第八章『鎮魂夢』①

 ――ついに『計画』は準備段階へ踏み出した。

 手始めには、標的ターゲット打破の鍵を握る人物として、一人の男を選んだ。


 『太山・庵土竜』は、標的とは高校時代からの同級生だ。

 庵土竜は標的から弱みを握られているため、昔から今も奴隷として理不尽な脅迫と支配を強いられている。

 標的によって人生を狂わされた数多の被害者から、庵土竜を選んだ理由となる決定打は、ただ一つ――『朝比奈・美天』へを抱いていることだ。

 庵土竜であれば、私が密かに準備してきた『計画』へ、喜んで協力してくれる。


 『分かった……何としても一緒にやり遂げよう。憎き男……に復讐の罰を下し……自分達を救うんだ……!』


 人気ない深夜、街外れの老朽化したアパートを尋ねた私は、庵土竜本人との接触を図った。

 案の定、自分自身の話と標的との関係性を明かし、奴に復讐する『計画』の話を持ちかけた私に、庵土竜は賛同してくれた。


 『ありがとう。庵土竜……我が同志に逢えるまで長かった。今まで独りで、本当によく耐えてきたね。私と巡り逢うまで、生きていてくれたあなたに感謝したい。私達が一丸となれば、もう怖くない。私達のを、一緒に取り戻そう』


