第8話 優しい先生


 教師に呼び出されてしまった。用事を確認していなかったが、直ぐにでもこの場を去りたかった僕は半ば強引に話を切り上げ、自分から教師と共に教室を出ていくのだった。


「すいません、三神くん。いきなり呼び出してしまって。何やらご友人と話されていたようですが……」


 申し訳なさそうにこちらを見上げ、謝ってくる黒桜先生。この身長と容姿で二十歳を超えているというのだから、その姿は詐欺と言う他ないだろう。


 僕らは廊下を歩く。行き先が告げられていないため、僕が彼女に引っ付いていく形だ。


 先生はとても優しい。気遣いもできるし、何より癒しがある。それ故か、校内に存在する三大ファンクラブの一つが崇める御神体とされているのだ。さもありなん。


「いえ、正直助かりました」


「?ご迷惑でなければ良いのですが……」


 若干僕の言葉に疑問を覚えたようにしながらも深くは追求せず、一旦の納得を見せるロリ先生。


 ちなみに彼女を合法ロリと呼ぶ者はファンクラブの者らによって盛大な粛清が行われるらしい。何人たりとも彼女をそのような目で見る事は許されないのだ。


 そういえば、まだ先生に何の用件で呼び出されたのかを聞いていなかったな。


「あの、先生。差し出がましいようですが、僕をお呼びになった理由を教えていただけませんか?」


「あ、そうでした!すいません!」


 パン、と両手を合わせてくるりと僕の方に振り返るロリ先生。そんな仕草が彼女の信者を増やしてしまうのだと思う。


「えーっとですね。三神くんには、少し手伝っていただきたい事がありまして…………。生徒会の仕事にも関係があるのですが、明日の朝礼について追加で連絡事項がありまして。それに加えて、少し力仕事なんかも併せて頼みたいのですが………どうでしょうか?」


 生徒会関係の仕事。それに力仕事か。どちらか一つなら僕以外の者でも務まりそうだが、その条件に当てはめるなら僕以上の適任はいない事だろう。


 生徒会のメンバーは僕以外全員女子なのだ。当然力仕事には向いていない。


 ハーレムだとかほざく奴がいるが、彼女達とは友人知人以上の関係ではない事をここに明記しておく。


 そもそも僕は過去の苦い経験から、異性を恋愛対象として認識できない節がある。僕から手を出すような状況はありえないと言っておこう。


「いいですよ。僕も予定はありませんし、適当な人選だと思います」


「ありがとうございます!それでは今から先に倉庫に資材を取りに行くのですが、そこでの荷物運びをお願いしますね!」


 先生はたちまち笑顔となり、鼻歌でも歌いそうな様子で先行を続けた。


 彼女はこの泥那奴盧学園をストレートで卒業した秀才なのだが、どうもそんな風には見えないのだから、人間とは分からないものだ。


 僕は彼女によってささくれた心が癒されていくのを感じながら、その小さな背中を追うのだった。






£££




「これで全部ですか?」


「はい!もう大丈夫です!ありがとうございました!」


 僕らは体育館裏の倉庫から体育館に、明日朝礼で使用する道具などを運び込んでいた。どうやらこの荷物で最後になるらしい。


 体育館に向かいながら、僕は先生に問いかける。


「あの、先生。重くないですか?僕もまだ少しくらいなら持てますけど……」


 先生は両手と胸部で支えるようにして大きなダンボールに入った荷物を抱えている。僕が運ぶと言ったのに、先生は自分でやると言って聞かなかった。腕がぷるぷると小刻みに震えている。


「いえ、大丈夫です!生徒だけにやらせるわけにはいきませんから!」


 快活とした笑顔でそんな事を言う先生。

 

 しかし腕は震えている。


 見ているこっちが心配になってしまうような姿だが、本当に大丈夫なのだろうか。


 先生のちょこちょこという小さな歩幅に合わせ、僕も歩を進める。風が吹いたりすると、先生はその度に手元をぐらつかせるので冷や冷やしてしまう。


「……先生、本当に大丈夫ですか?無理しなくて大丈夫ですよ?」


「い、いえいえ、何のこれしき!大丈夫です!」


 先生は額に薄らと汗を浮かべながらも、尚もそんな事を言う。


 自分でも言いながら焦ってるじゃないですか。


 だから案の定、と言うべきか。




 曲がり角に差しかかった。


 その時、事件は起こった。


「ワン!ワンワン!」


「きゃあっ!」


 突然暴れ犬が曲がり角の向こうから爆走して来たのだった。


 それに驚き、先生は体勢を崩した。


 後ろにのけぞったせいか、後頭から地面に倒れていく。


 何故ここに犬が?


