第3話

「おかえり、遅かったね」

 玄関のドアを開けると、カッちゃんとショウが8ビートのリズムを刻んでいた。

 心臓の鼓動に最も近いため、人間が一番興奮すると言われるリズムだ。

「で、曲作りはうまくいったのか?」

 そう言うハクに、人見は右手を高く掲げた。一枚のCD―ROMが握られている。

 三人が「おお」と声を上げた。

「本当に一日で完成させるなんてすごいな。人見も、その女の子も」

「まあな」

 松本さんには、圧倒的な曲作りの才能があった。ただ精神的に弱り迷っていただけで、それが吹っ切れたら、あとは飛ぶような速さで曲を構成していった。

 曲が完成すると、さらさらと詞を書き上げる。人見が唖然としていると、「メロディーを作っている間に、ここでこの言葉を使いたい、っていうのが降りてくるんです」と彼女は言った。

 結局ソフトで作成した音源に、人見のギターと彼女のボーカルを乗せ、それをPCに取り込んで楽曲は完成した。

「早く聴かせんか」

 ショウが大仰に言う。

 人見はCDをプレーヤーに入れ、再生した。

 ピアノによる、はかないメロディーが流れ始める。

「ああ、なんか人見らしいな」

 ハクの言葉に、人見は「うっせ」と返す。

 松本さんのボーカルが入って来る。音響の調整も何もしていないが、驚くほどの透明感。

「うわ、この子めちゃくちゃうまいね」

 カッちゃんが言う。

 Bメロに入り、曲がダークに展開する。

「ここは松本さんが自分で作ったんだぜ」

 人見が自分事のように自慢すると、ハクが「マジか」と漏らす。

「俺たちの作曲も手伝ってもらいたいくらいだ」

 サビに差し掛かり、ピアノが泣きのメロディーを奏でる。人見がギターで考案したものだ。松本さんのボーカルが、どこか悲痛な色を帯びる。

 二回目のAメロに入り、ドラムとベースが挿入される。途端にショウとカッちゃんがリズムを取り始める。一番と比べ、かなり層の厚くなった演奏がドラマティックだ。

 二番サビ。いよいよ人見のギターが入る。松本さんのボーカルにも負けじと力が込められ、怒りと悲しみがないまぜになった叫びに近くなる。

「うん、うまい。この子、デス声を練習したら、たぶん相当うまくなるよ」

 ハクが褒める。

 二番サビに続けてもう一度サビが繰り返され、松本さんの声も強度を増していく。

 最後、絞り出すような叫び声で曲が終わった。

 一瞬の沈黙、そして三人の「おおおおお」という賞賛の声。

「完成度高い」

「俺たちでも演奏してみたいね」

「それいいな」

 口々にそんなことを言っている。人見も満足していた。

作曲を終えると、松本さんはつきものが落ちたようにすっきりした顔をしていた。曲が作れそうです、いや、今すぐ作りたいです、と彼女は言った。このままだと徹夜してでも作曲に取り掛かってしまいそうだったので、まずはしっかり休むように言い含めてきた。

「人見、さあ早く」

 言われて顔を上げると、すでに全員が演奏の準備を終えている。

 聴いたばかりの音源を、自分たちでも再現したくてうずうずしているのだ。

 休ませてくれよ、と苦笑いしながら、人見はギターを構えた。


 一日作曲をした上に、その後長時間の演奏に付き合わされたおかげで、夜は熟睡だった。

昼前に何とか起き出して散歩をしていると、貸別荘の戸口から松本さんが顔を出す。

「おはようございます」

「おはようございます」

 人見はぎこちなく頭を下げ、「どうですか調子は」と聞いた。昨日、一日中同じ部屋の中にいたとは考えられない。

「人見さんのおかげで、本当に順調です!」

 声が弾んでいる。本当に調子がよさそうだ。

「午前中だけで、一曲は基礎のところまでほぼ完成したんです。しかもアイディアだけなら、もう三曲分はストックできていて」

「それはまた、規格外ですね」

 人見は笑い声を上げる。彼女の才能は本物らしい。

 ブロロロロロ、と車のエンジン音がした。見ると、貸別荘を目指して、一台の黒い高級車がやって来る。

「プロデューサーが来ました」

 松本さんが言う。

「まだ期日までには時間があるんですが、進捗を確認に来るって昨日連絡がありました。メンバーも何人か連れてくるそうで。とりあえず、今できているところまで聴いてもらおうと思います」

 人見は「がんばってください」と声を掛け、屋敷に引っ込んだ。彼女は曲を作れるようになったし、その完成度は誰にも劣らない。どれだけおかしな事務所であっても、音楽に携わる人間であれば、その力を認めざるを得ないだろう。

 これで、きっと大丈夫。

 人見はそんなふうに思いながら、暖かい部屋でコーヒーを淹れた。

 しかし、現実はそれほど甘くないのである。

 沈んだ顔の松本さんが館のベルを鳴らしたのは、日も暮れかけたころだった。

「どうかしましたか」

 人見が出迎えると、彼女はその場で泣き始めてしまった。

今日は、プロデューサーと、彼女以外のリーダー格のメンバー三人がやって来たのだと言う。

彼らに、彼女はいくつかの音源を聴かせた。

 プロデューサーは渋い顔でそれらを聴き、スランプはどうなったのかと彼女に尋ねた。彼女は正直に、他者の助けも借りて、自分の思いを消化するための曲を作ったことを打ち明けた。

