第3話 二つ目池公園

  第三章

 揺れる、ガタガタ揺れる。

 ミーは、とーちゃんの運転する車の中にいる夢を見た。

 ミーは、あまり車が好きじゃないにゃ。

 なぜなら車に乗せられる時は大概嫌なことばかりだからにゃ。

 例えば病院に行く時、病院嫌いのミーは大概逃げられないようにキャリーバッグに入れられて病院に行く。その時の車の揺れがミーの心臓の音とリンクして、不安の二重奏を奏でるにゃ。

 もう一つは、ペットホテルに行く時、家族で旅行に行く時、どんなに料金が高くてもペットホテルにミーを預ける。ミーからしたらご飯と水だけしっかり用意しといてくれれば、一晩や二晩くらいいられるにゃと鳴きながら主張するが、とーちゃんもママさんも必ずペットホテルに預ける。その時も車で運ばれ、心音と揺れの二重奏を奏でる。

 でも、一番思い出すのはミーが赤ちゃんの時のこと。

 野良猫だったミーは、お腹を空かせて、スーパーに停めてあった車に寄り添うように寝ていた。

 普通の猫よりも小さかったミーは、他の猫のようにご飯を上手く取れず、いつも飢えていた。

 その時も食事を取れずに動けなくなって、車に寄りかかっていた。

 その時、温かな温もりがミーを包んだ。

 それは今よりも若いママさんの手だったにゃ。

「ねえ、見て子猫だよ。この子飼う」

「いや、この子飼うっていきなりなんだ⁉︎」

 同じように今よりも大分若いとーちゃんが動揺を隠せない。

 後から知ったけど、とーちゃんは、犬派で猫にそれほど興味がなかったらしいにゃ。

 今は、あんなに猫可愛がりなのに・・・。

「どこかに飼い主がいるかもしれないだろ?」

「えー?じゃあ聞いてくる?」

 そういうと、あろうことかママさんは、スーパーの中にミーを連れて入り、「この子飼ってますか?」と弾んだ声で聞いた。

 なんでも、ママさんの育った田舎だと、スーパーで放し飼いの猫を飼うなんて当たり前のことらしいにゃ。

 今思うとあり得ない光景であったが、優しい温もりが嬉しかったのを覚えている。

 そして、車に揺られて今のお家で行くことになった。

 ちゃんと理解していれば、車の揺れも南瓜の馬車のような温かな思い出となっていたのだろうが、あの時は、得体の知れない怪物のような鉄の固まりに食べられたとしか感じず、何が起きてるのかも分からず、恐怖しかなかった。

 だから、ミーは車が嫌いにゃ。

 特にこんなに激しく、地面を擦り、ウィリー走行をし、やかましいキーとノンちゃんの声が響き渡る車なんて。

 えっ?キー?ノンちゃん?

 そこでミーは、ようやく目を覚ました。

 ミーの視界に最初に飛び込んできたのは黒色。

 そして、むせ返るような草の匂いと、鳩を始めとした鳥の鳴き声、そして笑いあう子ども二人の声・・・。

 激しく揺れる視界を動かすとミーは、筒状の入れ物の中にいることが分かった。

 正面に見える黒色は、網が掛かっており、周りの壁はママさんが勝手にミーが好きだと思い込んでいるピンク。

 これは、まさしくキャリーバッグの中だった。

 ミーは、混乱した。

 えっ?なんで?どういうことにゃ?

