第22話 桂川

 それも、ユイのカンだった。

 遠回しに核心部分に触れていくよりも、桂川さんには、ストレートに切り込んだ方がいい、と踏んだのだろう。

 規約の説明をひと通り終えると、ユイは聞いた。

 「何か、疑問な点はございませんか? 」

 桂川さんは即答した。

 「いや、大丈夫です。よく分かりました 」

 彼はそのタイミングで、紅茶に手を伸ばし、一気に飲み干してしまった。喉仏の上下する動きが、はっきりと見えた。さらに、お菓子にも手を付けた。クリームを挟んだ、一口サイズのチョコレートパイだったが、あっという間に、胃袋に納まってしまった。

 その様子を目の当たりにしたルカは、桂川さんの死角に入る位置に座り、気付かれないように、クスッと笑った。そして、思った。

 (何か、カワイイ・・・ )

 以心伝心。ルカがその直後に思いついたことを、ユイが言葉にしたのだった。

 「紅茶のお代わりを差し上げて。それと、今日買ってきた、その紙袋に入っているものを、お茶うけに出してくれない? 」

 ユイが菓子を買ってくることは珍しい。単なる思いつきじゃないだろう。ユイは何かを企んでいる。ルカの直感だった。背筋に、ゾワッとくるものを感じた。

 紙袋を開けると、中には、バウムクーヘンが入っていた。しかも、洋菓子専門店でしか買えない高級品だった。

 ルカは急いでカラになったティーカップと小皿を下げると、新たに淹れ直した濃いめの紅茶と、その高級バウムクーヘンを皿に出し、桂川さんの前に持って行った。ユイの前にも持っていったとき、彼女はルカの顔を上目づかいで見て、かすかに不敵な笑みを浮かべたのを、ルカは見逃しはしなかった。

 「食い意地のはってるのが、バレちゃいますね」

 桂川さんの屈託のない笑顔と明るい声が、ルカには新鮮だった。例の写真のイメージが強烈で、ルカは、桂川さんに対する偏見に捕らわれてしまっていたせいだろう。

 彼の気持ちが和んだ隙を逃さず、ユイはさらに追い打ちをかけた。

 「私もいただきますから、どうぞ召し上がって下さい。お話はそれからということで」

 桂川さんの表情が、いっそうほころんだ。

 「では、遠慮なくいただきます」

 早速紅茶を一口飲んでから、バウムクーヘンを口に運んだ。

 「うん・・・。これは、文句なしにおいしい。柔らかくて、パサパサした感じが全くなくて、口の中で溶けていきます」

 奥二重のつぶらなまなこなのに、はれぼったいまぶたのせいで、不機嫌そうに見えた目つきまでが、溶けてなくなり、愛嬌たっぷりの細い目に変わっていた。ホントにおいしそうに食べる。これもまた、秒殺での完食であった。

 口の中いっぱいに広がった甘みを、濃いめの紅茶で中和させても、プラスマイナスゼロではなかった。甘みと苦みがミックスされて、えも言われぬ旨みとなり、いつまでも、舌を、脳を喜ばせ続けた。

