第24話 ヒロミと斉木

 桂川さんとハナさんの見合いは上手くいき、仮交際に入った二度目のデートで、彼はプロポーズした。ハナさんに異論はなかった。

 二人から事務所に弾んだ声で連絡が入り、ユイもルカも、我がことのように、ではなく、我がこととして大喜びした。

 彼から報告を受けたユイは、いたずらっぽい笑顔を見せながら、ルカに言った。

 「桂川さんったら『医食同源』がどうのこうの、って、ハナさんからの受け売りで、とくとくと喋るんだから、イヤになっちゃう。あれは、絶対に、女房の尻に敷かれるわ。かわいそうにも思えるけど、かかあ天下で幸せならば、それで良しとしよう」

 その日一日は、桂川さんのことで、二人は盛り上がったが、翌日になり、ルカが事務所にやってくると、昨日のお祭り騒ぎが嘘のように、深刻そうな顔をしたユイが、事務机に向かっていた。

 (鬼だ・・・。とり憑かれているのか、とり憑いているのか、ユイさんの場合、よく分からないけど。結婚相談所の所長という鬼であることは間違いない・・・)

 そんなことをルカが考えていたとき、ユイの深刻そうな顔が、ふいにルカの方を向いた。ルカは身構えた。

 (しまった! 心の中を見透かされたかもしれない)

 ユイの口が開いた。

 「おはよう」

 口の中が乾いてしまい、思うように話せない気がしたが、黙ってるわけにもいかず、無理やりルカは声を振り絞った。

 「おは、よう、ございます」

 ん? と怪訝けげんそうな表情が、ユイの顔に張りついた。

 「なに、ボーッと突っ立てるの? ああ、ちょうどいい。来て早々に悪いけど、これ、ポストに入れてきてくれない? 」

 「ユイ・マリアージュ・オフィス」という文字の印刷された封筒を、ルカに差し出した。宛名は、斉木様とある。

 (次なる嵐は、この方がもたらすのかしら? )

 そう思いながら、斉木 翔という名からは、その人の顔をルカは思い出せなかった。宛名を見ながら、首を傾げているルカのしぐさを目にして、ユイは説明し始めた。

 「思い出せない? 実年齢は33歳なんだけど、パッと見は、20代そこそこにしか見えない。けっこうかわいらしい顔立ちをした人よ。

 あなたがここへ来てからは、二度、お見合いをしているはず。あなたが来る前からの会員さんで、会員になった直後に二度たて続けにお見合いをした。合わせて四度お見合いをしてることになるわね。ともかく、見栄えがいいし、高収入だから、お見合いはすんなり決まるんだけど、お見合いの席で、直接お相手と会うと、必ず話が壊れるの。あなたも、一度、斉木さんとはあってるはずだけど・・・思い出した? 」

 (ああ・・・ )

 ルカは思い出した。いったん思い出すと鮮明な記憶となってよみがえってきた。

 会ったのは、先月の下旬の頃。まだ、初春の時期で、肌寒い日もあったが、日増しに暖かくなり、20度を超えるような日も現れるようになっていた。

 そんな季節に、斉木さんは事務所に姿を見せた。ドアを開けて入ってきた彼を見て、ルカは大学生か? と疑った。前髪を下ろした髪型で、全体に軽いウェーブがかかり、濃いブラウンに染めていたと記憶している。

 着ているものも、黒っぽいチノパンに、細かなチェックの白いボタンダウンを着て、上着は、チャイナジャケットと呼ばれる、生地に寄った皺がアクセントになるリネン素材のおしゃれなものだった。

 どこかのお金持ちのお坊ちゃんが、何かの用事でやってきたのだ、とルカは考えていた。踏み出した足に目を留めると、黒地に白い紐を通した、ブランド物の高価なスニーカーだった。今どきの裕福な階層の大学生は、惜しげもなくファッションにお金をかけるんだな、と感心するのを通り越して、呆れてしまった。

 ユイが、座って、とも何も指示を出していないのに、もうすっかり慣れ親しんでいる場所であるかのように、彼はテーブルの椅子に腰を下ろした。彼と向かい合う位置に、ユイも座った。

