決勝の舞台⑤


 ルカは、はぁはぁ、と荒く息をしながら顔を上げる。

 魔法の直撃する恐怖で目を閉じてしまったが、どうやらダメージはないようだ。

 再び開けた視界には、グロリアの背中が見えた。


「グロリアさんっ!?」


 倒れたルカの前に立っていたグロリアは、カミロの《風裂刃ウィンドエッジ》が直撃したせいで身体や顔に切り傷がいくつもできている。

 頬から血を流すグロリアはルカを振り返った。


「大丈夫ですか、ルカさん」

「わ、私より、グロリアさんが……っ!」


 ルカはそう言って立ち上がると、ポーチから傷に有用な調合アイテムを取り出そうとする。

 その行動をグロリアは止めた。


「私は身体が強化されている状態ですから、傷は軽く済んでます」

「あ、当てちまうつもりはなかったんだぜ……っちょいとコントロールがだな!?」


 一方、カミロはなぜか慌てている。

 術を当ててしまったことで動揺しているようだ。


「そ、そっちが降参するのが遅いからこうなるんだぜっ! “そっち”の戦えねぇ姉ちゃんには当てないよう気を遣ってやってたんだ!」

「おい、カミロ! 全部言うんじゃねぇよ、男らしくねえな」

 

 ヒューゴがおしゃべりなカミロに釘を刺す。

 ルカは言われたことの意味を理解し、言葉を失った。

 戦えないから、魔法を当てるつもりはなかった?

 そんなの、最初から勝負してなかったことと一緒だ。

 ルカは最初から今まで、ずっと懸命に戦うつもりでいたのに。

 もう泣かないと決めたはずだったのに、また涙が溢れた。

 悔しい。悲しい。

 悔しい……!

 そっと柔らかいものが目元に触れる。

 グロリアが、少し端の切れたハンカチを伸ばしていた。


「ルカさんがずっと戦ってたのは、私が見ています。ニーナさんや、ニコラさんも。客席にいる誰もが見ていますよ」


 そう言葉をかけられて、ルカはふと周囲を見た。

 大勢の観客。広い試合会場。

 自分の意思で来なければ、こんなところには辿り着けなかっただろう。

 そう、ルカは戦いに来たのだ。

 こんな自分を変えに。

 それを言われているようで、ルカの涙はそれまでとは違う種類のものになる。

 傷ついてるのはグロリアの方なのに、肩に置いてくれる手は優しかった。涙を拭ってくれるハンカチも、言葉も、まなざしも。


 この人の持つ全部が全部、優しかった。


 こんなに強くて、こんなに綺麗で、………さらに、こんなに優しいなんて。


「……やっぱり、反則だよ……っ」


 どくん。どくん。どくん、と。

 胸が、震える。

 目の奥が疼く。


 ああ、この気持ちは。

 この、気持ちの正体は………。


 どくん。


 ルカはその瞬間、自分の全身が心臓になったようだった。

 身体の隅々にまで熱い血が行き渡り、広がっていくような不思議な昂揚感。

 同じように熱くなった目の裏には、一瞬、なにかのイメージが通り過ぎる。

 

 どくん。どくん。


 どくん。


 ――どっくん。


 火が、見えた。


「グロリアさん!」

「はい?」

「私に、火の付与魔術エンチャントをお願いしますっ!!」


 ルカはそう言って、スタッフを握り締める。

 グロリアはそのお願いに驚きを隠せなかった――付与魔術エンチャントとは、基本的に剣に火属性を付与してアンデッドを払ったり、盾に付与して反対属性の攻撃を防ぐといった使い方が主で、人体にかけるのは聞いたことがない。

 だが、ルカの今の表情には見覚えがあった。

 自分の意思でトレントに呑み込まれるときの、あの顔だ。


「《火属性付与ファイア・エンチャント》――!」


 グロリアは術の名を叫ぶ。

 すると術を受けたルカの身体は、灼熱色に輝き始めた。

 まばゆいほどの強い輝き――近くにいるグロリアが目を開けるのがつらいほどだ。

 この輝きは――?