 次にプロデューサーが投げかけた言葉は、信じられないものだった。

 ――曲が作れるようになったら、困るじゃないか。

 当惑する彼女を見て、他のメンバーもくすくす笑っていた。

 もともと、メンバーの仲はそれほどよくない。芸能界ならではの、どろついた関係だった。松本さんには仲のよいメンバーもいたが――「応援ソング」を一緒に断ってくれた子だ――その子は今日来ていなかったらしい。

 その後、プロデューサーは松本さんにクビを宣告した。もともと、曲を作れなくなったことを理由に解雇を検討していたのだと言う。クビになるのは彼女だけでなく、今日来ていなかった他のメンバーもだ。つまり、グループをリーダー格の三人だけに再編するつもりなのだ。

 アイドルとしての売れ行き、事務所の経営難、リーダー格の女たちの要望、などなど、いろいろな背景があるようだった。

 さらに彼女を唖然とさせたのが、今彼女が着手していた楽曲を、グループに寄越せという要求だった。もちろん、作詞作曲は松本さんではなく、リーダー格のうち一人の名前でクレジットされる。彼らは、松本さんの楽曲を強奪にやって来たのだ。

 松本さんが言葉を返せずにいると、メンバーのうち一人が「これ何?」とCDを見つけ出した。人見と作曲したものだ。止めようとしたが、彼らは強引にそのCDをかけてしまった。

 ――いいじゃんいいじゃん、こういう雰囲気もありよね。

 プロデューサーはそのCDを懐に収めた。ファーストシングルはこれでいこうか、という彼の言葉に、メンバーたちはきゃあきゃあ言いながら喜んだ。

 ――じゃ、あと数日で作れるだけ作ってね。正式な解雇通知は、また事務所で渡すから。

 彼らはそう言って、車に乗り込んでいったという。

 話を聞いて、人見は黙りこくっていた。どす黒い感情が渦巻く。しかし、ここで息巻いたところでどうしようもない。松本さんの混乱をさらに悪化させるだけだ。

 松本さんは玄関に立ちすくんだまま、涙を拭っている。

「許せないな」

 言ったのはハクだ。

 松本さんが「え?」と顔を上げる。人見は「あちゃあ」と頭を抱えた。

「万死に値する」

 そう言うのはショウだ。松本さんが「え? え?」ときょろきょろし始める。

「僕、本気で腹が立ったよ」

 カッちゃんが両の拳を打ち付けた。

「きゃあああああああああ」

 松本さんが叫ぶ。

 そりゃそうだろう。

 鹿


 大きな屋敷には、得てして秘密があるものだ。

 この洋館も多分に漏れず、一つの秘密を抱えていた。

 悪魔の封印。

 B級映画さながら、この館には三匹の悪魔が封じられていたのだ。

 とはいえ、封印されているのだから悪さはできない。せいぜい感受性の高い子供に、ささやき声を聞かせるくらいだ。人見は幼いころから、三匹の悪魔を話し相手にしていた。

 彼が悪魔たちにそそのかされ、封印を破ってしまったのは高校生のころだ。

 初めて一人で館に泊まったとき、彼は声に導かれるまま地下室に降りて、怪しげな箱を発見する。それはウィジャ盤などと呼ばれる代物だったが、人見は知る由もない。

 リビングに持ち帰り、あれこれいじっている間に、封印が解かれてしまったらしい。

 現世に復活した悪魔たちは、人見の魂を食らおうとした。驚いた人見がのけぞった拍子に、CDデッキのイヤホンジャックが外れ、大音量でメロデスが流れ始める。

 その呪詛と悲哀と怒号のサウンドに、悪魔たちは魅せられた。あまりにも、彼らの生まれ故郷である地獄を体現していたからである。

 彼らは人見の魂を奪うことをやめ、代わりに一つ提案した。

 ――我々に、この音楽を教えよ。

 人見は了承した。三匹の悪魔は、この土地――三匹の悪魔によって呪われた土地――をうろつきながら、人見が館にやって来ると、現世の事物の形を借りて洋館を訪れた。

 ハクは鹿の首の剥製。ボーカルである彼に、胴体は必要なかった。さらに言えば、この世のものとは思えないシャウトには、動物の喉の構造がぴったりだったのである。

 ショウは肖像画。絵の中で動き、しゃべる。絵の横にドラム機材のポスターを貼り付けておけば、彼はそこに写った機材を絵の中に運び込んで、演奏することができた。

 カッちゃんは西洋甲冑。全身があるので、ベースやエフェクターの操作も問題ない。唯一、指が金属製であるため、演奏する際はグローブを着用していた。

 三人は慎重で、人見以外の人間の前には姿を現さなかった。下手に身バレして、エクソシストでも呼ばれたらかなわない。

 しかし、今回の件は悪魔からしてもひどい仕打ちだったのだろう。

 我慢ができず、松本さんの前で口をきいてしまった。その結果、松本さんをひどく怖がらせることになったのである。

「大丈夫? 落ち着いた?」

 ハク、ショウ、カッちゃんについて一通り説明を終え、人見は松本さんの顔を覗き込む。

 玄関の段差に腰を下ろした松本さんは、まだあっけにとられた様子で、それでもこくこくとうなずいた。

「でも、どうするんだよ? あいつら、車に乗ってどこかに行っちゃったんだぞ」

 人見の問い掛けに、ハクが「あっはっは」と笑い声を上げた。

「見くびらないでくれよ。俺たちは悪魔だ。もうすでに、手は打ってある」

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