第九話『贄神』

 くるくると回り続ける顔のない女。笑い続ける青い男。ふわふわと浮かぶクラゲ。地面を這いずり回るトカゲ。こちらを覗き込んでくる無数の眼球。

 相も変わらず、伏魔殿は混沌としていた。


「なあ、ここは龍脈の内部空間って言ってたけど、こいつらは何なんだ?」


 前を歩く忠久に問いかける。

 千年前、初代ウルガと共に戦った男。オレにとってのご先祖様。

 彼は言った。


「生命そのもの。肉を持たぬ無形。故にこそ、混沌としている」

「生命そのもの……?」

「要するに彼らは魂の存在だ。嘗ては女であったもの、男であったもの、獣であったもの、神の如き存在であったもの。彼らは等しく新生の時を待っている」


 忠久は目の前の扉を開いた。その先には以前踏み込んだ忠久の領域が広がっている。

 ハスの花が浮かぶ湖の中心に佇む屋敷。オレはその奥にある神楽殿へ通された。

 そこには壁面いっぱいに絵が描かれていた。まるで宗教画のようなそれにはウルガやアルヴァの姿もある。


「以前の続きを話そう。亜竜覇アルヴァについて」


 忠久は壁画の中心を指さした。そこには太陽の絵が描かれている。


「これが『God』だ」

「……神って、こと?」

「そうではない。神という人間が生み出した空想の存在ではなく、すべての生命の根源だ。そして、これが亜竜覇の正体でもある」

「アルヴァが……、神って事?」

「神ではない。神はそもそも存在しない。Godという名称を付けた科学者が神を意識していた事は否定しないがな」


 それにしても、千年前の人物である忠久の口から横文字が出てくると、妙な気分になる。

 

「生命の根源であるGodには二つの意志が存在する。破壊と創造。創造の意志により生み出された存在は、いずれ破壊の意志によって淘汰される。ビッグ5という言葉を知っているか?」

「なにそれ、宝くじ?」

「ロト6ではない。ビッグ5だ。大量絶滅を意味する言葉だ」


 なんで、この人はロト6を知ってるんだろう。


「大量絶滅って?」

「同時期に多くの種が絶滅する事だ。地球が生まれてから現在に至るまで、実に五回起きている。オルドビス紀末、デボン紀末、ペルム紀末、三畳紀末、白亜紀末。ある者は隕石を、ある者はウイルスを、ある者は気象を理由と考えた。だが、それは違う。真の要因はGodにある」 

「ど、どういう事?」


 相変わらず、忠久の話はスケールが大きすぎる。ついていくのが大変だ。


「大量絶滅は地球だけで起きているわけではない。宇宙に点在する、あらゆる生命の土壌で同時に起きている事なのだ。破壊の意志による生命の淘汰。その度に出現する破壊の化身、それが亜竜覇だ」


 忠久の話を聞いていると、恐ろしい考えが浮かんできた。

 亜竜覇は大量絶滅を引き起こす為に現れる存在。それはつまり……、


「今が六回目の大量絶滅の時って事……?」

「そうだ」


 アッサリと肯定する忠久に目眩を感じた。


「なんで……」

「何故、God……いや、亜竜覇が大量絶滅を引き起こすのか? 言っただろう。破壊と創造がGodの意志だと。創造の為に破壊があるのだ」

「……Godって、なんなんだ?」


 忠久は生命の根源だと言った。けれど、そんなものが意志を持つ事に違和感を覚える。


「ここに来るまでの間に見てきただろう。くるくると回り続ける顔のない女。笑い続ける青い男。ふわふわと浮かぶクラゲ。地面を這いずり回るトカゲ。こちらを覗き込んでくる無数の眼球。あれらはすべてGodの一部だ」

「はぁ? だって、さっき……!」

「生命そのものと言った。そうだ。生命の根源たるGodとは、あらゆる生物の魂の塊だ。この宇宙が誕生する前、無と呼ばれる世界には無形の魂が渦巻いていた。この伏魔殿のように! 魂は質量を持たぬが故に時を経る毎に総量を無限に増加させていく。そして、ある一線を越えた時、破裂し、宇宙を創造した。魂がカタチを得る事の出来る世界を」


 忠久は太陽の絵の下を指さした。広がる大地とたくさんの命が描かれている。


「何故、Godが破壊の意志を持つのか。それは誰もが席に座りたいと願いながら席の数に限りがあるからだ。だからこそ、魂達は今席に座っている者達を押し退ける為に亜竜覇を生み出す。要するに、これは我々器を持つ者達と器を持たぬ者達の生存競争なのさ」


