第9話

 佐助は店の倉庫で探し物をしていた。整頓はされているのだが、いざ物を出すとなると何が何処にあるのかを忘れてしまう、置いてある物を記入しておけばいいのだろうが、そこまで広い場所でもないのでそれもまた必要性を感じなくてやっていない、結果探し物に時間がかかるのだから手間を惜しむ事がどれほど愚かしい事か身に染みる。

「佐助!どこにおる!」

「倉庫だよ倉庫!用事があるならここまで来てくれ!」

 佐助の声を聞いて浪漫が倉庫まで歩いてくる。

「何をしておるのだ」

「探し物だよ、浪漫さんもよかったら手伝ってくれ」

「仕方ない、して、何を探しておる?」

「硯と半紙に墨と筆だ」

 要するに書道の道具だった。

「ならばそこにある」

 浪漫が前足で指した先の箱を開けたら、そこに一通り揃っていた。そしてその箱の一角に鰹節が一つ置かれていた。

「浪漫さん、こんな所に隠してあったのか」

「戯けが、ここだけだと思ったら大間違いだ」

 偉そうに言うなと佐助が怒ると、それがどうしたと言う態度で浪漫は優雅に顔を洗っていた。言っても聞かないと諦めて佐助は立ち上がると、倉庫を後にした。

 カウンターに戻って今回の品物をもう一度確認する。

「今日の品物は筆か」

「そう、ちょっと触ってみるか?」

 浪漫が前足で筆先をちょいちょいと触る。

「ほう、鼬の毛だな」

「浪漫さん分かるの?」

「毛の種類はな、それがどう良いかまで知らん」

 それでもすごいなと佐助は感心した。いつも自分は物知りだと言う割に佐助に聞いてくる事が多いから、てっきり見栄を張っているだけかと思っていたからだ。

「さて、この筆が必要なお客さんは一体どんな人なのかな?」

 佐助が硯で墨を磨り始めた時、店の扉が開かれた。

「いらっしゃいませ、ようこそ月来香へ」


 店に訪れた客は若い男性だった。自分が何故ここに来たのか分からないような顔で店内をきょろきょろと見渡す。

「おい、ここは店なのか?」

「そうですよ」

「一体何を売っているんだ?外観からも店内の様子からも、何屋何だかさっぱり分からないんだが」

 佐助はそう聞かれて首を少し捻った。

「まあ取りあえずお座りください、あなたに必要な物が手に入りますから」

 毎度の事ながら説明が難しい、どう伝えたらいいのか佐助も分かっていない、だから少々強引にでも品物を見せた方が早いと思っていた。

「いや、遠慮しておくよ。何だか妙に惹かれて入ってみたけど、怪しげな物を売りつけられても困る」

「いいのか?この店を訪れる事が出来るのは一度だけだぞ」

 自分より大分低い位置から声が聞こえてきて、男は不思議そうな顔でその声の出どころを探す。足元の浪漫がもう一度声をかける。

「こっちだこっち、下を見て見ろ」

 下を見ろと言われて男が下を向く瞬間に、浪漫はぴょんと机に飛び乗った。下を向いても何も居ない事を不思議に思って顔を上げた男に、浪漫はもう一度話しかける。

「実はこちらだ、驚いたか?」

 目の前の猫が突然喋ったので、男は驚いて声を上げる。その様子を楽しげに見つめる浪漫の頭を佐助は叩いた。

「すみませんお客さん、こうしてからかうことだけが趣味の猫でして、許してやってください」

「佐助は相も変わらず失敬な男だ。吾輩はからかっておるのではない、ちょっと驚かしておるだけだ」

「どう違うんだ?」

「吾輩が楽しいかどうかだな」

 呆れたため息をつく佐助、いたずらに笑う浪漫を交互に見つめて驚く男、状況が飲めない男は生唾を飲み込んでやっと声を出す。

「こ、こ、こいつは一体何だってんだ?何故猫が喋ってる?それと会話しているお前は何だ?どうなってんだここは」

 ぶるぶると手を震わせながら指さして言う、浪漫はずいと前に出て言った。

「吾輩は誇り高き妖怪猫又、猫又の浪漫と申す。ここは一度訪れれば二度と目にする事叶わぬ不可思議な店、手に入る品は今お主に一番必要な物である。してお主、名を何と申す?」

