一見さん以外お断りの店

ま行

第1話

 そのお店はとても辺鄙な所にあった。見つかるような見つからないような、そんな不思議な場所にある。そしてそのお店にはある不思議なルールがあった。

「一見さん以外お断り」

 そのお店は一見さん以外の来店を拒む、繰り返しそのお店を利用する事は叶わない、どんな人間も一生に一度しか入る事の出来ない不思議なお店、そんな幻のようなお店には必要な時に必要な人が訪れると言われている。そこでどんな体験ができるのか、それは訪れた者にしか分からない。


「おい、今日は何の仕込みをしているんだ?」

 客用の席に座っている猫がカウンター内にいる男に声をかける。男は顔を上げて猫に苦言を呈した。

浪漫ろまんさん、店内を掃除したばかりなんだ。ちゃんと帰ってきて足を洗ったかい?」

「失敬な、それくらい弁えているさ、きちんと足ふきマットに乗ったぞ」

 男はやれやれと言う風に首を振った。見ると床には猫の足跡が点々残っている。

「前にも言ったろ?足ふきマットに乗ったくらいじゃ綺麗にならないんだ。ちゃんと風呂場に行って洗ってきてよ」

「残念だったな猫は水が苦手なんだ」

「猫又のくせして何言ってんだか、何年生きているんだよ。水何てもうへっちゃらだろうが」

 浪漫と呼ばれた猫又は我関せずと顔を洗っている、男は仕方なくモップとバケツを取りに立つ、化け猫は毛が飛ばないからいいが、実体がある分汚れる。散歩から帰ってきた時に足は汚れ放題だ。この店は食べ物を出すだけではないが、店内を清潔に保つのは当然の責任だ。床掃除のついでに浪漫の足も拭く、浪漫は嫌がる様子も見せない、要は足を拭かせたいのだ。ふてぶてしい化け猫の足と店内を綺麗にすると男は仕込みに戻る。

「それで、話を戻すが佐助さすけは今日何を仕込んでいる?」

 佐助と呼ばれた男はじゃがいもを手に取って浪漫に見せた。

「今日は肉じゃがだよ」

「ほう、肉じゃがとな、これはよい。今日の客はどんな奴だろうな、肉は何だ?肉じゃがの肉は東西で異なると聞いたことがあるぞ」

「まあ家庭にもよるだろうけどね、だけど聞いて驚くぞ、今日の肉は馬肉だ」

 浪漫は目を丸くして驚く、佐助もあまりに馴染みが無いので同じ反応だった。

「馬肉の肉じゃがとな、ますます今日の客がどんな人物か気になるな、そらそら佐助、早い事その肉じゃがを完成させよ」

 偉そうに言う浪漫を無視して、佐助は慣れた手つきで下ごしらえをする。じゃがいもの皮むきも、それぞれの具材のカットも、流れるような手つきでこなしていく、体が動くままに料理を進めていき、完成間際の良い香りが漂い始めた時、店の玄関の戸が開かれて客が入ってきた。

