甲冑、肖像画、鹿の首

葉島航

第1話

 人見鉄郎は、バス停からの道のりを歩いていた。

 たった二、三分の距離だが、コートの肩には雪が薄っすらと積もりかけている。

 前方に、目指す洋館が見えてきた。ルネッサンス様式だか、バロック様式だか、とにかく壁面に過剰なほどの装飾が施されている。館の手前にある門は、有名な彫刻家によるもののレプリカだ。

 それらはすべて、人見の祖父が好んだデザインだった。一昔前に石油ビジネスで大儲けした祖父は、日本の各地に別荘を作り、贅沢に過ぎる隠居生活を送っている。とは言え、古希を超えたあたりから居を転々とするのをやめ、九州に腰を据えた。

 この洋館は東北にある別荘の一つで、人見が祖父から内々に譲り受けたものである。

 人見は小学生のころからこの洋館を気に入っており、折に触れて来たがった。それは彼が年を重ねても変わらず、高校生のころからは一人で滞在することもしばしば。大学生となった今では、夏季あるいは冬季の長期休みのほとんどをここで過ごす。

 人見は重厚な扉の前に立ち、鍵束を取り出す。当然だが、この屋敷は厳重なセキュリティによって守られている。一つ一つ確認しながら開錠しなければならない。手順を一つでも間違えれば、たちまちパトカーが数台駆けつけることになる。

 錠前たちと格闘すること数分、すべての鍵が外れたことをブザーが知らせた。

 重い扉を開け、冷え切った体を屋内に滑り込ませる。

 人感センサーが反応し、ホールに明かりが灯った。見慣れた景色だ。

 十二畳はあろうかという玄関。そこから一段上がったところが玄関ホールで、どこかの高級ホテルのロビーと言っても過言ではない。向かって右手には西洋甲冑が立つ。正面の壁には、高名な作曲家の巨大肖像画。そして左手には鹿の首の剥製が掛けられている。

 正面奥には、リビングにつながる扉が開かれている。

 靴を脱いで上がると、絨毯の起毛が温かく両足を迎える。寒冷な立地であるため、断熱の工夫には相当こだわったらしい。おかげで、まだ暖房を入れていないにもかかわらず、すでに館の中は暖かい。

 キャリーバッグをはじめ、巨大な荷物を一旦リビングに運び込む。

 革のソファ、もう何年も使っていない暖炉、ガラスのテーブル、成金趣味のあらゆる家具が置かれている。人見はほとんどこのリビングを使わない。

 リビングを中心に、玄関は南側にある。反対方向、北側には風呂が備えられ、そこらの温泉をしのぐ豪華さである――ただし、今は湯を抜いている。東側にはキッチン、こちらも「厨房」と言いたくなる規模である。西側は十畳ほどのゲストルームで、シャワーやトイレも完備されていることから、人見はここを拠点としている。

 ゲストルームに荷物を降ろし、暖房を入れた。

 コートを脱ぎ、ベッドわきの一人用ソファに腰掛けて一息つく。夕食は道中で済ませたし、戸締りも確認した。後は熱いシャワーを浴び、コーヒーでも飲んで、高級羽毛布団にくるまり眠るだけだ。こまめに足を運んでメンテナンスをしている甲斐あって、絨毯も布団もこざっぱりしている。このまま寝てしまっても何ら問題なかろう。

 分厚い二重ガラスの向こうを見やる。

 すでに陽が落ちた中を、雪の粒が踊っている。

 すでにほとんどの単位を取得していることもあって、人見の冬休みは長い。彼はこれから四週間ほどをこの洋館で過ごすのである。


 目を覚ましてから、キッチンで簡単に朝食をとった。バターをたっぷり塗ったトースト、ゆで卵、コーヒー。どこかの喫茶店で食べられるモーニングメニューのようだ。昨夜のうちに暖房を動かしておいたおかげで、キッチンは暖かい。

