#25

 部屋の外からの物音で目が覚めた。


 なぜ自分がパトリエのいつものベッドで寝ていないのか記憶をたどり、舌打ちする。


 覆現が宿主の目覚めに気付き、私が泣き疲れて眠っている間にカエデから何回か連絡があったことを知らせる。


 何の用事だろう、と思うけれど返信するよりも先に汚れた顔を洗いたい。


 扉を開け、お手洗いを探そうとすると、何やら騒がしかった。

 どうやら客が来ているようだった。


 涙の跡が残る汚い顔を見られるのもいやだ。


 こっそりお手洗いに行こうとそろりそろりと歩いていると、「アイはここにいるの」と、聞き覚えのある声が響くのが聞こえた。


「カエデじゃない」


 びっくりして声の聞こえた部屋の扉を開くと、そこにはソファに座るフウマとカエデの姿。


「なんでここにいるの」


 カエデは私の姿を見ても驚かなかった。半ば詰問するような口調で尋ねられる。


「どうしてって」


 気は進まなかったけれど、この二日間の経緯を話す。


 病院で自分の両親が出会っていないと知らされたこと。

 義胎妊娠の不正を追及しているフウマを紹介されたこと。

 私の義胎妊娠届を処理した役人を問い詰めたら彼が届を改ざんしていたこと。


 話しながらまた涙が出てきてしまって、カエデが優しく私を抱きかかえてくれた。


「カエデは」


 恥ずかしくて小さな声で尋ねる。


「この人が私のお父さん」


 びっくりして、カエデとフウマの顔を交互に見る。

 たしかにそう思って見てみると、口元の形が似通っている。


「あんまり見比べないでよ」


 仏頂面でカエデが私の視線を遮り、自らの二日間を語る。


 昨日は事務所に一日中いると聞かされていたのに仕事が入ったと三〇分足らずでどこかに行ってしまったこと。

 明日なら会えるかもしれないと言われたのに、今朝になってまた会えないと連絡が来たこと。

 覆現で共有される私の位置情報が父親の事務所で、私に連絡しても応答がないからここに押しかけたこと。


 さみしさを引きずっていた私の心が一瞬でいらだちに振れる。


「じゃあフウマはカエデと会う予定を無視して私と会ってたわけ」


「無視じゃない。カエデの滞在予定は一週間あると聞いていたから。君の用事が済めば会うつもりだった。ずっと追っかけていた社会出産の疑惑を暴ける機会を逃すわけにはいかなかったのは分かるだろう。君だって私がいなければ、何もわからず仕舞いだった」


 悪びれもなくペラペラと言葉を並べるフウマに不快感が膨れあがる。


「自分の娘にすら顔を見せない人が社会を語らないでよ」


 言い訳を聞きたくなくて放った言葉は思ったよりもずいぶん大声になった。


 もううんざりだった。


 結局フウマだってあの無責任な老人と一緒だ。

 空虚な社会論を振り回して、自分の足元すら見ていない。


「社会と向き合う前に自分の娘と向き合いなさいよ」


 捨て台詞を吐いて、背を向ける。


 荒々しく玄関の扉を開き、事務所から地上への階段を何度も踏み外しながら、後ろも振り返らず、とにかくここから離れたいとずんずんと歩いているとカエデが後からついてきて、速足で歩く私の隣に並んだ。


「父親と話さなくていいの」


 そう聞くと、カエデば「別に私に興味ないことは分かったから」と無感情に言った。


「それよりあなたが心配よ。どこに行くつもりなの」


「ホテルに決まってるでしょ」


 当たり前のことを聞かないで、と言葉がとげとげしくなってしまう。


「スクーターはどうするの」


 自分が何に乗ってきたのかも忘れていたと知らされ、自分が平静を保てていないことをようやく自覚した。


「ごめんね」


 また湧き出てきた涙を拭い、カエデに謝る。

 カエデに手を引かれて、スクーターを取りに戻る。


「あなたに話すことはないから」


 事務所の表まで出てきたフウマがなにやら話しかけてくるけれど、カエデがピシャリと突き放す。


「事故らないように注意してね」


 カエデに心配されるけれど、感情を持たないスクーターは運転手がすすり泣きを続けていても知らぬ顔で走ってくれた。


「ホテル帰って顔洗ったらさ、どこか遊びに行こうよ。遊園地とかどう」


 哀れに泣き続ける私を慮って、カエデが気を使ってくれる。


「遊園地はすごく高いから諦めたじゃない」


「ならホテルの予約キャンセルしましょ。明後日以降の宿泊をキャンセルしたら、遊園地も行けるし帰りもバスじゃなくてリニアで楽に帰れるようになるわ」


「カエデがそれでいいなら」


「やった。あ、でも昼から遊園地行くのはチケット代もったいないかも。他行きたい場所はないの」


 スクーターに乗ったまま、これからの遊びの案をアレコレと大騒ぎしながら考えるカエデはひょうきんすぎて、泣き顔のまま思わず笑ってしまった。


 カエデも辛いだろうに、大泣きする私を心配して大げさに楽しそうに振る舞ってくれるのを見ると、本当にカエデが友達でよかったと、心の底からそう思った。

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