魂ヲ搾取スル者③

 凶悪な笑みを浮かべていた少女は少し怪訝そうに眉をひそめる。

 剣に重さが増している。スピードもさっきまでと段違いだ。

 ――バチリ。

 かすかな音が耳元で爆ぜる。

 それはグロリアの方からあがっているらしい。

 異様なものを感じて、少女は知らないうちに息を詰めていた。


 コレはなんだ………!?


 グロリアの指先は今、雷が迸っているかのように青白く輝いている。

 つま先も、短剣を振るう腕にも、かすかな電流が伝わっているかのごとく発光し、少女の眼を妖しく惑わせた。


 違う、これは……!!



 本当に、雷を纏っている・・・・・・・

 そんな魔術は聞いたことがない。

 自分に電流をかけて、雷のごときスピードを得ているなんて――!


 グロリアの四肢には今や、常に電流が走り回っていた。

 雷を纏った彼女は、少女の想像を上回るスピードで移動し、剣を振るってくる。

 防戦を強いられながら、少女は縦横無尽の動きで翻弄を狙いながら飛び回った。

 だが、グロリアはそれ以上の速度で食らいつき、迅速で周到な剣捌きで追い詰めてくる。

 どんどん受ける剣撃は際どくなる一方だ。


「オマエ、いったいそれはどういう芸当だッ!?」


 圧されながら、少女は疑心暗鬼で叫んだ。


「どうって、私から生成されすぎて溢れ出す魔力が自然のマナに還元される前に、電流として体内に流してるんです」


 問いに応じたグロリアはさも簡単なことのように告げる。

 そのあっさりとした言い方に、少女は頬をひきつらせ、叫んだ。


「ニンゲンどころか、もんのすごいバケモノだなオマエッッッッ!!」


 膨大な魔力の持ち主でも、使いきれない分の魔力を溢れさせることがある。

 人間がそこまでの魔力を保有していることがまずおかしいのだが、グロリアはそれをさらに別のリソースとして運用することで、空中で自身を常時強化させているという。

 それを、飛行の呪文という大掛かりな魔術を自身にかけ続けながら行っているのだ。

 どうあっても、人間ができる範疇のことではない。

 少女が知る限り、それは高位魔族の中でもほんの一握りの連中のみがやっていることだ――。


「――私はあなたのように空で戦いたがる魔族ともたくさんやり合ってきましたので。地上では違ったやり方をとらないと、私みたいなニンゲンは太刀打ちできないんですよ」


「くッ……!!」


 まさか、地上よりも空の方が強いとか。

 自身の常識を超える存在を前に、少女は悔しそうに歯嚙みする。


「さて、りましょう。あなたが言い出したことですから」


「くそぉッ……やってやらァ!!」


 激突。

 激しい羽ばたきと、雷の爆ぜる音が重なり合う。




「空中でああも動ける人間がいるとは……生涯で初めての光景だ」


 倒れた部下を馬車に乗せて、警備隊長は地上から遥か空の戦いに眼を馳せていた。

 激しい軌跡を描いて何度もぶつかる両者の動きは、すでに人間が目で追えるものを超えている。


「噂通り、すさまじい強さだな……」


「強い強いとは思ってたけど、いつもグロリアさんは想像の限界を超えてくるんだ……!」


 警備隊長の言葉に感応したように、ニーナもまた空を見上げながら力強く言う。


「本当は……俺らになんて眼もくれなくて当然な強さなんだよな」


「そんなこと……! でも、ちょっとは正しい……のかも……」


 幼馴染の言葉に胸を痛め、ザカリアスを抱いたルカは地面を見つめる。


「私たちは、地上にいるんだもんね………」


 噛み締める。無力さを。




 双剣を構えたグロリアは空中で頭を低めて、獲物を狙う獣のような構えを見せる。

 体勢を立て直そうと少女は慌てて鎌を構えた。それが災いして、隙の甘いところに魔剣をねじ込まれて、鋭い剣先を喉元近くで受ける。


