第3話 ジャクソン・ヴィルの殺人鬼 《sideミシェル》

 “血染め花のマリー事件”。


 テレビの中のナレーターが言った。


「まず、これは憶測も交えて再現しているVTRだという事を理解して欲しい。被害者や彼らの周囲の人間、匿名の証言、そして生前の彼らの性格なども加味して作り上げた。事実とは異なるかもしれないが、それは闇を覗いたものにしか分からないからだ」


 ――それは十三年前の二〇〇六年、この街ジャクソン・ヴィルで起きた事件だった。



 ***



 住宅街から離れた古びた農家に三人の男とひとりの女。そして、少年と少女がいた。


 外は大雨で、嵐が近付いていた。黒いカーテンで窓は塞がれ、部屋は真っ暗。大きな花瓶にはたくさんの白い花が生けられている。明かりは数本のロウソクだけだ。少年と少女は背中合わせに座り、ロープで縛られ、口はテープで塞がれている。ふたりは恐怖に怯えていた。


 黒いローブを着た男たちが、少年と少女を床に描いた魔法陣の上に引きずっていくと、男たちはその周りを取り囲むように立ち、ひとりの男が古びた本の呪文を読み上げていく、その顔は興奮に満ち満ちている。


 聞き慣れない言葉を読み上げ終えると、しばらく少年たちの様子を見ていた男たちと女だったが、なにも起きないと分かると、あきれたように本を放り投げた。半分期待と、半分諦めのこもった会話を交わし、ソファーの上に身を投げ出した。もうひとりの男がマリファナをポケットから取り出して代わる代わる吹かし始めた。


 ひとり、女は離れた廊下の手すりにもたれ掛かってこの男共と縁を切ろうと思っていた。


 この男たちは街では有名なバンドマンたちで、噂ではヘビーメタル専門のメジャー会社からの声もかかっているとか。取り巻きになりたい女はいくらでもいるだろう。声をかけられた時は舞い上がったが、次第についていけなくなっていた。


 いつもは生贄と称して鶏を使って、この悪魔崇拝の儀式めいたものを定期的に行っていた。だが、今回はまるで違う。どこからか縛り上げた少年少女を連れて現れたのだ。


 不動産経営の父親から鍵を盗んで、この空き家をたまり場として提供したのは自分だが、大いに間違っていた。今更後悔しても遅いかもしれない。すべてバレるかもしれない。父には顔を拳で殴られる事だろう。もしかしたら、自分も警察に捕まり、誘拐幇助罪ゆうかいほうじょざいに問われるかもしれない。分かっている。それでも、この子供たちを逃がして警察を呼ぼうと思っていた。奴らがもう少しマリファナの煙に包まれれば、いつも通り寝言めいた妄言の中へと旅立ち始めるだろう、と女はひとり思う。


 女はその場から離れ、二階にあるトイレの便座に座って警察へと最後の電話をかけた。次に電話をかけられるのは、留置場か刑務所だろうと覚悟する。では、監獄の外へ出れるのは何年後だろうか? 自分は一体、何歳になっているだろう? と考えていた。


 やがて屋根を打つ大粒の雨の音とは、明らかに違う音がし始める。ドスンとどこかで響く大きな音。ナイロンに空気を入れたまま潰したような大きな音、ガラスの割れる音まで聴こえた。それからは不思議と静まり返っていて、以前もそうだったように、またぞろ喧嘩でもしているのかと女は思った。


 女が肩を落として部屋へ戻ると、足元が濡れていた。儀式用に点いていたロウソクの明かりすらも消えている。


 儀式用に買った黒いカーテンも手伝い、部屋の中は漆黒の帳が降りていた。


 濡れた足を撫でた。生暖かい。


「誰か漏らしたの? 冗談でしょ? 子供みたいなおふざけはやめて」


 そう言い、ポケットのライターを取り出して火をつけた。


 揺らめく赤い光に照らされた部屋の中は、辺り一面が真っ赤な液体で染まっていた。壁も天井も、先程踏んだラグマットもだ。全てが真っ赤な鮮血で染まっている。女は悲鳴をあげた。


 警察が駆けつけた頃には、農家は荒れる嵐の中で落雷の的にされていた。いくつも落ちる落雷が去っていくと、警察がようやく家屋へと踏み込んでいく。その部屋に警官が入り、懐中電灯で照らした時には、女は血塗れの格好で、真っ赤な血の池に座り込んでいた。目を見開き、何かで無理やり引き裂かれた口をあんぐりと開けて、天を仰ぎ見ていた。まるで、今まさに化け物を目にしたまま凍りついたように。警官たちは恐怖した。一体どれほどの恐怖に塗れればこんなことになるのかと。


