狂うsheダー~如何に異形に身を堕とした彼女が愛を欲するようになったか~

西城文岳

第1話 はりつけ


 薄暗い教会の中、色とりどりのステンドグラスから差し込んで来る月明かりだけが神秘的に、説教台の後ろで立つ、大きな十字架を照らす。


 だが、その十字架に掲げられたモノは赤く汚れていた。

 頭からは垂れ続ける赤い塗料、今にも絶えそうで擦れている呼吸音を吐き出し、手と足に撃ち込まれた大きな釘は、男が身に纏う鎧を貫き、背の十字架に縛り付ける。


 その男は力なく項垂れ、ただその時を待っていた。


 正面から来る足音に気付いたその男は、顔を上げて虚ろなその眼で足音の主の方に向ける。


「ああ、かみさま。私の罪をお許しください」


 足音の主はその男の前で跪き、こうべを垂れる。スカートのをつまみ、そのすそが地面で擦れないよう振る舞う姿は、何処かの貴族の令嬢を思わせるような高貴な身なりだった。


 その様を、十字架に掲げられた男は冷めた目で見つめる。

 男の目に映ったのは左右対称に整った美しい少女


 であるかのように見えた。


 だがその少女のドレスの袖からはみ出したその肌は、絶えず泡立つように蠢き、液体であるかのように流動を続ける。時折、泡立った指先からぴちゃり、ぴちゃり、とナニカが床へこぼれ、それは芋虫のように這ってスカートの中へ消えていく。人の形を保ってはいるが、まさしく形だけとしか言いようがない。


 今も祈っているようで、その目は男にしか向けられていない。俯いている状態から見える彼女の目は睨むような細さであるのに、喜びを感じるほどに口角が上がっている。

 たった一つの所作しょさからだけでも異様さが際立きわだつ。


「何故、お前はその言葉を口に出来るのだ」


 血に濡れ、良く見えぬ視界の中、男が彼女へ向ける目は変わることは無かった。


 その一言を聞いて彼女は顔を上げ、美しい仮面のように貼り付けた微笑みを男に向けている。


「私の罪をお許し頂けぬと?」


「違う。そうではない。そもそも俺はただの騎士。ただの信徒に罪を裁く事など出来ん。俺が言いたいのは、お前のような異端者の化物が何故、我ら十字教の教えに従おうとするのだ」


「乙女に化物とは、酷いですね……」


 およよ……と顔を手で覆い、わざとらしく泣いたふりを行う彼女を見てもなお男は、騎士は何かを気にする様子は無い。その姿をつまらなそうに一瞥した後、彼女は話を切り出す。


「私個人としては貴方の所の宗教は、良く思っておりましてよ?異端者であることが貴方たちの教えを受けられないと言うのは、些か可笑しな話でありませんこと?」


「……」


 男は答える事が出来なかった。

 ただ神に仕えるだけの身分である彼は、彼女を納得させられるだけの教義の内容を理解していなかった。


「ふふふ。まぁ、この事は置いておきましょう。本題ではありません」


 楽し気に微笑んだ声色を仮面の下から響かせた後、その手を男の顔に近づける。

 泡立つ肌がヒヤリとしており、男の顔をつたう血液に触れると、その肌が少し赤みがかったように見える。


 何かを品定めするような執拗さで、されどその思惑が計り知れぬそのいつまでも変わらないその仮面の顔で。


「何が目的なんだ……」

「ふふふ……どうしましょう?」


 彼女は無邪気に微笑み、首を傾げる。


「特に何か目的があるわけでは無いのですよ。ただ今は……そう、話し相手が欲しい……ですわね……?」


 自分でも何がしたいのかよく分かってないかのような、途切れ途切れで言葉を繋いでいく。


 そしてその最後の一言を告げた瞬間、彼女の仮面が初めて崩れた。


「ん~そう!それがいいかしら!じゃああれをこうして……」


 唐突に、まるで良いイタズラを思いついた子供のように、そう幾つかの自問自答を繰り返した後、彼女は男の方に向き直り一礼する。


「ではまた。準備が整いましたら会いに来ますわ!」


 今までの仮面のような笑みとは違う、とびきり無邪気で感情の込められた、けれど不気味さが拭えない程に細く吊り上がった口元が男に向けられる。


 そのまま後退あとずさり、扉から出ていくまで。


 彼女の中で一体どういうやり取りがあったか分からないが、その表情からは碌な気がしないと男は思った。


 手と足を打ちつけられたボロボロの身体の今、やることは一つ。

 ここから逃げ出す事だった。

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