 ルカは紅茶の準備にとりかかった。

 ユイは何も喋らない。彼が口を開くのを待っているのだろうが、それだけではない、別の意図があるようでもあった。

 彼はテーブルの一点に視線を向けたまま、口を真一文字に結んで、かたくなに口を開こうとはしなかった。気まずい時間が流れた。

 ルカが、二人に紅茶とお茶請けのビスケットを差し出すと、黙って、軽く頭を下げた。紅茶を一口飲むと、眉をすぼめ、それまで息をつめていたかのように、息を吐き出した。

 それがルカブレンドの魔力なのか、ボツボツと喋り出した。

 「もう、お見合いをする自信がありません」

 「すっかり疲れちゃって・・・。女性と会って、話をするのが苦痛になってきました」

 「いっそ、諦めた方が楽かな、と思えてきて、・・・退会しようか、とも考えてます」

 出てくる言葉は、愚痴ばかりだった。

 大学生だ、とばかり思っていたルカは、会員さんだと知って、驚いた。そして、口をついて出てくる言葉が、そのイケてる外見とは全く似つかわしくない、ネガティブなもののオンパレードであることにも驚いた。驚いたというよりも、違和感と言った方が正解であったかもしれない。

 どんな泣き言を並べ立てても、ユイは口を差し挟もうとはせず、真っ直ぐにその顔を見つめ、真剣に耳を傾けていた。言葉が途切れるのを見計らって、ユイは初めて口を開いた。

 「これまで二度、お見合いを経験されて、ご自身のことを話すのが苦痛なのか、お相手の話を聞くのが苦痛なのか、どちらでしたか? 」

 彼は目を宙にさまよわせるような表情を見せてから、こう答えた。

 「大差ありません。どちらも苦痛に感じている、ってところでしょうか」

 「では、改めてお聞きしますが、結婚相談所に何を求めて入会されたのですか? 」

 質問の意図を計りかねるといった困惑した表情が、その顔に浮かんだ。

 「結婚相手を探すため、いい出会いを求めて・・・ですが? 」

 ユイの目が鋭くなった。

 「お互いを理解するための会話が、苦痛に感じられるのに、ですか? 」

 彼は、冷たく笑った。

 「入会する前は、結婚相手を探すための会話が、こんなにも苦痛なものだとは知らなかったものですから。・・・だから、今は退会も考えてる、と言ったんです」

 その後も、二人のやりとりは一時間ばかり続いたのだが、平行線をたどったままで終わってしまった。

 それでも、最後に、ユイが、それまでのやりとりなど、まるでなかったかのような口ぶりで、こう言った。

 「またいい人が見つかり次第、紹介いたしますので、お待ちになっていて下さい」

 彼も、ユイに負けず劣らず、一切表情を崩さずに答えた。

 「よろしくお願いします」

 傍で二人のやりとりを見守っていたルカは、呆気あっけにとられた。二人とも何を考えているのか、さっぱり分からなかった。


 斉木さん宛の封筒を投函した後、事務所に戻ってきたルカはユイに聞いた。

 「あれって、次のお見合い相手の写真と釣り書きですよね」

 ユイの返答は、そっけなかった。

 「もちろん、そうよ。それが何か? 」

 ためらいを押さえ込んで、さらに聞いた。

 「ユイさんに勝算はあるんですか? 」

 「勝算? ないわ」

 ユイのそっけなさは、さらに度を増した。

 「お見合いに四度も失敗している方ですよ。何か手を打たなければ、お見合いをセッティングしても、意味ないんじゃないですか? 」

 ルカは食い下がった。でも、ユイは鼻で笑うようにして、こう応じた。

 「意味をもたらすかどうかは、当事者間の問題であって、そこまでは結婚相談所が責任持てるわけないでしょうが。この人とこの人なら、相性は良さそうだし、当人から出されている相手への希望にも応えている。家柄の釣り合いもとれているし、じゃあ、マッチングしてみましょう、と。お見合いをする気があるかどうか、確認するための仲立ちをする。OKならば、お見合いの日時と場所をセッティングする、以上。

 私たちのやるべきことは、そこまでよ。困ったことが起きたら、相談にはのるけど、基本的に、後はただただ、お見合いが上手くいき、仮交際から本交際、プロポーズがあって、成婚へと至ることを祈るのみよ。神様、仏様、誰でもいいから、お力添えをいただいて、新たなカップルが誕生するよう、お導き下さい、と願うことぐらいしか、私たちにはできないのよ。分かる? 分かってるでしょ? 」