 花火が終わった後、ミーは、再びキーとノンちゃんに捕まり、二人が眠るまでぬいぐるみ扱いを受けていた。

 そしてようやく・・・ようやく二人が眠りについて自分の寝所に向かおうとしたら、

「ミー、一緒に寝てあげて」

 ママさんに言われ、二人の眠る部屋に閉じ込められた。

 何度も鳴き、爪で扉を研ぐが、ドアは一向に開けられず、仕方なく、二人の間に入って、疲れもあって、すぐに寝てしまった。

 そのはずにゃ。

 そのはずなのに・・・。

「あーキーちゃん見て!ミーが目を覚ましたよ」

 ノンちゃんのおおはしゃぎする声が聞こえた。

「あー本当だ!ミーおはよう」

 キーの元気な声も聞こえ、黒い網目から爛々と輝く目が覗く。

 バッグのドアが少しだけ、開き、元気な二人の顔がミーを覗き込む。

 今だ混乱の冷めやらぬミーは、近すぎる二人の顔の隙間から見えた景色に絶句する。

 そこは広大な草原だったにゃ。

 登り切らない朝日に焼ける空、冷えた空気、朝露の乗った匂いのする草、草原を囲むように聳える樹林を携えた小高い山、そして朝が来ることを告げる鳥の鳴き声・・。

 全ての情報が、ここが家ではないことを告げる。

「びっくりしたミー?」

 キーは、無邪気に尋ねてくる。

 当然、びっくりしたミーは、ここはどこ?と聞くがキーとノンちゃんには短く鳴いたようにしか聞こえない。

 しかし、キーは、ミーが何を言ったのかを完璧に解読したようにこう告げた。

「二つ目池公園だよ」


 要するにこう言うことにゃ。

 明け方に二つ目池公園にいくことを反対されたキーとノンちゃん、今まではとーちゃんとママさんが反対すれば怒りながら、泣きながらも渋々納得していた。

 しかし、それは幼稚園の年長までの話し。

 小学校一年生になった二人は良くも悪くも狡猾になったにゃ。

 嘘泣きしつつ、心の中で舌を出し、酔っ払っている大人たちが物音立てても起きないのを見越して、伸縮自在の虫網と虫籠、そして疲れ果てて、全く起きなかったミーをキャリーバックに詰めて、二つ目池公園まで歩いてきた訳にゃ・・・。

 とんでもないチビどもにゃ。

 ミーは、大声を上げて怒鳴る。

 しかし、それもキーとノンちゃんからしてみると。

「ミー喜んでるね」

「うんっ連れてきて良かったね」

 ミーは、空いた口が塞がらなかった。

 この二人は朝焼けの日差しのようにプラス思考にゃ。

「ミーは、僕たちの保護者だからね。よろしくね」

 キーは、満面の笑みで言う。

 キーによると公園に来るには大人か大きなお兄さんかお姉さんと来ないといけない。こんな破天荒な行動をしているにも関わらず、そんな常識だけは持っていた。

 そして、大人ではなく、二人よりも年上の存在、それが十二歳のミー・・・。

 とんでもないチビどもにゃ。

 発想力がとんでもない。 

 と、いうか、世の一年生とはこんなものなのかにゃ?

 ミーは、抗議の声、そして危ないから家に帰るにゃ!と何度も叫ぶ。

 しかし・・・ 。

「ねえ、キーちゃん、ミー出たがってるんじゃない?」

 何をどう思ったらそうなるにゃ?

「そうだね。ミーも初めてきたから嬉しいんだよ」

 だから、何をどう思ったらそうなるにゃ?

 そんなミーの気持ちなど、まったく意に返さず、キーはキャリーバックのドアを開ける。

 朝露で冷えた空気が入り込んでくる。

 草のむわっとする匂いが漂う中、ミーは恐る恐る外に出た。

 広い公園にゃ。

 家の近くの原っぱなんて、それこそ猫の額にゃ。

 肉球で踏む草はとても柔らかい。朝焼けに染まる小高い森は、風に揺れ、遠くからはジョギングしている人たちの声がするが、ちょうどミーたちのいるところは死角になっているのか、大人たちに気づかれない。

 そして、ミーの目の前を数匹のバッタが飛び交い、空には色鮮やかなアゲハ蝶が飛んでいる。

 次の瞬間、蝶の姿が消える。

「やったー捕まえたぞ!」

 風を切る音すらさせずに、網を振ったキーは、一瞬でアゲハ蝶を捕まえる。

「いやーすごいキーちゃん!」

 ノンちゃんは、黄色い声を上げる。

 恐らく、目覚めたばかりであろう、哀れなアゲハ蝶は、キーの小さな手に羽を掴まれ、籠に入れられる。

「よーし!ヘラクレス捕まえにいくぞ!」

 二人は、両手を高く上げ、森へと向かっていった。

 ミーは、悲しみと怒りがごちゃ混ぜになるのを感じながら、二人の後ろを付いていった。

 