 紅茶を飲み干し、上を向いていた桂川さんの顔が正面を向き、口の中に残った至福の味わいを楽しんでいた瞬間、ユイの手にしていたスマホが光った。

 彼は、びっくりした表情を浮かべ、次第に怪訝けげんそうな表情に変わっていった。何かを言おうとした直前に、機先を制するように、ユイが話し出した。

 「不愉快な思いをさせて、ゴメンなさいね。あなたには、理屈じゃなくて、身をもって分かってほしかったの。見て、これ」

 そう言って、今、撮ったばかりのスマホの写真を見せた。

 「恥ずかしいかもしれないけど、よく見て。いい表情をしていると、ご自分でも思わない? 」

 桂川さんは目をこらして、至福の表情を浮かべた自分の顔を見た後、少しの間、考え込んだ。

 「・・・いい表情だと、言われれば、そうかもしれませんが、あまり人様におみせする顔ではありませんね」

 照れたような、そして、不服そうな顔をじっと見つめていたユイが、こう言った。

 「でも、正真正銘のあなたを写し出した写真ですよね? 」

 ぐっと返事につまってしまったが、少し間をおいてから、ボソボソとした声で返答した。

 「・・・確かに、そうです。食べることが大好きで、おいしいものには目のない自分が写っています」

 すると、今度は、ポケットに入れていた例の写真を、ユイは彼の眼前に突き付けた。

 「じゃあ、これはどうです? ホントのあなたが写ってますか? 」

 桂川さんは情けなさそうな顔になった。そして、渋々認めた。

 「お見合い相手の女性に見せるために、作った自分です・・・」

 ユイは追及の手を緩めない。

 「では、聞きます。魅力的なあなたを写し出した写真は、どちらだと思われますか? 」

 桂川さんは渋面を作って、考え込んでしまった。その間も、ユイは彼の顔から目を離すことはなかった。

 二人のやりとりをかたずを飲んで見守っていたルカは、少し怖くなった。どんな獲物であっても、仕留めるためには、一切の手加減をしない獰猛な肉食獣―それが、今のユイだ。こんなふうに問いつめられたら、私ならば、何も言えなくなって、泣き出してしまうかもしれない。涙を見せたところで、ユイが追及の手を緩めてくるとは思えなかったが・・・。

 苦しそうに、桂川さんが喋り出した。

 「ユイさんの言わんとしていることは、ボクなりに分かります。作った自分になんか、魅力はない。たとえ、食い意地のはった自分であっても、正直にさらけ出した自分の方が、魅力的だとおっしゃりたいのは・・・」

 そう言いかけたところで、ユイは言葉をかぶせ、きっぱりと言い切った。

 「正直に自分をさらけ出せ、なんて私は言ってません。これは、お見合い用の写真です。相手の女性は、この写真を見て、お見合いに応じるかどうかを決めるんです。高学歴で、高収入で・・・お見合いで相手を選ぼうとされる方は、他にもいろいろと条件を出してきますが、ファースト・インプレッション、写真の意味合いは大きいんですよ。

 正直に自分をさらけ出したところで、魅力が伝わらなければ、お見合いにはつながりません。

 こちらのスマホで撮った写真を、もう一度よくご覧になって下さい。おいしいものを食べた~、大満足! という生きる喜びを、ストレートに感じられる。心の底から楽しい、と感じられる点が大切なんです。写真を見る方も、ハッピーになれる。それこそが、あなたの写真の魅力なんですよ。生きる喜びをお相手とシェアすることの出来る、ナチュラルな笑顔が、あなたのお見合い写真には必要なんだということ。ご理解いただけましたか? 」

 半分理解したが、半分理解できない―桂川さんの顔は、そんな顔だった。勉強に自信のない生徒が、恐る恐る先生に質問するような口調で、彼はユイに聞いてきた。

 「まさか、食事風景を撮れと・・・ 」

 ユイは、カラカラと笑い、そして、急に真剣な顔になり、こう答えた。

 「食事風景を撮っても、お見合い写真にはなりません。そういう場面で見せる、あなたの、生きる喜びを満喫している楽しげな表情を撮って下さい、と申し上げてるんです。お分かりになられました? 」

 桂川さんは、ますます出来の悪い生徒のような顔つきになってしまった。

 それでも、ユイは容赦しない。彼が、まだピンときていない点を、ぐりぐりとえぐってくる。

 「食事風景を撮っても仕方がない、という理由は分かります? 」

 彼の目が泳ぎ出した。でも、勇気を出して、こう答えた。

 「・・・不真面目に思われるから、ですか? 」

 ユイは、ピシャリと言った。

 「違います! 」

 彼は、思わず首を引っ込めた。

 ルカは、桂川さんがかわいそうになってきた。

 獲物に逃げられないよう、ユイは確実に仕留めにかかった。

 「真面目かどうかは、もちろん大事です。お見合いの相手を選ぶ上での大前提ですから。遊び相手をあさろうとするクズな男は、論外です。でも、大前提である真面目さだけでは、お相手のハートをつかめません。お見合い写真を見て、ひとときをこの人と一緒に過ごしたい、と思わせる必須条件は、ズバリ、清潔感です。衛生学的に、清潔かどうかが問題なんじゃありませんよ。清潔感ですからね。カン違いなさらないように。