 浪漫の尊大な態度とその雰囲気に押され、男はようやく少し落ち着きを取り戻す。

「お、俺は橋本修平はしもとしゅうへいだ。正直飲み込めない所は多いが、取りあえず話を聞かせてくれ」


 橋本は席について、佐助が差し出した品物に目を通す。

「これは…」

「見覚えがありますか?」

 橋本は筆を手に取って、触って確かめる。何度も見て触って確認して、やっと得心をいったように頷いた。

「これは俺のじいさんが大切にしていた筆だ。形見分けにじいさんの愛弟子が受け取った筈だったのに、何故ここにあるんだ?」

 そう聞かれて佐助は少し言いづらそうに答える。

「あー、実はですね。この筆二束三文で売られてまして、そのお弟子さんどうも浪費癖があったそうで、特に思い入れもなく売ってしまった様です」

 それを聞いた橋本は怒りに肩を震わせた。

「あいつ、師匠との思い出が欲しいとかほざいておきながら、売りやがったのか、大切にしていた物だと知っていて、それをテメーの私欲の為に」

「まあ落ち着け、こうしてお主の手に戻ってきたのだ。そ奴の事は一旦忘れて、その筆に纏わる話を聞かせてもらいたい、それがこの店での品物の対価でな」

 橋本は怪訝な表情をする。

「話が対価?そんな事でいいのか?」

「そんな事がいいんです。思い出話でも、それを手にして今思いついた話でも結構です。話していただけますか?」

 佐助にそう促されて橋本はもう一度筆を見る。そして顔を上げると筆の所有者であった祖父の話を始めた。


「俺のじいさんは書道家でな、教室を開いて先生をやっていた。何人かその教室から書道家を輩出して、表彰された事もあるすごい人だったよ。俺もそこで学んで、今は細々と書道家として活動している」

「立派な方だったんですね」

 橋本は頷くと、自慢げに言った。

「じいさんを慕って多くの門下生が集まった。皆じいさんの書く字に惚れ込んでたよ、俺もその一人だったけど、じいさんは身内贔屓する人じゃなかったから、他の生徒同様に厳しく指導を受けたな」

「しかし、吾輩にしてみれば字などどれも同じ様に見えるが、お主の爺様が書く字はどう違ったのかね?」

 浪漫の言葉に橋本は興奮して答える。

「それはもう全然違う!同じ字を書いていても受け取れる情報量が断然に違うんだ。伸びやかな曲線も、細やかな筆の強弱も、力強い止はねも、どれもが視界からばぁっと飛び込んできて、書いた字に魅了されるんだ」

「そ、そうか、お主は爺様の事を尊敬しているのだな」

 あまりの剣幕にたじろぐ浪漫がそう言うと、橋本は一瞬で熱が冷めたようにまた座り込む。

「尊敬してたよ、じいさんは実際すごい人だった。俺もいつかあんな字が書きたいと思って精進していても、死んで尚どんどん離されている気にさせられる。俺はじいさんの字を見る度に、自分の未熟さを思い知らされる様で、たまらなくなって家を飛び出した。それでもまだ書道に身を置いているのは、俺がそれを諦めきれないからだ」

 橋本は俯いて顔を掌で覆う。

「俺が書いた字を評価してもらえる事も増えた。賞を貰ったり、仕事の依頼が来たり、それでも俺は呪いのようにじいさんの書く字に囚われている。俺が書いて評価される字のどれもが、じいさんの書く字には遠く及ばない、それなのに俺は評価されていいのか?そんな事を日々思っているよ」

