第2話「ネット酔いとネトゲ規制法案」

「おはようございます……お兄ちゃん」


 徹夜でネトゲに潜ったあとの朝はさすがに休日でもキツいものがあるらしい。俺は徹夜で潜るのを前提に帰宅後即就寝してから、夜間にダイブしたのでまだ少し余裕がある。しかし帰って学校の課題を一気に終わらせてネトゲの世界にいった妹にはそんな余裕は欠片もない様子だった。


「だから徹夜はする前に寝ておけと言ってるだろう? いくらリアルに持ち越さないからって酒飲んで徹夜作業なんてするのは無理に決まってるだろ……」


「酒が私にもっと飲めとささやいていたので……」


「ゲーム内だとしてもアル中になるのはいい事ではないぞ?」


「だって……」


 言い訳を始めようとしている妹の前に茶碗を置く。中身は梅干しと鰹節の乗って湯気を立てているお粥だ。


「それなら食べられるだろう? ネットだからっていくらも飲むのはやめろよ?」


 そんな事を言っても聞く妹ではない事は知っている。休日だからこのくらいは大目に見るべきという意見もあるだろうが、休日に甘やかすと次は平日に影響が出るのが目に見えている。


 ちなみに妹のゲーム内ジョブは賢者である。転職が最高クラスに難しい職業に廃人プレイで無理矢理就職したのだが、正直そのせいでゲーム内では無職扱いされている感がある。実際リアルを犠牲にしないと手に入らないようなものを豊富に持っているのでその誤解はしょうがない事だ。


「お兄ちゃんのお粥は美味しいですね~……私に永久就職しませんか?」


「まずお粥はお前がゲーム酔いするからしょうがなく作っている事を忘れるなよ? できれば普通の食事が出来るにこした事はないんだからな?」


「眠いのはしょうがないじゃないですか! 徹夜でプレイしていたんですよ? むしろなんでお兄ちゃんの方は平気そうなんですか?」


「俺は先に寝だめしてるから」


「お兄ちゃん、寝だめは出来ないってどこかの論文になってましたよ」


「それでもまったく寝ないよりよほど次の日楽だろうが……お前みたいに朝食がお粥にはなってないだろ?」


 俺の目の前にはトーストと目玉焼きの一般的な朝食が置かれている。お粥を食べなければならない妹とは明らかに違うという事だ。


 俺も妹も食事をしながら今日の事について考える。因幡いなばの方はお粥を食べたら即ネトゲの方に戻りそうな勢いだ。だから『いつ入ってもログインしているフォーレさん』って裏で呼ばれてるんだぞ。どう考えても無職としか思われないので自業自得ではあるのだが、妹が無職と思われるのは兄として気分のいいものではない。


「ごちそうさまです、お兄ちゃん、料理の腕を上げましたね」


「やたらとお粥を作らされたからな、そら慣れるよ」


 出来れば家族がお粥しか食べられないような状態になって欲しくない。毎週何日もまともなものが食べられないような状態に自分を追い込むのはやめて欲しい。


「お兄ちゃん、お酒が欲しいです」


「リアルでは飲めない年齢だろうが……ゲーム内で我慢しろ」


「うっぷ……しょうがないですね、ちょっとゲームに潜り直してきます」


 そう言って空になった茶碗を置いて部屋に戻ってしまった。だから『いつログインしてもいる人』扱いされるんだぞ。つーかあの調子だと昼飯もお粥ルートだな、妹が寿命を犠牲にして仮想空間に居座っているような気がしてならない。


 しかし食べる事は食べるようできっちり空になった茶碗を洗いながらアイツがネトゲに居場所を見つけて初手飲み過ぎでゲロを吐いたのも懐かしい話だ。俺の器機を貸してやった状態で吐かれたので当分俺はVR器機を使うのに抵抗感があったものだ。なおアイツはすぐに味を占めて新品を購入し当然のごとく新品を自分で使っている。俺の器機のクリーニング? するわけないだろ、あの妹だぜ?


