第七話『決意』

 はじめ、声すら出て来なかった。護国島の神殿や龍鳴山の洞窟内で見るのと屋外で見るのとではまったく違っていた。現実離れしていた場所だったからこそ現実離れした存在であるウルガを受け入れる事が出来ていたのだと、今更になって理解する。襲いかかってくる現実感に僕は恐怖を覚えた。


「レオ!」


 翼が駆け出していく。あんな異常な存在に臆する様子もなく歓喜に満ちた表情を浮かべている。僕は助けを求めるように隣で腕を組んでいる岩崎へ視線を向けた。その表情はどこか険しかった。もっとも、彼の表情はこれがデフォルトだ。翼の前でだけ、彼の表情筋は己の役割を思い出す。

 ウルガほどではないけれど、岩崎もまた、現実離れした男だ。翼が傍に居ない時の彼はまさに完璧で、一部の隙もない。そして、僕は彼の秘密に気づいている。彼が翼に恋心を抱いている事ではない。彼が翼を手に入れる為に手段を選ばない男だという事だ。

 野球部に所属しながら学年上位の成績を修めるほどの頭脳を持つ彼なら、翼が孤立している理由に気付かない筈がない。神社の子だから、両親がいないから、それだけで彼が孤立していたわけではない。運動神経も平均的で頭も悪くない上に見た目も良く、性格も穏やかな翼が嫌われている理由。それは、そう仕向けている人間がいるからだ。その人物を僕は知っている。傍から見ていれば誰でも分かる。影響力を持っている一人の悪意が翼を今の状態に追いやっているわけだ。

 そして、その人物は野球部でマネージャーをしている。

 野球部のエースである康平は彼女と特に距離が近い。二人が付き合っているという噂も流れているし、実際に去年のバレンタインの日に彼女が彼にチョコレートを送る姿が目撃されている。

 そんな彼女の悪意に岩崎が気付かない筈がない。彼は敢えて彼女の悪意を見逃している。それは翼を孤立した状態のままにする為だ。実際、上手くやっていると思う。翼は岩崎にどこか依存している。

 彼からしたら僕の存在は相当に目障りな筈だけど、今のところ被害を受けていない。病的なまでの本好きというキャラクターで無害である事をアピールしてきた事が功を奏したのか、はたまた様子見の段階なのか……。

 

「どうした?」


 どす黒い腹の内を毛ほども感じさせずに岩崎が声を掛けてくる。

 岩崎ほど怖い存在を僕は知らない。もう一度、レオを見る。


「ううん。レオ、かっこいいね!」

「お、おう……」


 もう、レオを見ても怖くなくなった。


「僕も行ってくるよ!」


 別に、岩崎が翼の事を愛している事に文句をつける気はない。幸せにする気概があるなら好きにすればいいとも思っている。だけど、もしも不幸にする気なら僕も黙っているつもりはない。

 だって――――、


「来たな、健吾! すっげー、ふわふわだぜ!」

「うん!」


 ―――― 僕は翼の友達だから!


 ◆


 レオが飛来してきてから十五分。困った事になった。

 贄守神社を取り囲むように警察や消防が集まり、その向こうには人だかりが出来ている。

 考えてみたら当然の成り行きだけど、実に困った。


『そこの君達! はやく、その巨大生物から離れなさい!』


 拡声器でさっきから警察の人が声を掛けてきている。


「……レオのこと、説明して分かってもらえると思う?」

「絶対無理」


 健吾に断言された。


「絶対……?」

「立て続けに巨大生物が現れて、今は日本中が過敏になっているんだ。たぶん、そろそろ自衛隊や米軍が来ちゃうと思うよ……」

「……それ、レオを攻撃する為に?」

「多分ね。でも、すぐじゃないと思う。まだ、警察にも避難命令が下されていないみたいだし」


 健吾は警察官達の方を見ながら呟いた。


「あの人達が撤退したら、その時はミサイルや銃弾が飛んでくると思うよ」

「……それ、冷静に言ってる場合か?」


 顔を引き攣らせながら康平が言った。たしかに、康平の言う通りだ。

 

