第二部
第30話現在の状況の話
夏休みも半ばを過ぎて、いまだに銀髪赤目和服のじゃロリ狐娘との同棲生活は続いている。
いつか帰ってしまうだろうと疑心暗鬼だった当初の予想を裏切り、なんと2か月の内に恋人関係にまで発展しているわけで。
「……ふぅー」
問題点と言えば、こうして恋愛関係について考えると、俺のトラウマが刺激されてしまうことぐらいか。
それくらい、今の生活は順調である。
のんびりと晩御飯の準備をしているハクの後姿を見ながら、呼吸を整える。
真っ白な尻尾がリラックスした様子で揺れているのを見て、幸福感が胸いっぱいに広がる。
幸せ、そう、幸せすぎるほど幸せなのである。
「なんか、しっぺ返しが来そうだよなぁ」
「……むしろ、今までの不幸の揺り返しじゃろうて」
不意に、ハクが俺の独り言に返答する。
ピコンと柔らかな狐耳が反り返り、俺の言葉を拾ったらしい。
いや、おそらくはその前に過呼吸を起こしかけていたのを心配したのだろう。
もっと言うなら、俺がハクとの関係について考えていたことを気にしている訳だが。
後ろ向きでは俺の様子をはっきり伺うのは難しいだろうと思いきや、キッチンには丁度俺の座るところが見えるような角度で鏡が置かれている。
鏡越しに目線が合えば、ハクは少し照れくさそうに微笑んだ。
「お皿、出すよ」
「うむ。……まあ、気長に考えればよいのじゃがな」
「それもそうだけどね」
近くに立てば、小さくもはっきりと聞こえる声でハクは言う。
妖狐であるハクにとってはそうだろうが、人間というのは何も考えないことができない生き物なので。
こうして晩御飯の準備を手伝うくらいに些細なことでも、何かしら行動で示していきたいと思ってしまうのである。
「変わらんのう、おぬしは」
「変わっちゃダメなところでしょ、ここは。それに言葉には表せられない分、やっぱりハクには喜んでほしいし」
困ったように眉を下げるハクを見ながら、少しばかり言葉を増やす。
二人して空気を察する能力が高いうえ、ハクにいたっては感情を読めるわけで、どうしても口数が少なくなってしまうのが、俺たちの悪いところだ。
それ自体は安心感と信頼感のある証として良いのだが、ここで俺のトラウマが邪魔をする。
負い目、というほどではないにせよ、ハクに疑われたら俺は死んでしまうので、少しでも気持ちを伝えるための行動は惜しんでいられない。
「外食は、常識的な範囲ならば、よいぞ」
「まだ何も言ってないです」
常識的な範囲で、をことさらに強調して言う理由は、俺の言おうとしたことを先読みしたからだろう。
あまりにも早すぎる釘刺しに、さすがに唇を尖らせて抗議すると、彼女はいたずらが成功した子供のような笑顔を浮かべて、俺の瞳を真っすぐに見つめる。
「おぬしのことじゃ、それぐらいは聞かんでも分かる。わしのために、高い寿司でも食おうと言いたかったんじゃろ?」
「いや、フレンチがいいかなって」
「どちらもダメじゃ。過度な散財は許さぬ。……それに、おぬしの気持ちなぞ痛いほどに知っておるよ。安心せい」
溢れんばかりの愛情で満たされた瞳で射貫かれては、俺もそれ以上は言えない。
ここら辺は年の功というか、ハクのほうが感情の制御がうまいので、自分を押し殺すような選択肢を簡単に取れる。
だからこその行動優先だったのだが、今のハクはまた一味違う。
誰が見てもわかるほど幸せそうな雰囲気を醸し出しているし、自己評価も高まっているのか自罰的な言動も減った。
全体的に良いことしかないように感じるのに、それでも、何かがおかしい。
小骨が喉に引っかかったような、鏡で左右がわからなくて髪をうまく直せないような。
気づいているはずなのに、気づきたくないような違和感が、俺の頭でグルグルしている。
「あっち」
そんな考え事をしていたせいか、スープを入れたお椀に指を突っ込んでしまった。
思わず肩をはねさせたが、ハクの作った料理をこぼすわけにもいかないのでお椀を放りだすような真似はしなかった。
とたとた、珍しく焦ったような足音に思わず振り向けば、心配そうな表情を満面に浮かべたハクが近寄ってくる。
「大丈夫かの?」
何とか死守したお椀を、すかさず近寄ってきたハクが奪い去る。
別に問題ない、と手を振ろうとすると、やんわりと有無を言わさずに腕を取られる。
突っ込んでしまった親指をハクの手が包み込むと、ふわりとあたたかな光が灯る。
ずべて、柔らかい仕草なのに、てこでも動かない強情さを内包していた。
祈るように目を閉じたハクの顔が美しいな、なんて鑑賞もそこそこに、頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。
妖力を使っているところを、波長の合う俺は目視できるが、こんな些細なことで使うようなところは見たことがない。
火傷なんて、俺もハクもこれまで軽重問わず負ってきたのに。
「うむ、これでよかろう」
「うん、ありがと」
もとより何の違和感もないような状態だから、何を行われたのかは定かではない。
それでも、なんとなく予想がつく、着くからこそ余計にわからない。
だって、ハクは以前こういった治療行為は苦手だと言っていたわけで。
そんな俺の様子を見ながらも、心から安心したような表情、なんだかここ最近見慣れた光景。
そして、なんだか身につまされるような感覚と、前から知っているような光景。
「……あっ。そっ、……かぁ」
「ん? どうしたのじゃ」
「うーん。なんていうか、過去って唐突に襲ってくるんだなって感慨にふけってた」
「急に何を言っておるんじゃ?」
こてり、と本気で意味が分からないと言わんばかりに首と耳と尻尾を倒すハクに、あいまいに笑って晩御飯にしようと急かす。
さすがに今すぐにネタ晴らしをするには俺の羞恥心がとどまることを知らないので。
――まあ、つまるところ。
今のハクは、ハクに出会ってすぐの俺に、よく似ているのだ。
ハクが居なくなってしまうのではないかと、些細なことで不安になったり、焦ったり、気を使ったり、心配したり、あれこれ手を尽くして居場所を作ろうとしていたあの頃の俺に。
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