第3話 お帰り


 僕は結局逃げた。逃げに走った。


 当たり前だろう。ヤンデレっ子を突き放すなんて、後が怖くて出来ない。過去それで酷い目に遭った事がある。大切なのは何事もバランス。バランスである。


「……友達、ですか?」


「うん、そう。友達」


 僕は彼女の言葉を繰り返す。彼女の眼は相変わらず虚なまま変わらない。寧ろ少し黒く濁ってきている気がする。ひょっとして不満があったのだろうか。ヤバいどうしよう。以前はこれで乗り切れたのに。ダメかな友達。ヤバいどうしよう。


「……友達とは、その……一緒にお話ししたり、出掛けたり、昼食を食べたり、お泊まり会をしたり……というものですか?」


「うん、そうだね、そうそう」


 僕は頷くだけの人形と化した。お泊まり会は同性に限った話かも知れないが、世の中にはそんな男女の倫理観の狂ったパーリーピーポーもきっといるだろう。問題は無いはずだ。多分。恐らく。きっと。


 彼女は俯き何やらぶつぶつと呟いている。


 結構距離は近いのに、その声は聞こえない。一体何を呟いているのだろうか。怖くて聞けない。僕は頭を空っぽにして、独りうんうんとだけ頷いている。今日の晩ご飯は何かなー。


 そして突然バッ、と顔を上げる阿羅増さん。そこには満面の笑みがあった。少しビクッとなりながらも何とか体裁を保つ僕。別に怖がってるわけじゃないもん。


「良いですね、友達、友達ですか……。じゃあ時期を見て、という事になるんですかね。ふふ、その時を楽しみにしています、三神さん」


「うんうんそうだね。うんうん」


 時期を見て何をするつもりだろうか。遠回しに断っているつもりなのだが、いつもこの方法は上手くいかない。直接的に言おうにも後が怖くてできません。僕はどうしたらいいのでしょうか。


「……それでは早速今夜、泊まらせていただきますね。幸い準備も出来ていますし……お世話になります」


 彼女は丁寧に頭を下げる。


……結局そういう展開になるのか。僕はもう、頭を抱えて叫び出したい気分だった。全てはチキンな僕が悪いのだろうか。いや、責任の一端は僕にあるかも知れないが、別に僕はそんな事望んでもいないのである。大本としてこの件に関して悪いのは、僕に彼女の復学という仕事を振った教師である。うん、そうだ。後で文句を言ってやろう。


 僕は心のチェックリストに教師への文句を記した。我ながらみみっちい性格をしているものだ。直すつもりはないが。





「三神さん、手を繋いでも宜しいですか?」


 僕が現実逃避をしていると、突拍子もなく阿羅増さんがそんな事を言ってきた。


 Why?なぜ?手を繋ぐ?この室内で?


 阿羅増さんは首を傾げながら、僕にその虚な目を向ける。ゆらゆらとした光が反射していた。


「友達とは、手を繋ぐものだと、聞いた事があるのですが、違いますか?」


 そう訪ねてくる彼女からは、無言の圧力を感じた。


 どうしよう。このタイミングで手を繋ぐとか言われましても、これは初体験だ。対応の仕方が分からない。素直に手を繋いだとしても、まさかそれだけでは終わらない雰囲気がある。


 あれ、僕友達からって言いましたよね?言ってませんでしたっけ。


「その、夜まで時間も有りますし、手持ち無沙汰でもありますので、ね?」


 手持ち無沙汰だから手を繋ぐと?誰が上手いこと言えと言いましたか。ね?じゃないですよ、ね?じゃ。ちょっと可愛いとか思ってしまった自分を殴りたい。


 現在家には僕と彼女の二人だけだ。兄妹は未だ帰って来ていない。ある意味良かったとも言えるが、このままだと何か大切なものを失ってしまいそうで怖い。


 客間で友人になったばかりの女子と手を繋ぐという状況。何がヤバいかって、どう見てもそれだけでは終わりそうにない点だ。


 友人である事を明言して油断していたのかも知れない。彼女達はそんな事お構いなしに迫ってくる事をすっかり忘れていた。


「大丈夫です、三神さん。痛くしませんから、大丈夫です」


 何、痛くしないって。手を繋ぐだけだよね?え?それだけだよね?まさか最初からその言葉を無視して来たりしないよね?