「研鑽も実績も、自信には繋がらないんですか?」

 佐助の言葉に橋本は力なく頷く、高い理想の頂に届かないどころか見えもしないと、嘆き苦しんでいる。

「結局俺は、じいさんから何を学べた?どれもこれも遠く及ばないじゃないか、そう思うと最近情けなくて仕方がないんだ」

 そう言ってうなだれた橋本は筆を握って話す。

「こいつはじいさんが書道を始めた時、じいさんの師匠から貰った筆だそうだ。一度だけその事を俺に話してくれた事がある。それで沢山練習しろと言われたそうだが、高くてもったいないとついぞ手を付けられなかったって笑ってたな」

 そう話す橋本に硯で磨った墨と半紙を佐助は手渡した。

「な、何だ?」

 困惑する橋本に佐助が言った。

「その筆で書いてみてください、何も考えずに頭を空にして、思うままに筆を動かしてみてください」

「そ、そんなの無理」

「大丈夫です。書き方はおじい様が教えてくれます」

 戸惑う橋本に、佐助はぴしっと言い渡す。その物言いが橋本の祖父にそっくりで、徐に持った筆を墨に浸し、ゆっくりと手を動かし始めた。

 自分が今何を書いているのかは分からない、ただ言われるがままに手を動かし始めただけ、それでも橋本の手は止まらなかった。まるで祖父が後ろに立って、指導してくれているような気がして、懐かしく、そして楽しかった記憶が蘇っていくようだった。そこはこうする、そうじゃなくてこう、そうだよく出来たな、そんな祖父の声が聞こえてくるようで、橋本は無我夢中に手を動かした。

「よく書けてるぞ、素晴らしい字だ」

 確かに祖父の声が耳元に聞こえてきて橋本は我に返る。

「今何か言ったか?」

 佐助と浪漫に聞いても肩を竦めて何のことだか分からないと言われて、橋本は今のは何だったのかと混乱した。

「そんな事より橋本さん、書けてますよ」

 佐助に言われて半紙に目を落とす。そこには今自分が書いた文字があった。

「邁進」

 それは橋本が書いた文字ではあるが、祖父の字にそっくりであった。

「これを俺が書いたのか?」

「そうです。橋本さん、おじい様は元々達筆だった訳ではありません。紆余曲折、時には挫折し、思い悩みながらその極地に辿り着きました。橋本さんがたどり着けるかは分かりませんが、進むか進まないかだけはもう答えは出ているのだと思います」

 それは書かれた文字にも明らかに表れていた。橋本には祖父が「邁進せよ」と背中を押してくれているように感じられた。

「そうだな、久しぶりに字を書いていてとても楽しい気持ちを思い出した。俺はじいさんに追いつくんじゃなく、自分の力でじいさんに並びたいんだ。それをはっきり思い出したよ」

 橋本の顔は憑き物が落ちたように晴れやかになった。いつかまた迷う日が来ても、祖父の筆がまた初心に戻してくれるだろう、橋本はそんな希望を感じ取っていた。

「ありがとう、俺がまた書の道に邁進していくことにするよ」

 橋本がそう言うと、佐助はにっこりとほほ笑んだ。


 橋本が去った後の店内を掃除しようと道具を持ってくると、店内が黒い肉球の跡が沢山ついていた。

「浪漫さん!やりやがったな!」

 そう叫んだ所でもう浪漫は居なくなっていた。叱られる前にどこかへ消える、浪漫の常套手段である。

「まったく消す方の身になれっての」

 そうぶつぶつと呟いていると、半紙に肉球で何かが書かれているのを見つけて手に取る。

「ろまん」

 と大きく書かれた端に、さすけと小さく書かれていた。佐助は怒りながらも、その半紙を目立つように壁に貼り付ける。それを眺めると、少しだけ怒りも治まったが、店内に付けられた黒い肉球の跡を見ると、その怒りもまた湧き上がってきた。

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