 考えるより早く、僕の手は抱えていた荷物を地面に投げていた。


「先生っ!」


 スローモーションに見えた世界の中。僕は先生の元へ駆け、僅かな距離を埋めるとその小さい体を抱きとめた。


「大丈夫ですか?先生」


 先生の体は軽かった。この人ほんとに小学生なんじゃないかな。まるで重みを感じない。


「先生?」


「……ひゃいっ?!あ、す、すみませんっ!直ぐに退きますのでっ!」


 先生は混乱したような声で僕の腕から離れようとする。が、何故か下半身の力が抜けたようにヘニャリとなり、顔面から地面に倒れていく。


「う、うわわわわっ?!」


「せ、先生?!」


 僕は二度先生を抱きとめた。 


「す、すみませんっ……どうやら、腰が抜けてしまったようで……」


 先生は顔を赤くしながらそんな事を言った。生徒に自身のこんな姿を見せるのが恥ずかしいのだろうか。


「……先生。今度から無理はしないようにして下さいね」


「は、はいぃ、ぜ、善処させていただきますぅ」


 先生は、更に顔を赤くしながら俯くのだった。







£££


 

 〜泥那奴盧学園保健室〜





 ここはクレゾール石鹸水とアルコールの匂い漂う清く正しい保健室である。


 そこには一人の女性が机に向かって何やらペンを走らせていた。


 ライトブラウンに染まったふんわりと広がる髪を時々揺らしながら、欠伸を混じえ腕を動かす。


 養護教諭、通称保健室の先生である彼女は今日も傷ついた者の来訪を待つ。



 そこへ本日の来訪者が来た。保健室の扉がガラリと開く。


「失礼します。駆野かりの先生、黒桜先生の容態を診ていただいてよろしいでしょうか」


 声を掛けてきたのは、我が校の生徒会役員の一人である三神輝だ。


 彼はよくこの保健室に怪我人を連れて来る事が多いので駆野もよく知っている


 しかし今回はいつもと違い、何やら珍妙なことになっていた。


「……君、何故黒桜先生を、その、お姫様抱っこ?しているんだい?」


「黒桜先生の腰が抜けてしまったため、その場にいた僕が運んで来たのですが……不味かったでしょうか?」


「う、うう、殺して下さい……」


 見れば、彼の腕には黒桜先生が支えられていた。顔を両手で覆いながら、何やら時代劇のような台詞を吐いている。


 彼女は酷く顔を真っ赤にしている。この場所に来るまでに、それなりの距離を歩いたのだろうか。自らの羞恥を晒す羽目になったのだろう。


 駆野は悩んだ。教員をお姫様抱っことはこれ如何に。学内の風紀を乱すような行為は、一教員として見過ごしてはいけない立場にある。


「……うーん。正直これはどうなんだ?良いのか?」  


 駆野は一瞬悩む、が、やはり養護教諭としては医療行為が優先される。三神の行った事は、その観点に基づくと褒められるべき行為と認める事ができる。


「………まぁいいか。取り敢えず、良くやった三神。黒桜先生はそこのベッドに寝かせてくれ」


「分かりました」


 三神は丁寧に黒桜先生をベッドに下ろすと、靴を脱がせ、シーツを掛けた。


 そこまでやらなくても良いとは思うが、彼は些か過保護すぎる。


 この場所に訪れた回数だって多いのに、それら殆どが他の傷病者の連れ添いだと言うのだから、全く生徒会としての役割を立派に果たしてくれているようで何よりだ。


「痛くないですか?黒桜先生、何かお飲み物でもお持ちしましょうか?」


「い、いえ!流石にそこまでして頂かなくても大丈夫ですっ!もう十分です!ありがとうございます!」


 ベッドでは、未だに彼らのやり取りが続いている。


 三神はやはり大層な過保護だ。黒桜先生は更に顔を赤くし要求を拒むが、しかし何故か押しの強い三神から様々に尽くされている。押しに弱い彼女には無理からぬ事だ。


