18湯目 トラットリア

 納車までの2週間は、待ち遠しかったが、この期間が意外に長く感じた。


 何より、世間は夏休みなので、本当なら思いっきりツーリングに行きたい。


 なのに、納車日を考えると、納車された頃には、夏休みはほぼ終わってしまう。


 悩みつつも、私はあることを思い出していた。

 フィオだ。


 以前、彼女から「いつでも遊びに来ていい」と言われたのが気になって、LINEを送ってみた。


-フィオ。お家に遊びに行っていい?-

 返信は、驚くべき速さで帰ってきた。


-モチロン! いつでもいいヨ!-

 彼女は、家の住所を記載した文章を送ってくれた。


 場所は、フルーツラインと呼ばれる、広域農道の近く。


 そのあたりは、ゆるい丘になっており、甲州ワインが作られていて、ブドウ園が多く、のどかな雰囲気の場所だし、自宅からも近い。


 早速、翌日の午後に伺うことにした。一応、店が混み合うと予想される昼時は避けて、午後3時頃に伺うことを約束したのだった。



 翌日。いつものように50ccの原付、ディオでフィオの家に向かった。その日も、うだるような暑さで、甲府盆地付近の最高気温は37度。もはや体温レベルの異常な暑さで、原付に乗っていても、信号機待ちが地獄だった。


 フィオの家には10分ほどで、すぐに着いた。


 着いてみると、オシャレな三角形の切妻屋根を持った家で、屋根の色が緑色という特徴的な外観で、窓の形も欧風の四角くて、細長い窓だった。


 入口脇には、フィオが愛用している、ヴェスパ プリマヴェーラと、ドゥカティ モンスターが、カバーをかぶって佇んでいた。


 入口には、大きく達筆で「Trattoria Alessandro」と書かれてあった。

(トラットリア・アレッサンドロ?)


 恐らくそう読むのだろう。

 イタリア語はさっぱりわからない私だが、フィオに会える、またフィオの家族に会えるのも楽しみだった。


 早速、小さくて可愛らしい、鈴がついたドアを開けると。


Benvenutaベンヴェヌータ!」


 いきなり、流暢なイタリア語が降ってきた。しかも相手は男性だった。


 背の高い、恐らく180センチはある、長身の男性で、金髪で、口髭を生やしており、柔和な笑みと、輪郭がフィオにそっくりだった。コックらしく、長いコック帽をかぶっている。

 すぐに彼が、フィオの父親で、恐らく店主だろうと気づいた。


「あ、あの。初めまして。フィオさんの友人の大田です」

 さすがに驚きつつも返事をすると、いきなり早口のイタリア語が返ってきて、私は困惑していた。


 誰か助けて欲しい。とりあえず、男性には歓迎されているようで、椅子に座って、と大袈裟なジェスチャーを交えて言われているようには思えたが。


 所在なさげにテーブル席の椅子に座る。


 周りには数組のカップルや家族連れがいたが、みんなこのイタリア人に慣れているのだろうか。


 フィオに連絡しようと、携帯を取ると。


「あら、いらっしゃい。あなたがフィオが言ってた、瑠美さんね」

 今度は、奥から、穏やかな表情を浮かべた、中年の女性が姿を現した。平均的な日本人女性の身長とも言える、158センチ前後。長い髪が美しく、黒髪には艶があった。目元が少しフィオに似ている。恐らく母親だろう。


「初めまして。大田瑠美です」

「そんな、緊張しなくていいのよ。フィオの母の千明よ。フィオの友達なら、あなたは家族みたいなもの」

 なんというか、両親揃って、フィオみたいに、人なつこい。この辺りは血筋だろうか。いや、教育方針なのか、それともイタリア人の気風か。もっとも母親の千明さんは日本人だけど。


