第58話 琴音の本心

 琴音の家から、どこをどう走って来たのかすら覚えていなかった。身体はびっくりするくらい濡れていた。疲れと、冷えで圭吾は意識が朦朧としてた。寒さからなのか、震えが止まらなかった。由美は、圭吾に何も言わずに部屋に上げた。


「シャワー浴びて。服ならここに置いておくから」

 由美は俺がいた時に着ていた服を置いてくれていたようだった。由美は変わったとは思ったけれども、それでも。


「俺は由美と寄りを戻すことはできないよ」

「そんなことわかってるわよ。期待もしてないから安心して」

 由美は一言だけ言うと奥の部屋に行ってしまった。まさか、琴音と別れてここに来てしまうとは思わなかった。ただ、由美なら今の状況に的確な答えを出してくれそうな気持ちはあった。


「懐かしいな」

 浮気の一件がなければ、この部屋で由美と過ごしていたはずなのだ。やがて結婚して子供が産まれていたはずだった。由美の浮気は彼女の問題ではあったが、圭吾にも想いやれるところはあったのではないかと思う。そして、今度は琴音だ。親絡みであるが本当に彼女とは終わってしまったのだろうか。


 身体を洗って服を着替え、居間に入った。由美は見ていたテレビを止めて、キッチンからマグカップを取り出した。


「コーヒーでいい?」

「あぁ、ありがとう」

 由美の対面に圭吾は座った。


「で、さっきの話だけど、あんた琴音と別れたって本当?」

「あぁ、さっき別れてきた」

「なんで? 琴音ちゃんあなたのことが無茶苦茶好きじゃん」

「好きでも別れなくちゃならないことだってあるんだ」

「もしかして、お義父さん?」

 圭吾はゆっくりとうなづいた。由美は納得した表情をした。


「俺を医者にしてくれる代わりに婿養子になれと琴音のお父さんに言われた。自分の父親を説得しようとしたんだけれど、逆に琴音の家に諦めてくれと言いにいきやがった」

「なるほどねえ」

「お前の時はそれで引き下がっただろ」

「いやあ、あれはないわと思ったよ。もしうちのお父さんが反対したら、意地でも奪うつもりだったな」

「えっ、そんなつもりだったの」

「あんたチョロいし、行けるでしょうって、思ってた」

「そうだったんだ」

「大企業と違い、琴音のお父さんは中小企業、やはり後継問題は重要視してるよね」

 圭吾には会社のことはよく分からなかったが、中小企業は代表がオーナーだから、雇われ社長の大企業と違って囲い込みが起きやすいらしい。


「まあ、結局わたしは浮気で全てを失ったんですけどね」

「で、愛しの琴音ちゃんはなんて言ってるの?」

「みんなが応援してくれないなら、結婚しても後悔するって」

「すごい優等生な解答だけど三十点ね」

「なんで? 凄い考えたんだと思うよ」

「だめよ、全然ダメダメ。だってさ、そこに圭吾と琴音の幸せが入ってないじゃん」

「どう言うこと?」

「みんなが応援しなければ傷つくかも知れない。後悔するかも知れない。でもなんだって言うの? じゃあさ言うけども別れたら後悔しないとでもいうの?」

 俺はそこに思い至っていなかった。さすが由美だった。俺はきっと後ろから押してくれる人を探して、ここに来たのだろう。


「琴音に言ってみるよ」

「ちょっと待って……」

「どうして」

「あんた、優しいから、琴音の心に入り込めない。わたしがお膳立てしてあげるから、スマホ貸して……」

「えっ、今から電話?」

「あんたの言い方なら今日別れたんでしょう。なら今日じゃないとダメよ」

「明日にきちんと会って」

「今日、別れたんでしょう。明日になればそれが確定路線になってしまうわ。今日じゃないとダメなのよ」


 俺はスマホから琴音の連絡先を押した。数回呼び出し音が鳴って繋った。


「どうしたの、いきなり電話して来て」

 電話に出た琴音の言葉は固かった。とても入り込める余地がなさそうだった。

 由美が横からスマホを奪った。俺にも声が聞こえるように外部音声に切り替えた。


「代わって、わたしが言うわ」

「あなたの圭吾くん、死にそうな顔して、わたしの家の前に立ってた。あんた舐めてない。ふざけないでよ」

「えっ、由美さんなんで……」

「あなたに別れた後、圭吾は雨の中走っていたみたい。そしてわたしのマンションにたどり着いた。あなた、みんなに祝ってもらわないといけないと言ったそうよね」