 私も、田辺・孝雄に苦しめられてきた同志として――庵土竜の苦しみや悲憤、葛藤に理解と労いを示すと彼はむせび泣いていた。

 永遠に続くのではないかと絶望しても無理のない理不尽な脅迫と支配、誰にも打ち明けられず理解されない孤独に、苦しんできたのだろう。

 独りでは悪魔に立ち向かえないが、二人であれば勇気を行使できるのが、庵土竜という男だった。

 さっそく、自分が綿密に立てた『計画』の詳細と時間表、役割分担について庵土竜へ丁寧に説明し、何度も打ち合わせを重ねた。

 来訪した当初、庵土竜は薄汚れ肥えた顔に陰気な表情、と空虚な目付きを浮かべていた。

 しかし、私の『計画』に魅憑みつかれた庵土竜の顔付きも眼差しも、生気を取り戻して輝いていた。


 *


 十一月十二日――手始めに私は、『ハワイ旅行券と新型冷蔵庫のダブル抽選プレゼントキャンペーン』のウェブチラシを作成した。


 庵土竜に教えてもらった、田辺孝雄と庵土竜のSNS・ウィスパーのアカウント宛てに、キャンペーンの当選と祝いの頁を送った。

 同時に、田辺孝雄へ贈る「新型冷蔵庫」もネットで購入した。

 庵土竜経由で得られた情報として、田辺孝雄がハワイ旅行を所望していることは、把握済みだ。

 一見、『計画』に無関係そうな準備作業に、庵土竜は狐につままれた表情を浮かべながらも、協力してくれた。


 しかし、に記された、「からまで」の六日間は、いかに重要であるかを、庵土竜は後に納得する。


 *


 十一月十五日――『計画』第一段階は、標的との接触開始。

 田辺孝雄と親しい英語サークルのOB主宰の、自由参加型の同窓会兼結婚前夜パーティーへ、私は潜り込んだ。


 怪しまれないように、名前も姿も別人に変装した私は、田辺孝雄と飲み交わした。

 「田辺孝雄に憧れていたが、声をかけられなかった同級生」という設定で近付けば、田辺孝雄は実に簡単な男だった。

 私は、奴の自尊心をくすぐる言葉でさりげなく褒めちぎり、気の利く人間として奴へ取り入った。

 奴の希望や好みに関する情報も、庵土竜から予め入手済みだ。


 『まさか同級生に、お前のような感じのいい奴がいたなんてな。せっかくだから、ライク交換しようぜ? 俺達、気が合うし』


 おかげで田辺孝雄は、初対面である私へ何の疑いも持たずに、連絡先を交換した。

 パーティーの後は早速、奴とバーで飲み直して談笑に興じた。

 別の日にも、奴の好きな高級中華料理店で、大盤振る舞いしてやった。

 ようやく『計画』は、第二段階へと滞りなく進む。


 *


 十一月二十二日――今度は、私が借り住む自宅マンションへ、田辺孝雄を招待し、高級な百合ワインと奴の好きなピザでもてなした。


 一人暮らしの若者向けの良質な新築マンション・グロリオサに住む私を、奴は羨ましそうに茶化しながらも、大層気に入った様子で飲み食いした。

 酒の力も相まってすっかり上機嫌になった奴へ、「気に入ったなら部屋を自由に使ってもいい」と告げた私は、ついにを切り出した。


 『朝比奈・美天を覚えている?』


 朝比奈美天の名前に、田辺孝雄は首を捻って数秒逡巡してから、手を打った。


 『ああ! そうだ! 朝比奈! 確かにそんな女がいたぜ。何、もしかして気になってんの?』

 『えっと、うん……実は学部でチラッと見かけた時から、彼女が気になって……』

 『ふーん。そういうこと。なら、丁度よかった。お前にを見せてやるよ』


 すっかり思い出した様子の田辺孝雄に、図星を指された自分は、恥ずかしげに肯く。

 初心な自分の反応に、奴はニヤリッと邪悪に笑った。

 田辺孝雄は自分の携帯端末を操作すると、ファイルに保存されていた”ある動画”を再生した。

 何を見せつけられるかは既に知っているが、当然自分は初めて見たとばかりの表情で画面を覗き込む。


 『どうだ? よく撮れているだろう? 地味なクセに生意気な女だし、タイプじゃねぇけど、中々にそそられるだろ? お前も興奮してきたんじゃねぇか?』


 手のひらサイズの携帯端末に映るのは、の――朝比奈美天に降りかかった、悲劇の一部始終だ。

 朝比奈美天は清楚な顔を、恐怖と涙で濡れさせている。

 しかし、真紅に腫れた唇から強い拒絶を叫ぶ声は、可憐でありながらもなまめかしく歌うように。

 映像の中で男どもに嬲られている、彼女の生々しい姿を鑑賞している内に、私の心臓は灼熱を燃やす。


 『実は最近、王百合市駅行きの電車で途中下車した朝比奈さんを、偶然見かけたんだ』


 動画を見終わった後、興奮に爛々と目を光らせたままの私は、畳み掛けるように言い出した。

 田辺孝雄は驚いた眼差しで私を凝視すること数秒後、愉悦の笑みを露わにして耳打ちしてきた。