 僕は思わず距離を取ろうとする。が、手足が痺れて何故か動かない。


 おっとこれは。


 ……珍しい。僕に効く調合など難しいはずだが、これは麻痺毒じゃないか。いつもは睡眠薬とか媚薬とかなのに。まだ麻痺の耐性は完全じゃなかったのか。これは迂闊だった。


 彼女はこちらに近づいてくる。僕は椅子に腰掛けたままなので、彼女が上になる配置だ。俗に言うマウントポジションというやつである。



 あ、詰んだ。



 彼女の影が僕を覆う。すぐ目の前には彼女の端正な顔があった。


 すり、と彼女の手が僕の手の甲を這う。その感触は滑らかだった。背筋にぞくりとした妙な快感が走った。そのまますりすりと、彼女は掌でその感触を確かめるように撫で回す。

 

 手を繋ぐとは何だったのか。彼女は息を段々と荒げながら僕を見つめる。


「三神さん、三神さん、三神さん。ああ、すいません。少し、効きが悪いようなので不安だったのですが………良かったです。三神さんの返答がどうであれ、こうするつもりだったんです。すいません、三神さん。今がその時期なんです。遠回しな言い方をしてしまって、すいません」


 彼女は椅子に座った僕に跨るように、上に乗った。


「既成事実です。三神さんがとてもおモテになるのは知っています。あまりゆっくりもしていられないのです。何より……こんなチャンス、滅多にないですから。先手必勝、というやつですよ」


 ペロリと舌舐めずりをする彼女。赤い唇が目を引く。その仕草は妖艶で、まさか歳が一つ下の後輩とは思えなかった。


 成程。どうやら彼女は頭がいいらしい。僕の今までの経験ではじっくりコトコト堕とす系のヤンデレっ子しか居なかった。それを知っていたのかいないのか、兎に角相手が油断している隙につけ込むのは常套手段と言えるだろう。


 彼女はまず僕の服を脱がしにかかる。その目は若干血走っていた。超怖い。ワイシャツのボタンが一つ一つ、荒っぽい動作で解かれていく。


 ……参ったな。どうやら年貢の納め時かも知れない。まぁ別に彼女が嫌いという訳でもないのだが、それでも既成事実をネタに脅してきそうな女性とは出来ればお近づきになりたくないのだ。この気持ちが分からないとは言わせない。



 ボタンが全て外れ、白いVネックが露わになる。彼女は躊躇わず、それも脱がしにかかった。


 僕は抵抗を諦めた。優しくしてくれるとの事だし、まさか死ぬ訳でもないだろう。どうにかなると楽観的な思考もできないが、今更何が出来るという訳でもない。


 僕は目を閉じ、全てを流れに任せる事を決めた———————


 











 


 パンッ!!と破裂音がした。

  

 煙のような霧状の物質が周囲に蔓延する。


 慌てる阿羅増さんの声。


 咄嗟に目を開けると、続いて硬質な物が彼女の額に激突した。



 煙の中、よろめく彼女は何が起こっているのか理解できていないようだった。


 少し幼い声が響く。


「……お兄ちゃん。家に女連れ込むなって、言ったよね」


「だめだよねぇさん。にぃさんを叱っちゃ。にぃさんは何も悪くない。きっとそこの女だよ。にぃさんは騙されやすいから」


「……分かってるよぉ。でも何度も言ってるじゃん?それなのに全然懲りてない。お兄ちゃんはいい加減、断り方を学ぶべきだと思わない?オレが殺虫剤を常備してる理由、分かる?」


「ねぇさんもいい加減、衝動的に殺虫剤を撒くのはやめた方がいいと思うよ。害虫の匂いは無くなるけど、家が殺虫剤臭くなっちゃう」



 ああ、ナイスタイミング。



「……お帰り。サキ、アラタ」


「……ただいま、お兄ちゃん」

「ただいま、にぃさん」


 それは僕の愛する家族。妹のサキと、弟のアラタだった。


 晴れた煙の先、そこには仏頂面と笑顔が並んでいた。




 —————ちなみに二人ともヤンデレである。


 

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