「いらっしゃいませ、月来香げつらいこうへようこそ」


 月来香に来た客は店内をきょろきょろと見渡した。狭い店内に、カウンターに店主と、そして猫が一匹いる。本当に何かを提供している店なのかと疑わしい見た目であった。

「なあ、ここはどんな店なんだ?」

「ここですか?そうですね、説明は難しいですが今あなたが望む物が手に入る店ですよ」

 入ってきた男はますますうさん臭さを感じた。しかし店内から香って来る匂いは、男の郷愁の念を掴んで離さない、疑わしさはあったが男は席に着いた。

「それで、貴様名をなんと言う?」

「うわっ!何だ!?」

 猫が急に話しかけてきたので、男は驚いて椅子から転げ落ちた。その様子を見て猫はけらけらと笑い声を上げる。

「いい反応をする、喋る猫を見るのは初めてか」

「浪漫さん、お客様をからかうのはやめろって何度も言ってるだろ。大丈夫ですか?」

 男は店主に差し出された手を取って立つ、そしてまじまじと浪漫を見回した。

「俺は幻でも見てるのか?何で猫が喋る?」

「吾輩は猫又の浪漫と申す。これでも長生きでな、貴様が思うよりずっと長く生きておるぞ」

 猫又と言われても男にはピンとこない、驚きの表情でいると、店主の佐助が説明を入れる。

「猫又ってのは、妖怪と言いますか、まあ長生きしてる猫程度に思っていてください、口だけは達者ですが浪漫さんは人をからかって面白がるくらいしか能がありません」

「失礼だぞ佐助、それが年長者に対する物言いか、嘆かわしい事この上ないな」

 男は平然と猫とやり取りする佐助を見てますます目を丸くする、目の前の現実が受け入れられないといった感じで、もう一度席に座りなおす。

「正直、今も驚いていて何が何やらと言った感じだ。君たちが平然と会話しているのにも、違和感を覚えずにはいられない。この店に入った事も後悔し始めているよ」

 男がそう言うと、佐助は残念そうに言う。

「それは勿体ないですよ、この店のルールは一見さん以外お断りですから。もう二度とここに来店することはできませんよ」

「何だと?そんなの商売が成り立つのか?」

「まあそこは何とか、それより今お客様の商品をお出ししますね」

 そう言って佐助はてきぱきと肉じゃがを器に盛りつける。その間に浪漫がもう一度男に話しかけた。

「それで、貴様名を何というのだ?」

「あ?ああ、越田一おったはじめと言う」

 話しかけられたままに答えてしまったが、越田は猫と話が通じている事に未だ驚きが隠せない。

「ふぅむ、越田ね、貴様は普段何をしている人間だ?」

「俺か?まあサラリーマンだな、会社で部長の役職に就いてるよ」

「ほう、割と面白味に欠ける答えだったな、どんな奇人変人が来るものかと思っていたが」

 佐助が浪漫の頭を叩いて越田に謝る。

「すみません本当に口ばかり達者でして、それよりこちらどうぞ」

 そういって越田の目の間に差し出されたのは、まだ出来立てで温かな湯気を立ち上らせる肉じゃがだった。

「俺は何も注文もしていないが、何故もう商品が出てくるんだ?」

「さあ?私にも理屈はよく分かりません。とにかくその肉じゃがに見覚えはありませんか?」

 何を訳の分からない事をと思いながら越田は出された肉じゃがを見る。店に入る前から香っていた懐かしい匂い、丁寧に下ごしらえされた野菜たち、そして何よりこの肉じゃがに使われている肉には覚えがあった。

「これは、母ちゃんの肉じゃがだ」

 越田は急いで箸を手に取り、一口食べる。味付けも亡き母が作ってくれたそのもので、越田は猛烈に故郷を思い出していた。

「何故、何故あんたがこれを作れるんだ?しかもこれはレシピ通りに作ったって感じじゃない、これは母ちゃんが作った物だ」

「まあ私がこれを作れる理由は置いておいて、これは今一番あなたが必要に感じていたものじゃありませんか?」

 越田はお椀に盛られた肉じゃがを見つめ直す。確かにこの味も匂いも懐かしさもすべて今欲しいと思っていたものだ。また口にすると、涙が零れそうになる、母の顔が思い浮かび、思い出が蘇る。

「確かに、俺はこれを食べたいと思っていた。今胸が張り裂けそうなほど感動している」

 それを聞いて佐助は満足そうに頷いて言った。

「では、お代としてこの肉じゃがにまつわるあなたのお話を伺わせていただきます。貴方が思いつくままにお話しください」

 そんなものがお代になるのかと越田は疑問に思ったが、ワクワクとした顔をする佐助と浪漫を見ると、面白い話ではないと前置いてから越田は話し始めた。


「俺はこことは違うド田舎から来た。まあ動機はありがちな一旗上げようっていう、若者にありがちな青臭い理想を追い求めたんだ。仕事は田舎よりよっぽどあったからな」

「いつの時代も変わらぬものだな、身の丈に似合わない理想を追いたがる、情熱とはそういうものだ」

 浪漫が顔を洗いながら言う、越田はその猫又が言う事はもっともだなと思った。

「最初の内は上手くいかなかった。特に優秀な人間という訳でもなかったからな、でも、田舎の両親に大見得切って出てきた手前、そうそうとんぼ返りする訳にもいかなかった。その時は意地しかなかったからな」

「越田さんは何か目的があって田舎から出てきたんですか?」

 佐助の問いに越田は簡潔に答える。

「目的何てものはない、ただただ華やかな生活がそこにあると思っただけだ」

「それはそれは、何とも考えなしですね」

「そんなものさ、若かったんだよ。それでも四苦八苦しながら今の会社に何とか就職を決めた。下っ端もいい所だったが、それでも俺はそこで意地を張ったもんさ、そうして一つ一つ乗り越えていき今の地位まで上り詰めた」

