VS野性の王


「Aブロック、二回戦の出場者は――拳闘士ファイターのニーナ!」

(やっとボクの出番だ!)


 意気軒昂と飛び出したニーナは、興奮する勢いのまま演武を始めた。

 生ける焔を思わせる激しさと、洗練された舞踊のように華やかな動きは、客席の目を奪い、大きな歓声を集める。

 そんなニーナを、「ククク……」と陰湿なまなざしで見つめる男がいた。


「対するは、獣使いビーストテイマーのバリー!」


 人相の悪い男が鎖の音を響かせながら入場してくる。

 男が鎖でつないだ獣の姿に観客はざわついた。

 それは巨大な狼だった。体長は二メートルを優に超える長大な体躯と頑強な四肢を具えている。

 あまりの巨大さと、黒灰色の毛並みのせいで、魔獣と見間違えてもおかしくない。

 男が鎖を引きずると、獣は静かに、だが獰猛そうな足取りで歩いてくる。


(これがボクの相手か……獣相手だと少し分が悪いな)


 ニーナは相手を観察した。

 狼の身体には歴戦を思わせる古傷が多く残っており、それ自体が風格を与えている。

 だが、ニーナは狼の眼を見ると、なんとなく嫌な気持ちに駆られた。

 狼の眼は、目の前の自分ニーナへの殺意を浮かべ、ギラギラと陰惨に輝いている。

 だが、それはひどい飢えから生まれた怒りと悲しみと、目の前の獲物への必死な執着を感じさせるまなざしなのだ。

 不幸な獣がこんなまなざしをすることを、ニーナは知っている。


(なんだか……嫌な気分だ。ボク、こいつと戦いたくない)


 不穏なものに胸の中をざわつかせているうちに、試合開始の宣言が響く。


「行けェッ、バケモノ! 食い散らかしてこい!!」


 男はそう言い放つと、鎖を外して狼をけしかけてきた。

 すさまじい俊足で一直線にニーナを目指す巨大狼。

 ニーナは狼の眼をじっと見据えながら、その場を一歩も動かない。

 獣が、牙を剥く。


「――はァッ!!」


 ニーナは右のかかとを地に立てると、大きく身体をひねって一回転。

 そこから煙幕のような砂埃がざぁあ――ッと生まれ、狼とニーナを隔てる。

 眼と鼻に砂埃を喰らい、狼は怯んで立ち止まった。

 その隙にニーナは走った。バリーの元にだ。

 その様子を察して、バリーは取り出した鞭で地面を打つ。


「オイッ、バケモノ! へばってねぇで、ご主人様を守りやがれェッ!」


 その叫びに呼応するかのように、砂埃の中からふたつの眼光がぎらついた。

 さらに奮い立った狼はニーナの後を追い、後ろ足を蹴って跳躍。一瞬で距離を縮めて、ニーナの背後を襲おうとする。

 振り返ったニーナは自分に追いつく獣の姿を見て、腹を括るような表情をした。


「そうだ行け――れェッ!」


 ニーナの顔や胸元に、自分の血がぼたぼたと落ちてくる。

 自分から狼の下敷きになったニーナは、狼の口に腕を突っ込み、牙を封じた。

 さすがの痛みにニーナは目を細めた。バンテージとグラブを装備していても、片腕を咬まれるのはつらい――。これで狼の口をいつまで封じていられるか、それも問題だ。

 痛みにぼやける視界で、狼の眼を捉える。

 血の味に狂乱し、ますます眼の色をなくした狼は、野生のそれとは違っていた。

 人間に飼いならされて、自分がどれだけ気高く美しい生き物か忘れてしまった眼だ。

 ニーナは昔、狼と犬の間に生まれた子と暮らしていた。

 彼女は強く美しく、人間にたやすく手懐けられない気高さがあって、ニーナの親友でありライバルだった。

 そんな彼女は、冬眠上がりのクマに襲われている村の子どもを助けて、短い生涯を閉じた。

 だからニーナは知っている。彼らがどんなにすばらしい友達なのか。

 この獣使いと狼の間には、間違っても絆なんかない。あるのは敵を倒したときだけ与えられる報酬のみ。身体の傷は、戦いだけではない。虐待によるものもあるだろう。鞭の痕のようなものがたくさんついているのもニーナは見抜いていた。


