第27話二人の話
「後のことは……、お願いね」
「うむ」「はい」
どちらに向けられたのか定かでない言葉に、二人して反応する。
今のは自分に言ったものだろうと二人してお互いの顔を見合わせる。
なんともおかしな状況についフフっと笑うと、ハクも腫れた目を細めて笑う。
カナを置いて二人して笑ってから、カナが微妙な顔をしていることに気づく。
「仲が良いのはいいけれど……。ちゃんと先のことも考えなさいよ?」
カナとしては、最初からそのつもりで来たのだから、目的を達成できているのか微妙な現状を憂いているのだろう。
ただ、変わらずそんな心配を口にしながらも、目の離せない子供たちを見るような目ではなく、どうしようもない友達を見るような目に変わっている。
「わかっておる。わしの話も、せねばならんだろうしな」
「俺としては、正直なところ今日はお腹いっぱいだけども」
ハクは、いつもよりも暗さを残しているものの、落ち着いた様子でこれからのことを考えている。
ハクの過去の話は確かに知りたいが、それはそれとして俺の精神はそれなりに疲労しているわけで。
ついでに、ハクの目元は真っ赤になってしまっているので、その状態で話されると俺の精神に多大なるダメージが与えられると予想されるわけで。
「またそんなことを……」
絶対に平静ではいられないので、できればハクの様子がいつも通りに戻ってからで。
などと思っていると、カナがとがめるような目で見つめてくる。
「大丈夫じゃ。わしも、その元気は無い」
ほんのりと憔悴した様子のハクが、カナの様子を察して先手を打つ。
実際に話せるかと問われれば、確かにあまり気乗りしない程度には気力を消耗しているとはいえ、本来ならばハッキリとそういったことを言うようなハクではない。
「話した分くらいは聞くよ? さすがにね」
多少疲れている程度でハクに気を使わせるくらいならば、空元気でも出す。
そうでなくとも、俺の身の上話で苦労を掛けておいて、こちらは聞きたくないですというのはどうかと思う。
「なんじゃ、元気は出たのか?」
「ハクよりはね」
ハクが少しこちらを見て、かすかに笑みを浮かべる。
カナの考えているような、関係の進展のための暴露ではないが、相手を思うための前提を知ることは、俺たちなりに勝手に行うのだ。
「……そう。細かいことは置いておくわ、ちゃんと仲良くしなさいね」
「うむ」「はい」
今度こそ二人に掛けられた言葉に、しっかりと返事をする。
思うことはあるようだが、それを口に出してもしょうがない、といった風に苦笑すると、カナは帰っていった。
二人で夏の生ぬるい風を近くに感じながら、カナを見送る。
「……話せる?」
カナが見えなくなるまで玄関に立ち尽くしてから、問いかける。
ゆっくりと、首を振ると、彼女はリビングに戻る。
少し間をおいてから、後を追ってリビングに入る。
椅子に座り、ぼんやりと虚空を見つめているハクが、尻尾を所在なさげにくゆらせる。
どうしたものかと、思案しようとしても頭がまとまらない。
自分も落ち着こうと、お湯を沸かして、温かいお茶を淹れて、またリビングに戻る。
「すまぬ……」
コトリと、湯飲みを置いた音に反応して、ハクがぽつりとこぼす。
「……何を言ってるのさ。いつものことでしょ」
「ああ、そうじゃな。……そう、じゃろうな」
「ハク」
どうしようもないほど、傷ついたような顔をしたハクの名を、少し強めに呼びかける。
ハクは黙ったまま肩をわずかに揺らして、震える手で湯飲みを握ろうとして、断念する。
そして、かすれた声を何度か出して、両手を合わせて握る。
俺はその様子を見て、落ち着くために使った時間が間違いだったことを悟った。
「いくらでも待つ。でも、ハクが傷つくのは黙ってられない」
「……っ! わしは!」
怒ったような、悲しんでいるような大声を出したハクと、しっかりと目を合わせる。
俺を見て、瞳を揺らして、またうつむくと、か細い声で続けた。
「……おぬしの思うような、者ではない」
「それを決めるのは俺だよ。ハクをどう思うかなんて、俺だけが決める。ハクにも、これだけは譲れない」
「わしは、おぬしとは違う」
「同族意識なんて、これっぽっちも持ってないよ。ハクも、そうでしょ」
「そう、思うか?」
「目をそらさないで」
怯えたような、拒絶するような目を、久しぶりに見た。
いつかの、鏡の中で見たような瞳から、今度は目をそらさない。
何度も否定してきた、その思考を止める暇は与えない。他の思考を混じらせる余裕なんて与えない。ただそれだけを考えて見つめる。
真っ赤な瞳が潤んで、真っ白なのどを震わせた。
「おぬしは……わしを見つけた」
「うん」
「おぬしは、どうしてじゃ?」
大事な部分がごっそりと抜け落ちた問い。
そこに触れたら、全て壊れてしまいそうだから。
「わからない。理由は無かった。ただ、逆も同じ」
「わしは、だめじゃった。誰も、望まなんだ」
「いまは?」
「……理由が、できた。しとうない、理由が」
「そっか。俺も」
雨の中で見つけた白い狐は、望んでそこに居た。
それに気づいたのは、ごく最近で。
彼女がそれに気づいたのは、たぶん初めから。
だって、彼女は誰にも見つけてほしくなかったから。
「わしは……。わしは、信じられぬ。おぬしの愛も、カンナの愛も、父の愛も、何も信じられぬ。それなのに、欲してしまう。そんなわし自身が、何よりも嫌いじゃ」
ハクは、愛情を感じ取れないほど鈍感ではない。
自分が取るに取らない存在だと強調するような言動に、やっと納得がいく。
「それが、理由?」
「なぜじゃ……」
ただ受け止めた俺に、ハクは抑えきれない感情をこぼす。
怒りと悲しみに顔を歪めて、真っ白な髪を振り乱す。
「おぬしには、権利がある。わしを、罵る権利があるじゃろう! 愛情に包まれているわしを、憎んでも良いじゃろう!」
玉のような涙をぽろぽろとこぼしながら、ハクは叫ぶ。
そんなことは望んでいないくせに。
また絶望したいわがままを、押し付けていることに気づいているのに。
それでも、そんなことで止まれるのならば俺たちは出会わなかった。
止めるために必要な言葉は、一言でいいのに。
言おうと思っただけで、視界がにじむ。
まだ希望を信じている、今しかないのだ。
「憎んでなんか、ないよ」
歯を食いしばって、あふれる嗚咽を抑え込む。
ハクの声が止んだ一瞬に、ありったけの思いをねじ込む。
「あいし、てるよ……ハク」
それだけ言うと、胃が痙攣して、俺はトイレに駆け込んだ。
一人になったハクが大声で泣く声が聞こえてくる。
分かり切った答えが、濁った声で届く。
たったこれだけのために、二人は必死で関係を積み上げた。
やっと吐き出せた感情は、喜びよりも苦しみの方が強いけれど。
生きてきたことは無駄ではなかったという安堵は、確かに感じられた。
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