百年越しの因縁④


「でやあああっ!」


 ニーナは襲いかかってきたふたつの牙を両腕で捕らえる。


「この先には……行かっ、せるかぁぁぁっ!!」


 巨大な牙を突きつけてくるのは、全身を石で覆われたクレイジーボア。

 その石でできた牙を両腕で受け止めながら、ニーナは全身全霊で石イノシシと押し合いをする。

 後ろには、小さな女の子と、崩れた街の瓦礫に挟まった母親がいた。

 ニコラとルカは母親を救助をしようと努めるが、下半身を吞み込まれた母親の身体はなかなか動かず、瓦礫を押しのけるのも上手くいかない。

 その間にも、怒れるストーンボアの牙は突進してきた勢いのままニーナと取っ組み合い、一歩も譲らない状態になっていた。

 すっ――と息を短く鋭く吸ったニーナは、ばるるんッ!!と大きな胸を揺らし、牙により力を込めて押し返していく。

 そして、「はあああああっ!!」と裂帛れっぱくの気合のもと、ストーンボアの身体を大きく横転させた。


「ニーナのヤツ、やりやがった!」


 思わず快哉をあげるニコラだったが、ストーンボアは後ろ足を蹴ってすぐに体勢を取り戻す。

 渾身の力技を放った直後で、汗みずくのニーナはふらふらと頼りない足元をする。

 ストーンボアは弱ったニーナを狙って駆け出した。

 その牙がニーナに達する、直前、



 ――ウオォォーーーーーーンッ!!!



 響き渡った狼の遠吠え。

 かすかに動物の魂が残っていたのか、ストーンボアがびくりとニーナから飛び退ってあたりを伺った途端、その懐に巨大な狼が当て身を喰らわせ、石の巨躯を吹き飛ばされる。


「お前……来てくれたのかっ!! お金持ちの夫婦に引き取られたって聞いたけど!」


「ワン、ワン! ウォーンッ!」


 喜びもあらわにニーナはかたわらに来た狼を撫でて迎える。

 二度目の横転を喰らわされたストーンボアは怒り狂いながら咆哮し、再び突進の構えを見せた。

 その瞬間、鉄球つきの鎖がストーンボアの首にかかった。鎖は自ら意思を持っているかのようにぐるぐると何重にも巻きつき、石の皮膚を締め上げ、動きを奪う。


「今だ! カミロ、やっちまえ!」

「おうよ! 《雷撃ライトニング》! 《氷雪弾アイスボルト》! 《地轟衝アーススパイク》ぅ!」


 連続で繰り出される多様な魔法。

 低級ながら立て続けに繰り出された攻撃に、ストーンボアはよろめき、隙を見せた。


「トドメはお前らだ、蒼穹の燕ブルー・スワロー!」


 叫ぶ男の声に、ニーナはニヤリと八重歯を出して笑った。


「ありがとう――鋼の栄光メタル・グロウ!」


 一瞬で間合いを詰め、ストーンボアの胴に振りかぶった拳を打ち込む。


「ガルシア流格闘術奥義――《石砕打破》!!」


 渾身の一撃は石の身体を砕き、叩き割り、ストーンボアを再起不能に落とす。

 ばらばらと石の破片が飛び散る中、ニーナは勝利の雄たけびをあげた。


「うおおおーーーんッ! 勝ったぞーーーーッ!!」

「何吠えてやがんだよ、こっちのワン公がウズウズしてるぜ」

「ワンッ! ワンッ! ウォオーン!!」


 ニーナの雄たけびに反応した狼はまた遠吠えし、鋼の栄光メタル・グロウのふたりが笑い合う。

 するとカミロが歩み出て、瓦礫に挟まった母親のところに行く。


「石除けの魔法を使うぜ! お前ら、どいてな!」

「ああ、助かるぜ……」

「ありがとう!」


 カミロはちょっと照れながら呪文を唱え始めた。

 その間にニーナたちは現状を報告し合う。


「あちこち魔物で溢れ返ってるって! 小さめのはボクたちでがんばって駆除してるけど、大型のは騎士団が総がかりで食い止めてるみたい……」

「こういうとき一番頼りになる、メイドの姉ちゃんはどうした?」

「実は……朝から会ってないの」

「戦ってたらどこかで気付くと思うんだがな……あの人、戦い方派手だし」


 グロリアの行方を知る者はこの場に誰もおらず、誰もがその不在を憂えた。


「……グロリアさんがいないのはきっと事情があるからだよ! でなかったら一番にでかいやつとやり合ってるはず!」


 だが、拳をぐっと握って掲げたニーナが言うと、誰からも異論は出なかった。


「ボクたちには、グロリアさんがいなくても精一杯戦う義務がある! それが冒険者たる者の務め! ボクたちじゃグロリアさんには当然及ばないけど――それをがんばらなくていい理由にはできないからね!」


「その通り……だねっ!」

 

