いとくずマモノのはらのなか

王子とツバメ

怪物と天使の話

 自ら紡いだ小さなセカイの中。その虚空に歌操天使かそうてんしの機体と、それが紡ぎあげる歌声だけが存在していた。

 ここは、俺が紡ぎ出した文字通り俺のためだけに存在する世界。何も生まない、誰にも望まれない歌を好きに謳っていられる。


 だが


 俺の世界を閉じていたまゆは唐突に、あっさりと打ち砕かれてしまった。


「素敵ナ歌 ネ? 少し 陰気 だケど」

「イい。 すごク 好き」


 ――一瞬にして、すさまじい質量が、天使の身体を呑み込んだ。


◆◆◆


「ん……」

 重い瞼を開くと、俺の世界とは違う気配の暗闇が広がっていた。狭い空間。周囲の壁は脈打ち流動し、蠢いているようだった。


「ここは……ヤツの体内、か?」

 意識接続に問題は無い、五感のセンサーもほぼ正常稼働している。四肢は酷い有様だが、どうやら主要機関はあらかた無事なようだ。

 しかし歌操天使の機体がこうも容易く破壊するとは。さすが、世界をいくつも潰してきたバケモノなだけはある。


 さて。この四肢では動くこともできんしなあ……とにかく落ち着いて思案するくらいしかできないか。


 周囲は濃密で混沌としたフィロの気配に満ちている。


 十中八九、根源糸フィロ食いの化け物たるヤツの体内だろうな。その悪名高き『世界喰らいの魔物』に食われたのに、この歌操天使の機体がここまで無事だというのは予想外だが。

 いや、それよりも。最後に聞こえたあの声……


「悪趣味なことだ。俺の歌が好きなどと」

「!」

「……む?」

 なにかが、息を呑むような声がしたような。


「ね、ネェ……」

「誰だ。誰かいるのか?」

 虚空に向かって声をかける。

「やっぱリ! あナた 話せ ル!」

 この声は、まさか。……声音から敵意は感じられないが。思い切って返答してみるべきか?


「お前は、誰だ?」

「私 は……え、と、わタ、し……?」

「……質問を変えよう。俺の世界ごと俺を食ったのはお前か?」

「う、ウん! アナタは 壊さなイように、大事に食べタ よ。うマくできタ!」

 ヤツなりに手心を加えた、だと? いや、それよりも


「やはり、世界喰いのマリスか」

「マリス……? そレ、私の 名まエ?」

「ん……まあ、そういうことになるか」

「名まエ、 マリス…… 私、は マリス……!」

 随分と嬉しそうに声を弾ませている。上の連中神々が勝手に名付けた『害意マリス』の通称をこうも喜ぶか。

「ね、ネェ。モっと おハナし、シて?」


 声が言うなり、機体のすぐ横に何か生えてきた。小さなでっぱりに埋め込まれた、眼球にも似た丸い器官がこちらを見ているようにみえるが……。察するに、こちらを観測するための端末器官といったところか? まあ確かに、相手が間近に見えているほうが話しやすくはあるだろうが。


「少し時間をくれ。発声は疲れるし、話題も考えねばならんものだ」


「うン……! 待っ テ る!」

 ふむ。しかしこれは妙なことになった。あの世界喰らいのマリスが、俺に興味を示しているらしい。面倒なことだ。

 これが他の輩であったならば、マリス打倒の糸口を躍起になって探したのやもしれんが。俺にとってマリスの脅威などどうでもいいことだ。まして魔物殺しの英雄になるつもりなど毛頭無い。


 ……が。

 未知の存在であるマリスに興味が無いわけではない。せっかくだ、話相手になるのも一興か。しかしまあ。さっさと損傷機体から精神接続を切って終わり、と思っていたが。やることは多そうだな……。