 ユイの言い方には、険があった。

 (イライラしてる。誰に? 斉木さんに決まってる。どんな助言をしても、彼には通じない。聞く耳を持たないって感じ。それなのに結婚相手がほしいと言う。人の言葉に耳を傾けられない人が、結婚生活なんて営めるものだろうか? )

 ルカは、斉木さんという難敵に、ユイがどんな策を講じようとしているのか、探ろうとしたのだが、さすがのユイにも、今のところ、策がないんだ、と思い至った。だから、イラついてる。

 それと、日頃のユイならば、使うことのない言葉を口に出していたことも気になった。

 「神様、仏様、誰でもいいから、お力添えをいただいて・・・お導き下さい」

 ユイは、そんなことを広言する人ではない、とルカは思った。

 人智を超えた、何か大きな力でも借りなければ、彼を結婚させることなんて、不可能だ、と思っているのだろうか? 

 不機嫌そうに黙り込んでいるユイの顔を盗み見しながら、ルカは彼女の胸の内をあれやこれやと思い巡らせていた。

 ルカが、チラリとユイの顔に目をやった何度目かに、何かに反応したように、ユイが口を開いた。

 「あなた、さっき勝算はあるのか、と聞いたわよね? 」

 ルカは、黙ってうなずいた。

 「勝算なんかない、と言ったと思うけど、今度、あの人にぶつけようと思ったお相手は、これまでとは違うの。これまでは、彼の希望に添うような方ばかりを選んで、お見合いをセッティングしたんだけど、ことごとく失敗しちゃった。

 ならば、希望に添わない人をぶつけたら、どうなるんだろう、と考えたのよ」

 そう言って、ユイは、事務机の上に出してあったファイルを開いた。

 「市内の病院に勤める看護師さん、武井ヒロミさん、30歳。看護大学を卒業してから、何人もの方とお付き合いしたことがあるって、言ってたわ。でも、結局、看護師という職業柄、仕方ないんだけど、日勤、準夜勤、夜勤の三交代制で、おまけに休みも不定期ときてるから、デートの時間を合わせるのも大変で、看護師という仕事の苛酷さを理解されにくくて、別れる羽目になるって言ってたわ。

 そんなことが重なって、だんだん恋愛することも面倒くさくなり、もともと仕事に誇りを感じてる人だから、この際、割り切って、看護師のトップ目指して、キャリア一本でガンバっちゃおうかな、とも思ったらしいんだけどね。同僚が結婚して、次々辞めていくのを目にして、やっぱり、一人の女として寂しい気持ちになってきたらしいの。子供も好きで、我が子を自分の手で育ててみたいと言ってたわ。

 それで、30歳を目前にして、自分の仕事を理解してくれる包容力と頼もしさを持った結婚相手を求めて、入会してきた女性なの。

 何でも自分で出来ちゃうしっかり者で、賢いヒロミさんなんだけど、反面、すごい寂しがりやで、頼もしい男性にリードされたい、という一見矛盾するような願望を持っている。はたして、そんなタイプのヒロミさんが、あの人と出会ったら、どんな化学反応が起きるのか、楽しみでもあり、不安でもある。

 でも、これまでの四回のお見合いとは、明らかに異なる可能性を感じているという点で、勝算というにはほど遠いけど、何かが起きるかもしれない期待を抱いていることだけは確かね」

 不機嫌そうであることには変わりなかったが、よくよく見れば、ユイの目には力があった。ルカには、ユイの言ってることが漠然としすぎて、あまり理解できなかった。

 ユイの目に宿った力強さが、彼女の口にした「何かが起きるかもしれない期待」に由来するものであることは分かったが、なぜ、そんな不確かなものに期待を抱けるのか、ルカにはピンとこない。

 (ユイさんの感受性の鋭さは、私みたいなボンヤリした人間では、とうていついていけるものではないだろう。

 でも、何だか不思議。ユイさんが口にするとそうなるかもしれない、という気分になってくる・・・ )

 手帳にペンを走らせ始めたユイの姿を、まぶしいものでも見るような目で、ルカは眺めていた。

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