「くそッ!!」


 魔剣の凹凸のある特徴的な刃が、悔しそうな少女の顔を映す。


「降参しませんか? むやみに血を流したくはないんです」


 グロリアは涼しく言う。

 剣が喉まで迫っているせいで、少女もうかつに動けない。

 おまけにグロリアにはもう一本の聖剣を構えた腕が残っている。牽制するには十分だ。

 少女は怒りでやや頬を上気させながら、憎らしげにつぶやく。


「くそぉ! 奥の手・・・まで使わせやがって!!」


 少女は赤らんだ目元で睨みつけてくると、左の眼帯をもぎ取るように払った。

 露わになった瞳は――血のように赤い、蠱惑的な瞳。

 ――途端、少女の周りを再び異様なピンク色の霧が覆う。

 何かの力が凝固していく感覚に気が付いたグロリアは、刃を引っ込めて後ろに退避しようとした。


「ウチの”眼”を見ろォッ! ニンゲン!!」


 叫ぶ少女につられて一瞬、そちらを見てしまう。

 魔族特有の赤い色をした瞳。まだ幼げだが、無邪気で残酷そうな色気がすでに具わっていて、その赤は人を誑かす毒気に満ちみちている。

 その人の心を突き刺す茨のような瞳を見て、グロリアは自分の頭の奥が掻き回されるのにも似た不快な感覚に襲われた。

 ――精神侵食だ。

 危険性に気が付いたグロリアは、不快さの塊になったような頭を抱え、必死に精神の抵抗を試みる。


「――無駄だ。ウチの魅了ノ魔眼チャームアイから逃れられるニンゲンはいない。オマエほどの強者とやり合ってるときに使いたくはなかったが……仕方ない、オマエをウチの眷属にしてやる――ッ!」


 圧倒的な頭痛に襲われ、俯いたまま立ち尽くすグロリア。

 勝利を確信した少女はにんまりと満足げに笑う。

 強大な力を持つ奴隷ができあがるまで、彼女はグロリアをご機嫌で見つめる。

 だが、うつむいたままグロリアは呟いた。


 「《火炎矢ファイアアロー》」


 グロリアの周囲に火の矢が舞い、少女を目指して飛んでくる。


「うがァー! 侵食のペース遅いなコイツ!!」


 鎌の見えない斬撃で火の矢を打ち落とし、少女は悪態をつく。

 無詠唱でも火の矢の数はとんでもなかった。やたら滅多に斬撃を飛ばしてそれらを打ち払っていくと、その向こうにグロリアが動く姿が見えた。

 ――ばかな。自らも襲ってくるだと。

 精神の抵抗を続けながら戦おうとするとは。

 少女はグロリアの規格外の精神力にも舌を巻いたが、動きは通常に比べて遥かに鈍重だ。

 鎌を振って生じる斬撃を叩き込んで、動きを止めにかかる。

 グロリアはとっさに避けようとするが、わずかに斬撃の切れ端が頬と三つ編みの片方を掠めて飛んでいった。


 痛み。



「おとなしく従僕化するまで待とうと思ったが、オマエはやっぱ危険だ。一度動けなくなるまでお仕置きしてからの方がよさそうだな――」


 少女はそう言い、さらに斬撃を浴びせようと鎌を大きく空にかざす。

 

 そのとき、信じられないものが眼に飛び込んできた。

 確かに空中を駆け、短剣を手に飛び込んでくるグロリアの姿だ。

 雷を迸らせたグロリアは瞬間で間合いに入り、驚く少女の首を狙いにいく。

 それを少女がガードした瞬間、再び両者の眼が合う。

 少女はここぞと左目を見せて畳みかけようとしたが、そのとき同時にグロリアの顔を見る。


 片方の三つ編みが外れたせいで髪がほどけ、風に躍る黒い髪。

 それに縁どられた顔は静かで、整っているのに、内側には何か炎のように激しいものを想像させた。

 その激しさを表すかのような血が赤々と白い肌を滑り、唇に落ちていく。


 ちろり、と舌が唇の端を這った。

 


 ――その瞬間、少女の頭の中でピンク色の大爆発が起きる。



 ものすごい色気だ!!


 こいつ、自前の超絶色気で魔眼をねじ伏せている!!!??