「だから、一端レオと一緒に護国島に行こう。翼、踊ってくれる?」

「……え、ここで?」

「うん。ここで、今」


 右を見る。警察官がいっぱいだ。その向こうには近所のおばさん達の姿も見える。

 左を見る。警察官がいっぱいだ。あっ、幸人さんや冴羽組の人達がいる。小十郎さんが慌てた様子で警察官達をかき分けながらこっちに来ようとしている。

 どう転んでも大変な事になりそうだ。オレは渋々息を吸い込んだ。


「ウルガ ウルリヤ」


 踊り始めると困惑しているのか拡声器を持った警察官の人が黙ってしまった。もっと叫び続けて欲しい。歌声を聞かれて顔が燃えそうなほど恥ずかしい。

 地面が光り始めた。レオの足元を中心にウルガの紋章が描かれていく。

 いや、むしろ境内に描かれていたものが輝き始めたようだ。


「坊主!!」

「翼くん!!」


 小十郎さんと幸人さんが叫んでいる。


「心配しないで!」


 光が一気に強くなり、体が沈み込んだ。そして、気がつけば目論見通りに護国島の神殿内にたどり着いていた。


「大丈夫か?」


 康平が心配そうに顔を覗き込んでくる。立っていた筈なのに座り込んでしまっていた。


「う、うん」


 すんなりと立ち上がる事が出来てホッとする。


「……Ulga」


 妙に滑らかな発音が聞こえた。振り向くと、そこには外国人がいた。スーツをビシッと着こなす彼の姿は大自然の中にある神殿の中だと逆に浮いている。

 茶色い髪をかき上げながら、彼は青い瞳をオレ達に向けている。


「だ……、だれ?」

「……日本人だな。それに、ウルガと共にいるという事は君達が例の子供達か」


 びっくりするほど流暢な日本語が返ってきた。


「名乗らせていただこう。わたしはマイケル・ミラー。非政府組織・特定災害対策局の局長を勤めている。君達がこの場所で遭遇した桜井はわたしの部下だ」

「桜井さんの……?」


 ミラーはレオを見上げた。


「……ウルガ。いや、レオと名付けられたのだったな。先代とは瞳や翼の色が少し違うな」

「先代って……、レオのお母さんの事?」

「そうだ。アルヴァと勇敢に戦い、命を落とした。祈り手たるエルミ殿やマリアナ殿と共に」

「エルミ……? マリアナ……?」


 どこかで聞いた事があるような気がした。

 首を傾げるオレをミラーがジッと見つめてくる。


「……君が贄守翼くんだな」

「は、はい」


 ミラーは言った。


「単刀直入に言おう。金輪際、祈りの舞を踊ってはならない」

「え……?」

「祈りの舞は命を削る。君も死にたくはないだろう?」


 その言葉を嘘とは思わなかった。心のどこかで分かっていた気がする。それに、ミラーの声や眼差しには真摯な思いやりが篭められていた。


「アルヴァとメギドの件に関しては感謝している。だが、これからはレオも君も戦わなくていい。ゆっくりと友情を育みなさい。戦の中で命を散らすなど、日本人の若者には特に似合わない」

「ミラーさん……」


 オレだって、レオに戦ってほしくない。アルヴァの時は一方的に圧勝したけど、メギドの時は敗北して傷を負った。オレにとって、レオが傷つく事はなによりも恐ろしくて辛い事だ。


「……それって、戦う可能性があるって事ですか?」


 健吾が言った。


「君の名は?」

「坂巻健吾です。あの……、アルヴァやメギドが現れたばっかりなのに、また新しい巨大生物が現れるんですか?」

「ああ、現れる」


 ミラーさんは包み隠すことなく正直に教えてくれた。


「そもそも、これまでは先代や先々代のウルガや対策局日本支部の面々、それに陰陽連や帝国特殊部隊が守り、隠匿してきたが、この国には高い頻度でSDO……、君達の言う巨大生物が現れている」

「……それは、日本だけ?」

「違う。世界中で昔からだ。だが、日本にSDOが出現する頻度は極めて高い。理由は解明されていないがね」


 昨日今日の話ではなく、オレ達が生まれる前、それこそ日本という国が生まれるずっと昔からSDOと呼ばれる存在は世界中を闊歩していたとミラーは語る。

 それでも人類が生存圏を維持し、この世界の王として君臨し続けている理由は人類の守護者となって命を掛け続けている対策局をはじめとした一部の選ばれし者達やウルガのような人類側に立ち戦う非敵対性SDOの存在があるかららしい。


「……それなら、オレ達は」


 今まで当然の事のように甘受して来た平和は先人達の命を掛けた献身のおかげだと聞くと、戦わない事がとても罪深い事のように思えた。

 けれど、それを口にするとミラーは「いいや」と優しく語りかけてきた。


「君達が平和を甘受する事。それこそが我々の目的なのだ。その為に先人達は命を掛けてきた。メギドの一件で我々の兵器が一定の戦果を上げる事に成功した。現在、急ピッチで改良が行われている。それに、新兵器も続々と開発されているんだ。我々はもうウルガに守ってもらう必要はない」


