第6話 貴方に会えて本当に幸せよ

【オズリンド邸 ディランの書斎】


 例の舞踏会から一夜が明けた翌朝。

 俺とアリシア様は、共にディラン様の書斎を訪ねていた。


「これは……どういう事だね?」


「いやぁ……その……」


「どうもこうもありませんわ。この生意気で無礼な掃除係を、ワタクシが一人前の使用人として鍛え上げるというだけの話でしてよ」


 アリシア様はディラン様と顔を合わせるなり、『グレイを今日からワタクシ専属としますので、新しい掃除係を雇っておいてくださいな』と発言。

 そのまま俺の首根っこを掴んだまま部屋を出て行こうとしたが、流石に引き止められ、こうして事情を聞き出されているというわけだ。


「……昨晩、何があったのかは聞いている。あそこの侯爵と私は旧知の仲だからな」


「っ!」


 ディラン様がジロリと俺を見る。

 そこまで怒っているというわけではなさそうだが、俺の軽率な振る舞いを責めているのは間違いなかった。


「でしたら、グレイがどれほどの愚か者か分かるでしょう? 主人として、放置しておくわけにはいきませんの」


「いひゃいれふ……」


 アリシア様は俺の頬をぐいーっとつまんで引っ張りながら、ディラン様に訴える。

 しかし、そんな言葉でディラン様が説得されるわけでもなく。


「愚かな使用人だと言うのなら、解雇すればいいだけだろう?」


「お父様。いくら不出来だからと言って解雇するのは、高貴な者として相応しい決断とは思えませんわ」


「……正直に言って、私はグレイを評価している。仕事は真面目にこなすし、昨夜の一件も我々への忠誠心が高い故の行動なのだろう」


「ディラン様……」


「アリシアの言動……その真意を他の者に伝える【通訳係】として、お前の専属の使用人にする事もやぶさかではない」


「では……!」


「しかし、どうしても……この条件を飲むわけにはいかん!」


 バンッと、目の前のプレジデントデスクを叩くディラン様。

 無理もない。なぜなら、アリシア様の提示した【専属の使用人】というのは……


「食事のみならず、寝室まで常に一緒に過ごすだと!? そんな使用人がこの世界のどこにいるというのだ!」


 そう。アリシア様はありとあらゆる生活に俺を同伴させると言ったのだ。

 それが原因で、ディラン様はご覧の有様で猛反対している。


「お父様。貴族たるもの、常識に囚われてばかりでは進歩がありませんわよ?」


「貴族としてではなく、父親として言っているのだ!」


 超が付くほどの正論である。

 かくいう俺も、心情としてはディラン様の味方だ。

 ここは心を鬼にして、アリシア様を諫めるべきだろう。


「アリシア様、自分もちょっと……」


「貴方の意見は聞いていませんわ」


「はい」


 ぐすん。


「……アリシア。グレイはお前と歳も近い。お前にとっては、初めて出来た友人のような感覚なのだろう。それゆえに、距離を測りかねているのだ」


「このワタクシが平民と友人? そんなもの、気色悪いだけですわ」


 と、言っているアリシア様だが、先程からモジモジと内股を擦り合わせるようにして忙しなく足を動かしている。

 最初はトイレに行きたいのかと思っていたが、どうやら照れていただけのようだ。


「……身の回りの世話くらいは許す。しかし、もしも一線を超えるような事をしたその時は……私はどんな手段を用いても、グレイを亡き者にするぞ」


「ディラン様、ご安心ください。決して、そのような事はありえません」


「…………むぅ」


「いだっ!?」


 俺が即答すると、頬を膨らませたアリシア様が俺の足をギュッと抓ってきた。

 その痛みを堪えながら、俺は言葉を続ける。


「自分はアリシア様に幸せになって頂きたいのです。それを叶えるに相応しい相手がどのような人物か……しかと心得ております」


「……」


 この言葉に嘘や偽りは無い。

 アリシア様が俺を好きになってくれる事など絶対にあり得ないだろうが……仮にそうなったとしても、俺はそれに応えない。

 俺のような平民と貴族のアリシア様が結ばれるなど、誰も幸せになれない事だと分かりきっているからだ。

 俺の役目はアリシア様の悪評を覆し……彼女を心から愛してくれる人物が現れるように図る事だ。


「うむ。アリシアの真意を伝える通訳係として、その役目を十二分に果たしてくれ」