 キーは、虫に愛された少年であるとミーは、つくづく思った。

 キーが虫取りというものを見たのはキーが初めてだったにゃ。キーが四歳になった時にとーちゃんが今よりも小さな虫網を買ってきて、キーに渡した。とーちゃんからしたら遊びの一環として、何も考えずに渡したのだろうが、それを持った刹那、近くを飛んでいたシジミチョウを床に落ちていた豆粒でも拾うかのように網に収めたにゃ。

 まるで蝶が網の中に入ることが決まっているかのように。

 ちなみにこの時、キーは虫網を渡されただけで、使い方も意図も教えられていなかった。

 ただ、本能のままに、人類の長い歴史の中で失われた狩猟本能が呼び起こされるかのように、虫を捕まえた。

 キーは、虫とりの天才だったにゃ。

 そして今も・・・。

「見て、ノンちゃん、クワガタのメスだよ!」

 森の中に入って、すぐにクワガタのメスをゲットした。

 ちなみに都会の森の中でクワガタのメスをゲット出来る確率は、ママさんが上機嫌で一日一個と決められているゴルフォーを二回くれるくらい、確率が低い。

 それからも二人は、虫を捕獲し続けた。

 セミ、蝶、天道虫、バッタ、カマキリも見つけるが、流石に一緒の虫籠に入れるわけにいかないので諦めた。

 虫を捕まえるまでの流れとしては

「キーちゃんいたよー!」

 ノンちゃんがおおはしゃぎしながら叫び、

「よっしゃあ!」

 キーが気合いを入れて捕まえる。

 このワンパターンの繰り返しにゃ。

 これだけでほぼ百パーセント捕まえることが出来る。

 虫たちにも意志がある。捕獲の危険を感じたら逃げる。実際に日向町猫会ではこの時期になると、バッタに逃げられた、セミにおしっこかけられた等々の台詞がそこら中から飛び交う。人間よりも遥かに身軽で運動神経の良い猫でこれなのだ。

 キーの異常さがよく分かる。

 二人は、どんどん森の奥に足を進めていく。

 何度も蚊に刺されるが、楽しさが増してるので気にならない。

 薄暗いのもへっちゃらにゃ。

 二人は、どんどんどんどん森の奥に入っていく。

まあ、森と言っても人工的に作られたもの、迷ったとしても歩いて行けば公園の中に戻るか、道路に出るだけ。そんなに問題はないはずにゃ。

 むしろミーが気になるのは別のことにゃ。

 ミーは、空を見上げる。

 鬱蒼と生える木々の葉、その隙間から溢れる朝焼けの光、時計がないから時間は分からないけど、もうすぐ朝になるはずにゃ。風も大分暑くなってきており、キーとノンちゃんの額からも汗が滲み出している。

 ワタゲがいない。

 見上げた先にあるのは朝焼けの光と木々の葉、時折見れるのは枝に止まる鳥やセミの抜け殻くらい、ワタゲの淡い光りすらない。

 ワタゲは、どこにでもいる。

 特にこんな公園なら、いつもの原っぱよりも多くいてもおかしくない。

 それなのに・・・。

 ミーは、身震いする。  

 嫌な予感がしてしょうがない。

 そんな風に考えていた時、ノンちゃんが急に辛そうな声を上げた。

「のど渇いた・・・」

 そう言ってベソをかき出している。

 それを聞いたキーは、慌てて回りを見るが身につけているのは虫取りの道具だけで生きる為に必要なものは何も持っていなかった。

「ノンちゃん大丈夫?」

 しかし、ノンちゃんは、何も答えず、顔をくしゃくしゃにして泣き出した。

 慌てるキー。

「ノンちゃん、大丈夫だよ!ここから出たら水飲み場が、があるよ」

 小学一年生が出来る精一杯のフォロー。

 しかし、ノンちゃんは、泣き止まない。

「のど渇いたー!お腹空いたー!」

 ノンちゃんの鳴き声に、鳥は、逃げ、籠の虫たちも暴れ出す。

「ノンちゃん泣かないで、泣かないでよ!」

 キーも涙目になり、そして泣き出した。

 デュオするかのように反響しあう二人の鳴き声にミーは三角の耳を塞ぐ。

 いわんこっちゃないにゃ。

 ミーは、仕方なくため息をつくと、ちょっと待ってるにゃと小さく鳴き、茂みの中に入ると、そこで用を足す。しっかりとマーキングが出来たことを匂いで確認すると、そこにかぎ尻尾で二回叩く。