 ミラーはレオを見つめた。


「本音を言おう。わたしはSDOの存在を認めない。それはウルガも例外ではなく、あらゆるSDOの存在を否定する為にわたしは戦っている」


 ミラーは言葉とは裏腹に深く頭を下げていた。まるで、王に忠誠を誓う騎士のように。


「……君の先代は偉大な存在だった。勇敢ではあっても、決して戦いを好む性格ではなく、それでも人類を守る為に戦い抜いた。戦いの果てに海の底へ沈むなど……、あってはならない事だった……。我々の弱さが招いた事だ、謝罪する」


 顔を上げたミラーはオレ達に背中を向けた。


「あ、あの……!」


 咄嗟に声を掛けたけど、言うべき言葉が見つからなかった。


「キュイ!」

 

 レオが鳴いた。その声の意味をオレだけが理解出来た。

 戦うなと言われた直後なのに、戦う時が来たと言っている。


「レ、レオ……?」

「キュー!」


 レオの鳴き声に携帯電話の電子音が重なる。ミラーがポケットから携帯電話を取り出し耳に当てると、彼の表情は一気に険しくなった。


「……世界中に、同時に……だと?」


 その言葉の意味をオレはレオの鳴き声で識る事が出来た。

 日本だけじゃない。世界中に、同時に敵が現れた。

 ミラーの顔に浮かんでいるのは苦悩と焦燥。その苦しみとレオの勇敢な鳴き声で覚悟が決まった。


「レオ」


 レオに歩み寄りながら、オレはミラーに言った。


「大丈夫だよ、ミラーさん」

「なにを……」

「日本はオレ達が守るから」


 そう呟いて、オレはレオの顔に手を当てようとして、


「ダメだ」


 康平に腕を掴まれた。


「こ、康平?」

「命を削るって言われて、何しようとしてんだよ」


 康平は険しい表情を浮かべて言った。


「仕方ないんだ。日本だけじゃなくて、いろんな国に敵が来ている。レオも戦う気満々だし……」

「だったら、レオだけで行かせろよ。お前は踊るな」

「それこそダメだ! オレはレオを守らないといけないんだ!」


 掴まれた腕が痛い。だけど、その痛みが心地よい。康平はオレの事を想って言ってくれている。


「翼」


 いつの間にか、健吾が近くまで来ていた。


「君はどうして戦おうとするの?」

「え? だって、レオが戦うって言ってるし、それに……」


 ミラーを見る。オレ達に戦わなくていいと言ってくれた。オレ達が平和に暮らす為に戦い続けている人が。だったら……、


「それはダメだよ、翼」

「え?」


 健吾は声を細めて言った。


「あの人は嘘をついてる」

「うそ……?」

「僕には分かるんだ。だから、あの人を理由にしちゃダメだ。戦うなら、君の中に戦う理由を持つべきだよ。持てないなら、戦うべきじゃない。レオだって、君の言葉には従うさ。戦いたくない君を戦いに巻き込んだりしない筈さ」


 戦う理由。どこか現実離れした言葉だ。戦争をしている国なら話は違うのだろうけれど、日本で生まれて、日本で育ったオレ達にとって、戦いとは受験戦争だとか、バーゲンセールの奪い合いだとか、スポーツやゲームの対戦だとか、そういう平和なものだ。だから、理由なんて要らない。

 だけど、これは命を掛けた戦いだ。今一度考えてみる。自分の命をかける理由を。


「……うん。やっぱり、戦うよ」

「え?」

「は?」


 健吾と康平が揃って目を丸くした。そんなに意外だったのだろうか?


「オレにだって、守りたいものはあるんだぜ」


 緩んだ康平の手を外して、オレは改めてレオに触れた。


「いくぞ、レオ! オレ達が守るんだ!」


 唯一の家族は偽物だった。友達もほとんどいない。恋人だっていない。

 だけど、康平がいる。健吾がいる。幸人さんがいる。小十郎さんがいる。命をかける理由は十分にある。


「つ、翼!」


 康平がオレの肩を掴む前に、オレの意識はオレの肉体を離れていた。ふわふわと浮き上がり、レオの頭の上に降り立つ。ふかふかで、あたたかい。


『康平達を守りたいんだ。だから、力を貸してくれ、レオ』

「キュイ!」


 力強い返事が返ってきた。見えない筈なのに、康平と健吾がオレを見た。


『行ってくるね!』


 レオがゆっくりと歩き出す。ここで翼をはためかせたら康平達が吹っ飛んでしまうからだ。神殿から抜け出し、レオは空へ舞い上がった。

 空はすっかり暗くなっている。だけど、本土から遠く離れた場所にある筈の護国島からも見えた。赤々と輝く、紅蓮の炎が日本を焼いていく様子が。


『レオ!』

「キュイ!」


 オレは命を削るんじゃない。命をレオに捧げているんだ。康平や健吾達の為に。それのなんと素晴らしい事か。

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