 この世界に生まれたいと願う魂達。それが破壊の意志となり、アルヴァを生み出す。

 席を開けさせる為に……。


「亜竜覇が羽竜牙に何度倒されても蘇る理由もそこにある。破壊の意志は既存の生命が淘汰されるまで止まらない」

「そんな……」

「既に時は満ちている。既にマグノリアやラーヴァといった他の惑星の生物は淘汰され、残された生命は地球のみ。地の竜のおかげで地球は一億年前の淘汰を免れたが、その時に地の竜が大いなる存在に与えた傷も癒えようとしている。おそらく、地球に残された時間も残り少ない筈だ」

「少ないって……、どのくらい?」

「半年程度だろう。既に、大いなる存在の目覚めの兆候が各地で見られるようになっている。日本でもヘルガが復活しただろう?」

「どっ、どうすればいいんだよ!? 半年って、絶滅って……!」


 正直に告白すれば、忠久の話をすべて理解出来ているわけではない。宇宙だとか、生命の根源だとか、あまりにもスケールが大きすぎる。だけど、状況が切羽詰まっている事だけは分かる。このままでは世界が滅んでしまう。

 

「守りたいか? この世界を」

「守りたいよ! だって、世界が滅びるって事は、康平や健吾も死ぬって事だろ!」


 オレの言葉に忠久は目を細めた。


「そうか、守りたい存在がいるか。ならば、たった一つの方法を教えよう」

「あるの!?」


 聞いておいてなんだけど、この状況をどうにかする方法があるとは思えなかった。

 

「簡単だ。大いなる存在を打ち砕けばいい。地球以外の生命が滅びた事で、Godの破壊の意志は地球に集中している。つまり、目覚めた大いなる存在こそ、Godの破壊の意志のすべてと言っていい。ヘルガも、ミュトスも、リガルドも、シーザーも、すべて大いなる存在が生み出したものだ。大本を打ち砕けば二度と破壊の意志が大量絶滅を引き起こす事もなくなるだろう」

「大いなる存在を……。でも、それって地の竜を生み出した存在の事じゃ……」

「そうだ。地の竜もまた、大いなる存在より生まれた存在だ」

「……大いなる存在って、なんなんですか?」

「言っただろう。破壊の意志の化身。大いなる存在とは、お前が知る偽物ではない。真なる亜竜覇の事だ」

「真なる……、アルヴァ……」


 詳しく聞こうとした途端、目眩を感じた。この感覚には覚えがある。


「どうやら、時間のようだな。これより先の事を知りたければ、地の竜自身に聞くがいい。真なる亜竜覇を打ち砕く方法も、地の竜が識っている」


 意識が遠退いていく。


「地の竜……」


 ◆


 目覚めた場所はウルガの神殿だった。目の前には康平がいて、ホッとした表情を浮かべている。


「……おはよ」

「おう、おはよう。辛くないか?」


 問題ない。そう言おうと起き上がると、すぐに倒れ込んでしまった。


「翼!?」

「……あれ?」


 もう一度起き上がろうとして、腕に力がまったく入らなかった。

 今度は康平が抱きとめてくれたおかげで倒れなかったけれど、足にも力が入らない。


「つ、翼……?」


 健吾も青褪めた表情を浮かべている。


「……どうやら、影響が出たようだな」


 その声は特定災害対策局の局長、マイケル・ミラーのものだった。


「贄守翼。それが君の名前らしいな」

「は、はい」


 ミラーは沈痛な表情を浮かべて言った。


「贄守か……。同じ響きの言葉を文献で読んだ事がある」


 ミラーはペンライトを目に当ててきた。

 眩しい。


「『贄神』という、神への贄という意味らしい」

「神への贄……?」


 健吾が険しい表情を浮かべた。


「贄守神社の文献はいろいろ読んだけど、そんな事、書いてなかった」

「君の読んだ文献がどんなものかは知らない。けれど、想像は出来る。おそらくは、陰陽連が用意したものだろう」

「陰陽連……。たしか、梁兼の爺さんも……」


 康平の言葉に頷きながら、もう一度立ち上がろうと試してみる。けれど、まるで全身におもりを付けられたかのようだ。立ち上がろうとしただけなのにヘトヘトになってしまった。


