第14話 闇に蠢く者



 沙月を引き連れて勝手口から出てきたマリアを認め、舌打ちをした者がいる。


「あの小娘が使えるか、とも思ったが――。面倒な奴が付いてるな」


 闇の中でぼやいた声は、あの少年――〝人形使い〟だ。暗闇に溶け込んでいて姿は見えないが、〝人形使い〟はマリアを見知っているのか、その声は苦々しげだ。


「絡め手は使えないか……」


と、策の一手を諦めたように呟いた。その声を機に、気配は消えた。



 沙月と一緒に歩いていたマリアは、こちらを窺っていた気配が消えたことを知った。どこから――とは、はっきり判断出来なかった気配だが、消失したことは確信することが出来た。

 また、沙月を狙おうとしていたのか、自分を狙ったものだったのかが分からなかったのだが、どうやら諦めた様子であり、そこから推測するに、沙月を狙ったものだろう――と思われた。自分が狙われていたのなら、相手も諦めたりはすまい。

 念のために、もうしばらく沙月に同行していたが、気配は完全になくなっている。今なら大丈夫だろう。


「沙月、あとは1人で帰れるわね?」


と、マリアは問いかけた。


「……やっぱり、何か、いたんですね?」

「いたけれど、消えたわ。もう大丈夫でしょう。さっきも言ったけど、私も用があるから、行くわ。1人で帰れる?」


と、質問を返す沙月に、重ねて確認した。


「大丈夫です」


と、沙月は力強く答えたが、そこに根拠はなかった。強いて言えば、マリアへの対抗心からであっただろう。

 そんな沙月の心情を知ってか知らずか、マリアはその眼をじっと覗き込んだ後、優しく頷き、


「それじゃあ」


と、踵を返し、元の道を戻り出した。先行しているミケーレと合流するためである。その直前に、呟きほどの小さな声で、


「巻き込んでごめんなさい」


と、言ったことに、沙月は気付かなかった。

 マリアを見送った後に、沙月も家路を辿り出した。しかし、胸の奥に残るもやもやは消えず、沙月は視線を足元に伏せたまま、暗い帰り道を急いだ。



 マリアと協議した後、教会を出たミケーレは当て所なく、街を徘徊していた。〝怪物〟陣営の者を釣り出すためである。ミケーレ自身が、敵を釣るための〝餌〟なのだ。


「どいつか、引っ掛かればいいんだがな」


 しばらく歩き回っていたが、あまりに変化がない。囮になるのは構わないが、成果が出ないと退屈だ。せめて、魚信あたりくらいはあって欲しい。釣果が上がらない釣りは飽きてしまうものである。

 それに、もうすぐマリアと落ち合う時刻だ。釣れれば、仕留めるチャンスが大きくなる。


「そろそろ、何かが起こらないか……な?」


と、ミケーレは背後をさり気なく見やった。振り返ったと分かるほどではなく、様子を窺う。先ほど呟いたあたりから、こちらを窺う気配があったのだ。ちらと見てみたが、気配の主らしき姿は見当たらなかった。上手く人混みに紛れているようだ。


「ふふん?」


 ミケーレは鼻を鳴らして、歩くスピードを少しだけ速めた。

 ほんの僅かだけ――。

 速度を上げたと認識出来ないくらい――で、だ。

 こちらも芋を洗うような人混みを縫うように歩き、悟られないようにまたも、ほんの僅かずつだが速度を上げる。背後の気配は、確かにいて来ていた。僅かなスピードアップを繰り返し、いつの間にかミケーレの歩く速度は、最初の倍くらいになっていた。

 そっと、脇道に逸れ、次第に人気の少ない所へと外れていく。気配は――いる。

 とうとう、路地裏へと出た。ちょっとした広場のようなところである。辺りにはまったく人がいない。ここは立ち並ぶビルの谷間になり、誰も寄り付かない場所だ。見方を変えれば、の悪い場所なのだ。それを証明するように、周りのビルの壁面には、取るに足りない文字だの柄だのといった悪戯書きが、スプレー缶でびっしりと描かれていた。


「さあ、いいぜ。ここなら、邪魔は入らないだろ?」


 ミケーレは背後の気配に呼びかけた。振り返って見れば、1頭の大きな犬が路地の出入口を塞ぐように、立ちはだかっていた。

 犬――?

 上下の顎には、6対の門歯、2対の犬歯、8対の小臼歯、大臼歯は上が4本、下には6本が並び、黒ずんだ褐色の体毛、肩までの体高は軽く1メートルはあろうか。通常、寒冷地に生息する亜種では大型化が進むが、それよりも一回り、二回りは巨大な個体である。最高時速で走れるのは20分間ほどだが、時速30キロメートルほどであれば1晩中でも追跡が可能であり、鋭敏な嗅覚と群れでの行動を利して、獲物を追い詰める。

 確かに、イヌ科イヌ属だが、イエイヌはの亜種の1種を飼い慣らして家畜化したものだという説が有力だ。


「ほう? この国じゃ、1900年頃に絶滅したんじゃなかったのか?」


 当然、相手が言葉を理解出来る――と言わんばかりに、ミケーレはそれに話しかけた。


「〝〟って奴は」


 その一言と同時に、〝狼〟は唸りを上げて跳びかかってきた。通常は最高時速にしても70キロメートルだが、これは尋常ではないスピードだった。だが、すでに軽く腰を落とし、如何なる動きにも対応出来るようにしていたミケーレは、難なく回避した。