 そういう越田はどこか遠い目をしている。それはやり遂げたという満足感にも、どこか虚しさを感じさせる不足感にも見えた。佐助はその事を指摘すると、越田はまた話し始めた。

「別に俺はその事に何の不満もないさ、地位を上げ、給料を上げ、家を持ち、家族も持った。およそ思い描いていた事をすべて手に入れた。ただ、何故だか今、どうしようもなく故郷が恋しいのさ、母ちゃんが死んで、その連絡を受けたその時から、どうして俺はもっと帰ってやらなかったのかと考えるのさ」

「母君はどう亡くなったのだ?」

 浪漫がそう聞く、越田は悲しそうな目で答える。

「癌だったそうだ、痛みと辛さを堪えながら、俺には笑って言ってたのさ、こっちは大丈夫、あんたはそこで頑張りなって」

「立派な母君である」

 浪漫は敬意を表するようにピシッと言った。

「ありがとう、だけど俺は自分の忙しさを言い訳にして、母ちゃんを蔑ろにしていた事がどうしても許せないのさ、俺を大きく強く立派に育てたのは両親なのに、俺は自分の力だけで生きてきたって思っていた」

「でも、それもあながち間違いではないのでは?貴方は立派に会社に勤めて、生活基盤を築き上げた」

 佐助の指摘に越田も頷いた。頷いた上で、それをやんわりと否定する。

「だとしても、今俺は母ちゃんの肉じゃがが無性に食べたかった。それがすべてなんじゃないかって思ったんだ」

 失って初めて気付く事もある、大切なものを大切に出来なかった後悔は、重く圧し掛かってくる。

「俺の田舎じゃ馬が農耕用で使われていた。それで馬肉が手に入りやすかったのさ、でも周りの家じゃ馬肉を肉じゃがに使ってはいなかった。母ちゃんに何でうちの肉じゃがには馬肉を使うのか、気になっていたのについぞ聞けなかったな」

 もっと話していれば聞けたかもしれない、どんな些細な内容であっても、それは確かに家族のエピソードだった。越田はその事を後悔していた。

「親父はもういい年だ、畑に出て農家をやってるけど、いつまでもそうしていられないだろう。実は今田舎に戻って親父を手伝おうか迷ってたんだ。でもこれで決心がついた。俺は親父の跡を継ぐよ、話したい事が山ほどあるんだ」

 越田の目に迷いの色はなかった。帰郷の決意に揺れていたようだ、完食された肉じゃがはその背をそっと、そして力強く押したようだ。

「しかし、本当にお代はこれでいいのか?懐かしい味が食べられたんだ、いくらか払わせてもらいたいんだが」

 佐助はその申し出をすぐに断った。

「お代はきっちり頂きました。最期に一つだけ、肉じゃがのレシピはお母様の箪笥の中にあるそうです。嫁いだ先お姑さんから代々伝わってきた味だと教わって、その味を大切にしていたそうですよ」

 越田は何故そんな事を知っているのかと聞こうとした時、佐助の背後に母の姿が見えた気がした。

「そうか、聞けてよかったよ。ごちそうさまでした」

「はい、お元気で」

 越田は佐助に礼を述べて、浪漫の喉を撫でてやると、店を後にした。

「どうなるであろうな、今の地位を捨てるというのはそう簡単な事ではあるまいに」

 浪漫は越田を見送った後、佐助に何となしに聞いた。

「分からないよ、それが良いか悪いかなんて、そんなものはその人の心が決める事だからね」

「それもそうである。してその肉じゃが残っておるか?吾輩もいただこうと思っていたのだが」

「猫が食っていいのか?」

「吾輩は猫又である。問題ない」

 鍋に残った肉じゃがは、越田が沢山食べたとしてもまだ十分余裕があるように作られていた。まるでまだ食べる人がいるのが分かっていたようだった。

「じゃあ俺達もいただこうか」

「うむ、母君に感謝だな」


 その不思議なお店には不思議なルールがある。

「一見さん以外お断り」

 また誰かが訪れるまで、そこでは一匹の猫又と、一人の店主がお客が訪れるのを待ち続けている。

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