「無理するなよ」

「ごめん……」


 諦めて、康平の体を背もたれにしながらミラーと健吾の会話を聞く事にした。

 意外と悪くない。身長差があるせいか、妙にフィットする。


「……僕が読んだ文献は陰陽連の情報規制が入った物って事ですか?」

「おそらくな。そもそも、贄神は陰陽連が対SDOの為に作り上げたものだ。SDOに生贄の魂を喰わせる事で、混ざり合い、SDOの持つ生命に対する破壊衝動を緩和するというものだ」


 痛い。康平がオレの体を強く抱きしめた。怒っているみたいだ。

 健吾の方も嫌悪感を顕にしている。レオの生贄になる事はむしろ喜ぶべき事なのだけど、二人の想いもそれはそれで嬉しい。


「SDOって、なんなんだよ。魂を食うとか、わけわかんねーよ」


 康平が吐き捨てるように言うと、ミラーは言った。


「大いなる存在より生まれたものだ」

「……真なるアルヴァのことだよね?」


 オレが言うと、ミラーは驚いたように目を見開いた。


「翼!?」

「伏魔殿で忠久に聞いたんだ」


 オレは忠久に聞いた事をそのまま口にすると、ミラーは眉間にシワを寄せた。


「少し、補足しよう」


 ミラーは言った。


「一億年前の事だ。その時代、いまよりも技術の進んだ文明が栄えていた」

「古代文明って事!?」

 

 健吾が食いつくと、ミラーは「少し違う」と言った。


「古代文明とも言えるが、同時に未来の文明とも言える」

「どういう事?」


 それにしても、さっきまではミラーの事を警戒していた筈なのに、なんだか打ち解けた雰囲気になってる。オレがレオと一緒に戦っている間に何かあったのかな?


「一億年前の文明には、アメリカ合衆国があり、イギリスがあり、フランスがあり、中国があり、そして、日本があった。アップル社、マイクロソフト、NASAなども存在していた」

「ちょっと待ってよ! 一億年前の話をしてるんだよね!?」

「そうだ。一億年前。ほぼ今の世界と変わらぬ世界が広がっていた。誰もがiPhoneを持ち、ツイッターやフェイスブックを活用し、フェラーリを乗り回す事をステータスにしていた」

「……どういう事? なんで、一億年前にツイッターやフェイスブックがあるのさ!?」


 声を荒げる健吾に、ミラーは言った。


「運命という言葉を君は信じるか?」

「うん……、めい? いきなり、何の話?」

「運命だ。並行する世界などなく、我らの道は常に一本であり、あらゆる選択は既に決定されたものなのだ」


 健吾は表情を歪めた。


「あり得ないよ! 僕らは自分の意志で生きてるんだ!」

「……わたしも、そう信じている。だが、嘗ての文明に我らと近しい文明を築いていた存在がいる事は確かだ」


 青褪めた表情を浮かべる健吾を気遣うように見つめた後、ミラーは言った。


「……話を戻そう。一億年前に栄えていた文明を滅ぼした存在は『大いなる存在』と呼ばれたアルヴァであり、そのアルヴァを当時の人類は滅ぼす事に成功した」

「成功した……? 待ってよ! 真なるアルヴァを滅ぼしたのは地の竜だよ!」

「地の竜……。正式な名は聞いていないのか?」

「え?」


 地の竜の正式な名前。よくよく考えてみれば、地の竜という名称が固有名詞ではない事がすぐに分かる。けれど、誰も他の名前で呼ばないから気にかける事すらしなかった。


「地の竜。正確には地球の竜。当時の人類が真なるアルヴァの細胞をクローニングし、その内側に多くの人類の魂を注ぐ事で生み出した最終兵器、マシーン・アルヴァ。それが正体だ」

「マシーン・アルヴァ……? えっ、マシーンなの!?」


 思わず地面を凝視した。みんなの話を聞いて、地の竜をレオやアルヴァのような超常の生命体だと考えていた。まさか、機械マシーンとは思っていなかった。


「完全な機械ではない。アルヴァの細胞と科学技術、そして、人類の魂の融合体だ」


 ミラーは地面に刻まれたウルガの紋章を指差す。


「君達はこの紋章を起動し、龍脈を移動するそうだな。その技術も当時のものだ。宇宙からの訪問者たるマグノリアやラーヴァの技術がこれを可能にした。伏魔殿という内部空間は、おそらくマシーン・アルヴァの内部に取り込まれた魂達の領域だろう」


 ミラーの視線がオレに向いた。


「おそらく、君はウルガに魂を喰わせる度、ウルガを通じてマシーン・アルヴァにも魂を喰われているのだろう。元々、ウルガはマシーン・アルヴァから分離した端末だからな。伏魔殿を覗いた君の魂の断片が消滅するまでに得た情報を君は得ているのだろう」

