第1話

目黒 修:「今日もいい天気だな」


狭いながらも僕に用意された仕事部屋は日当たりがよく、眺めも良かった。


僕はこの部屋をオフィスと呼んでいる。


暖かな日差しを背中に浴びながら、パソコンのキーボードに指先を走らせる。


カタカタとキーボードを叩く音と、 騒がしく鳴いているセミの声だけが僕の耳に響いていた。


外は唸るような暑さだが、僕の部屋は快適な温度を保っている。


そろそろ喉が渇いたなと思っていると、扉をノックする音が聞こえ、僕は反射的に顔を上げた。


目黒 修:「どうぞ」


誰が来るかは分かっていた。


櫻井 舞:「おはようございます、目黒先生」


コーヒーの香りと共に現れたのは、トレーを持った看護師の櫻井舞さくらいまいだった。


とても礼儀正しい子だ。


いつも僕が出勤すると、淹れたてのコーヒーとお菓子を持って来てくれるのだ。


僕はそれが毎朝の楽しみだった。


目黒 修:「おはよう、櫻井さん」


僕が優しく微笑むと、こちらに歩み寄る櫻井舞は頬を赤らめた。


櫻井舞は僕より背は低いが他の看護師と比べると少々高い。


だから細身の彼女はモデルの様にとても美しい。


だが頬を赤らめる時だけは美しいと言うよりも、可愛らしいと言う方が合っている。


櫻井舞は慣れた手つきで僕の邪魔にならないよう、デスクの端に湯気が立ち上るマグカップと、一口サイズのクッキーが盛られたお皿を置いた。


櫻井 舞:「いい天気ですね」


櫻井舞は僕の背中で広がる青空を見上げてニッコリと微笑んだ。


目黒 修:「そうだね」


僕は背後の窓には振り返らず、朝日に照らされてキメ細かい肌が輝いている櫻井舞の顔や、脚を見つめて頷いた。


丈の短い白衣から露出する脚は雪のように白く、本当に美しい。


運動でもしているのか、無駄な脂肪が付いていない脚は引き締まっていた。


手を伸ばせば触れる距離の美脚を見つめ、いつも触りたい衝動を抑えるのに必死だった。


そこに性的感情は無い。


いつか僕の地下室に招待したいと思う。


櫻井 舞:「今日のクッキーは駅前に出来たケーキ屋さんのやつなんです。美味しかったから目黒先生に食べてもらいたくって、昨日買っておいたんです」


櫻井舞の声で美脚から視線を上げ、彼女が指さしているクッキーに視線を移した。


分厚く丸いクッキーは、こんがりきつね色に焼かれ、砂糖が掛かっていた。


僕は手術をした患者のお見舞いに来ていた女子高生が、ケーキよりクッキーの方が美味しいと言っていたのを思い出した。


目黒 修:「あぁ、美味しいって噂だよね。僕は食べるの初めてなんだ、ありがとう」


僕はクッキーを1つ摘まみ、口に放り込む。


サクサクとした触感に、甘すぎない味は僕の好みだった。


優しい味が、朝食を食べていない体に溶け込んでいく。


目黒 修:「本当においしいね」


素直な感想を口にすると、櫻井舞は嬉しそうに笑った。


櫻井 舞:「目黒先生は、何ケーキが好きですか?一応ケーキ屋さんなので今度はケーキを買ってこようかと思うんです」


目黒 修:「ケーキかぁ、ん~……生クリームじゃないのが良いな」


僕は生クリームは嫌いだが、少量なら食べられるし、チョコやイチゴなど味が付いている生クリームなら食べられる。


だがそこまで説明するのも面倒なので、生クリーム無しを頼むことにした。


櫻井 舞:「えぇ!あんなに美味しい生クリームが嫌いなんて人生の半分は損してますよ!」


驚いた顔をする櫻井舞は、テンプレートの様なセリフを口にする。


刺身が嫌いだと言った時も、誰かに同じことを言われた。