 食事風景を撮っても、この清潔感を伝えることにはなりません。そこで・・・ 」

 そう言って、再び例の写真を見せた。

 「この写真で、最も欠如している点は、清潔感です。それを踏まえた上で聞きます。この写真から清潔感を感じられない最大の要因は何だ、と思われますか? 」

 ユイはあごを引き、目をさらに大きく見開いて、上目づかいでにらみつけた。彼はオドオドし始めた。それでも、もう逃げられないと観念したのだろう。言葉を探しながら、真剣に答えようとした。

 「・・・もう、全部、ダメだと言われてる気になってきました。でも、その・・・やはり・・・髪の毛、でしょうか? 」

 ユイは、まばたきを忘れたように、彼の顔をにらみつけたまま、言った。

 「そうです! 」

 そして、ニッコリと微笑んだ。

 「今、『やはり』と言われましたよね? あなたは、既に分かっていらっしゃるんです」

 そう言って、ユイは立ち上がり、桂川さんの傍に移動して、

 「ちょっと失礼します」

 と、告げた後、かがみ込んで、座ったまま動けなくなった彼の前髪を、手ぐしで軽く横へ流してから整えた。

 それから、スマホでその顔を撮った。画像を見せながら、ユイは聞いた。

 「どうです? いいですか、基準は清潔感ですからね。清潔感があるのは、こちらですか? それとも、あなたの撮られた写真ですか? 」

 もう降参だ、という感じで答えた。

 「スマホのです」

 ユイは、桂川さんの顔に、ぐっと自分の顔を近づけ、とどめとばかりに、こう言った。

 「清潔感を感じさせるこの髪型に、先ほどお見せした、あなたの至福の表情を足したなら、お見合い写真としては合格です」

 彼は、うん、うん、と何度もうなずいた。最前までの肉食獣に追いつめられた獲物同然の、苦しげな表情は消え、明るい笑顔になっていた。

 それから、ユイは、効果的なお見合い写真の撮り方をいくつか伝授した。出来れば、写真館へ出向き、お見合い写真を撮り直した後、至急送ってもらえれば、早速見合い相手の選定に入ることを伝えた。

 帰り際、桂川さんは、ユイとルカに深々と頭を下げ、礼を述べた。ぬっと顔を出し、不機嫌そうな表情で事務所に入ってきた時とは、大違いの態度だった。


 ルカは片付けを終えた後、事務机に座り、桂川さんのお見合い候補を、会員ファイルの中から探す作業を始めていたユイに、率直な疑問をぶつけてみた。

 「お見合い写真を撮り直したぐらいで、桂川さんのお見合いが上手くいくと考えているんですか? 」

 ユイは、ファイルをめくる手の動きを止め、ムッとした顔つきで、ルカを見た。

 「『ぐらい』って何よ。その『ぐらい』を直さないことには99パーセント、あの人にお見合い相手は見つからない。お見合いまでたどたどり着ければ、あの人の場合、生身で会った方が、絶対いい印象を残せるんだから、仮交際に入っていける可能性は高いわ。

 だから、あの人にとって、お見合い写真は重要なのよ。それぐらい理解してほしいものだわ、いい加減」

 ユイのもの言いはきつかったが、ルカは、なるほど、と思った。

 なるほど、と合点しながら、お見合い写真つながりで、ルカの脳裏に、鼻で悩み、お見合い写真の鼻を消してしまったリエさんのことがよぎっていった。

 一見すると、似たパターンではありながら、両者には違いがあるように思えた。ついでに、そのことについても、ユイに聞いてみた。

 「リエさんの場合は、強烈なコンプレックスから、鼻を消した。それに対して、桂川さんは、ささっと前髪を下ろすことで、おでこの広さが目立たなくなり、写真写りが良くなるかな、とでも思ったんでしょうね。この二人の差は大きいわ。

 リエさんのは、明らかにコンプレックスだけど、桂川さんは、コンプレックスを抱いているかどうかさえ疑わしい。果たして、イケメンに見せようと、彼は前髪を下ろしたのか? 」

 そう言って、ルカに鋭い視線を向けた。

 「そこまでの意識は、なかったように思います。桂川さんなりに、髪型にナチュラルな感じを出すことで、多少なりとも印象が良くなれば・・・といった程度だと思いますけど」

 考え、考え、やっとそれだけを答えた。

 ユイは、こくんと、一つうなずいた。そして、こう言った。

 「そもそも、自分みたいな男は、イケメンとは縁がない、と思い込んでる。あの人、話の中で、『真面目』って言葉を使ったでしょ? 覚えてる?