 この反応は一体――。


 ルカはスタッフを構え、集中した。

 彼女の意識が深まるごとに全身は炎の色に輝き、膨大な魔力が渦巻いて髪が、ローブが、踊った。



 ――お前が魔法を使って叶えたい望みを思い浮かべろ。それがすべての答えにつながるのニャ。



 ルカは、ザカリアスが言っていたもうひとつの言葉を思い出す。

 望みは。

 自分を変えたかった。

 自分を変えて、ニーナたちに誇ってもらえるようになりたかった。

 でも、ただ認めてもらうだけなら魔法でなくてもよかったはずだ。

 ギルドのスタッフに就職して彼らをサポートするのもよかったはずだし、調合を極めてアイテム屋になってもなんの問題もなかった。

 魔法じゃいけなかった理由。

 それは、憧れだ。

 おばあちゃんの魔法を使う姿に憧れていた。

 くるくると踊る指先に炎や水や風や大地が操られて、意のままに動く。

 その奇跡のような光景に魅せられて、魔法という存在に憧れ続けた――。


 わたしにも魔法が使えるかな、おばあちゃん。


 そうだね、お前がそう望みさえすれば――。


 そうだ。

 いつの間にか、“望む”ことすらしなくなっていた。

 失敗を恐れて、怖がり続けた先で、かつて抱いた憧れや理想を思い出すこともしなくなっていた。


 グロリアに会うまでは。


 彼女ほど華麗に魔法を使いこなす人を、見たことがなかった。

 そして今、その憧れは、もっと熱い思いに変わって、何かに昇華されようとしている――。


(わたしは、グロリアさんが、好き。だから、少しでも、近づきたい――!!)


 じりじりと愛しさに焦がれながら。

 少女は今、魔法を使う。



「《火球ファイアボール》――!!」



 顕現したのは、囂々と燃え盛る巨大な火球。

 空から太陽が落ちてきたかと見紛うほどに規格外のサイズだ。

 通常の《火球ファイアボール》が何十と束になってもこの大きさには届かない。

 これはもはや《火球ファイアボール》ではない、別の何かだ。


「いっけぇぇぇーーーっ!!」


 誰もが唖然としている中、ルカはスタッフを振って号令を出す。

 飛来した火球はカミロを目指し、常軌を逸した高温と火の粉をあたりに撒き散らしながら進んでいく。


「ぎゃあああああああーーーー!!」


 カミロは逃げ出す。

 巨体のせいかルカの火球はそこまで速度はない。

 大の男が全力疾走でやっと逃げ切れるぐらいだ。

 軌道が読めるようになってくると、カミロは安心したようににやつく。


「へ、へへっ、逃げ切りゃこっちのもんよ……!」


 落ちてくる寸でのところで辛うじてカミロは回避した。

 地面に衝突すると、激しい轟音と光を放出させながら火の球は消滅。

 あたりには高温と火薬の匂いが残った。


「火薬の、匂い――? ッぎゃああああああ!!!!!」


 カミロが疑問に思っていると、さらに濃い火薬の匂いとともに、チリチリと燃えるマントの熱さが身体を昇ってくる。

 カミロの足元には、ルカがさんざ投げつけたオイルや松ヤニや様々な薬品が散らばっていた。そこには発火する成分の強いものばかりだ。

 炎はカミロをあっという間に呑み込んだ。


「あちゃちゃちゃちゃちゃーーーーーっ!!!!!!」

 

 燃え盛る身体で奇妙な踊りを踊りだすカミロ。

 グロリアは「《水流スプラッシュ》」と呪文を呟き、ぱちんと指を鳴らす。

 頭から水流を被って、無事鎮火。

 ぱたり、とそのままカミロは戦意を失ったように倒れ込む。


「ルカさんの勝ちです!」


 グロリアは状況を認め、判定者よりも早くそう言う。

 息せき切って、疲れと戦っていたルカは、その言葉に顔をあげる。

 そこにはグロリアが、柔らかい表情をして立っていた。


「グロリアさん………っ」

「なんの文句もでない、勝利です。ルカさんにとっての」


 と言いかけたとき、グロリアは背後からの声に気付いた。

 出場者用の通路から、ニーナが今にも仕切りを越えてきそうなほど大喜びし、それをニコラが止めている。


「ルカぁぁぁ!! 最高だったよーー!!!」

「あんなデケーの出せるんじゃねーか! よくも今まで隠してたな!!」


 ルカの活躍を見て、堪らず声をかけてくる幼馴染みたち。

 ルカはそっちを見て泣きそうな笑顔を浮かべて、グロリアは言葉を訂正した。


「これは、全員の勝利です――」


 多分、グロリア自身にとっても。

 カミロは戦意喪失。ヒューゴも途方もないものを見たかのように立ちすくんでいる。

 勝利を確信し、皆を振り返るグロリア。

 そのとき視界を何かが横切った。

 客席から投げ込まれたそれは、一本の開かれた巻物スクロール

 そこから光が走り、会場を包むと――現れたのは一体の異形の魔物だった。


 召喚されたのだ。


「なっ――!?」


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