「普段頼りないとこ見せてる分、ここが踏ん張りどころだな」


「へへ……ホント頼りないけどね。でも、ここで臆病風吹かしてたら、いつまで経ってもグロリアさんには追いつけないし!」


 微笑み合い、意思を確かめる一行。

 やがて、カミロが瓦礫を取り除き、母親は解放された。

 抱き合って無事を喜ぶ親子に皆も安心する。


「ああ――いたいた! あなたたち、やってるわね」


 そこに、薄着の黒装束、イリーナが駆けてくる。

 彼女は同じく薄着の装束の女たちのほか、一般の王都の住民たちを引き連れていた。


「住民を集めて避難させてるところなの! 必要があったらその親子も預かるわ」


「ああ、助かるぜ、イリーナさん!」


「ボクたちは騎士団の助太刀に向かうよ!」


 イリーナに親子を保護してもらい、ニーナたちは街中を進む。

 街の中には戦いの痕跡があちこちに残り、起こっている戦いの熾烈さを想像させた。

 魔物の駆除にはシルバーとブロンズ級の冒険者たちが当たっているが、大型のものや、多様な戦い方をする合成獣の個性に翻弄され、戦況は芳しくないらしい。


(ホントはグロリアさんみたいに大型にも単騎で向かっていける人がいないと、やっぱり厳しいんだろうな……)


 ニーナは内心でだけ本音をつぶやいた。

 皆の前で言ったことに嘘はないけれど、本当を言えば自分たちで王都を守れるか不安だし、全体的な戦力不足も否めない。


(本当に、どこ行っちゃったんだろう、グロリアさん――こないだボクたちがふがいないところ見せたから、愛想尽かしちゃったとかじゃないよね、まさか……ああーっ、こないだのはホント酷かったよねっ、修行不足が露呈しちゃって!)


 反省と自戒の念にまみれて歩いていると、どん、と背の高い何かにぶつかる。

 思わず「うわっ、ごめんなさいっ!」と謝ってしまったニーナは、その目線を高くまで持っていった。


「………見つけた」


 青みを帯びた黒髪に、月のように黄色い瞳。

 ぞっとするほど美しく整った容貌の男は、ニーナたちを見るなりそうつぶやいた。

 見入られたように立ち尽くすニーナたちはすぐ言葉が出なかったが、男はばさりと黒いマントを広げ、高圧的な口調で告げてくる。


蒼穹の燕ブルー・スワローよ、お前たちに使命ができた! 場所まで案内する、我についてくるがよい」


「……ニコ坊、この人知ってる?」


「俺の知り合いにこんなイケメンいねーよ……舞台役者か何かじゃないのか?」


「でも私たちのパーティーを知ってるみたいだし……」


「……まあ、こんな大混乱の最中だから変質者ぐらい出るか……」


「ちょっと待てぇい!! 誰が変質者だっ、我はお前たちに使命を与えに来たのだぞっ! 固まってこそこそこっちを伺うな!」

 

 幼馴染同士で集まってヒソヒソ話し合う姿にキレる男、ザカリアス。

 

「くうぅぅっ、この姿で会うのは初めてだからってもどかしい! かといって自己紹介してたら混乱するだろうし……っ」


「おにーさん、ボクたち魔物退治で忙しいんだ。一般人の避難なら向こうで誘導してくれる人たちがいるから……」


「じゃ、そういうわけで……」

 

「まっ、待て! お前らの助けが必要なのだ、勇者――……グロリアにだ!」


 ザカリアスが放ったその名前に、ルカがはっと顔をあげる。


「グロリアさん!?」

「待てよ、アンタあの人の知り合いなのか?」

「助けが必要って……!」


 ざわつく三人。

 ザカリアスは深くうなずき、さらに言う――。


「うむ、グロリアは今非常に危機的な状況にある! 大事な者を人質にとられ、自分では身動きもままならん。よってこの状況を少しでも変えられる可能性のある者たちに我は賭けた! それがお前たちだ!!」


「大事な者って……フィリアナさん!?」


「相当ヤベーだろ、あの人が手出しできない状況って……!」


「そんなの、すぐにボクたちも行くよ!」


 ザカリアスの予想通り、彼らはすぐに承諾した。

 しかし、そこに待ったの声がかかる。


「おい、仲間のピンチはわかるが、王都も今ピンチなんだぜ! お前らでもいてくれた方がこの街にとってはありがたいんだ!」

「俺たちだけじゃ大型相手は不安だしよ~……」


 ヒューゴとカミロはそう訴え、街の凄惨な様子をニーナたちに示した。

 三人は曇った顔色を見合わせる。


「どうしよう、ニーナちゃん……!」

「でもグロリアさんをほっとけねぇ」

「わかってる! 仲間のピンチに駆けつけないなんて、蒼穹の燕ブルー・スワローの名折れだよ!」


 「でも……」とニーナは拳を握る。

 王都ではまだ多くの住民が危険に晒されている。どこもかしこも手が欲しい状況なのには変わりない。

 リーダーとして判断がつけられないでいると、すぐそばの商店が唸りをあげて破壊された。

 全員が顔を上げる。


「言ってる間に……大型だ!!」


  瓦礫の中から現れたのは、巨大な棍棒を持つ三つ目のトロールだった。

  建物を破壊したのは棍棒の一撃によるものらしい。

  全員一斉に武器を構え、ザカリアスも呪文の用意に入ったが、その瞬間、彼は視界の端を掠める何かを見る。


(……速い!!)