 黒色の地面が巻物のように捲れ上がり、小さな穴が現れる。

 ミーは恐ることなく、穴の中に飛び込むと、そこはミーのお家のトイレであった。

 ミーは、首を回して家に戻れたことを確認すると、リビングへと向かった。

 酒臭かった。

 朝まで飲んでいたのだろう、父親たちはゴザの敷かれたフローリングの上に寝転がって鼾をかいて寝ていた。ご自慢のテーブルの上にはビール缶、酒瓶、つまみが片付けられずに、そのままになっている。

 ミーは、怒りに毛を逆立てる。

 可愛い子ども達がいなくなっているにも気づかず、何をしているにゃ!

 ミーは、普段は、ぜったい爪を立てたないとーちゃんの頬を引っ掻き、ノンちゃんパパの脛に噛み付いた。

 二人は、悲鳴を上げて目を覚ますが、アルコールという毒に抗うことが出来ず、再び寝入ってしまう。

 二階で寝ているであろうママさんたちにも噛みつきに行こうかと思ったが、今は時間がない。

 ミーは、まずは自分の腹拵えを済ませ(ゴルフォーは、準備されてないのでカリカリと水で)、そしてキッチンの棚を器用に開けてお菓子類を取り出し、重い冷蔵庫を身体全体を伸ばして何とかドアを開けると、昨日二人が買ったまま飲まなかったジュースのペットボトルを取り出し、それらをキーが幼稚園時代に使っていた恐竜をかたどったリュックの中に入れ込んだ。そして口で咥えてトイレまで引きづる。トイレに座り、尻尾でニ回叩き抜け穴を開くと食糧の入ったリュックを穴に落とし、自分も飛び込んだ。 

 リュックは、無事に二つ目池公園まで届いていた。

 ミーは、ホッとする。

 今まで自分の身体以外を抜け穴に入れたことはない。長老曰く、抜け穴が身体に合わない大きさだと、穴の中で潰されてしまうか、もしくは永遠に出られなくなると聞いたにゃ。穴の大きさは、尻尾の叩いた回数で決まるが、前にも伝えたように抜け穴を作るのは疲れる。大きな穴を作るなんて寿命を縮めるだけだし、必要もない。

 ミーは、リュックの端を咥えてキー達のいる場所に向かう。しかし、そこに二人はいなかった。

 移動したにゃ?

 ひょっとしたら水飲み場に向かったのかもしれない。

 ミーは、リュックを離し、地面の匂いを嗅いだ。

 犬ほどではないが猫の嗅覚だって並じゃない。嗅ぎ慣れた匂いを辿るくらい問題はない。

 やはり先に進んだらしい。

 ミーは、重いリュックを引きづりながら匂いを辿った。

 それにしてもキーも大きくなったものにゃ。

 生まれた時は、自分では動くことも出来ずに泣き続け、両手両足を使って歩くことが出来るようになったと思えば直ぐによろけて泣き出す、歩くことが出来るようになったと思えば、すぐに転んでたん瘤を作り、そして泣き出す。

 いつも冷や冷やしながら見てたにゃ。

 それがいつの間にか友達と一緒にこんな遠くまで来れるようになった。内緒で抜け出たのはいけないことだけど、確かな成長にミーの胸は、なんとも言えない温かさに包まれた。と、同時にひどく寂しくも感じた。

 あと、何年こうやって付き合ってあげられるのかにゃ?