◆◆◆


 最初の話題か。とりあえず信頼と理解を築くためにも自己紹介が無難だろうが。

 うーむこの場合『俺自身』を明かしていいものかどうか。軽く話してみた限り知能は高くなさそうだし、明かしたところで理解ができるのか。

 ……とりあえず、歌操天使について話しておこうか。


「俺は、歌操天使のエレギア。天使は分かるか?」

「シってる ! アナタと にてル カタチで 歌うと、キレイなセカ イが できる」


「そうだ。万物を構成する不可視の糸、根源糸フィロを集め、紡ぎ歌でもって紡ぎあげ、世界を創造・維持するための機械。それが歌操天使だ」


「エレギア、キレ イな 歌をうタ う。きかイ、テンし。 わカ った」

 ……まあそのくらいの認識で良いだろう。


「さて、こちらが自己紹介をしたのだ。お前のことも教えておくれ」

 もっとも、すでにこちらが知っている以上の情報が出るとは思わないが。『互いに』自己紹介するという段取りこそが重要というものだ。


 マリスはというと、しばし考え込むように沈黙した。その間、端末の眼球がぱちぱちと頻繁に瞬きしていた。


「マリスは、セカイを、食べる の 大き く なルの」

「なぜ、そんなことを」

「おな か が すくかラ もっト もっと」

「それだけ?」

「う ん!」

 うん、そうだな。うっすら想像できていたが野の獣と変わらん単純な動機だ。ただその捕食の規模が桁違いなだけで。


 世界を紡ぐ時に微量に生じる「糸くず」――半端に世界や生命の因子を抱えた微細なフィロの残滓が寄り集まり疑似生命体と化したのが『世界喰らいのマリス』の起源、と言われている。生命体としての本能をそなえてしまったために、世界を食い散らかしているのか。そのうえで原始的な知性まで芽生え始めている。


(……これは、思っていたよりもかもしれんな)

 などという感想が頭をよぎったが。その「大変」が誰にとってのことなのか、正直なところ自分にもよくわからないでいた。


◆◆◆


 先の会話を終えてどれくらいたっただろうか。ヤツの声も端末の姿も、いつしか消えて、窮屈な空間に静寂と大きく破損したわが身だけが転がっていた。


 ふと、考えが浮かぶ。この空間――マリスの体内がフィロで構成されているというのであれば。そこから何かを創造するつむぎだすのは容易なのでは? と。

 その予測に突き動かされるように、歌操天使の身体は小さく歌を口ずさんでいた。……すぐさま周囲の壁――マリスの肉体から淡い光の糸となったフィロが紡ぎ出され、捕食の際に腿からぼっきりと折れた左足に集まっていく静かに修復されていく。


 やはり。マリスの身体は、まだ未精製の純粋なフィロの特性を残している。フィロが変性・固定化されることで存在を確定する正規の被造物とは違う、膨大な量のフィロの――糸くずの塊なのだ。


 などと考察していると、足元に例の一つ目の端末が飛び出してきた。

「今、なにした ノ?」

 その声音は少し慌てたような、あるいは戸惑うような早口だった。

「紡歌を……とりあえずこの破損したこの機体を修復しようと思って。すまない、気や身体に障るというのであれば以降はしない」


 端末は首(いや、全身?)を横にゆっくりと振った。

「ううン、イイ よ。 身体 治すノ、大事で ショ? それに 歌、聞ケ た マタ 聞きた イ」


 創造の材料としてマリスの身を構成するフィロが消費されているわけだが、消費量があまりにも微小で気付いていないのか、あるいはその程度の量など意にも介さないのか。


「……ありがとう」


 どちらにせよ、だ。この化物の意識は、どうも俺に都合が良い方向に向かっているらしい。


◆◆◆


 あれから、周囲のフィロを用いての機体の修復(念のため、その都度マリスには許可を取っている)、あるいはマリスの慰みに花や輝石などのごく些細なプレゼントを創造してみせるうちにわかってきた。

