第11話

 佐助は店内の清掃をしていた。客が長く滞在する事はあまりない月来香だが、店内を清潔に保つ事が佐助の信条だった。それでも散歩から帰ってくる浪漫が、たまに足を洗い忘れるので、汚されて掃除し直す事が少なくないのだが、浪漫にいくら口酸っぱく言い聞かせた所で、はぐらかされて終わってしまうので諦めた。

 コツコツコツ、静かな店内で時計の音が鳴り響く、さほど大きくない音でも静寂がそれを際立たせる。店内に一人で居て、静かに流れて行く時間の中に身を置いていると、自分が月来香に初めて訪れた時の事を思い出す。手を少し止めて、佐助は目を閉じた。


 カウンター内でグラスを拭いている髭を蓄えた中年男性がいた。

「おい、そんな物拭いた所で使う機会なんてそうそう無いだろう」

 浪漫はその中年男性に向かって言う。

「分かってないなぁ浪漫さんは、いつどんなお客さんが来てもいいようにしておくのが良いマスターの条件だよ」

 グラスを楽しそうに拭いて、ついでに気分が良さそうに口笛を吹きながら浪漫に答える。

「それで今日の品物は何だたすくよ」

「んー?今日は特に無いよ」

 佑と呼ばれた男はあっけらかんと答える。

「ないとは何だ。ない事はないだろうに」

「そんな事俺に言われたって分からないさ、品物を選ぶのは俺じゃなく客だ」

 浪漫は訳が分からないと難しそうな顔をしている。そんな様子を見ても佑は何事もなく今度は皿を拭き始めた。

「まったく相変わらずよく分からん空気感の男よ、吾輩は長く一緒に居るがお主の掴み処のなさは見事なものだ」

「お褒めに与り光栄だね」

「褒めてはおらん」

 浪漫と佑がそんな話をしていると、品物がないまま店の扉が開かれた。

「いらっしゃいませ、ようこそ月来香へ」

 佑が声をかけたのは幼き日の佐助であった。


「おい佐助、何を呆けている?」

 いつの間にか散歩から帰ってきた浪漫が佐助に声をかける。

「ああ、浪漫さんお帰り。ちょっと昔の事を思い出していたんだ」

「昔?いつ頃だ?」

「俺がこの店に来た時の事だ」

 浪漫は机に飛び乗る。

「その事か、もう遠く懐かしい記憶だな」

「俺はあっという間に感じたけどね、佑は元気かな?」

「知らん、もう会う事もないからな」

 浪漫はきっぱりと言う、それがこの店のルールだからだと続けて言った。

「しかしまあたまには思い出話に付き合うのも一興である。ほれ話せ話せ」

 浪漫は佐助に話を催促する。佐助も椅子に座って浪漫と向き合って話し始めた。


 店内に入った佐助はびくびくと怯えながらきょろきょろとしていた。みすぼらしい恰好をして、ぼさぼさの髪の毛、その姿はまるで迷い込んだ野良猫のようだった。

「こんにちは坊や、さあこっちにおいで」

 佑が声をかけると、佐助はビクッと全身を震わせて椅子の陰に隠れた。

「ありゃりゃ、ダメか」

「お前のその無駄に生えた汚い髭が威圧感を与えるのではないか?」

「どこが無駄だ!かっこいいだろ?」

 佑を無視して浪漫が佐助に近寄る。

「おい小僧、吾輩の名前は浪漫と言う。お前の名前は?」

 喋る猫に驚きつつも、佐助はおずおずと自分の名前を名乗った。

「さ、佐助」

「ん?苗字はないのか?」

 浪漫の問いに佐助は黙り込んでしまう、そんな様子を見かねた佑が浪漫を抱き上げてどかし、佐助の目線にまでしゃがみ込んで話しかける。

「佐助君、俺の名前は佑。ここは一見すると分からないけど、実はお店でね、佐助君はここにたまたま入り込んだ?それともよく分からないけど入りたくなった?」

 佐助はすぐには答えられなかったが、ゆっくりと後者だと言った。

「成程ね、浪漫さんこの子の品物が分かったよ。今日から一緒にここで暮らす事になるからよろしくね」

「な!?何を言っておるのだ佑、そんな事が…」