 茶碗も片付いたので掃除を始めた。どうせ直にゲーム酔いして死にそうになりながら救援を求めてくるのは目に見えているのでログインはしない。目に見えた結果を待つしかない無力さを痛感する。いや、百パーセント悪いのは妹ではあるのだが妹の体調管理も兄の役目だ。父さんも母さんもろくに帰ってこないので俺が因幡の面倒を見なければならない。双子の兄としての使命であるといっていいだろう。


 そして俺は眠気を覚ますためにコーヒーを淹れた。アイツはあれで紅茶派なので俺が紅茶を飲めるのはこういう時だ。普段は妹基準に合わせて紅茶を飲んでいるからな。


 豆と水を放り込んでスイッチを入れる。ガガガと豆が砕かれ香ばしい豆の香りがふわりと広がる。


「うぇっぷ……お兄ちゃん、水をください」


 だからゲーム内でも迎え酒はやめろと忠告したのにいつも無視した妹がキッチンに戻ってきた。時計を見ると一時間ほど経っているのでそれなりに飲んだのだろう。


「ほら、水な。飲んだらちゃんと寝ろ」


「ありがとうございます、飲んだら宿屋に引きこもっておきますね」


「いや……リアル寝室で寝て欲しいんだが……」


 どういう文脈を取ればゲーム内で寝ろという話だと思うのか? 一応横になった状態で宿のベッドに寝れば睡眠モードに入って通知が届かなくなる程度の配慮はあるが……そんな配慮をするならスタミナシステムにでもすればいいのに。


「ふぅ……これでもうしばらく戦えそうですね」


「企業戦士かお前は! いいから黙って寝てろ」


「お兄ちゃんのケチ……」


「ルータのケーブルを引っこ抜かれたくなかったらこの際ゲーム内でもいいから休憩してろ」


 もうこの際ゲーム内でも横になっていれば寝ていると判断されるのでそれでもいい。とにかくまたはまり込んでゲロを吐くような事はやめて欲しい。


 一応不承不承ながらも納得した妹は部屋に帰っていった。家庭の平和を守るためにネトゲへのスタミナ制導入を願いたい。基本無料という課金形態のいつまでも遊べるという悪いポイントを集合させたようなゲームなので運営はなんとかしろ。そして俺は一通りの家事をしてから部屋に戻ってVRヘッドセットをつけた。因幡がベッドで静かに寝ているはずがない。ネット上で睡眠モードにして寝顔を晒しているか、なんならまた酒を飲んでいる可能性まである。監視しなくてはな。


 ヘッドセットをつけてログイン操作をする。すぐに意識が飛んでいく。


「あ! ギルマス! フォーレさんが部屋に引きこもってるんですが何か連絡聞いてますか?」


 いきなりヴィルトに話しかけられた。


「寝てるんだろ、昨日も随分と飲んでたみたいだしな……」


「フォーレさんって未成年ですよね?」


「ゲーム内に飲酒の規制はないからな」


 そう、あくまでゲーム内の話だ。だから実生活に影響は出ないはずなのだが……


「私、あれで二日酔いになってからあんまり飲んでないんですよね……仮想のアルコールが体に影響がないって本当なんですかね?」


「少なくとも厚労省が認める程度には安全なんだろうよ」


 まったく信用できないが、少なくとも素人の何の意味も無い感覚よりは確実だし、信用できる他の情報はない。


 だから俺は今日もゲーム上で妹が多少なりにも健全な生活をしているかどうかをチェックしている。幸いギルドの自室から出てこないという事は安心だろう。その日、俺はギルドの共有室ウインドウを開いて学校の宿題をこなした。このゲーム、きちんとゲーム上で作った成果物をデータであればエクスポートできる。だから俺は『二人分』の宿題をこなしておいた。いわずもがない自分の分と妹の分である。アイツは成績がそこそこいいくせに学問をやる気がなさ過ぎる。その日、夕方になって『おはようございます皆さん……』と呑気に出てくる頃まで宿題をやったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る