「なあ、思い出せよ……」


 震える声をあげ、ニーナは目の前の存在に問う。


「お前の先祖代々がどうやって生きてきたか、知らないわけじゃないだろ? みんな、みんな、自分の力で目の前のことを切り開いてきたんだ。誰かに鞭で叩かれてやらされてたわけじゃない」


 食い込む牙。激しい息遣い。

 それは黒い魔物のような姿をしているが、本当はそうではないことを、ニーナは知っている。

 じわ、と涙が滲む。

 恐ろしいのではない。

 ただ、悲しいのだ。


「――ッ、自分が誰かを思い出せよ!! “狼”ぃぃぃ!!」


 ニーナは吼えるように怒号した。

 その痛みで脳裏がホワイトアウトしかける。

 しかし、焼けつく痛みからゆっくりと目を開くと、そこには、驚いたように眼を見開く狼の姿があった。


「………!」


 ニーナは狼と向き合って、信じられない変化に驚いた。

 殺意にぎらついていた表情は消え、今は眼の中に灯りが見える。気高い理性の灯りだ。

 呼びかけが、通じた。

 どんな奇跡が働いたのかわからないが、ニーナの呼び声は、確かに狼の深く本能に根差すところまで響き、その魂を起こしたのだ。

 狼は頭を低めて、咥えていたニーナの腕を離した。

 ニーナはそっと、敬意を払うように狼の頭を撫で、立ち上がる。

 飢えた狼に人の声が届くという、本来ならありえない光景を見て、客席が沸き、バリーは戸惑いの声をあげる。


「っ、テメェ、うちのバケモノに何しやがった!? 動物支配の魔法かなんかか!?」

「信頼すべきパートナーを“バケモノ”呼ばわりするやつに、わかる道理じゃないね」


 ニーナが血を流しながらも構えをとる。

 その横で狼もまた「グルルル……!!」と威嚇を放つ。

 あろうことか、さっきまで主人だった男に対して、だ。


「クソッ、クソぉぉおッ! 俺に逆らったら鞭打ちでひと月メシ抜きだって教え込んで、やっと使えるようになったのによ! シゴキが足りなかったってのかよぉ!」

「そうやって、心が折れるまで酷い仕打ちをしたんだな」

「あぁ!?」

「お前みたいなやつは――ボクが冒険者としての心を折ってやる!!」


 ニーナと狼が走り出す。

 鞭を取り出そうとした腕に狼が喰らいつき、そこにニーナの振り上げた脚が迫る。


「ガルシア流格闘術――奥義、《百獣爪・蹴撃》!」


 圧倒的な速度で打ち込まれる、蹴りの連撃。

 繰り出す蹴りがいくつもの残像を伴って、何十何百もの脚がバリーを襲っているかのようだった。


「ごばァーーーーッ!!」


 とどめに、ニーナが渾身の蹴りをお見舞いする。

 今まで送った蹴りの中でもっとも重い一撃を喰らい、ガクッ、と崩れ落ちるバリー。

 狼は頭を振ると、咥えたバリーの身体を大きく放り投げる。

 息の合った行動に、客席から拍手と歓声が起こった。


「勝者、拳闘士ファイターのニーナ!!」


 司会の声が響き、ニーナは後ろ足で立った狼と抱き合って勝利を喜んだ。


「やったぁ~! お前、ほんとすごいぞ! 今日はお腹いっぱいごはん食べような!!」

「ワンワン! ワゥ~ン!」

「勝者はボクと、お前だぁ~!!」

 ニーナの勝鬨の声に合わせて遠吠えをする狼。

 二人の友情と遠吠えに、拍手はいつまでも鳴り響いた。


 ちなみに、狼はこの後、裕福な若い夫婦の元に番犬として引き取られ、幸せな余生を送ったという。

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