 重なった視線から、俺の決意を汲み取ったのだろう。

 ディラン様は満足げに頷き、納得してくれた。


「二人とも、もう下がってよい。新しい掃除係は手配しておく」


「ハッ!」


「……ふーん、ですわ」


 アリシア様は不満げな様子だったが、これ以上の説得は無駄だと悟ったのだろう。

どうにか大人しく引き下がってくれた……のだけれど。


【オズリンド邸 裏庭】


「あの、アリシア様……? これは、いくらなんでも……」


「うるさいですわよ。いいから、そのままじっとしていなさい」


 書斎を出た後、アリシア様は俺を人気のない裏庭へと連れてきた。

 そして、置かれているベンチに俺を座らせると……その膝の上を枕にするようにして、アリシア様はベンチにゴロンと横になった。


「……ワタクシよりも、お父様の言う事を聞きますのね」


「ディラン様は私の雇い主ですから」


「それじゃ、ワタクシよりもお父様の方が好きって事かしら?」


「比べられませんよ、そんなもの」


「ワタクシの専属なのに……」


 ムスッとした顔のまま、アリシア様は仰向けになって……俺の顔を見上げてくる。

 ああ、怒っている顔もなんて美しいのだろうか。

 こうして見つめているだけで、そのキレイな瞳に吸い込まれてしまいそうだ。


「ねぇ、グレイ」


「はい」


「……貴方って、本当に不思議な人ね」


「そうでしょうか」


「ワタクシ……子供の頃から、なぜか自分の気持ちを素直に表現出来なかったの」


「……」


「色んな人に嫌われて、憎まれて……それでも、自分を変えられなくて。きっとこのまま独りぼっちで人生を終えるんだろうって……思っていたわ」


 アリシア様の蒼い瞳がわずかに揺れる。

 しかし、上を向いているので……その雫がこぼれ落ちる事はない。


「だからね。本当はすっごく嬉しかったの。貴方が初めてワタクシに微笑みかけてくれた時や……昨晩、ワタクシを庇おうとしてくれた時も」


「アリシア様……」


「ありがとう。貴方に出会えて……本当に幸せよ」


 白くて柔らかなアリシア様の手が俺の頬を撫でる。

 本来なら胸が高鳴るところだが、俺はあまりの嬉しさに頭が真っ白になっていた。


「くすっ……なぜかしら? 貴方と二人きりなら、いくらでも本音で喋れそうだわ」


「うっ、うっ……ふぐぅ……」


「もうっ、馬鹿ね。どうして貴方が泣くの? ほーら、いい子、いい子。頭を撫でてあげるから泣き止みなさい」


 あふれ出す涙。

 胸の奥からこみ上げてくる喜びの感情を噛み締めながら、俺は決意を新たにする。

 この人だけは、何があろうとも絶対に幸せにしてみせる……と。



【とある貴族の家 とある令嬢の自室】


「へぇー? そんな事があったんだぁー。だったら、舞踏会に行けば良かったなぁー」


 オズリンド邸から、そう遠くない場所に存在する貴族の屋敷。

 そこの令嬢は楽しげな表情で、使用人の一人から報告を受けていた。


「それでぇ? リムリスはどうなったの?」


「ファラ様の方から縁をお切りになれたようですね。これで、リムリス様のご実家……カルネルラ家も大きな後ろ盾を失ったと思われます」


「だよねー。あの派手ババア、自分より権力の大きい相手を引き立て役にしようとか馬鹿丸出しじゃーん。あっ、だから滅びるのかー。くすくすくすっ」


 心底おかしそうに少女は笑う。

 まるで、誰かが破滅する事が愉快な事であるかのように。


「でもぉ、まさかアリシア姉に……そーんな愉快なナイト様が現れるなんてぇ。流石に、このフランちゃんにも予想外って感じぃ?」


 報告内容にあった、舞踏会での一連の騒動。

 アリシアがファラに放った暴言の真意を解説し、アリシアの名誉を守ろうとしたという平民の使用人。

 少女はその男に興味を引かれていた。


「下手すれば死罪になりかねないってのに。そこまでしてアリシア姉を守ろうとするとかさぁ、どんな変わり者なんだろーね」


 椅子から立ち上がり、少女は歪な笑みを口元に浮かべる。

 そして、傍に控える使用人に向かって一言。


「フランちゃん……他人の大切なおもちゃを壊すの、だぁーいすきっ」


 彼女の名はフランチェスカ・ルヴィニオン。

 アリシア・オズリンドにとっては、唯一の従妹にあたる少女であった。

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