 多少変質はしているものの、マリスを形成しているフィロは創造の素材として扱いやすい性質のままでいる。


 これほどの量の濃縮されたフィロを全て紡ぎあげてしまえば、それこそ巨大な世界を丸々一つ作ることができるのではないか。――マリスという疑似生命存在の消滅を対価にして。

 もっとも、その身を使い切り滅ぼす勢いで肉体フィロを削られれば、マリスもこちらを脅威とみなし排除にかかるのが普通であろうが。


「紡歌、おもしろい ネ。キレイ な歌で、 色んなモノ が できル。ステキ素敵!」


 目の前の端末器官マリスが、無邪気に目を細めて、ころころと『笑った』。

 こちらとの会話で学習しているのか、はたまた食らった世界を養分としてさらに知性を増す進化を遂げているのか。マリスの喋りはずいぶんと流暢になってきたし、こちらの与えた情報をどんどん吸収していく。そして、こちらの観測に用いているのであろうあの端末器官も今では人に似た形を形成し、その表情でもってリアクションをしてくれるまでに至っている。


(良いぞ。知恵を付けろ。生存本能を凌駕するだけの憧憬を、欲望を抱け)


 ――俺は、ただその『推測』と『好奇心』の先にある結果を見たいためだけに、この化物にめいっぱいの贈り物をしようとしている。


 やがて、我々の間には

「しばらくは身体の修復にマリスを形成するフィロを利用することになる、その対価として歌や話を提供する」という契約が交わされていた。

 機体修復の許可についてはもとより咎める様子は無かったので心配はしていなかった。


 本題は、その建前によってマリスに知識と好奇心を与えることだった。


◆◆◆


「マリスの名は、正直、あまりよくない意味も持っている」

「……うン」


 ある日、俺はそんな話題をマリスに切り出していた。その単語が内包する意味については、前に軽く話したことがある。その時の少なくないショックを思い出したようで、少女の姿に見えなくもない端末器官は暗い表情でうつむいた。


「だが、言語が違うと別の意味も出てくる」

「?」

「『海』。あるいは、どこぞの世界では豊穣の女神の名前でもあるそうだ」

「海……大きイ、水たまり。キラキラしていテ、生き物がいっぱい、イる」

「ああ。お前の性質にもよく似ている。どこまでも大きくて、生命を生み出す力で満ちている」

「……」


 俺の話を聞いて、マリスはしばし黙りこんだ。脳裏に海の光景を思い描いているのだろうか。――確かなことは、その端末器官の眼には、確かに憧憬とも呼べる期待の光が宿っていたことだ。


「生き物に興味があるか。今ここで生み出すこともできるが」

「すぐ死んじゃウ、よ」

「そうだな。ここにあるのはお前を構成するフィロくらいのものだ。生命が生き延びるのは難しいだろう」

 この歌操天使の身体も通常の生命体とは全く違う強度と構造の「装置」だからこそこの空間で長期的に活動できているのだから。


「ならばいっそ、お前が一つの世界になってみればいいんじゃないか、それこそ海のような命が生み殖え末永く住めるような環境に」

「できる、ノ?」

「お前の身体はフィロの塊、いわば世界の卵だ。その身を削る覚悟があるなら、俺の紡歌でどんなものにも作り替えることができる」

 もっとも、大規模な創造行為ともなると機体の完全修復が必要になるだろうがさしたる障害もなく材料も潤沢な以上、準備が整うのは時間の問題だろう。

「……長く正常に稼働する規模の世界を作るなら、今のお前のカタチや性質とは大きく変わってしまうだろうが」

 俺がそうリスクをほのめかすと、いくらかの逡巡の間があった。……だが、すでに端末の表情には一つの答えが宿っていた。


「それデも。わたし、世界になってミたい」


◆◆◆


「さて……準備はできたが」

 マリスを世界として紡ぐ約束が成立してしばらく後。あれから長い時間をかけ、ようやく機体の修復は完了した。その過程でマリスの内包するやや特殊な性質のフィロを正確に紡ぐ勝手もほぼ完璧に把握した。


