第17話 サラマンダー

 その不審な音に、何かッ、と思い振り向いた。


 見ると、そこには異世界からの水龍が水面から顔を覗かせていることはなく、池の中に手を突っ込んだ綺羅星がいた。


 割と唐突な行動にあっけに取られた我々には意を介さず、綺羅星は水中から手を抜き出し、その掌を眺めた。そして笑顔でその掌を我々に差し出した。


「ホラ。イモリだよ」


 見ると確かにイモリである。黒い、ヌメヌメとした体表に小さな手足、尻尾を曲げた姿が愛らしい。


「おぉー」


 喧嘩は一時中断。俺と優紀は綺羅星の掌に見入った。


「西欧ではサラマンダーって呼ばれてるらしいね」


「サラマンダー。……火竜か」


 おぉ、なんともファンタジー風味溢れる生物ではないか。これは幸先が良い。やはりここがコリジョンなのではないか?


 それにしても、このイモリ。綺羅星の掌から逃げようとしない。いやむしろ、居心地良さそうにしている。


 昔から綺羅星にはそういうところがある。綺羅星が動物に近づいても、大抵の動物は逃げない。猫などは向こうから近づいてくる。だから、やすやすと動物を捕まえてしまう。


 そして綺羅星の方でも、そんな動物たちに優しく接し、スキンシップを一通り取った後はそッと逃がしてやる。ただ、逃がそうとしても、大抵の場合、彼らはすぐには綺羅星の側を離れない。綺羅星には、そんな不思議なところがある。


 そいういえば、葉月さんの声が聞こえない。ここに来るまではあれだけ元気だったのに。いつの間に帰ったのかな、と思って振り向いたらそこにいた。なんとなく顔色が悪い。


「どうしたのですか?」


 俺の問いかけにも、葉月さんは「いやぁ」とか言って苦笑いするばかりだ。なんとも歯切れが悪い。なんとなくいつもの葉月さんらしくない。もっとも、まともに話したのは今日が初めてなのだが。


 すると、優紀がなんとも言えない笑い(控えめに言ってもプラスの意味合いの笑いではない)を浮かべ、


「ちょっと貸して」


 と言って、綺羅星の掌からイモリを奪った。捉われのイモリはジタバタと優紀の手から逃れようともがいたが、サッカー部の魔女は容赦しなかった。そして、矢庭に葉月さんの元へ駆け寄り、


「ホラ、サラマンダーだよ」


 と言って、葉月さんの鼻の先、一センチと離れていないであろう距離にイモリを突き出した。


「ぎぃやあああああぁぁぁ!」


 夕闇の廻中池に、少女の悲鳴がこだました。



 夕暮れの日が三人分の長い影を作る河川敷を、俺と優紀と綺羅星は歩いている。葉月さんは家の方角が違うので途中で別れた。


 あの後、逃げる葉月さん、追う優紀の追っかけっこは延々と続き(子供か)、気付けばかなり暗くなってしまったため、コリジョン捜索はまた後日ということになった。


「トカゲ一匹怖いとか、ホントに異世界行く気あんのかね?」


 優紀は早速毒づいたが、イモリは両生類で、トカゲは爬虫類である。


「……あんまりみっともない真似すんなよ」


「みっともないのは、トカゲ怖がってるあの女の方じゃない?」


 そんなことを言い合っているうち、黒廻川と白廻川が交差している橋に差し掛かった。するとそこで綺羅星は立ち止まった。


 池にいた時より日は沈んでいるのに、むしろさっきより明るくなっている。ここは遮るものがほとんどないからだ。川の面が、日が沈む前の最後の光を反射している。


「どうしたの?」


 俺は立ち止まった綺羅星に声をかけてみた。


「ん? いやね、ちょっと前までは、あの二つが激しくぶつかってたのにね」


 見ると、黒廻川と白廻川が交わって、またゆるやかに二つに分かれている。


 日照りが続くようになる前は、上流からやってきた二つの川はここで交差し、激しくぶつり、大きな渦巻きを幾つも作っていた。その荒々しさが観光の名物ともなっていたが、今はその面影はない。


