11湯目 父と母

 6月に入ってすぐ。

 私は普通二輪免許を取りに行くことを密かに決断する。


 もちろん、それはまどか先輩に言われたため、というのもあるし、先輩たちに気を遣わせてしまい、近場しか行けない、またわざわざスピードを遅い原付に合わせてくれているようで、申し訳ない気持ちがあったからだ。


 ある日の夕食。

 食卓を囲む席。両親が揃っていた。私に、兄弟はいない、つまり一人っ子なので、父も母も私のことを大切にしてくれた、という認識はあった。


 いつも残業して、夜の8時まで帰ってこない父。家計を助けるため、パートとして働いている母。我が家は決して裕福な家ではなかった。


 身長172センチほど。元・バイク乗りで現在は、家族のために軽自動車に乗り換えて、今はバイクにすら乗っていない父、丈一郎じょういちろう。短髪を刈り込んでおり、年の割には、若く見えて、ちょっとしたイケオジに見える。職業は公務員。父、丈一郎、46歳。


 一方の母は、身長160センチほど。セミロングの髪をしており、こちらも年の割には若く見えるが、パートで日々働いているためか、苦労が顔に滲み出ており、最近、老けたと思えるくらいに、年相応の顔になってきていた。スーパーの総菜売り場でパートをしている。母、美咲、44歳。


「ねえ。相談なんだけど。私、普通自動二輪の免許を取りたいんだけど」

 そう切り出すと、途端に厳しい目つきで、私を睨んできたのは、母だった。


「何言ってるの、あなたは。ダメに決まってるじゃない」

「どうして?」


「バイクなんて危ない乗り物はダメ。まして、あなたは女の子じゃない。怪我でもしたら、どうするの?」

 予想通りというか、母は多少過保護気味で、同時にしっかりしていて、厳しい面があったから、私はこの回答は予想していた。


「まあまあ、母さん。話くらい聞いてあげなよ」

 箸を置いた、丈一郎が晩酌に日本酒を口に含みながら発言するも、


「あなたは黙ってて」

 再び鋭い視線が、今度は美咲から丈一郎に向かって、父は肩をすくめるようにして、黙ってしまった。


「でも。お父さんも昔、乗ってたんでしょ?」

「ああ。確かにな。そもそもお前に原付譲った時から、こうなることは予想していた」

 父は、恐らく私の味方だろう。


 一方で、母は、

「ダメったら、ダメ。これから受験も控える大事な時期なんだから」

 相変わらず難色を示していた。


 この話は、ここで終わったのだが。

 晩飯後、私は作戦を決行することを決意する。


 父の部屋は、この小さな一軒家の2階にある。

 昔は、母と一緒に寝ていたが、最近、母から嫌がられて、別々に寝るようになったらしい。思えば、中年男性とは不憫なものだ。


 結婚してしばらくすれば、妻から邪険にされ、娘からも邪険にされる可能性がある。いわば、「家に居場所がない」。そんな中高年男性は多い。


 だが、私はこの父のことが好きだ。

 理由は簡単。彼は「私に甘い」。小さい頃から、一人娘の私を特に可愛がってくれて、何でも聞いてくれるのが父だった。


 元々、女の子が欲しかったらしい父は、幼い頃から、私にはとことん甘く、私が頼めば、大抵のことは許してくれた。


 というわけで、食事を終えた後、2階に向かった父のあとを、時間差を置いて追った。


 ノックをして、ドアを開けて入る。相変わらず雑然としていて、汚い、ある意味、男らしい部屋。


「どうした、瑠美?」

 酒を飲んで、少しだけ顔を赤らめた父が、ベッドに座っていた。


「ねえ、パパ」

 父を呼ぶ時に、あえて「お父さん」と言わずに、昔のように「パパ」と呼ぶ。今さらながら少し恥ずかしいが、これも私の中の作戦の一つだ。


「ああ。何だ?」

 心なしか、父の表情が緩んだように見えた。


「私、やっぱり免許取りたいんだ。何とか出来ないかなあ」

「何とかって言われてもなあ」


「パパから譲ってもらった、ディオは乗ってて楽しいよ。でもね。私、温泉ツーリング同好会に入ったんだ」

「温泉ツーリング同好会? 何だ、そりゃ?」

 仕方がないから、父にもクラブの内容を説明する。

 同時に、先輩たちと「遠くに」行くには、原付よりも排気量があるバイクが必要だ、と。


「うーん」

 さすがに、この考えは甘かったか。父は、難しい顔で考え込んでしまった。


 ああ、やっぱりダメか。それなら、別の手段でも考えよう、と思っていると。

「よし。わかった。それなら既成事実を作ればいい」

 父は、嬉々として、大きな声を上げた。


「既成事実?」

「ああ。先に内緒で、普通二輪免許を取りに行くんだ。取ってしまえば、母さんも、もう文句は言えないだろう」


「いや、それ後で絶対怒られるんじゃない?」

「怒られるな。でも、お父さんのせいにしていいから」


「えっ」

「免許の学校に通う費用。立て替えて、お父さんが出してやる」


 その瞬間、私は思わず飛び上がるくらいに嬉しくなって、父の手を握っていた。

「ありがとう、パパ!」

 相変わらず、娘に甘いこの父の「心」を利用した、ある意味、姑息な手段だが。

 照れたように、目を逸らし、


「その代わり、ちゃんと通って、免許を取れよ。あと、絶対事故るなよ」

 そんなことを言う、父を私は「可愛らしい」と思うのだった。


 同時に、父には言えないが、

(チョロいな)

 とも内心、思ってしまう。


 昔から私には、「甘かった」父。だが、それだけ私のことを「大好き」なのだろう。その気持ちは、嬉しいに決まっている。

 どちらかというと、私には「厳しく」躾の面で接してきた、母とはそこが違うところだった。


 つまり、私は元々、父から祖父がバイクに乗っていた時代の話も聞いていた。父は私の祖父からバイクを譲ってもらったらしいから、これは父型の血筋かもしれない。


―バイクはいいぞ。自由にどこにでも行けるし、何者にも縛られない―


 かつて、嬉々として、遠い目をして、父は語ってくれた。

 そんな父の愛情を受け取り、同時に、さすがに申し訳ないから、バイトをして、お金は返そうと思うのだった。


 翌日、父は免許取得費用として、約15万円をポンと出してくれたのだった。


 こうして私は、普通自動二輪免許を取得するために、自動車学校に通うことになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る