私室

 ルーベスが部屋から出て行った後、僕は再び眠りに付こうとする。しかしルーベスの語ってくれた内容が頭から離れず、眠ることができない。それまで鎮静剤の効果で眠っていたこともあるだろう。


 僕は眠るのを諦め、ベッドから降りて扉に向かって歩き出す。

 少しくらい、ここの中を見て回っても問題ないだろう。一応、僕もこの家の住人なのだから。扉に近づいたところで僕は今までの癖で思わず右腕を出してしまう。扉のノブを右手で掴む癖があることに初めて気がつく。


 はぁ……と思わずため息が零れる。痛みはなくなったけど、僕の右手もなくなったままだ。ショックが大きすぎてこればっかりはすぐに立ち直れない。あの時、油断なんてしなければこんなことにならなかったのに。でも、それは後の祭りだ。


 右手が効き手だっただけに本当に不便しそうだ。字を書くときどうしようか……

 試しに左手で文字を書いたことはあるけど、達筆すぎてとても見れた字じゃなかった。

 暫く練習してるうちに書けるようになるのかな……


 僕にも呪いで動く義手を作ってくれるとは言ったけど、それを動かす力があるのだろうか。少し不安に感じる。呪義手は呪いを糧にして動く代物だから──


 勿論、ブレサイアは憎くいけど、今のルーベスやクレアラと比べて自分の憎しみはどれほどのモノだろうか……考えても、自分の心と人の心を比べる方法なんてない。

だから、それは今考えてもどうしようもないことだ。


 僕は考えを切り替え、左手でドアを開けると部屋の外へと出る。

 部屋の外は、以前に見たヴィクターズに繋がるエレベーターのある廊下だった。廊下には全部で9つの部屋並んでいる。その内の一つ。一番大きい扉は、最初に僕が案内された広間の部屋だ。残りの7つは何があるんだろうか。僕は興味本位に他の扉を開けて確かめようとする。誰かの私室なら鍵を掛けてるだろうから、間違って入る心配はないと思う。


 壁にパネルが嵌められたドアが二つある。静脈認証付きの鍵。やけにここだけは厳重だ。順当に考えれば、おそらくルーベスとロドニーの部屋だろう。

当然、そこには入れないから探索リストから外す。


 僕はいくつか鍵のかかった扉を触りながら、鍵のかかっていない扉を見つける。その扉のドアノブを回して扉を開け、中へと入る。僕はいつもの癖で扉を閉める。

 

 薄暗い室内。中には光に照らされた、様々な植物が植えられた鉢が置いてある。

 蛍光色ではない独特の青紫色のライトだ。あの光は紫外線を照射しているのだろう。鑑賞の為に飾られているのではなく、この日光の届かない地下にある部屋でも育つように。


 僕はその見慣れない植物を見ようとその鉢に近づく。


 不意に視線を感じた。それと共に唸り声が聞こえる。僕はその方向へ視線を向ける。そこには僕を威嚇する巨大な黒い影が立っていた。

 

 それは犬だった。

 

 小型犬みたいに可愛いサイズではなく、大型犬。それも特に大きなサイズの──

うろ覚えだが、アイリッシュ・ウルフハウンドっていう犬だったはずだ。その大型の犬が唸り声を上げ、ゆっくりとこちらに歩み、間を詰めて来る。唸り声を上げていることから、どう見ても友好的に接してくれるとは思えない。あのサイズの大型犬に襲われたとしたらたまったもんじゃない。下手したら噛み殺される。


 僕は壁を左手で触りながら相手の目を見る。左目には大きな傷が走っていた。もしかしたら片目は見えないのかもしれない。僕は犬の右の目を見つめると、視線を逸らさずに、ゆっくりとその場を後ずさりする。取り敢えずここから出よう、大人しくここから出してくれることを願うばかりだ。今更だけど入って来た時に、御丁寧にも扉を閉めたことを後悔する。 


 下手に犬から視線を外したら襲われる。視線を逸らせないから、後ろ手に扉の取っ手を掴もうとする。でも、扉の取っ手の正確な位置がつかめない。


 僕がまごついている間に、一瞬の間に飛びかかることのできる距離まで近づかれた。

 これ以上下手に動けず、僕は左手を見せて敵意が見えないように意思表示をする。


「僕はここから出ていくから、襲わないでね」

 

 言葉が伝わるとも思わないが、犬にそう語り掛ける。


「ケイレブ、こっちに来なさい」

部屋の奥からクレアラの声がする。その声を聞いた犬──ケイレブと言う名前なのだろう。彼は唸るのを止めて僕から離れ、部屋の奥にトコトコと歩いていく。


 クレアラが明かりを点けたのか部屋が明るくなり、部屋中を見渡すことができる。

部屋の一番奥にはベッドがあり、クレアラがベッドサイドに座っていた。


 彼女は白いワンピースの下着を身につけているだけだった。クレアラの姿を正視して良いのかとっさに戸惑う。でも彼女から視線を外すこともはばかられた。右腕だけしか彼女は呪義手を装着していない。他の手足はベッドサイドにある大きなテーブルの上に無造作に置かれていた。だから、左手も両足もない状態の彼女だったからこそ、見ることも目を背けることも戸惑うような事態を引き起こしていた。


「良い趣味ね。寝ている女性の寝室に押しかけて来るなんて──」

「ゴメン、クレアラの部屋とは知らなかったんだ。鍵を掛けてないとは思わなかったし」

「何かあった時にレニエがすぐに入れるようにしておく為よ。こんな体なのだしね。でも、うかつだった。今まで勝手に私の部屋に入ってくるような人はここにはいなかったから、油断していたわ──」

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