 そう思っていると、ようやく、

「瑠美!」

 カウンター奥にある階段を降りてきた、フィオが姿を現した。


 いつもとは違い、薄いブラウスのようなものを着て、短パン姿だった。足がとても綺麗に見える。


「フィオ。お邪魔します」

「お邪魔なんかじゃないヨ。歓迎するネ」

 それが、日本語的な挨拶なのだが、フィオは言葉通りに受け取ってしまう辺りが面白い。彼女はことわざや、日本語の微妙なニュアンスはまだ苦手らしい。


 早速、彼女は私の席にメニューを持ってきて、手渡し、自身は反対側に座って、ニコニコと微笑んでいた。


「オススメは?」

 一応、メニューにはイタリア語が書かれてあったが、日本語の説明文も書いてあった。


「何でも美味しいと思うけど、ワタシのオススメは、コレかな」

 彼女が指さしたのものには。


―Linguine con unova di carpa e pomodorini―


 と書いてあった。字面だけだと、何だかさっぱりわからない。

 だが、メニューに描かれた絵を見るに、パスタだろうことはわかったし、日本語の説明にも「鯉の卵とトマトのリングイネ」と書かれてあった。


「イタリアと言えば、パスタネ」

 まあ、正論であり、予想できたことだったが。


 同時に、フィオは、

「いい? パスタっていうのは、イタリアではそれこそ何種類もあるんだヨ。リングイネはそのうちの一つの、ロングパスタ。ここの料理は、パパの故郷のウンブリア州風にしてあるから。あと、このリングイネは、軽く食べれるくらいでちょうどいいから、今くらいの時間にはいいネ」

 流暢な日本語ですらすらと説明してくれた。


 早速、

「じゃあ、それで」

 と頼むと、フィオは、厨房に立つ父親に告げに行った。


「Si!」

 という明るい返事が、彼女の父親の口から響いていた。


「ところで」

 戻ってきた彼女に聞いてみる。


「トラットリア・アレッサンドロって、どういう意味?」

「ああ、それネ。トラットリアは、大衆向けレストランみたいな意味。アレッサンドロはパパの名前ネ」

 マジか。どんだけ自意識過剰で、自信家なんだよ、アレッサンドロさん。と少し笑いそうになっている自分に気づく。


 けれど、目の前のフィオは、突然、思い出したように笑い出した。

「どうしたの?」

「パパがネ。この店をここに開く時、Tavernaタヴェルナ Alessandroにしようとしたんだヨ。ワタシとママで、それは絶対ダメ。お客さん来ないから! って大反対して、Trattoriaになったんだ」

 ああ。なるほど。「タヴェルナ」という響きから、日本語だと「食べるな」。英語だと「Don't eat」になる。それは確かに日本ではマズい。


 単なる偶然の一致なのだが、イタリア語には、食堂を現すのにそういう言葉があるらしい。


「トラットリアとタヴェルナの違いって、あるの?」

「うーん。イタリア人は、食に対して、すっごいこだわりがあるんだヨ」


 そう前置きしてから、フィオは綺麗なイタリア語の発音で続けた。

Ristoranteリストランテ,Trattoria,Osteriaオステリア,Bistroビストロ,Barバル,Taverna,Cucinaクッチーナとかネ」


「へえ。すごいね」

「それぞれ、レストラン、大衆向けレストラン、居酒屋、小レストラン、カフェ、大衆食堂、キッチンくらいの意味ネ」


「お父さんは、日本語苦手なの?」

 いきなり最初からイタリア語でペラペラと話されたから、私はそう思ったのだが。


「まあ、少しネ。でも、今は普通にしゃべれるヨ」

「マジで」

 じゃあ、最初の挨拶の時は、何だったんだ。私を試したのか、からかったのか。いずれにしろ、面白そうなお父さんで、嫌な感じはしなかったが。

 むしろしゃべれるのにそうしたのなら、少しお茶目な人に見える。


 それに今は、ということは、このレストランを開いた時は、日本語をあまり理解していなかったから店名を「Taverna」にしようと思ったのかもしれない。


 そんなことを思いつつ、店内を見渡すと、床は板敷きで、少し古風だが洒落ているし、暖炉のようなものまであり、さらに、デカデカと左から緑、白、赤と配色された三色旗が壁に飾られている。言わずと知れた、イタリア国旗だ。


 他にも、フェラーリのミニカーが飾られてあったり、ヴェスパのオモチャまで置いてあった。


 何から何までイタリア風だ。店内すべてが、イタリアのカラーに彩られている。


 だが、同時に、私は思うのだった。

「フィオのお父さんは、何で、ここでイタリア料理店を開こうと思ったの?」

 言っては何だが、この辺りには、何もない。田舎だ。


 客を呼び込むなら、それこそ東京のような都会に店を開いた方がいいだろうし、この近辺なら、甲府市の方が、まだ人が来るはずだ。


「それはネ」

 フィオは、少しもったいぶったように、微笑むと。


 丁度、料理が運ばれてきた。

 香ばしい匂いがする、特徴的なパスタ料理だった。


 それを口に運びながら、彼女の説明を聞いてみると。

 彼女の父、アレッサンドロさんが、ここ甲州市にイタリア料理店を開いたのには、とても意外な理由があることがわかったのだ。

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