 そんなことを考えているうちに森を抜けると、目の前にあらわれたのは大きな水溜まりにゃ。

 朝焼けにオレンジ色に染まった水面、濁った匂い、風に揺れて小さく揺れる音、そして水面の真ん中に浮かぶ小さな島には大きな石板のようなもの、慰霊碑が置かれており、そこにいく為の赤く錆びた橋も見える。

 ここが二つ目池であることは直ぐに分かったにゃ。

 今から七十年以上前にあった横浜大空襲の際、焼け野原になった町の跡にこの公園は出来たと長老は言っていたにゃ。その為、公園にある小さな山や森、原っぱに至るまでが全て人工物、戦後に作られたもの。唯一、池だけが戦前からあったそうにゃ。

 そして二つ目池の名の由来としては島に続く橋の掛かった姿が上空から見ると二つの目のように見えることからその名がついたそうにゃ。

 そんな長老の蘊蓄を思い出しながら、ミーは鼻をひくつかせ、キーの匂いを探した。

 突然、強く淡い光りがミーの目に飛び込んでくる。それと一緒に今まで感じたことがないような寒気がミーを襲ったにゃ。

 ミーは、寒気の正体を目大きく開けて探す。

 それは池の真ん中の浮島の上にいた。

 最初、それは朝焼けの太陽が間違って落ちてきたのかと思った。しかし、違ったにゃ。強く、淡い、それでいて朝の近づいた世界を染めるように黒い塊。

 ワタゲにゃ。

 それも見たことないくらい大きくて気持ち悪い。

 ミーの毛は、逆立ちを止めず、髭が電気を帯びたように震える。

 そしてミーは、さらに目を疑ったにゃ。

 ワタゲの浮かぶ島、慰霊碑の前にキーとノンちゃんの姿があった!

 ミーは、荷物を投げ捨て、目を血走らせながら、島へと走った。湿った橋を蹴り上げるように駆け、ミーは、島の上に着いた。

 間近で見るワタゲの大きさにミーは、戦慄する。

 まるでこの小さな島を丸々と飲み込むような大きさ、大分、太陽も登ってきているというのに、ワタゲの漆黒色に飲まれたかのように暗い。そして表面からは大人の胴体くらいはあるのないかという触手が幾つも伸び、イソギンチャクのように揺れる。

 気持ち悪い。

 吐き気がするにゃ。

 しかし、そんなミーの心境とは裏腹にキーは、じっとワタゲを見つめている。恐怖というより、何がなんだか分からないという顔をしている。ワタゲの見えないノンちゃんは、キーの様子を変に感じて「どうしたの?」とキーの肩を叩いている。

触手がゆっくりとキーとノンちゃんに伸びてくる。

 シャアー!

 ミーは、力強く跳躍すると迫り来る触手をかぎ尻尾で叩き落とす。

 叩かれた触手は、光に溶かされるように霧散する。

 地面に着地したミーは、ワタゲを睨みつつも恐れ慄く。

 かぎ尻尾で叩いても本体が消えない。

 触手だけ叩いても効果が届かないと言うことにゃ。

 本体を叩かないと。

 でも、ミーの跳躍ではあんな高いところは届かない。

 もっと尻尾が長ければ。

 今さらながらに短い尻尾を恨む。

 ワタゲは、再び触手が伸ばし、キーに襲い掛かる。それをミーが叩き落とす。

 ミーは、大声で鳴いて逃げるように言うが、ワタゲの見えないノンちゃんは、「ミー何怒ってるの?」と無邪気に尋ね、キーに至っては、虫網を握ったまま、じっとワタゲを見て反応がない。

 ミーは、絶体絶命と感じながらもキー達を守る為、威嚇する。

 キー達は、ミーが守るにゃ!