「出来るだろ?俺の時と同じさ」

 浪漫はもう一言佑に何か言おうとしたが、それを飲みこんで佐助に向き直った。

「小僧、取りあえずついてこい、風呂場に案内してやる。そのままでは汚いからな、この店の住人となるのならそれなりの身なりをしてもらわねばな」

 すたすたと歩いて行く浪漫を追うか戸惑っていると、佑が佐助の背中を押した。

「俺が着替えを持って行くから、取りあえず行っておいで」

 佑に促されて佐助は浪漫の後をついていく、風呂場で着ていた服を脱いで、浪漫がシャワーが出る蛇口を捻る。頭から温かな湯をかけられて、体が徐々に温まり始めると、佐助の目から自然と涙が零れ落ちていた。着替えを持ってきた佑は、佐助の頭と体を洗ってやり、浪漫が張った湯船にゆったりと体を浸からせた。その間佐助の目からは涙は零れていて、静かに泣き続けていたが、佑と浪漫はそれを黙って見守った。

 佑が佐助の頭を乾かして、新しい服に着替えさせる。子供用の服が無かったので、ぶかぶかの佑の服を代わりに着たが、佐助は久しぶりに着る清潔な服の着心地に酔いしれた。佑に寝室まで運ばれて、布団をそっと上に掛けられると、佐助はあっという間に眠りに落ちた。これまでにない心地よさを知って、佐助は眠りながらも目から涙が零れていた。

「おい佑、お前分かっておるな」

「心配するなよ浪漫さん、ちゃんと分かってるよ。この子の品物は月来香その物、次の店の主だ」

 それを聞いて浪漫は一瞬だけ目を伏せ、改めて佑に聞いた。

「どれくらいで交代する?」

「この子がもう少し大きくなるまで、そうだな、十八になったら交代しようか」

「十年程か…」

「あっという間さ十年なんて、浪漫さんも手伝ってくれよ」

 浪漫は無論だと言って部屋から去って行った。佑は暫くの間佐助に寄り添って眠っている佐助をぽんぽんとリズムよく叩いてあやし、目から涙が消えるまで待った。

 佐助はそれから月来香で過ごす事になった。とは言っても仕事の手伝いが出来る訳でもない、ただそこに居て客と佑のやり取りを見て過ごす日々が続いた。時たま浪漫に連れられて散歩に出かけるくらいで、佐助は本当にただ日常を過ごすだけだった。

 客と佑のやり取りが終わると、佑は佐助に勉強を教え始めた。字を書く事も計算もろくに出来なかった佐助は、新しい事を覚えるのにとても苦労した。それでも佑は根気よく佐助に様々な事を教えて、ある程度理解が深まる頃には、佐助は学校に通う事になった。金の算段やどうやって入学させたのかは当時の佐助には分からなかったが、佑が何とかすると言った事は大抵何とかなった。しかし守らなければならない制約も多く、友人を家に呼んではいけないとか、外でバイトや働く事は出来ないだとか、恋人関係になってはいけない等、厳しい言いつけもあったが、元々人間らしい欲に疎い佐助にはそれほど苦労する事でもなかった。帰り道では浪漫が迎えに来て一緒に帰ってくれたし、家に帰れば愉快な佑も居た。それだけで佐助には十分すぎる事だった。

「佐助、今日から仕事を手伝ってくれ」

 十六になってから佐助は佑の仕事について学ぶ事になった。店で客にどう対応すればいいか、品物によってどう動けばいいか、対価を受け取る事などを教え込まれた。

「佑、品物の仕入れってどうやってやるんだ?」

 仕事の内容については色々と教わった佐助だったが、肝心要の品物の手に入れ方だけは先延ばしにされていた。思い切って佑に聞くと、ある場所に連れていかれた。佐助がまだ入った事の無い地下室だった。

 そこに入ると、空気が一変するのが肌で感じられた。明らかに異質だと思わせる場所だった。しんと静まり返っていて、佑と自分の足音でさえ聞こえない、見た目よりもとても広くて、そこが現実の場所かどうかも怪しく思える。ある程度進むと、中央に不思議な神像が鎮座していた。その前には大きな池がある。