既に半分損しているのなら僕は残りの人生を幸せに過ごすために、嫌いなものは絶対食べない。


櫻井 舞:「カスタードもダメですか?」


櫻井舞は僕の好みを聞きながら、どのケーキを買うか考えているのだろう。


目黒 修:「カスタードは好きだよ」


櫻井 舞:「分かりました。手作りのお店だから日によって品揃えが違うんですよ。なので良いのがあった時に買ってきますね」


トレーを持つ手に力を入れ、意気込んでいる櫻井舞を見つめる。


目黒 修:「楽しみにしてるね」


僕が笑うと、櫻井舞は再び頬を赤らめた。


櫻井 舞:「はい!任せてください。それじゃぁ仕事に戻りますね」


櫻井舞は軽く頭を下げて部屋を出て行った。


僕は櫻井舞の背中を見送ったあと、コーヒーを啜りながらスケジュールの確認をする。


今日は午前中に一件、午後には三件の手術が予定されている。


2日ぶりの手術なので、とても楽しみだ。


書類作成を終えた僕は、両腕を突き上げあくびをする。


この部屋は僕の癒しの空間の一つ。


日当たりが良く、大きな窓からの眺めも最高。


大きめの水槽には色鮮やかな熱帯魚たちが泳ぎ回っている。


地下室でしなかった魚の飼育は、この部屋で行っていた。


僕は熱帯魚たちに餌を与えようと立ち上がる。


熱帯魚用の餌を右手でつまみ、蓋を開けた水槽の中に指を擦りながら落とす。


内田 栞:「おはよう、修先生」


ノックをしないで入って来たのは僕の恋人で看護師の内田栞うちだしおりだった。


目黒 修:「修なんて呼んで誰かに聞かれたらどうすんだよ」


堂々と部屋に入ってきた栞はエサの小袋を持った僕の隣に立った。


内田 栞:「大丈夫よ。誰も居なかったから」


栞は心配している僕を見て可笑しそうに笑った。


目黒 修:「大丈夫って……。一応非公式なんだから」


ノックをしないのは栞の癖なので、僕からは特に何も言わない。


ある意味、ノック無しが栞が来た合図なのだ。


内田 栞:「私のプラティちゃんは元気?」


“プラティちゃん”とは熱帯魚の種類の名前のこと。


他にも、モーリー、スノーホワイト、グッピー、ネオンテトラ、プラチナエンゼル、レオパードなど種類は豊富だ。


目黒 修:「昨日と同じで元気だよ」


僕は熱帯魚の餌を手渡す。


内田 栞:「なら良かった」


栞は可愛く微笑み餌を受け取る。


内田 栞:「さぁ、みんなご飯よ」


一匹一匹に話しかけるように餌を水槽の中に撒く。


栞は背が小さいが‟可愛い”よりも‟綺麗”な印象で、髪はいつもポニーテールにしている。


必要なところ以外の毛は全て脱毛していて、滑らかな肌は太陽の光で真珠のように輝いていた。


職場が同じなのでお互い寂しい思いをすることはないが、時々、分かっていて物欲しげな顔をするので邪な感情を抑えるのに苦労している。


目黒 修:「そろそろ仕事に戻らないと怒られるぞ?」


僕はいつまでも水槽の前から動こうとしない栞に歩み寄る。


内田 栞:「……それもそうね」


栞は残念そうに溜め息を吐いた。


目黒 修:「またあとで」


僕は栞の華奢な腰を抱き寄せる。


内田 栞:「えぇ、またあとで」


栞は僕の肩に手をついて背伸びをすると、軽く唇を合わせた。


内田 栞:「手術頑張ってね」


手を振った栞は僕に背を向け、部屋を出て行った。


さぁ、僕も仕事だ。


もう直ぐで本日第一回目の手術の時間になる。


そろそろ準備を始めよう。

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