 ザカリアスが目で捉えるのがやっとというほどの速度をあげて駆け出す何かが、鋭くきらめく何かを片手に、トロールの前に躍り出る。


  一閃。


 トロールは血しぶきを散らし、ズシン……と瓦礫の中に倒れ伏す。

 それは一瞬の出来事だった。

 あまりの展開の速さに、誰もがついていけていない。


「やれやれ……いかんのぉ、若いモンがぼうっとしてちゃあ」


 安穏とした口調にどこか呆れを乗せて、長い白髭を撫でるライデン。

 その登場に、ニーナたちは「うおおおおッ!!」と沸き返る。


「ライデンさん! まだこの街にいたんだ!」

「ばーさんが祭りを見たいと言うんで残ったんじゃよ。……ほれ、言うとったら本人が来たぞい」


 血を払い、納刀したライデンは背後を振り返る。

 そこには「おじーさーん」と呑気な声で夫を呼びながら小走りに寄ってくる、ほっそりと優美な老女がいた。

 そのきれいな銀髪の中には、白銀色をした三角の獣耳がふんわりと生えている。

 東方に住む獣人族のひとつ、狐耳族だ。


「あらあら、皆さんも冒険者さんですか? 困りましたねぇ、お祭りの日だというのに怖いものがいっぱいで……」


「奥さんは普通に歩いてて平気なんですか!?」


「そんなもん、ワシのそばが一番安全に決まっとるわい。見たらわかるじゃろ」


 そう言ってライデンは後ろで倒れる魔物を指さす。

 確かに……、と納得するニーナたち。


「そっか……グロリアさんに負けても、ライデンさんも元は伝説級なんだ!」


 ニーナはぽんと手をついて納得する。

 グロリアに負けた、という部分にビクリと肩を震わせながらも、ライデンは平静を装って、


「ま、まあ……誰がそう呼んだか知らんが、世間的には何やらそうなってるようじゃな」


「おい待てよ……じーさんが街中を回ってくれたらかなり効率的に魔物を倒せるんじゃねぇか!?」


「なんたって伝説級だもん! すっごく頼りになるよねっ!」


 盛り上がる若人たちに、意外そうに目を開くライデン。

 「おじーさん、なんだか期待されてますよ」と、その肩を叩く嫁。


「なんじゃ、そんなに戦力に困っとるのかの? 仕方ないのお……助太刀するとするか」


 髭を撫でつつ、満更でもなさそうに言う。

 やる気を見せる伝説の剣客に、ニーナたちは安堵の顔色で向き合う。


「やった……! これで戦力確保だ! グロリアさんのところに行けるね!」


「おにーさん、私たちをグロリアさんのところに!」


「――おう!」


 ザカリアスはパチンと指を鳴らす。

 その瞬間、ふわりと異様な力に包まれ、ニーナたちの身体が宙に浮いた。


「うわわっ……何これぇ!?」


「見たことない魔術!!」


「まさかこれで連れてくってのか!?」


 ザカリアスは自分にも竜の翼を生やし、宙に躍り出ると、「その通り!」とニーナたちに応じる。

 慣れない無重力の状態に晒され、不格好な体で空へと舞い上がるニーナたち。

 高速で空へと消えた一行に、残された人々はポカンと口を開ける。


「おじーさん、王都の鍛冶屋さんで剣を直してよかったですね」


 ふと、妻は愛する夫に微笑みかけた。

 うむう、と照れとも苦渋ともつかない返事をしながら、ライデンはきまり悪げに頬をかく。


「もうワシの剣の道は潰えたと思ってたんじゃが……どうやらまだ別の道が残されてたようだしの」


「別の道?」


 妻が訊ねると、ライデンは遠くを見ながら、


「若いモンが進むべき道に進むための、手助けじゃよ」


 空へと消えた若者たちを思ってつぶやく。

 その横顔に、妻はちょっと意外そうにしてから、微笑む。

 そのとき、またどこからかズシン……と巨大な足音が響いた。

 鋼の栄光メタル・グロウの二人が武器を構え、狼が吠える。

 現れた次なる魔物の巨大な影を前に、ライデンはにぃっと大きく口角を吊り上げた。


「ばーさん、離れとくんじゃ。今のワシは――ちょっぴり危険なオトコじゃからのうっ!」


 おどけたふうに言って、するりと刀を抜く。


「いやですよぉ、おじーさんったら!」


 そう言って、銀色の尻尾を振り振り妻が駆けだすのを見届けてから、ライデンは巨大な魔物に向き直る。

 (まったく、うちのばーさんは最高じゃ……)などと年甲斐もなくニヤつく顔を白刃に映しながら、ライデンは踏み込み、駆け出した。


「――“白雷”、推して参る! どけえ、化け物ッ!」


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