「この店がいつからあったのか、何故あるのか、そういった具体的な事は一切分かっていない。店のルールは何だった?」

 佑に聞かれて佐助は答える。

「一見さん以外お断りだろ」

「そうだな、お客さんは生きている内に一度だけしか店に訪れる事ができない、そして一番必要としている物を受け取って、その品物に纏わる話を聞かせる。ここまではいいな?」

 佐助は黙って頷く。

「店の主はそのやり取りの仲介役だ。この神像を通じて神託が下される、客に必要な物やその場所、場合によっては死者の依り代となったりもする。店の主は受け取った神託を頼りに品物を探し、必要な物を揃えて客を待つ」

「で、でもどうやって探すんだ?遠く離れた場所にある物とか失われてしまった物とかも商品にあるじゃないか」

 そう聞かれて佑は折り紙を取り出す。折り紙を神像に近づけると、勝手に動き出し折りたたまれて魚の形になって池に飛び込んだ。

「こいつは式神、神託の命を受けてこの池からどこの世界にも繋がって、品物を探し出してくる」

 暫くすると、池の中から折り紙の魚が戻ってきて口に何かを咥えている。古めかしいコインの様だった。佑がそれを受け取ると、折り紙の魚は溶けて池に混ざって消えた。

「これが今日のお客さんの品物だ。どんな人でどんな話が聞けるのかな」

 佑と佐助は地下室を後にした。店のカウンターに戻ると、佐助は聞いた。

「佑はずっとこれを続けてきたのか?」

「そうだよ、それが店の主としての役割だからね」

「何でこんな不思議な店があるんだろう」

 佐助の問いに佑は暫し考え込んだ、悩ませて考えた上で答えた。

「佐助、この店がある理由は俺にも分からない、ずっとこの店に居る浪漫さんでも分からない事だ。だけど俺が思うに、この店は人が癒しを望んだ奇跡なんじゃないかと思っている」

「癒し?」

「そうだ。迷ったり悲しんだり、人の心が惑う時、この店はその人の心の奥底の願いを叶える。それはきっと誰か一人が望んだ事じゃなくて、皆どこかで何かに癒されたい、傷を塞ぐ何かを求める。そんな気持ちが集まって生まれた奇跡だと俺は思うんだ」

 佑はそう言って佐助の頭を撫でる。

「お前がここに来たのもそうさ、小さいお前がぼろぼろで現れた時俺はこう思ったよ、この子の必要な物は居場所じゃないかってね」

 佑の言葉に佐助は黙って俯いた。


「お前はあの時何故この店に来たんだ?」

 浪漫が佐助に聞く、佐助は佑に話した事をもう一度話した。

「俺にも親がいて家があった。だけど親は俺を育てる事を放棄してた。母親は俺に無関心だったし、父親は暇さえあれば俺を殴っていた。どんな人たちだったのかはもう分からないけど、誰も助けてくれないと思った俺は家を飛び出した。そこで生まれて初めて自由になって、やりたい事をやろうって遊び回ったけど、結局最後には家に帰らなきゃいけないって現実があった。俺はそれが嫌でふらふら歩けるだけ歩いたんだけど、それにも限界があった。そんな時この店を見つけて、ここに何かがある気がして扉を開けたんだ」

「そしてお前はこの店の住人となって、やがて主となった」

 佐助は頷いた。

「佑は俺に店の事を任せられるようになった時、いつの間にか居なくなっていた。でもそうだよな、この店のルールは一見さん以外お断り。佑は俺の為に居場所を明け渡したんだ」

「お主はそれを後悔しているか?」

 浪漫が鋭い口調で佐助に聞いた。

「後悔はないさ、佑は俺を信じてこの店から去って行ったんだから。だけどもうあの優しい笑顔と温かな手に触れる事が一生無いと思うと、ふと寂しくなるのさ」

 佐助は店の窓から空を見上げた。快晴で雲一つない天気は、初めてこの店を訪れた時と同じ空だった。

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