 ――今なら十全の状態で、最大規模の『創造』ができる。


「もう一度言うぞ」

 目の前の端末器官は神妙な面持ちで黙っている。

「長く豊かに維持される世界を生み出すのであれば大量のフィロを紡ぐことになる。お前のカタチや性質……もしかしたら自我も大きく歪めてしまうかもしれない」

 一息、間を置く。


「それでも、やるか?」

「……うん」

 端末器官は大きく頷いた。……決心は固いようでなによりだ。


「気が変わったならば途中で言うんだぞ。そこで止めることもできよう」

 リスクの説明と拒否権を用意したのは、手心のようなものだったのか、あるいはそれさえも、信頼と約束を強固にするための駆け引きだったのか。


 それすらよく分からないままに、俺は歌い始めた。歌操天使に備わった機能の極致、世界創造の歌を。歌の始まりと共に、周囲のマリスの肉体いとくずがゆっくりとほぐれ、別のカタチへと縒り合わさっていく。


 抵抗は一切無かった。マリスの声はせず、身体が大規模に変じていく中、身じろぎすらしない。

 目の前の端末器官もあっという間に解きほぐされ大地を彩る草木へと紡ぎあげられていく。ごく狭かった空間はどんどんと広がり、穏やかな色彩の広大な大地が織り上げられ、天から柔らかな光が差してくる。


「ねえ、エレギア」


 天と地がすっかり拓け、はるか彼方に地平線が見えてきた頃に、不意に微かな声が聞こえた。マリスの声だ。

 ここまで創造が進行しては、もはやマリスとて抵抗しようにも攻撃や妨害をする手段は持っていないだろう。そういった機能を担う箇所から優先的に分解消費させてもらったのだから。

 ……などという俺の考えに反して、その声は穏やかで喜びに満ちたものだった。


「キレイ、だね。歌も、セカイも。今までので、一番」


 一瞬、歌声が、つかえた気がした。

 ダメだ。まだ歌は終わっていない。あと少しで完了する。――マリスの自我すら、織り込んでしまわねば意味が無い。


「ありがと」


 ――マリスの最後の言葉と、紡歌を締めくくる最後の一節が、重なった。



「……思いのほかあっけない」


 長らく共に暮らしていたマリスの自我は完全に消失した。俺の歌を褒めたあの怪物は、この世界の中に千々に溶け消えた。


 その悲劇が、残酷が、それを乗り越えて生まれた美しいモノが。俺の中の何かを変えてくれると思っていたが。


「かの怪物を使った世界創造……存外、楽しくはなかったな」


 そこかしこで小さな命の気配がする。やがてそれらは殖えてこの地に満ち、各々が物語を紡ぎ始め、それを観測する神々を大いに楽しませるのであろう。


 それは、どこにでもある退屈な世界。その光景をしばし眺めた後。


 ――俺は、歌操天使との精神接続を切断した。


◆◆◆


 神々は今日も噂話を囁き合っている。


「歌操天使にわざわざ精神接続して頻繁に下に降りてた変わり者だったか。創造行為に興味もないくせにな」

「他に居場所がなかったんだろう? 他の奴らと交流してるところを見たことがない」

「それがマリス殺しを成し遂げるってんだから、分からんもんだ」

「だが、創造した世界も、大怪物殺しで与えられた莫大な褒章も放り出してひきこもってるってよ。下にも全然降りてないらしい。本当になにがしたかったんだか」

「元々、生命の創出を嫌がってたようなヤツだろう? その死体から何が生じようと興味がないのでは?」

「おお怖。狂人の考えることは本当に分からないねえ」



 かつて世界喰らいの化物だったその大地は。多くの命を抱えて今日も豊かに鮮やかに廻っている。

 その中心に。この世界を紡いだ天使の身体が、朽ちることなく今もそこに在った。

 目覚めることのない天使の心が、またこの場所を訪れてくれるのを、世界はずっとずっと待ちわびている。

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