 ミーは、大声で叫ぶ。

 しかし、内心では(ミーは、虎にゃ、虎にゃ)と情けないくらい怯え、縮こまる心を奮い立たせていた。

 あんなの勝てる気しないにゃ。

 でも、やるしかないにゃ。

 ミーは、後ろ足を屈め、ワタゲに飛び掛かろうと力を込める。

 かぎ尻尾を当てるのは無理でもせめて爪の先くらい当ててやるにゃ。

 ミーは、心を奮い立たせ、ワタゲに飛び掛かろうとした。

『会いたい』

声が聞こえた。

低い、とーちゃんよりも低い、そして消え入りそうな声。

『約束したのに』

『誰か・・・』

この声は、まさか・・・。

「お前かにゃ?」

 ミーが聞くとワタゲが淡く光る。

『オレの声がわかるのか?』

驚いたその声は、とても若々しかった。 

「聞こえるにゃ。誰に会いたいにゃ」

 再び淡い光りを放つ。

 恐らく驚いているのだ。

 そして、暗い色が少しづつ薄まり出していく。

『オレの声が聞こえる、分かる』

 その声は、歓喜に震えていた。

 そして、その喜びに反比例するかのように色が薄まり、身体が小さくなり、ミーがよく見るワタゲの姿になった。

『ようやく、ようやく声が届いた・・・』

その声は、涙ぐんでいるかのようだった。

『頼む、オレを連れて行ってくれ。あいつのところに』

ワタゲの表面が渦を巻くように歪み、輪郭を形成する。

 細面の若い男性の顔、切長の目が特徴的にゃ。

「あいつ?」

 ミーは、首を傾げる。

「あいつって誰にゃ?」

『分からない』

『名前も、顔も思い出せない。ここにいる間にどんどん忘れ去っていく。覚えておくことが出来ない。でも、会いたい。会わないといけない』

 名前も顔も分からない。

 そんなんじゃ探しようもないにゃ。

 それに・・・。

「あなたは、ここから動けるにゃ?」

 ワタゲは、黙ってしまう。

 それはこの場を離れることが出来ないと言っているのと同じにゃ。

「ミーは、あなたに触ることは出来ない。連れて行くことが出来ないにゃ」

 ワタゲが動揺する様に揺らめく。

 ミーは、言葉を続ける。

「でも、あなたを休ませてあげることは出来るにゃ。いつから苦しんでいるのか分からないけど、もう休んだらどうにゃ?」

『・・・いやだ』

ワタゲは、拒否する。

『オレは行かないと、約束してるんだ、あいつと』

 ワタゲの色が再び暗く変色し、歪み、膨らんでいく。

『約束を守りたいあなたの気持ちはよく分かるにゃ。でも、ミーにも約束があるにゃ」

 そう、それは六年前にミーが勝手にした約束。

 キーは、ミーが守るにゃ。

 その約束は、決して反故で出来ない、ミーの誓い。

 ごめんにゃ。

 ミーは、低く構え、全力で跳躍する。

 今の大きさならミーのかぎ尻尾も届く!

 ワタゲがら触手を伸ばす。 

 ミーは触手を身を翻して避け、かぎ尻尾の先端でワタゲを叩こうとした。

 刹那。

 ミーの横を風が切った。

 そして、パァンッ!と地面を叩きつける大人が響き、ワタゲがら消える。

 目標物を見失ったミーは、勢いを殺しきることが出来ず慰霊碑にぶつかる。

 うにゃ!

 短い悲鳴をあげて地面に落ちたと同時に歓喜の声が島中に響き渡る。

「やったー!ついに捕まえたぞ!ヘラクレス!」

 キーは、高らかに両手を上げる。

 その横で何が起きたかわからないノンちゃんが拍手する。

 え?え?え? 

 ミーは、何が起きたのか理解できず、混乱する。

 キーは、地面に叩き落とした虫網に手を突っ込む。

 出てきたのは、ワタゲにゃ。

 ミーは、驚愕する。

 ずっとキーが反応しなかったのは、怖がっていたからではなかった。

 ずっとワタゲを捕まえるチャンスを狙っていたのにゃ。

 なんという才能・・・。

 キーは、痛みで動けないミーの前に捕まえたワタゲを差し出す。

「やったよ!ミー!ついに捕まえたよ!」

 キーは、踊り出しそうなくらいに喜ぶ。

 そして大事にワタゲを虫籠にしまう。

 ノンちゃんは、捕まえたものが分からず、じっと虫籠を見る、

 日差しが登る。

 朝を迎えた二つ目池公園に季節に似合わない冷たい風が吹いた。

「あーまずい!」

 キーが悲鳴に近い声を上げる。

「朝になっちゃった!ママ起きちゃうよ!」

 キーがそう叫ぶとノンちゃんも慌て出す。

「早く帰ろう!」

「うんっ!」

 そう言って二人は、慰霊碑に背を向けて走りだす。と、思ったら振り返ってこちらに戻ってきて、ミーを抱える。

「もう、何してるのミー!保護者でしょう!」

 キーは、怒ったように頬を膨らまし、再び走り出す。

 これ以上、どう保護すればいいにゃ?

 ミーは、自問自答を繰り返し、行きよりも遥かにしんどい帰路へと着いたにゃ。


                つづく

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