 信じたくない真実に辿り着いた少女は、鎌を持つ手をぷるぷると言わせながら、それでもグロリアから目を離せないでいる。

 少女の魔眼は見る者すべてを魅了する魔眼だった。

 自らの魅力のもとに、ひれ伏さない奴はいないと、今までそう信じてきたが――、

 それは自身を超える魅力の持ち主に、未だ出会うことがなかっただけなのかもしれなかった。

 もはや圧されるばかりで手が出せない少女。

 グロリアはその隙に、地を蹴るようにして前に踏み出す。何歩も、何歩も。

 じわじわと後ろに圧される一方の少女は、それでもグロリアから目が離せない――。

 グロリアが踏み出すごとにだんだん加速がかかり、ふたりは地上に向けて猛スピードで落下――。


 地まで押し倒された少女は何本もの木を倒し、土埃を巻き上げながら、「……きゅぅ」と目をグルグルさせていた。

 こうなってはもはや戦意はないと、グロリアは少女の首に添えていた短剣を引く。

 ふと少女は正気に返ると、自身に馬乗りになっているグロリアに気が付いて、ぶわっと赤面。


「ど、どけッ! ……どいてください……」


 蚊の鳴くような声に、グロリアは素直に言うことを聞いてやる。

 少女は飛びのくように起き上がると、いそいそと眼帯を左目に装着した。


「ここへ何しに来たか答えられますか?」


「………契約」


 グロリアは妙に大人しくなってしまった少女に問いかけた。


「契約とは何の? 誰とのものですか」


「……言えなぃ」


「本当に?」


「……ぅん」


 少女は自分の指を太腿にもじもじと押しつけながら答える。

 この様子では、本当に聞きたいことは話してくれなさそうだ。

 グロリアは少し考えて、また質問する。


「お名前は?」


「はぅ」


「それも答えられないんですか?」


 子どもに聞くように優しく訊ねてみる。

 少女はやはり目を伏せながら、


「……アリッサ」


 ぽつりと答える。


「アリッサさんですか」


「あの……オマエの、名前……」


 そのとき、遠くからグロリアを呼ぶ声がした。

 ニーナたちだ。

 警備隊長を伴ってやってきた彼女たちに気づくと、アリッサはびくりと大きく肩を震わせた。

 近くに転がっていた大鎌を拾うと、それを抱きしめるようにして彼女は再び空へと踊り出る。


「あっ、逃げたー!!」


「ザンネンだったな! ウチは無駄働きが好きじゃない、これ以上戦うのは契約の範囲外だ! さらばだ、無能なニンゲンどもー!!」

 

 そのとき一瞬、グロリアと目が合うアリッサ。

 「うぐッ」と呻いた彼女はやけに早口で、


「生命力を吸ったニンゲンどもは寝てりゃそのうち回復するぞ!! 以上!!」


 そう言いつつ、猛スピードで空の向こうへと消えるアリッサ。

 まだそんな力が残っていたのかと思う超高速飛行。

 自身にかけていた雷で魔力の消費が激しいグロリアは、今から飛んで追いかけても追いつけないだろうと判断した。


「まさか王国に魔族が現れるとは……百年祭を前に不吉な予兆だ」


 警備隊長は苦々しく口元を歪める。

 グロリアは何も判明しないまま消えた魔族の少女を思い出しながら、言った。


「とりあえず、これに懲りてもう現れないといいですが……」


 グロリアはそのとき、仲間たちの様子が妙だと気付いた。

 振り返ると、意気消沈したように肩を落とし、目を伏せたニーナたちが。


「今回、ボクたち何も役に立てなかったな……」


 ニーナはそう言い、情けなさそうにぽりぽりと頬を掻く。


「手も足も出なくって、ボク、自信喪失しちゃいそうだよ。修行のやり直しかな……」


 ニーナだけではなく、ニコラやルカも同じ顔色だ。

 グロリアは意表をつかれて言葉をなくした。なんと言葉をかけたらよいかわからないうちに、ニーナはぽつりとこぼす。


「お荷物だなぁ、このままじゃ……」


 ずきり。その言葉で、グロリアの胸は痛んだ。

 彼らとの距離を感じた気がして、グロリアの方もまた無力な思いに苛まれる。

 グロリアは彼らにそれを伝えるすべを持たない。

 自分の胸に閉じ込めて、鍵をかけてしまう。

 俯くと、ルカに抱かれながらぐったりとしているザカリアスに気が付いた。


「マオちゃんね……元気ないみたい。どうしたのかな?」


「……猫にも色々あるんでしょう」


(お爺ちゃんて言われた……もう我には余生しか残ってにゃいのニャ……)


 心の傷は、深刻そうだ。


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