 ゆるやかな交わりも、こうして見るとそれはそれで味わいはあるが、やはり迫力には欠ける。若い頃はヤンチャしてたけど、歳取って丸くなったお爺さんのようだ。往時の勢いはない。


 なんとなく、綺羅星パパを思い出した。あの方もお爺さんになったら、こんな風に勢いがなくなるのだろうか? 非常に考えにくい。正直、乱暴な人は苦手であるのだが、綺羅星パパにはいつまでも激しくぶつかっていた頃の黒廻川と白廻川のようであって欲しい。


 激しくぶつかる……。


「あっ……!」


「どしたの、荻窪田ぁ?」



   ◇   ◇   ◇



 扉を閉め、どこへ隠れるかと数歩足を踏み出した時、扉が砕ける音がした。見ると、長剣を携えた賊がそこにいた。


 私は奥へと駈け出す。逃げ場がないと知ってるのだろう。賊は逆にゆっくりと、確実に、なぶるように、歩を進めてくる。雷撃を打たないのは、今の私には力がないとはいえ、属性攻撃がことを知っているからだろう。


 新月でさえなかったら、あんな賊の一人や二人……。まぁ、私を襲うとしたら新月しかないだろうが。


 賊を見据えつつ後ずさると、背中が祭壇に当たった。そのまま、上にある燭台や調度品を落としながら、祭壇を上る。そして祭壇画へと行き着いた。これ以上は下がれない。


 もう……いいか。さっきはクイルクに救われたが、今度こそ最後だ。いっそ、この下らない人生に幕を下ろしてもらった方が良いのかもしれない。なぜ祭壇へ上がったのかは自分でもわからないが、どこへ逃げても同じだろう。


 いや、同じではなかった。手がに触れた。この祭壇画は二連祭壇画で、その二つの画が扉にもなっている。使うことはまずないので、そのことを忘れていた。もう何十年、いや何百年と使われていないかもしれない。


 鍵がかかっていないことを願い、把手に手をかける。つい今しがた、人生を諦めかけたはずなのに、可能性があると知ったらすがってしまう。自分の調子の良さに我ながら呆れ、少しだけ、笑みが漏れてしまう。


 しかし、案の定というべきか、鍵はかかっていた。


 賊も扉の存在に気付いたか、ゆっくりとした歩から一転、跳躍した。


 左右どちらかへ逃げれば少しは生き延びられるかもしれないが、にはここしかない。空気を切り裂き、賊がすぐそこまで近づく気配がする。まだ死にたくない! 渾身の力を込めて、体全体を扉に預ける。


 すると、鍵が壊れ、扉が開いた。老朽化していたのだろう、半ば腐っていたのかもしれない。


 扉の向こうに倒れると同時に、私が元いた場所に長剣が振り下ろされ、金属音が響いた。倒れたそこは塔の外、露台になっている。広くはなく、欄干も何もない。ただ、塔から円形状に飛び出た露台があるだけ。


 もう何百年と使われていない。前にここに立った人は、いつ、どんな事情だったか。そもそも、そんな人はいたのかどうか。


 露台のはるか下には、二つの激流が飛沫を上げて交差し、また二つに分かれ、それぞれ城を囲みつつ流れた後、また交差し、再び別々の流れへと分かれていく。暗闇の中、それは巨大な二匹の蛇が交わるかのようだ。


 立ち上がると、目の前に賊がいた。真正面から見たのは、思えばこれが初めてだ。だが、暗くて、やはりその容貌はよくわからない。


 ただ光るその目だけはよく見える。光の色はターク族特有の緑色だ。いい目をしてるではないか。こういう形では出会いたくなかった。余程の覚悟でここまで来たのだろう。


 私だって、嫌われたかったわけではないのだ。もっと違う人生を生きたかった。


 彼女が動くより先に、私は彼女に背中を向け、露台を駆け、そのまま身を躍らせる。「あッ!」そんな叫びが、置き去りにした露台の上から聞こえたような気がした。


 川の交差が近づいていく。一際大きく、風が吠える。



   ◇   ◇   ◇

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