「三神、あまり先生を困らせるなよ」


「あ……す、すいません。め、迷惑だったでしょうか先生?」


 私の言を聞き、途端にシュンとなる三神。端正な顔を少し歪め、庇護欲を誘う顔つきになる。


 コイツ、分かってやってるのか?


 その言葉を聞いた黒桜先生は顔色を変え、今度は彼の行動を肯定する。


「め、迷惑などとは!滅相もないです!む、寧ろすいません、生徒である三神くんにここまでやらせてしまうなんて……」

 

 ほらこうなる。


 彼女も優しい。三神の善意と取れる行動を迷惑と断ぜられるほどハッキリした態度を取る事は出来ないだろう。


 この善人二人を眺めていると、何故だか無性に心が痒くなる。


 結局三神がここを出たのは、授業開始のチャイムが鳴る寸前だった。




£££






「はぁ……終わったか」


 帰りのホームルームが終わり、クラスメイト達は皆帰りの支度を行い始める。


 文化祭の話題も出たが、結局神崎さんと僕が文化祭実行委員の補助として動く事が決定した事の発表と、スケジュールの擦り合わせのみですんなり終わった。


 昼休みの時点で既に話はついていたらしい。砂原くんと檜木さんが不穏な空気を抱いていたのは何故だろう。


 神崎さんを含めた彼ら三人からは、これから宜しくとの言葉を頂いた。早速明日から打ち合わせが入るようだった。



 僕も着々と帰りの準備を行う。


 僕は一応部活に所属しているが部長である先輩と僕との二人しか居ないため、どちらかが行けない日は必然的に活動休止日となっている。


 今日は先輩が行けないため休みなのだ。


 そう言えば、黒桜先生は大事だろうか。あれきり姿を見ていないから、未だに保健室で療養している可能性が高い。帰りがけに保健室に寄って行こう。


 その時、ブルル、とポケットに入れてあるスマートフォンが振動した。


 開くと、アラタからの新着メッセージが届いていることが分かった。


「ん……何これ。動画?」


 そこには一本の動画と、『一緒に帰ろ』というメッセージ。あざとく可愛い猫耳美少年が手を振っているスタンプ。


 動画をタップして再生する。


 

 そこには荷物を抱え運ぶ僕と……黒桜先生が映っていた。


 ナニコレ。



『先生っ!』


 黒桜先生を抱き止める僕が映る。


『大丈夫ですか?先生』


『先生?』


『……ひゃいっ?!あ、す、すみませんっ!直ぐに退きますのでっ!』


 僕から離れようとする先生が、バランスを崩して地面に再度倒れる。


『う、うわわわわっ?!』


『せ、先生?!』


『す、すみませんっ……どうやら、腰が抜けてしまったようで……』


『……先生。今度から無理はしないようにして下さいね』


『は、はいぃ、ぜ、善処させていただきますぅ』


 画面が切り替わる。そこは保健室だった。どうやら窓から室内を撮っているらしい。格子が入り込んでいた。


 扉を開けて、黒桜先生を抱えた僕が画面に映る。


 僅かに開いた窓の隙間から、同じように会話の内容が聞こえた。


 

 全てを聴き終えた僕の背に、冷たい汗が滴る。


 僕と黒桜先生を映していた画面が切り替わり、最後には制服姿のアラタが校舎の壁を背景に映った。


 その口元が動く。


『にぃさん、お話し、しよっか?』



 僕は廊下の方に視線を感じ、急いで振り返った。


 


 教室の扉窓越しに、アラタと目が合う。


 アラタは僕を見て、ニコリと笑った。



 ……怖っ。

 


 


 

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