「それがどうしたの、それは圭吾とわたしの問題なんだけど」

「あんた、それでいいの。みんながお祝いしなければダメっていう、そんな理由で別れても平気なの?」

「そんなの由美さんには関係ないじゃない」

「あんた、そんな甘い考えで圭吾を愛してたというの、舐めないでよ。死ぬ気でわたしから奪いに来たと思ってたわよ」

「あなたには、関係ないでしょ」

「そっかー、そうよね。もうふたりは別れたから関係ないもんね。じゃあさ、わたしが圭吾と付き合っても関係ないよね」

「おい、何を言ってるんだ」

「圭吾は黙ってて!」

「なんで、そんなこと言うの。そんなの嫌よ」

「甘いのよ、あんたは。そんなにも別れたくもないのに、綺麗事言って。覚悟がないのよ」

「由美さんの言う通りかもしれない。わたしは甘いかもね」

「わたしが、言えるのはここまでよ」

「ふたりで話しなさい。今後のことをね」

「琴音、ごめん」

「うううん、わたしが圭吾くん追い詰めてた。ちゃんと話そう。もう一度私たち、どうしたいのか、どうすべきなのか」


 俺は由美に礼を言って琴音の家に向かった。同じ宝塚だから、電車に乗らなくてもそんなに離れてはいなかった。


 圭吾はインターフォンを押した。琴音が出てきて、すぐに開けてくれた。父親の車は止まっているため、家にいるようだった。


「どうぞ」

「いいの、お父さんいるけれども」

「父にも言ってあるから、大丈夫よ」

 圭吾は琴音の二階の部屋に上がった。お正月に訪れた時と変わらない可愛い部屋だった。琴音は部屋着だった。圭吾には少し新鮮に感じた。


「部屋着もかわいいね」

「もう、恥ずかしいよ。でも、圭吾くんだからいいかな、って」

 走ってきたから着替える時間もなかったようだった。着替えようと思ったが、ホテルで全て見られたんだから良いかと結論を下したとも言ってた。


「由美さんが言ったことは真実だと思う。きっと圭吾くんと別れたら後悔する。いやもうしてた」

「じゃあさ」

「ちょっと待って。でもお義父さんを説得しないで婿養子に来てもらうのも嫌なの」

 あの偏屈親父を説得できるなんて思えなかった。そんなことができているならば、もうとっくに説得出来ていた筈だ。


「だよねえ」

 結局、振り出しに戻ってしまった。ふたりはため息をついた。その時に扉をノックする音が聞こえた。


「琴音、圭吾くん入っていいかな」

「どうぞ」

 入ってきたのは琴音の父親だった。


「お義父さんを説得する役目、俺がやってはダメかな」

 力強く琴音の父親が圭吾を見つめてきた。


「お父さん!」

「俺はさ、やはり琴音の言う大学を受け直すことには賛成できないんだ。琴音の気持ちはわかる」

 圭吾は琴音の父親の言ったことが最初は理解ができなかった。琴音が受験。意味がわからなかった。


「どういうことですか?」

「琴音、バラしてもいいよな」

「ここまで言っちゃったら、もう言わないわけにはいけないよね」

「すまないと思ったけども、隠すのはお互いにとても良いとは思えなかったので、ここでバラすよ。琴音の決意を圭吾くんにも聞いて欲しかったんだ」


 琴音は圭吾と別れた後、誰の婿養子も受け入れるつもりはなかった。自分が医大を受け直して、入り直す。その時に改めて圭吾に告白するつもりだったのだ。


「ごめんね、圭吾くん騙しちゃって。わたし、圭吾くんと出会ってしまった今、もう他の人は愛せない。無理なの、だからお父さんに無理を言った。お父さんも途方に暮れてた」

「そうだ、それはあまりにも時間がかかる。だからこそ、お義父さんを説得する方法をわたしも死ぬ気で考えた。説得できると思ってる。だから圭吾くん、わたしと一緒に説得しに来てくれないか」

 圭吾は琴音が自分以外の誰とも結婚する気がないと知って嬉しかった。お父さんがそこまで考えてくれているのも嬉しかった。


「よろしくお願いします」

 圭吾は二つ返事でお父さんに手を差し出した。


―――


これが一つの結末の形です。次回で全てが動きます。

良かったと思ってくれたら星いただけると喜びます。


あと数話です。それまでお付き合いください。よろしくお願いします。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る