 食後、身支度を整えてから、人見は準備に取り掛かった。

 ゲストルームで埃よけの布を掛けられている巨大な箱体。

 几帳面に一つ一つ分けて括られているコード類。

 ドラム機材のポスター。

 そして、雪の中の移動に耐えられるよう、ビニールで覆われたケース。

 人見はそれらを、玄関ホールへと運んでいく。ホールに空調はつながっていないので、ファンヒーターを一台、ホールの片隅で点火しておく。

 ビニールを裂いてケースを開けると、中からギターが現れる。いわゆる変形ギターというもので、とげとげしい見た目だ。ボディは黒く、その光沢から一目で普通の値段では買えないことが分かる。

 人見は弦の具合を確かめるように、ギターのネックへ指を這わせた。ネックにはドクロ模様のステッカーが貼られている。

 ギターヘッドはこれもまた凶悪で、二股に分かれて尖っている。クワガタムシのようだ。

 人見はシールド――ギターや機器につなぐコードだ――をてきぱきと差し込んでいく。最後につなぐのは、巨大な箱体。アンプだ。これがないとギターの音を響かせられない。

 ギターのチューニングを済ませ、人見はアンプの電源を入れる。

 軽く鳴らすと、ギターの荒々しい見た目とは裏腹に、まろやかな音色が流れる。

 人見は足元のペダルを操作する。それらはエフェクターと呼ばれ、ギターの音色を変えるために用いられる。

 いくつかのペダルを押した後、改めて人見はギターピックを振り下ろした。

 激しく歪んだ、硬質なサウンドがアンプから飛び出す。腹に響く重低音と、鼓膜を震わせる高音が混ざり合っている。

 人見はそのまま、ズンズンとかき鳴らす。昔から指のストレッチ代わりに弾いているリフだ。パワーコードと三連符を多用していて、運指そのものは簡単であるにもかかわらず、かなり激しい演奏に聞こえる。

「よし、と」

 どちらかと言うと細身で大人しそうな人見は、ギターやサウンドが自分の外見に合っていないことを自覚していた。しかし、全くもって気にしない。自分の好きなものを好きなように鳴らす。それを至高の喜びとしていた。

 大学でも軽音楽サークルに所属し、二つのバンドを掛け持ちしている。ただ、飲み会や合宿への参加は苦手で、どちらかと言うと「ストイックなサポートメンバー」として立ち回ることが多い。

 だから、大学内のスタジオを使った練習がなくなり、仲間内のどんちゃん騒ぎが活性化する長期休みには、人見は活動に参加しない。しかし、彼にとってギターを鳴らすことは呼吸にも等しく、ギターを思う存分かき鳴らせる環境が必要だ。

 この洋館は山奥にあり、人家はなく、小さな貸別荘が数十メートル隣にあるだけ。つまり一人でここへやって来れば、どれだけの音量でギターを鳴らそうと、機材を出しっぱなしにしようと、誰にも文句を言われない。さらに

 ともかく、人見が心置きなく練習に専念するのに、この洋館は最適なのだ。

 

「完全に、沼だ沼」

 カッちゃんが言う。

 人見はそれを聞いて笑い、「本当だよ」と相槌を打つ。

 セッションメンバーが続々と集っていた。カッちゃんはベースを担当している。

 人見とカッちゃんは軽く音を合わせた後、エフェクターをずらりと並べ、音作りに励んでいた。

 多様な個性をもつエフェクターを掛け合わせることで、新しいサウンドを生み出すことができる。しかし一方で、エフェクトを重ねすぎてしまうとハウリングの原因となり、取捨選択が難しい。

 ギタリストやベーシストなら誰もがはまる、音作りの沼である。

「これ、この前発明した失敗作」

 人見が言い、いくつかのエフェクターをつないで起動する。

 弦を弾くと、ジャリジャリとした金属音が響いた。ちょっと聞いただけではかっこよくも思えるのだが、歪みと金属的な効果のせいで音がつぶれてしまい、音程の区別がつかない。