 『マジで? それなら……ちょっと耳かせよ。お前にとっても、悪くない話だ。俺、いいこと思いついたぜ』

 『奇遇だね。丁度、私も田辺君と同じことを考えついたかも。聞かせてよ』


 田辺孝雄が思いついたのは、再会した朝比奈美天をすることだった。


 私と庵土竜の『計画』通り、奴は彼女を地獄へ引き摺り戻す卑劣な作戦を、提案してきた。

 作戦内容は、先ず偶然を装った再会によって、田辺孝雄が朝比奈美天への接触を図る。

 奴の携帯端末と自前のノートパソコンに保存してある、例の動画・画像データを突き付けて、揺さぶりをかける。

 動画達をネットにばら撒かれることだけは必ず避けたいに彼女へ、取り引きを持ちかける。

 「データを手に入れて削除したければ、一つずつ金を支払うように」、と脅して。

 さすれば、朝比奈美天は田辺孝雄に金を渡すはずだ。

 しかし、奴の考案した非情な脅迫作戦には、未だがある。


 『朝比奈は、病院勤めなのに福祉士? とかやっているいい子ちゃんだからな。貧乏人の朝比奈を無一文にするほど、俺は鬼じゃない。だからさ、お前が彼女のになってくれよ』


 田辺孝雄は性的暴行のデータと引き換えに、朝比奈美天から金を脅し取るだけでは飽き足らなかった。

 奴の男友達を相手に、彼女で客を取らせようと、思い付いたのだ。

 庵土竜の情報曰く、田辺孝雄は新卒で入社した某大手企業を自主退職した。

 しかし、社員向けマンションからの退去と家賃支払いを、渋っているらしい。

 さらに再就職活動もろくにせず、享楽的な生活で浪費した金を、友達やOBから借り回っているらしい。

 所詮、田辺孝雄の自業自得ではあるが、虚勢を張っている奴が切羽詰まっているのは、『計画』遂行には好都合だ。


 『ありがとう! 田辺君には感謝してもしきれないよ! あの朝比奈さんと……そうだ! よかったら、私のマンションに住まない? 好きに使っていいから!』

 『マジで! サンキューな!』


 かくして、私は田辺孝雄と一緒に朝比奈美天を脅迫する作戦を実行した。

 読み通り、朝比奈美天を買いたくてうずうずしている私に、気を利かせたのだろう。

 田辺孝雄は、私をとして指名してくれた。

 住む場所に困窮している田辺孝雄にお礼として、私の住むマンション・グロリオサの部屋である『五五五号室』を与えた。


 *


 十一月二十四日――田辺孝雄は嬉々として、例のノートパソコンを含む私物を持って、引っ越してきた。


 ようやく、安住の拠点を手に入れた田辺孝雄は、早速プレゼントキャンペーンアカウントに、配送希望と五五五号室の住所のメールを返送してきた。

 私は、予め購入しておいた新型冷蔵庫を配送させた。

 田辺孝雄は厚顔無恥な奴で、本当に助かった。

 五五五号室で、我がもの顔で悠々自適に過ごす田辺孝雄を残して、私は頻繁に外出するようになった。

 仕事や用事を口実に、朝比奈美天の動向を常に目的があった。

 予め借りておいた、とあるアパートの部屋へ、別人に扮して潜伏していた。

 『計画』の進捗状況をモニタリングし、庵土竜とも携帯端末で頻繁に情報交換を行なった。

 『計画』は、第三段階へ移行。


 *


 十二月十五日――ついに田辺孝雄は、朝比奈美天との第一接触を図る。

 尾行によって予め把握した、朝比奈美天の通勤時間と電車の経路を、田辺孝雄に伝えた。

 打ち合わせ通り、田辺孝雄は朝比奈美天と連絡先の交換、と翌日に会って話す約束を取り付けた。


 *


 十二月十六日――朝比奈美天を某バーガーショップへ呼びつけた田辺孝雄は、彼女への揺さぶりに成功。

 朝比奈美天との契約が成立したことで、『計画』は予定通り、第四段階へ進められた。

 田辺孝雄と落ち合った私は早速、朝比奈美天へメールを送るように指示を出した。

 十二月十八日に、朝比奈美天を五五五号室へ招く予定を立てた。

 田辺孝雄としては、一刻も早く先輩からの借金返済の他、旅行で遊ぶ資金を一万円でも多くせびりたいため、私の提案を歓迎した。

 十八日は、朝比奈美天に大金を要求し、無理なら私が彼女を買う形で、田辺孝雄へ不足金を払うという流れだ。

 朝比奈美天本人からの支払いに加え、身売り代も手に入るとなれば、田辺孝雄は興奮を隠せなかった。


 『卑劣な下種はどこまでも腐っているものだね……』


 田辺孝雄の作戦を聞いた庵土竜は、憤りを静かに燃やした声でそう呟いた。

 庵土竜の気持ちは私にも理解できるが、私にとっては些細な問題に過ぎない。

 ただ、全てがおおよそ『計画』通りに進み、私のを達成できればいいのだから。


 *

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