35湯目 養老渓谷
海ほたるから出発するとすぐに、猛烈な「風」にさらされることになった。
橋が待ち構えていた。それもここはかなりの高架地点を通るようで、海からの吹きさらしの「強風」が容赦なく襲いかかってくる。
私のKTMデューク390は、車体重量が153キロしかなく、一般的な中型バイクに比べても「軽い」。
つまり、簡単に「流される」のだ。
横から吹きつける強風に煽られ、気がつくと車線を流され、しかも左に流されれば海が間近に迫り、逆に右の追い越し車線に寄ると、今度は猛烈なスピードで駆け抜けるトラックがすぐ横を通る。
(怖い!)
それが正直な感想。
聞いた話だと、このアクアラインは、強風がよく吹くため、風の影響でよく通行止めになるという。
山梨県という「山」に囲まれた地域で育った私には、考えられないくらいの「海の試練」だった。
何とかそこを越えた後、行き先については、いつも通り、まどか先輩に任せてあるため、そのままついて行くと。
一般的な高速道路に入り、「千葉県」に入ったことはわかったが。
その後は、真っ直ぐに高速道路を走り、田舎で高速道路を降りてからは、下道になった。
もっとも、ここまで来ると、首都圏とはいえ、「都会感」はなくなり、田舎の片側1車線区間が続く。
海ほたるの出発からおよそ45分でそこに着いた。
田舎の山の中、というより林に囲まれたような場所に、ひっそりと小さなロータリーがあり、そこに小さな駅があった。
そこが小湊鉄道の「養老渓谷駅」だということはわかった。どうやら、まどか先輩が来たかった場所は、ここにあるらしいことはわかったが。
温泉という表示はどこにもなかった。
不思議に思っていると、まどか先輩は、レトロな茶色の切妻屋根の駅舎に入って行き、駅員に声をかけていた。
「すみませーん。足湯、入りたいんですけど」
どうやら、ここにはあるのは「足湯」らしく、それも「有料」らしいことはわかった。
早速、まどか先輩が手続きをして、駅舎のすぐ隣にある、小さな屋根を持つオープンスペースに向かった。
値段は140円。ペットボトルのジュース1本分くらいの安価で、足湯に入れるなら、まあいいだろう。
早速、お湯が張られた縁に腰かけ、靴下を脱いで足をつける。
不思議なお湯だった。
まず、色が「黒い」。全体的に黒光りしており、光沢のある「黒」が際立って目立つ。
早速、隣にいた「温泉博士」に聞いてみた。
「ここ、どうして黒いんですか?」
「それはね。ここ養老渓谷駅の足湯は、全国でも珍しい『黒湯』だからよ」
「黒湯? 何が違うんですか?」
「一種のにごり湯ね。泉質はナトリウム炭酸水素塩とか塩化物泉で、弱アルカリ性らしいけど、足湯で黒湯というのは、珍しいのよ」
さすが、温泉博士の琴葉先輩は期待通りの回答を返してきた。しかも、何も見ずにすらすら言えてしまうのが、恐ろしい。
「でも、気持ちいいネー」
フィオは、長距離を走った疲れからなのか、どこか恍惚とした表情を浮かべ、目を細めて、足を浸していた。
一方、
「ツーリングで疲れた時に、温泉は鉄板だが、足湯もいいだろ? 疲れが取れるぞ」
とまどか先輩は、肩にタオルを置いたまま、得意げに口を開いた。
「でも、この後、どこに行くんですか?」
私としては、足湯はもちろん嬉しいが、この先が気になった。
今日は、一体どこの温泉に行くのか。いつものように、明確にはわからないところが、ミステリーツアーのようで、楽しくはあるけど、全く行き先がわからないと、それはそれで不安な気持ちになるし、そもそもこんな遠くまで来て、今日中に自宅に帰ることが出来るかどうかが不安だ。
「そうだなあ。せっかくだから、
「犬吠埼、ですか?」
「何だ。知らんのか。千葉県にある、関東で一番早く日が昇る岬だ。ライダーってのは、大抵『端っこ』が好きだろ?」
地理に疎い私は知らなかったが、その犬吠埼というのが、関東で一番東にある「岬」であることはわかった。
もっとも、土地勘がないから、ここからどれくらいで行けるのかすらわからない。
「近いんですか?」
「まあ、近くはないわね。高速で2時間以上はかかるわ。ただ、せっかくだから行くのもいいんじゃないかしら?」
琴葉先輩がフォローしてきたが、私にとっても、未知の場所に行くのは、もちろん期待感や高揚感はある。
こうして、のんびりと、黒いお湯に足を浸しながら、時折通る、レトロでローカルな単線の電車を眺めているのは、心が落ち着く。
その上、この辺りは、首都圏とは思えないくらいに「田舎」じみたところがある。
千葉県の房総半島には、高い山がないらしいが、それは逆にバイクにとっては、いつでも走りやすいことを意味している。
たとえ冬でもここなら走れるだろうし、なだらかな丘のような、森のような緑色が目に映り、気分がいいと思えるのだった。
房総半島の旅は続く。
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