 と、同時に、銀光一閃――。

 いつの間に帯びていたのか、交差した瞬間には、左下方から右上へと逆袈裟に斬り上げる一撃を抜き放っていた。普通なら真っ2つになるところが、この狼は空中で体を捻り、間、一髪で鋭い剣撃を避けて見せたのである。


 地に降り立った狼は、どこか歪んでいた。

 足の長さがおかしい。

 前肢の角度が妙だ。肘の部分で肩の真下でなく、両側に大きく広げている。

 後肢が長い。普通であれば、肩のほうが腰よりも高い位置になるというのに、それは人と同じ比率を示していたのだ。


 ぐるる――。


 低い唸り声を立てつつ、。2本の後肢だけで――。


「人狼――か」


 ミケーレは呟いた。

 一刀を両手で正眼に構える。いつ差したのか、鞘は腰のベルトに差し込まれていた。対峙する距離は5メートル。しかし、先ほどの人狼の跳躍力を考えれば、この距離はないに等しい。


「〝怪物〟の仲間ってとこか。それとも、使いっ走りかい?」


 ぐるる――。


 ミケーレの挑発と取れる発言に、人狼は低い唸りを上げつつ、間合いとタイミングを計っているのだが、ミケーレが日本刀を正眼に構えているので、迂闊には跳び込めないでいた。

 正眼の構えは、攻防一体の構えでもある。

 正面から敵が近付けば、突き込むことが出来るし、払うことも擦り落とすことも容易だ。


「どうした。来ないのか?」


 睨み合いに焦れたのか、自らの速度によほどの自負があるのか、人狼は躊躇いを捨て、跳び込んできた。ミケーレは右手側に躱しつつ、すれ違う人狼に合わせて一刀を振り降ろした。同時にミケーレは、右足、左足、右足――と、3歩後退し、人狼が駆け抜けたことも相まって、適正な間合いを確保していた。

 先ほどと同じ距離。刀はすでに、正眼に構え直している。

 攻撃を躱されたと知って振り向いた人狼の左手が、肘の辺りからボトリと落ちた。すぐに血が溢れ、滝のように噴き出した。焼きつくような痛みに、


 ぐごおお――。


と、怒りと恨みの籠った唸り声を人狼は発した。

 斬り落とされた左腕を中心に、2人は等距離で対峙していた。人狼の治癒能力ならば斬り口を合わせるだけで何の障りもなく繋がるのだろうが、地面の腕を拾おうにも、正面でミケーレが切っ先を向けて構えていては、人狼といえど、さすがにおいそれとは近づけない。じんじんと熱く痺れるような腕の痛みが焦燥感を生み、人狼はもどかしさに歯噛みした。


「この程度――か。どうやら、ただの使いっ走りだったようだな」


 ミケーレはさらに挑発するように、人狼にそう言い放った。戦いの最中だというのに、右眼でウインクすらして見せたのだ。バカにされたと感じたものか、激高した人狼はまたしても、ミケーレに跳びかかった。

 だが、今度はミケーレもするりと前進し、間合いを詰めた。威嚇すればミケーレが退くであろうと高を括っていた人狼にしてみれば、それは予期せぬ行動だったに違いない。

 間合いを狂わされ一瞬、戸惑う人狼に、ミケーレは無造作に刀身を突き入れた。間合いを見誤った人狼には、切っ先が無限に伸びてきたように感じられたやも知れぬ。

 切っ先は人狼の口から後頭部までを貫き、その突進をも止めて見せた。


 ぐがあああ――。


 激痛に身悶えし、狂ったように刀身を掴もうとするが、左腕はすでになく、右手1本で掴んだところをすかさず、ミケーレは刃を半回転させて上向け、ほんの少しだけ刀身を引いた。刀身を掴んだ人狼の右手の指は、親指を残して、ぱらぱらと地に落ちた。

 脳を貫かれ、痙攣を起こし出した人狼を冷静に観察していたミケーレが、突然身を翻し、その刀身で人狼を背負い投げの要領で上空に放り上げた。


 ドンッ――!!

 ギャンッ――!!


 落ちてきた影が重なった瞬間、人狼の身体は上下真っ2つに斬り裂かれていた。人狼を投げつけたミケーレはすでに後退しており、影を視界に入れる位置に移動している。

 地に降り立った影がゆっくりと身を起こした。

 影は黒光りする重厚な金属の光沢を放っていた。中世西欧の甲冑を着込んでいるのである。足元では分断された人狼が、断末魔の苦しみに打ち震えていたが、数度の大きな痙攣を起こし、やがて、ぴくりとも動かなくなった。絶息したのである。見る間に上下の身体は、元の大きな狼へと戻っていた。

 切断面付近には、人狼を断ち斬った切っ先があった。

 両刃のそれは、西洋の剣にしても大きく、そして太かった。長さは柄を含めれば、1・5メートルはあり、身幅は細くなっている切っ先ですら、10センチを超え、最も太い柄付近では20センチ近くある。刃も分厚く、その重量はとんでもない重さになるであろう。無闇に受ければ、ミケーレの持つ日本刀程度であれば、その刀身ごと、ぶった斬ってしまえるのではないかと思わせた。

 振り回すだけでも大変な労力であろう大剣を、この騎士は軽々とこなして見せたのである。


「その甲冑、その大剣。噂には聞いてるぜ。お前さん、〝怪物〟側に付いたのか。〝ジル・ド・レエ〟?」


 ミケーレは騎士に静かに語りかけた。



 

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