 人って、日頃から心の中でつぶやいてる言葉を、何かの拍子に、使っちゃうものなのよ。

 彼は、イケメンではない自分は、真面目に生きるしか、とりえはない、と思ってる節がある。真面目に勉強して、いい大学に入り、学生生活も真面目に送って、いい会社に入る。高学歴で、高収入、そして、自分は誰よりも真面目なんだ、と。それを武器に、中身のスカスカのイケメンとは対等に、時にはそれ以上に渡り合っていける。お見合いも、例外ではない・・・。

 そんな意識が、例のお見合い写真に、端的に表れているように、私には思えるの」

 ルカは、ユイの解説に、なるほど、と思いながらも、今ひとつ自分の感覚にしっくりとこないために、薄ボンヤリとした表情を浮かべていた。そんな表情を見たせいか、ユイはさらに言葉を継いだ。

 「真面目さに捕らわれていた桂川さんには、おいしいものを食べた後の生の充実感、そこから発散される他人を幸せにする力に、全然気が付いていなかった。その力を、あの人は人一倍持っていることを自覚していなかった、と言ってもいいわね。

 同じように、清潔感もそう。婚活の場で、女性が男性に魅力を覚えるかどうか、この清潔感のあるなしが、決定的な力を持っていることにも、あの人は全くの無知だった。

 だから、平気で、すだれ髪で見合い写真を撮れちゃうわけだけどね」

 そう言って、薄く笑った。

 ルカは、心の中で、ふ~ん、と思った。

 異性を好きになった経験のないルカには、生の充実感だの、清潔感だのが、婚活で異性をひきつける力になる、ということが、よく分からなかった。

 でも、結婚相談所の所長として、何組もの男女を見てきたユイが言うんだから、間違いないのだろう。そう、ルカは自分に言いかせた。

 「さ~て、桂川さんが私の言いつけ通り、写真を撮り直してきたとして、スムーズにお見合いにまで漕ぎ着けられるかどうか・・・? 」

 ユイが急にそんなことを言い出したものだから、ルカは、エッ!? という顔で、ユイを見直した。だが、涼しい顔でルカの視線を受け流すと、こう言った。

 「そうよ。あなたが口にした疑問、私の疑問でもあるの。お見合い写真の撮り直しは、婚活のスタートラインに立つためのもの。無事に走り出せるかどうかは、次のステップなんだから。

 でもね・・・男女の出会いなんて、しょせん、縁なのよね。彼は彼なりに、お相手に好意を持たれるよう、最善を尽くした後は、天命を待つしかないわけ。私だって、最後に出来ることと言えば、良縁に恵まれるよう、祈ることぐらいよ」

 そう言い終わると、ユイはまた、女性会員のファイルをめくっていく作業へと戻っていった。これは、と思うファイルを抜き出す。それを見比べては、う~ん、とうなり、いったん取り出したファイルを元にあったところに戻す。その作業を繰り返していくのだ。

 ルカは、と言えば、ユイから頼まれない限り、その作業に一切口を出さない。ユイの縁結びのための仕事に、彼女が没頭出来るよう、それ以外の事務所管理に関わる雑用全般をこなしていく。

 ユイがやっていることに比べれば、大した仕事ではない。こんなとりえのない自分にだって出来るのだから、とルカは考えていた。それで満足していた。

 親のかたきにでも出会ったように、会員ファイルをにらみつけているユイの気配を、背中で感じながら、ルカは、心密かにこう思っていた。

 (少しでもユイさんの助けになるならば、ユイさんがそう思ってくれるならば・・・嬉しい)

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