 沢山の現場を見てきた警官たちも目を背けるほどだった。それほど女の顔には絶望が張り付いていたのだ。


 捜査を始める警官たちの目の前で、女は息を吹き返し叫び始めた。突如として止まっていた時間が動き始めたかのよう。


 保護した彼女以外にも異常性はあった。燃え残った廃材の中から、燻る三人の男の遺体が見つかった。どれも腰から上が反対を向いて、跪き、抱き合っていた。肋骨は花が開いたかのように割かれ、止まっている心の臓があらわになっていた。もつれるように抱き合った遺体の中心にはたくさんの赤い花が添えられ飾り付けられていた。彼らの遺体はまるで“歪な人体の花瓶”だった。半壊し、燃え残った家の床も壁も天井も、全てが真っ赤な血に染まっていた。まるで大量のケチャップを爆発させたかのようだった。


 居間の片隅にはボロ雑巾のように絞られたまま捨てられていた少年の遺体があった。その首も、腕も、足も、全てが捻れていた。ただの肉の塊だった。それが元々は少年だったとは誰も思わなかったほどだったという。


 ひとりだけ生き残り、放心状態になったまま残された女は、精神病院へと送られた。引き裂かれた顎は縫いつけられて元の位置には戻ったが、裂けた舌や顎のせいで喉元がひどく腫れ上がっていた。彼女による証言は、主に筆談で行われた。あの場にはもうひとり少女がいて、その子があの惨たらしい惨状もこの顎の怪我もやったのだと女は証言した。そんな馬鹿な、と誰もが言った。そして尋問する度に記憶に残る恐怖に飲み込まれ、言葉にならない悲鳴をあげて泣き叫んだ。


 にわかには信じ難いが、警察はその少女を調べるために失踪者リストを調べた。だが、“いた”と仮定する少女は警察に届け出すら出ていなかった。あるのは玄関へと向かっている、血のついた小さな足跡だけだ。警察の捜査ではあの場に残っていた唯一の生存者は“マリー・コールマン”ただひとりだけ、とされた。


 その数日後、“マリー・コールマン”は心臓発作で亡くなった。享年十六歳だった。


 死んだ“マリー”の遺体は痩せこけていて、白髪頭になっていた。とても十六歳には見えなかった。不思議な事に、この死体は遺体安置所から忽然と消えた。遺体安置所の担当職員はこう証言している。


『まるで死体が起き上がってどこかへ行ってしまったとしか思えない。鍵まで掛けていたが、壊されていたのだ。誰もいないはずの内側から――と』


 そして、事件は迷宮入りになった。


 もちろん警察はこの結末に納得がいっていなかった。


 あまりに奇妙で不可解な事件。どうすれば十六歳の女にあんなことが出来るだろうか? 彼女の証言通りだとするならば、小さな少女がやったという事になる。いや、どんな怪力男でも不可能であろう。大掛かりな拷問器具や機械でも使わなければ、まずあんな遺体を作り上げるのは不可能だ。そして、“マリー・コールマン”自身の遺体はどこに消えたのか? そして殺害方法は? あまりにも多くの謎が残ったままだった。


 地元の新聞社は面白がり、“血染め花のマリー事件”と名付けた。


 その後、似たような事件が相次いで起きた。いずれも犯人も殺害方法すらも分からないままだった。あるのは大量の血痕だけで、関わったであろう人物の一部すら見つからないまま。警察はいるであろうかわいそうな“被害者”たちを“失踪”としか処理出来ずにいた。いつしか、この殺人鬼は幽霊か化け物なのではないだろうかと囁かれるほどになった。ニュースや世間での風当たりも強く、警察組織は“無能”とまで称された。


 大人たちは悪さをした子供たちに囁き教えた。


 “来るぞ……悪さをすると血染め花のマリーが……赤い花を持った口裂け女の悪魔が……”。



 ***



 のめり込むように見ていたテレビの前で、ルークは喉の渇きを憶えビールを啜り、ゴクリと生唾ごと飲み込んだ。


 気が付かなかった。小音のテレビの前に、こじんまりと座り込んで見つめているルークの背後で、その背中越しに画面を見つめて佇むミシェルに。ルークはとうとう気が付かなかった。

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