「消滅……。でも、オレはここに……」

「伏魔殿の君と今ここにいる君は別物という事だ」


 その言葉に震えが走った。


「翼!」


 康平に強く抱きしめられて、少しだけホッとした。


「言っただろう。それが命を捧げるという行為の意味だ。分かったら、二度とするな。既に身体機能に影響が出ている。魂をこれ以上削れば、君は遠からず死ぬ事になる」

「でも! 忠久は言ったんだ! オレなら……、オレとレオなら世界を救えるって!」

「ふざけんな!」


 耳元で怒鳴られたせいで、耳が痛くなった。


「こ、康平……?」

「死ぬってなんだよ! そんな事、させられるわけないだろ! おっさんだって止めろって言ってんだ! 聞き分けろよ! 誰も、お前に世界を救ってもらおうなんて考えてねーんだ!」

「で、でも、時間がないんだ! もう、あと半年で真なるアルヴァは目覚めるって、忠久が……!」

「その忠久って人の言葉、本当に信じていいの?」

「え?」


 健吾は彼らしくない険しい表情を浮かべながら言った。


「そもそも、君が言ったんだ。彼の名前は天音忠久。贄守じゃない。先祖だって話も陰陽連の文献や陰陽連の梁兼さんの言葉だけだ! ミラーさんの言っていた神の贄が本当なら、贄守家の存在はなにかおかしいんだ! 鵜呑みにして動くべきじゃないよ!」

「で、でも……」

「ミラーさん! 贄神は陰陽連が作り出したシステムだって言いましたよね! なら、贄守家は忠久の子孫なんかじゃなくて、もっと別のなにかという事ですよね!? もしかして……」


 言ってから、健吾はハッとした表情を浮かべてオレを見た。

 きっと、オレの顔は大いに引き攣っている事だろう。健吾の理路整然とした言葉で、オレにも彼の考えている事が分かってしまった。

 いつの時点で用意されたのかは分からないけれど、贄守家という一族の正体はおそらく贄神というシステムの為に用意された生贄なのだろう。いや、そもそも……、


「贄守家は本当に存在する一族なのか……?」


 オレの呟いた言葉に健吾が食い縛るような表情を浮かべ、康平の抱きしめる力が更に強くなった。正直、かなり痛い。けど、その痛みが、オレがここにいる事を証明してくれているようで、ありがたい。


「……贄守神社は昔からある由緒正しい神社だよ」


 健吾が言うと、ミラーは沈痛な面持ちで呟いた。


「その歴史も捏造が可能だ。陰陽連という組織は、それこそ千年以上の歴史を持つ組織だからな」


 体の異常や疲れに関係なく、体から力が抜けていった。

 自分が何者なのか、分からなくなってしまった。オレは両親の事を……、八雲と靖友の事を名前しか知らない。それもジジィに聞かされて知った事だ。けれど、そのジジィ自体が真っ赤な偽物で、陰陽連の一員だった。


「オレ……、なんなの?」

「翼は翼だ! 俺の……、大切な……」

「康平……」


 涙が溢れた。いつも、オレは康平に助けられてばっかりだ。何も返せないのに、この押し潰されそうな孤独感からも救ってくれた。


「翼。君が何者でも、僕と……、康平は君の味方だ。何があっても! 約束する!」

「健吾……」


 健吾はミラーを睨みつけた。

 二人の想いが伝わってくる。とても温かくて、とても嬉しい。

 そうだ。オレの正体なんてどうでもいい。この二人が傍にいてくれるだけで十分過ぎる。この二人の為に生きて死ぬ。それだけでいい。

 恐怖も使命感も感じる必要なんてない。

 忠久の言葉とミラーさんの言葉。真なるアルヴァについては矛盾が無かった。つまり、オレが命を使えば、世界を救う事が出来る事は本当なのだろう。


「……康平。健吾」


 心底思う。オレは幸せものだ。


「ありがとう。大好きだ!」


 オレは心でレオに呼びかけた。


『レオ。オレを食べてくれ』


 レオはずっと神殿にいた。静かに、穏やかに、置物のように。

 だから、レオが急に動き出した時、誰も動く事が出来なかった。

 オレの魂が食べられていく。それでいい。この幸せな気持ちのまま、二人を救う為に死のう。

 意識が暗転する。康平と健吾の表情は驚愕と恐怖に塗れていた。それが……、少し残念だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る