 あまりの音圧にカッちゃんがのけぞる。

「めちゃくちゃヘヴィだけど、これ何?」

「歪み系に、アコースティックのサウンドを無理矢理合わせたらこうなった」

「んな無茶な」

 エフェクターには様々なカテゴリーがある。人見はそのうち三つを意識し、組み合わせを考える。

 一つ目は歪み系。音に荒々しい歪みをあえて付け加えるエフェクター群である。ちなみに、「ゆがみ」ではなく「ひずみ」と読む。

 二つ目はモジュレーション系。「揺らし系」とも言い、音に独特なビブラートやうねりを付けるエフェクターである。トレモロ効果を付与するものもある。

 三つ目は空間系。空間的な広がりを音に付け加えるエフェクター群である。山びこのような効果や、ホールで演奏しているような反響を付けることができる。

 これらに加え、ノイズを除去するエフェクターや、音のバランス・強弱・高低を調整するためのエフェクターなどを組み合わせ、自分の欲しい音を探していく。

「おぬしら、また音作りか?」

 えっちらおっちらとドラムを運びながらショウが言う。

「そう、音作りの沼から抜け出せないの」

 カッちゃんの言葉にショウは鼻を鳴らした。

「どうせ今回もその作業に何時間も使うんだろう? その時間があるならば、ドラム運ぶのを手伝ってほしいんだが」

「無理だって」

 言い合っているところに、朗々とした声がとどろいた。

「久しぶりぃー」

「あ、ハクが来た。これで全員そろった。早くセッションしよう」

 カッちゃんは両手にグローブをはめ、ベースを抱えてうずうずしている。

 長期休みには、四人の仲間がこの洋館に集い、演奏と曲作りを繰り返す。メンバーは、ベースのカッちゃん、ドラムのショウ、ボーカルのハク、そしてギターの人見。

「こっちも今運び終わったところだ」

 ショウが額の汗を拭っている。

 早速だな、と苦笑いしながら、人見もギターを手に立ち上がった。

 バスドラムの重い振動が響き始め、そこにカッちゃんの武骨なベースが乗る。ショウの目指すリズムと、カッちゃんの狙うメロディーラインを見定め、人見はギターを鳴らし始めた。


 演奏でくたびれ果てた両手首をストレッチしながら、人見は庭を散歩する。雪をかぶった植木たち。豪華すぎる庭園は、洋館を一周するのに十分ほどかかる。

 四人で集まると寝食を忘れて演奏を続けてしまう。結局全員がそろってから、過去に練習した曲を一通り演奏することになり、気付けば五時間を超えるライブ状態だった。

 さすがに小休止となり、人見は散歩に繰り出したわけである。

 昼食も取っていない。持参したレトルトの食材を頭に浮かべながら、鼻歌を歌う。

 人見以外の三人は、洋館でヘヴィメタルの新譜を聞き漁っている。四人で演奏できそうな曲を見繕うのは常に人見の役目だ。残りの三人は、彼のチョイスを基に「あれをやりたい」「これをやりたい」と選曲する。

 今晩には、この四週間で練習したい曲がいくつか決まるだろう。後はひたすら耳コピによる個人練習と、全員でのセッションの繰り返しだ。

 人見は洋館の裏手に差し掛かる。わずかに高い位置になっていて、周囲を見渡すことができる。

 ふと、何かが動いた。木の間である。

 あそこは貸別荘のある位置だ、と人見は当たりを付ける。

 これまで何度もこの館に滞在してきたが、冬にあの貸別荘を利用している人間を見たことがない。見かけるのは、せいぜい水道管が凍結していないかを確認に来た業者くらいだ。

 首を伸ばして見てみると、タクシーが一台停まっている。そこから一人の女性が降りた。人見と変わらない年頃に見える。二十歳前後だろうか。

 タクシーの運転手がキャリーバックを渡している。女性は何度も頭を下げてお礼を言っている。

 やがてタクシーは走り去っていった。どうやら、女性は一人で貸別荘に滞在するらしい。無論、この後誰かが合流するのかもしれないが。

 少なくとも、貸別荘に昨晩明かりは灯っていなかった。

 こんな観光地でもないところで、女性が一人、何をするのだろうか。

 人見は頭を振る。他人は他人で、深入りしない方がいい。そもそも、こちらが心配するような事情があるとは言い切れないのだ。

 人見は踵を返した。最後に一度だけ、貸別荘を振り返る。

 そこは雪の中で、しんと静まり返っていた。

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