって、人間じゃあない!」


 おそらくは最悪の形でその事実を知ってしまった仁へと、これまでで一番必死な声で語り掛け、元気付けようとする花音。

 僅かに顔を上げ、恨むとも憎むともいえない感情を湛えた眼差しを自分へと向ける仁を真っ直ぐに見つめ返した彼女は、苦し気な声で彼へと謝罪の言葉を口にした。


「ごめん……! 騙そうとしてたわけじゃなかったの。このことを知ったらあなたが動揺することがわかってたから、あなたが落ち着いて、もっとあたしと信頼関係を築けてから話そうと思ってた。まさかこんなに早く指令が届くだなんて思ってもみなくて……」


「……君が何を考えていたのかも、僕のことを気遣ってくれていたのも理解したよ。でも……ごめん、今は一人にしてくれ」


「……うん、わかった。今日はもうあいつも悪さしないだろうし、あたしたちも撤退しようか」


 悪魔を取り逃がし、信頼関係にもひびが入るという最悪の初任務の結果にも、二人は何も思うことができなかった。

 お互いが自分自身に抱える自己嫌悪に押し潰されそうになる仁と花音の足取りは重く、それが二人の心情を物語っている。


 悪魔を倒すということは、憑りつかれた人間も殺すということ……自分がその罪の十字架を既に背負っていることを知ってしまった仁は、込み上げてくる吐き気を堪えながら、ただ自宅へと歩みを進めるのであった。

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